ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤字脱字報告、感想ありがとうございます。
お待たせしました。今日から冬のグランプリです。


2011冬、有馬記念(前:1/3)

 2011年12月11日。

 

 冬の阪神競馬場で観衆が見守る中、ヒシケイジは非公式のレコードタイムを叩き出して鮮烈な復活を果たした。

 だが陣営の表情は決して明るいものではなかった。

 

 早山厩舎、夜の厩務員室に石破 志雄が入ると、電気ストーブの前で印刷した書類とにらみ合う早山の姿があった。

 

「どうだった」

「当初の問題は解決しませんでした」

 

 石破志雄はパイプ椅子に腰掛け、テーブル越しに白髪の目立つ調教師に向き合う。

 自分の口から出た言葉は、率直な感想であった。

 

「何が良くなかったか、言葉にできるか?」

「ヒシケイジは、やはり本気の出すのをためらっているように感じました、ただ――」

 

「ただ?」

 

「それを差し引いても、ケイジの調子は良かったです。歩法も意欲も明らかに洗練されて、ハミも常に取っていました――先週のヒシパーフェクトとの追い切りから比べて、明らかに馬として一皮剥けたように感じました。本気を出さなかったのも、出す必要がなかっただけの様にも感じました」

 

「ほう……」

 

 早山が感心したように、首肯する。

 

「まぁ、お前さんがタケに言われた通りか――」

「ええ、『ケイジが自主的に走るタイミングを待って、本気に頼らなくても勝てる競馬を目指そう』と、あの人に言われた通りになってしまいました」

 

 あの日、11月に信楽ノーザンファームを訪れた日の翌日。

 石破 志雄は競馬を知るものならば、知らぬ者は居ないタケさんと酒の席で会話する機会を得た。

 

 当日、ヒシケイジの不調を知って、解決方法が浮かばなかった俺が彼にその話を振ったとき――

 タケさんは笑いながら、最近似たような質問をされたと前置きして、馬の本気に頼るだけが競馬じゃない――と続けた。

 

「ま、当たり前っちゃ当たり前だ。意志の強さは技術を誤魔化す言い訳じゃないわな」

「ええ、ケイジは馬として基礎が強くなっています。うまく生かしていきたいです」

 

「大丈夫だ。俺はケイジもお前の腕も疑わねぇよ」

「ありがとうございます。有馬記念はどうなるか未知数ですが、今日のような逃げでいければ――」

 

 勝てるかもしれない。

 そう思えるほど、今のヒシケイジは、己と走りに対する矜持が覇気として目に見えていた。

 

 だが――

 

◆◇◆

 

 2011年12月22日。

 

 ヒシケイジが馬房で飼い葉をもしゃもしゃと咀嚼していると――厩務員室から土井さんの悲鳴が聞こえてきた。

 

「あああぁああああぁぁぁあぁあぁ~~~~~~~もう、おしまいだぁ~~~~~~~~~~!!」

 

「ブフ」

「ブモ~」

「ブハハハハ……」

 

 うーん、土井さん……元気でよろしい。

 我々、早山厩舎ヒシ軍団は、そんな普段通りの光景を馬房から淡々と眺めていると――

 

「ギョロ……もう終わりだァ……」

 

 この世の終わりを見たような表情で土井さんが寄ってくる。

 

「ブヒ?」

 

 なんですか、騒々しい。

 土井さんも、一旦落ち着きなさい。

 

「ギョロ……お前、大外枠だよォ!! おしまいだよォ!!」

「うるせぇぞ。馬鹿が!!」

 

 へー、そうなんだ。

 俺は、目の前で早山のおやっさんの昭和式の鉄拳を受けた土井さんを見ながら――

 もっしゃもっしゃと、飼い葉を食べつつ鼻でラジオの電源を付けた。

 

 最近は競馬情報をすぐに聞けるチャンネルを合わせてあるから、時機に電波を拾って解説が聞こえてくるはずである。

 

『今年の有馬記念、公開枠順抽選会が行われたわけですが――エリザベス女王杯を制し、香港マイルを回避したG1六勝牝馬アパパネと、春のグランプリを制した三歳馬、我らがヒシケイジが大外八枠に定まり、ヒシケイジの馬主であるアベコンツェルン会長、綾部オーナーがその場で失神するというハプニングがありました』

 

 え、綾部オーナーが失神したって大丈夫か?

