ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

52 / 112
誤脱報告、感想ありがとうございます。

今日からパドックです。
嘘はついていません。
有馬記念は、明日からです。

後ネガい展開が解決するまでなので長いです。

(18:04、ちょっと、修正しました)


2011年12月11日、阪神競馬場13R

 2011年12月。

 

 有馬記念が迫る中、ヒシケイジは日々調教に励んでいた。

 月初に栗東トレーニングセンターに戻ってきてから、普段通りの調教、調教、調教の日々だ。

 

 今だって、肌寒い俺は栗東トレーニングセンターの坂路コースを、無理のないペースで走っている。

 

 全速力というわけではないが、きつい坂をトモにぐっと力を込めて昇るのはいい気分だ。

 やっぱり、走るのは楽しい――競走馬になって今日まで、走りが楽しくない日はなかった。

 

 だが、何処か――

 漫画的に言うなら、喉の奥に小骨が引っかかるかのように、俺は心のどこかにわだかまりを感じていた。 

 

 今、俺の体に不調はなく、むしろ健康そのものだ。

 精神的にだって、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、負けた後は随分落ち込んだが今は次のレースが楽しみで仕方がない。

 

 早山のおやっさんも、土井さんも、むしろ前以上に優しくしてくれている。

 

 だが、俺も馬鹿じゃない。

 相棒の息遣いの中に、早山のおやっさんが語らない面持ちの中に言葉にならない不安が漂っていることが分かる。

 

 ここ最近は、アップから坂路でのキャンターまで石破 志雄が乗ってくれる日も増えた。

 

 初めは俺も、それが有馬記念に勝つために、例えばオルフェーヴルと生添騎手がやっているように――

 他の馬と競り合いながら騎乗時間を延ばすためだと思っていた。

 

 それなのに、栗東トレーニングセンターに戻して調教するってことは――

 きっと、他の陣営に見せられない不調があるってことだ。

 

 なら、思いつく問題は一つしかない。

 

(もう……斜行だろ。前のレースみたいに、ガッツリヨれないためにはどうすればいいか――みんな考えてるんだ)

 

 だが、俺も含めて答えは出ない。

 本当は俺が一番考えなければいけないのに、気を遣わせて申し訳ないが――

 

(でも“本気”を出すと、頭がスパークしてそういうの全部吹っ飛んじゃうんだよな……)

 

 俺は、キャンターの中、集中した思考の中でどうすれば正気を保てるのかを思案して、切り上げた。

 

 落ち込んでても仕方ない。

 今は、やってみるしかない気がする。

 

 俺は、一周、ぐるっと坂路を走って戻ってきたところで――

 早山のおやっさんに報告しようとする石破志雄に、軽く足踏みしてアピールすることにした。

 

「おっと、ケイジ?」

「石破、どうした?」

「ケイジが走りたがっています……多分、本気で……」

「丁度いい。平地調教再審査も近いからな。先にダートコース行こうや」

 

 早山のおやっさんが少し思案したのち石破 志雄に許可を出して誰かに電話を掛ける。

 どうやら、俺の思いは彼らに届いてくれたらしい。

 

 それにしても、平地調教再審査――って、何ですかね。

 ヒシケイジは、頭にはてなマークを浮かべながら、石破志雄を一度降ろす。

 そのまま、石破志雄に曳かれてぽくぽくとやってきたのは、栗東トレーニングセンターのEコースであった。

 

 少し曇った空の下、広い広いダートコースにたどり着くと――

 そこには調教助手の門田さんがヒシパーフェクトの鞍上に乗って待っていた。

 

「早山のおやっさん、石破ジョッキー。予定よりも早いですが、ヒシケイジ、件のアレですか?」

「おう門田、ケイジが乗り気でな……どっちにしろダートコースには慣らさねぇといけねぇ――」

「門田さん、お手数をおかけします」

「石破くん、むしろ再試験を遅らせたお陰で騎乗予定がずれてしまったこと、おやっさんは謝らないとね」

「いえ――お陰で、関西の平場を体験できるので、願ったり叶ったりですよ」

 

 談笑する早山厩舎の面々の中、ヒシパーフェクトは【おう、来たか】なんて表情を浮かべている。

 

 普段の彼以上にピリピリとした、負けたくない雰囲気が漂う彼の主戦場はダートコースである。

 今年のGⅠマイルCS南部杯には届かなかったが、GⅢの富士ステークスを勝ち、貫禄もついた。

 

 そうだよな。

 いつもは調教の相手をしてくれているが――自分の主戦場で負けたくはないな。

 

 相手にとっては――不足はない。

 普段通りの追い切り調教であるが、足場は違う。

 

――だが、悪くない!!

 

 先に出た門田調教助手とヒシパーフェクトを追うように、ヒシケイジはダートを踏みしめる。

 この――土の感じ、ぐっと沈み込む感覚、むしろいい!!