 そんなに有馬記念の大外枠ってヤバイのか――

 

『そうですねぇ。一般的に有馬記念は大外枠が不利と言われる競争です。ただ、勝ちの前例がないわけではありません。大外枠からの大勝利となると、やっぱり、第二次競馬ブーム、1989年のイナリワンが真っ先に思い浮かびますねぇ。また、過去10年というスパンで見ても、2003年のシンボリクリスエス。2008年のダイワスカーレットは一着を取れているのは記憶に新しいですな。ただ、逃げを得意として、先行策を選ぶことの多い豪駿ヒシケイジには、ちょっと厳しいレースになるかもしれませんなぁ……』

 

 なるほどね。

 ラジオに食いついたヒシケイジは、丁寧な解説に甚く感謝した。

 

『何より今年は、六年ぶり六度目のクリスマスグランプリ、東日本大震災のチャリティレースとしてGⅠ勝利の合計史上最多の26勝という豪華メンバーが揃いました、七代目三冠馬オルフェーヴル、ジャパンカップを勝ちGⅠレース六勝目を果たした女王ブエナビスタ。同じくエリザベス女王杯を勝ちGⅠレース六勝の三冠牝馬アパパネ――何より、我らが豪駿ヒシケイジがどれだけ迫れるか……期待です』

 

 くっ……最後、あまり期待されていない感じにシメられてしまったか――

 それにしても二十六勝ですか、第三次競馬ブームの煽り、恐るべし。

 

 それでもどうにかなるだろうと、楽天的に事態を見つめていたヒシケイジであったが――

 当日、千葉県の中山競馬場にたどり着き、報道陣のシャッターの嵐に囲まれて始めて、ヒシケイジは事の異常さに気づいた。

 

 競馬場が、人、人、人――であふれている。

 2011年、有馬記念――来場者数、現在16.8万人。

 俺がどこに視線を向けても、人であふれている異常事態だ。

 

 最近確かにラジオでも、第三次競馬ブームが到来しました~なんて語られてはいるが……それにしても、凄い人だ。

 明らかに人がみっちりと詰って、ところどころ、ギチギチにあふれ出している。

 

 曇り空の中山競馬場からは、ヒシケイジが分かるほど冬の空気であったが。

 気温と熱狂は明らかに常軌を逸していてた。

 

「ヒシケイジ~、こっち向いて~~~~~~~!!」

「本物のケイジ、マジで白いね~~~~!!」

「テレビで見るよりも、カッコいいじゃん。目を伏せて歩くのすげ~」

「ねー、ヒシケイジ見えないよ。ディズニーより人多いんですけど!?」

 

 土井さんに曳かれてパドックを回る俺にかけられるコールの量も半端じゃない。

 あと、ところどころフラッシュを使って、警備員に連れ出される人もチラホラ見える。

 

(こんなんでレース出来るのかよ!!)

 

 と思わなくもないが――パドックを歩くサラブレッド達は誰一人、観客のマナーなど、どこ吹く風だ。

 前を歩くブエナビスタ、エイシンフラッシュ、ヴィクトワールピサ、アパパネ――

 実力のあるお歴々は自然体でありながら、一切気負う姿がない。

 

 すげえ、強い――オーラが見えるようだ。

 

 だが、歴戦の古馬と比べてみても圧倒的に仕上がっている馬がこの場にはいる。

 

 オルフェーヴル、11月から比べても――すべてが違う。

 俺が成長する以上にレベルを上げてきたのが分かる仕上がりだ。

 

 良いぜ、今の俺はもう敗北なんて怖くない――

 夢を届ける為にお前に挑み続ける、もう絶対に負けたりなんてしない。

 

 あ、てか、後ろの我らがボス馬トーセンジョーダン、ちょっと疲れ気味だ。

 うーん、大丈夫かな……

 

「ねぇ、パパ、ヒシケイジ……大きいね」

 

 パドックの最前列でヒシケイジを見つめる少女の目の前をヒシケイジは歩む。

 彼は、以前テレビ見た時よりも一回り膨れ上がっていた。

 

『八枠十六番ヒシケイジ、九戦六勝。523kgで前走から14kg増加しています』

 

 だが決して、それは彼の馬体が天高く馬肥ゆる秋に脂肪を蓄えたわけではなかった。

 