 

 普段通りに、残り六ハロンから加速し一気に体のバネを活かした襲歩の姿勢に変わる。

 

 そういえば、何処かで聞いたことがある。

 芝はスピード、ダートはパワーとスタミナがものを言うんだろう――?

 

「ケイジ、お前」

 

 感じろ、相棒――俺は本気だ。

 残り三ハロン、ヒシパーフェクトは本気だ。

 

 感じる、俺の中のわだかまりを感じる。

 今は――どっかに行け!!

 

 本気を出す方法、忘れてない。

 負けん気を振り絞れ――ヒシパーフェクトに俺は勝つ、ダートでだって負けたくない。

 脚を動かせ――前に前に、脚を動かして加速しろ。

 ストレス、蟠り――走っていれば、何処かに消えていく――

 

 俺は、間違わない。

 三度目のミスはない。

 

――パァン!!

 

 石破志雄の鞭が一度はいる。

 俺は、直後――ヒシパーフェクトを軽々と追い抜いていた。

 

 ヒシパーフェクトの悔しそうな表情が俺を見つめている。

 冷静に、俺は同じ厩舎の先輩の瞳を見ていた。

 

(俺、スパークが来なかった。本気じゃなかった)

 

 間違いない――本気になれなかった。

 理由は分からない。条件は揃っていたはずだった。

 

 そのまま、石破志雄の指示通り、俺は早山のおやっさんの元に戻ってくる。

 

「石破、やり過ぎ!!」

「すみません。でも……ケイジは、厳しいみたいですね」

「石破ジョッキー、それを言われるとヒシパーフェクトに立つ瀬がありませんよ」

「今度、ダートのG1、走れるように言ってやろうか、え?」

 

 相棒である石破 志雄が、大人たちに煽られる中――俺は冷静に冷静に自分を見つめなおしていた。

 本気――か、そういえば、今年は自分の本気に向き合った年だった。

 

(俺、自分が何をやってるのか、なんだかんだ考えてこなかったんだな)

 

 そう思いながら、厩舎で飼い葉を食べる。

 もりもりと、相変わらず俺は毎日毎日、ひたすらに飼い葉を食べている。

 

「ぶふぅ~」

「ギョロ、いいんだぜ。悩んだって」

「ぶひ」

 

 俺は土井さんに慰められながら、飼い葉を食べ続けた。

 食事は、やっぱり心が静かになる。

 

 思い出す。

 天狗になっていた弥生賞――俺は悠々と勝ってしまった。

 

 皐月賞、オルフェーヴルに初めて負けた。

 負けん気を出して、本気で走らなきゃ勝てないって知った。

 

 日本ダービー、それでも勝てないレースがあると知った。

 俺はあの日、確かに本気を出せるようになった。

 

 宝塚記念、だから俺はあの時、古馬にすら勝てた。

 俺よりずっと強い馬に、自分の強いところをぶつけられた。

 

 セントライト記念、俺は本気を自分のものにした。

 

 菊花賞――でも、俺は本気を出しても勝てなかった。

 俺の努力なんて、無駄かもしれないと思ってしまった。

 

 俺の努力を無駄にしないために、俺は本気でまた、走ら、なきゃいけない。

 有馬記念――俺は、どうなるんだ。勝つ勝てないの問題じゃない。

 俺は、今の俺で居られなくなるのが怖い。

 

「ブヒ……」

「ギョロ……いいんだぜ。走らなくたって」

「ブヒ!?」

「お前、すげえ速度でハロン棒にぶつかってさ。あんな痛い目にあったんだぜ――あんなに頑張って走ったのに、オルフェーヴルにだってさ、勝った扱いになってなくてさ――ああいう、辛い負けを重ねたら、普通ちょっとはへこたれるもんなんだぜ……」

「ぶふぅ……」

「走る理由、重たいなら捨てたって、誰も怒らねぇよ」

「ぶぅ~~~~」

「あ、でも今の、早山のおやっさんには内緒な」

「ブヒヒヒヒ……」

 

 土井さんが、俺だけに聞こえる声でぼそぼそと話す。

 あはは、なんていうか、本当に――この人にはお世話になりっぱなしだ。

 

 走る理由か。

 

 俺は何のために、走ってるんだ。

 

 その答えが頭の中で、ぐるぐるしても答えは出ないことを知っていた俺は、その日はもう寝ることにした――

 

◆◇◆

 

 その日は、夢を見た。

 病室で、本を読んでいる夢だ。

 テレビの放送の中で、一頭の馬がターフを走っている。

 

 そうだ。

 

 俺は、人だったころ、一度だけ――競馬の中継を見たことがあった。

 

「間違いなく飛んだ!! 間違いなく飛んだ!! ディープインパクト先頭だ!!」

 

 めんどくさがって――

 俺がテレビのチャンネルを変えなかったから――

 