 筋肉だ、筋肉が盛り上がっている。

 

 ヒシケイジの体を支える上腕頭筋、浅胸筋、上腕三頭筋――

 柔軟なバネを形成する外腹斜筋、広背筋、最長筋――

 圧倒的なスピードを産み出す中殿筋、半腱様筋、大腿二頭筋、大腿四頭筋、大腿筋膜張筋――

 

 そのすべてが、一回りも二回りも盛り上がり鎧が如き馬体を形成していた。

 

『中山のパドックに異常事態発生、中継を今すぐミロ』

『ヒシケイジ、馬体がエッティ過ぎる』

『トモがデカくてメシがウマー』

 

「ムホホ、やっとヒシケイジ……本格化ですな。思えば、長かった……クラシック戦線、やっと大人の仲間入りですなぁ……」

 

 誰もがその姿を見て、今日はやるかもしれないと思った。

 

 前走、降着とはいえ一位。

 人気投票一位という結果と相まり、競馬を知らないファンがヒシケイジへの期待と夢を集めるには十分なものだった。

 

 ヒシケイジ、一番人気1.7倍。

 明らかに、実力相応とは呼べない人気。

 

「にしても、一位はないよな――見る目があるんだかないんだか」

 

 おいおい、それは言わない約束だぜ相棒。

 

 馬具を付け鞍上に石破 志雄を乗せたヒシケイジが本馬場に入場したとき、彼を迎えたのは過去一番の歓声だった。

 石破 志雄のボヤキを受けながら、返し馬をこなす俺は決して、不調どころか過去一の好調だった。

 

 問題があるとすれば――他の馬が過去一強いことくらいだろう。

 

「うひ~」

 

 オルフェーヴル、お前もそう思うか。

 気づけば、いつも通りオルフェーヴルが鞍上に生添を乗せてやってきていた。

 

「石破 志雄、なんでお前とヒシケイジが一番人気なん? おかしないか?」

「生添さん、しょうがないじゃないですか。ケイジはテレビでずっと流れてるんだから」

「それはオルフェーヴルも同じはずなのになぁ……ま、今日も勝つから、よろしく!!」

「はぁ……負ける気じゃ走りませんよ。よろしくお願いします」

 

「うひひひひ……」

 

 石破 志雄、この一年間で大分生添騎手にいい返せるようになったな。

 俺は正直、誇らしいよ。

 

「はぁ……」

 

 生添騎手が去り、ゆっくりとゲートの前を回る俺に聞こえるように石破 志雄がため息をつく。

 

「今日は――」

 

 今日は?

 

 ヒシケイジが普段通り石破 志雄から指示を聞こうというとき――

 有馬記念のファンファーレの生演奏が鳴り響いた。

 

 お、タイミングが――わるい。

 

 でも、聞けよ。

 石破志雄、俺でもわかるほど、中山のスタンドが鳴動している。

 会場に集まった人間は、現在、徹夜組込みで17万6000人。

 

(うぉおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!)

 

 歓声の大瀑布を浴びながら、馬が一頭一頭とゲートに収まる。

 俺の位置は大外――ハッキリ言って、不利らしいが、知らないね。

 

 何を今更――不利も苦戦も、今年ずっとだ。

 

『三歳馬が春秋グランプリ制覇か、あるいは四冠を取るのか――ブエナビスタラストランか!?』

 

「おい、ケイジ」

 

 一瞬の静寂、石破 志雄が口を開く。

 そうだ、そういえば俺は相棒の今日の指示を聞き逃していた。

 

「今日は――思いっ切り楽しめ」

 

 楽しめ――か。

 分かったぜ、相棒。

 

 ガタンとゲートが開いた直後――俺はぐっと、飛び出して加速していた。

 

『第五六回有馬記念、見事なスタートを切りました!! 十六頭ですが――おおっと、大外ヒシケイジ、テンから飛ばす!!』

 

 知ってるぜ。

 今日のメンバー、逃げ馬は俺一人だ。

 

 大外の不利、知ったことか――

 

『ハナを切ったヒシケイジが先頭を取りました――』

 

 俺は加速し悠々と地面が揺れる衝撃を響かせて馬群の先頭に立つ。

 かくして師走のヒシケイジの三歳、二度目のグランプリ、一番先頭での“挑戦”が始まろうとしていた。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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