 ふと目についたその年の有馬記念に俺は釘付けになっていた。

 

「ダイワメジャー!! そしてポップロックが飛んできている!!」

 

 すげえ、すげえ、すげえ

 今、馬になったから分かる――

 

「最後の衝撃だ! これが最後の、ディープインパクト~!!」

 

 強すぎる、万全の俺だってコイツに勝てる気がしない。

 だって、その場に居た、皆の夢を背負って――コイツは走ってる。

 

「ラストランを見事に飾りましたディープインパクト!! これが、これが私達にくれる最後の衝撃……強い!! ディープインパクト強し!!」

 

 そうだ、俺は憧れたんだ。

 生まれてから一度も、ロクに走ったことがなかった自分とは違って――

 走って、走って、走り切ったコイツに憧れたんだ。

 

 誰かに夢を与えた、この馬に俺は憧れたんだ。

 

 俺は夢の中で、食い入るようにその馬のことを見つめていた。

 思い出した。忘れないぞ。

 走る理由、勝つとか、負けるとか、失敗するとかじゃないよな。

 いや、怖いよ、今だって、怖い……震えて、泣きそうになるくらい――怖い。

 

 けれど、俺は夢の中で、そいつがゴールした姿を見て――思い出した。

 

「もう、迷わない。ミスったっていいんだ――」

 

 それはまるで、今までの自分が全て壊れていくかのような瞬間だった。

 勝つことに、拘っていたから、全部上手くいくように願っていたから。

 俺は、ある意味で、競馬から、勝負から、皆から逃げていたんだな。

 

 オルフェーヴルが強いのは、負けても負けても、本当の意味で諦めないからだ。

 諦めない意地があるから、それがヤツの“本気”を――違う、強い馬みんなの“本気”を支えるんだ。

 

 俺は夢の中で、読んでいたライトノベルのページにメモをした。

 忘れない、忘れちゃいけない――この気持ちさえあれば、俺は走れるんだ。

 

 そうだ、俺は誰だ。

 

「俺は、ヒシケイジだ……俺は、皆に『夢』を見せるために走るんだよな」

 

◇◆◇

 

 2011年12月11日。

 その日、阪神競馬場には八万人の観客が詰め寄った。

 

 すべては、この日、行われるヒシケイジの平地調教再審査を見るためであった。

 

 ヒシケイジは土井さんに曳かれて、普段通りパドックを歩く。

 この日、ヒシケイジを見た観客は、誰もがその純白の馬体に目を奪われた。

 

 違う――菊花賞のときから比べて、明らかにデカくなっている。

 

 ヒシケイジ、体重520kg。

 この馬に、遅れて訪れた本格化だった。

 

 観客の歓声はもうプレッシャーにはならなかった。

 

 その日、テン乗りの馬で二勝した石破 志雄を乗せて――

 誘導馬と共に本馬場へと入場した、ヒシケイジを八万人の大歓声が迎える。

 

 今日、何処かから、俺が来ると聞きつけて集まったファンに向かって――

 俺は本気で、応える気でいた。

 

 走るのはダートコース。阪神競馬場、一八〇〇m。

 ゲートに収まるのは俺一頭だ。

 

「ヒシケイジ、全然、余裕じゃん」

「ゲートだけで見たら、今古馬でコイツほどスタートが上手い馬はいないよ……」

 

 スタッフの声を聴きながら、俺はゲートの中で待つ。

 鞍上の石破 志雄の手綱から、震えが伝わる。

 

 緊張してんのか――お前!!

 俺は――目を開き、耳を後ろに寝かせ睨み付けてやる。

 

 俺の目を見ろ石破志雄。

 俺は余裕だぞ。

 

「なんだよ。ケイジ――お前のせいなのに……」

 

 そうだよ。

 俺のせいだからこそ、今、俺は本気だ。

 

「逃げろ。後ろにオルフェーヴルがいるつもりでな――」

 

 分かったぜ――相棒。

 直後、ゲートが開く。

 

 俺は飛び出す。

 歓声、何のために、今日此処に来た?

 

 有馬記念のための再検査?

 

 いいや、違うね。

 

 俺は見せつけに来た。

 俺の本気でみんなの夢を掴みに来たんだ。

 

 一コーナー、速度は落ちない。

 向こう正面、みるみる加速する。

 

 四コーナー、回ってホームストレート。騒然としたスタンドの歓声が、俺を迎える。

 

 ヒシケイジの思いは確かに、阪神競馬場を埋め尽くす熱狂として伝わっていた。

 いいぞ、それだ。俺は――夢を見せる。そのために走るんだ。

 

 ゴールを踏み抜いた直後、俺はスタンドの湧き上がる歓声を浴びながら晴れやかな気持ちで空を見上げた。

 非公式のレコードタイムは、1分45秒5――ヒシケイジは、当然のように再審査に合格した。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。