ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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毎度、誤字脱字報告、感想ありがとうございます。
今日で苦闘編最終回です。


2011冬、有馬記念(エピローグ)

「なんか、競馬らしくなかったな……」

 

 有馬記念が終わった。

 中山競馬場から去る人々の表情は、皆が皆明るいものではなかった。

 

「惜しかったな、ヒシケイジ……どーせなら、同着で良かったのに」

「な、折角競馬見に来てこれは――いや、これはこれで、乙なのかもな……」

 

 率直に言えば、ヒシケイジは負けた。

 

 写真判定でハナ差。

 プロップフィルムで確認した着差は推定10cm。

 

 拡大したら差がついていました程度の差であったが、確認できてしまったものはしょうがない。

 負けは負け――観客の馬券は紙切れとなり、短くとも長い拍手の後に宙を舞った。

 

「正直――今年は、ヒシケイジに入れ込み過ぎた説がある」

「俺はそこそこ。ま、ワイドの倍率が終わってたから、儲けは微妙だわ」

「やっぱ、オルフェよ。金色の暴君、来年の春の天皇賞では、ま~たヒシケイジに勝ってくれちゃったりして……」

「う~ん、それはそれで微妙かな~。豪駿vs暴君って構図は気持ちいいんだけど、推してた古馬が勝ってくれないとさ……」

 

「ムホホ……ゆえにマイルや中距離戦線、海外競馬を選ぶ馬は増える。各々が得意な戦場を選べる時代ですからな――」

 

「ありうるぜ~、エイシンフラッシュ。二〇〇〇mなら勝ってたもんな」

「今の競馬人気なら、海外レースも配信してくれそうだし。退屈はしないわな」

「ってことは、オルフェもヒシケイジも凱旋門いくんかな?」

「ああ~オルフェーヴルなら取れそうかも。黄金血統の馬の後輩も来てるし――来年も楽しいといいな。日本競馬」

 

「当然、豪駿がこの程度で沈むわけがない――寧ろ、今日の敗北を経て彼はきっと『開花』する。我はそう信じている」

 

 ぐちぐちと感想会を続けながら、煙草を吸いながら帰る彼らの表情は、決して暗くはなかった。

 暗いニュースに自粛ムードが続いた今年2011年、苦しさは忘れられなくても、熱中できる日々がそこにはあった。

 

「負けちゃったね、ヒシケイジ」

 

 白馬のぬいぐるみを抱えた少女は、遅い車列の中、後部座席からぽつりとつぶやいた。

 静かに、また一人静かに――口取り式と表彰式を終えた会場から、人々は去っていった。

 

「負けちゃったけど――ヒシケイジ、強かったね」

 

 確かに応援した馬は負けた。

 散々、持ち上げられて――

 あるいは、不利だ不利だと言われて――

 

 それでも、ヒシケイジは今年めげずに戦い続けた。

 

 表彰式でオルフェーヴルのジョッキーも言っていた。

 

『強かったです――どの馬も本当に強かったです!! 来年もきっと強い馬が、皆さんに夢を与える競馬をしてくれます!! これからも日本競馬を、応援よろしくお願いします!!』

 

 あの場に居たからこそ分かる。

 オルフェーヴルだってヒシケイジは強い、だから諦めない。

 

「ヒシケイジ、また走るよね」

 

 その言葉に、運転席の父親は深く首肯した。

 

「ヒシケイジ、次は勝つかな……」

 

 その言葉に、助手席の母親は迷った。

 

「ヒシケイジ、きっと――ヒシケイジなら大丈夫だよ……」

 

 敗北、誰だって負けたくはない。

 それでも、戦わなければ――負けることすらできない。 

 

 初めは、驚異の実力者であると評されたヒシケイジという馬だった。

 けれど今は、誰よりもひたむきに走るのがヒシケイジという馬の評価になった。

 

 来年がある――そう、まだヒシケイジは古馬ですらない。

 ヒシケイジを推す人々は、心の隅にヒシケイジのひたむきさを受け取って日常に戻っていった。

 

◆◇◆

 

「ギョロ、負けちまったなぁ……いやぁ、惜し過ぎる……悔しすぎるぜ……」

「ま、それでも二着か……満を持してシルバーコレクターが板に付いちまったぜ」

「それでもヒシケイジは、持ち直しました。次のレースではもっと攻めたレースが出来るでしょう」

 

 2011年12月25日の夜、クリスマスムードとは縁の遠い上野のアーケード街。

 丸椅子で囲んだテーブルの上にある揚げ物を齧りながら、早山陣営は騒がしく反省会にいそしんでいた。

 

 厩務員の土井が、串カツを齧り――

 老将「早山」が、味の染みた大根と昆布で日本酒を啜り――

 一週間前に髪を剃ったばかりの門田が丸眼鏡を光らせながらホッピーの泡を楽しむ。

 

「くぅ~~~~~、でもね土井くん、早山くん、門田くん!! 本当に良くやってくれたよ!! ありがとう!!」

「親父、声を抑えてくれ――確かに、彼らの苦労は本物で、いいレースだったことは、間違いないが――体調が――」

 

 その中に紛れ込んだ車椅子の老人、綾部オーナーが男達の肩を抱こうとして――

 明らかに場違いなスーツの男、雅秀社長が宥める。

 

 そんな光景の中に、石破 志雄は一人、ぽつりと取り残されていた。

 

「はぁ……」

 

 おかしい。

 今日はもう家に帰って、一家三人、家族の団らんの時間を過ごすはずだったのに――

 

「どうして、こうなった」

 

 涙の味が残った水割りを啜りながら、一人ちくわを摘まむ。

 

「石破ジョッキー、水臭いっすよ? せっかくの忘年会なのに――」

「そうだぞ。石破、お前が緊張しないように、この千ベロを選んだんじゃねえか」

「ハハハ、まぁ、無理に連れ出したとはいえ、付いてきてくれたことを喜ぶべきでしょう」

 

 そのはずだったのにな。

 

 気づけば俺は、思ったより多くの人に囲まれていた。

 

 土井さんに肩を組まれながら、早山のおやっさんに酒を注がれる。

 門田さんが、普段通り腕を組みながら、俺の努力を評価してくれる。

 

「石破くん!! 大丈夫、君はこれからもヒシケイジに乗ってもらう。それに、全弟も出来るなら任せたい……」

「私としては他の馬、例えばディープ産駒のような主流血統の馬も、私の名前で乗れるようにしたいものだ」

 

 綾部オーナーが、しわがれた両手で俺の手を掴む。

 雅秀社長が眼鏡を光らせながら、未来に期待をはせる。

 

「俺で良ければ、やらせてください」

 

 石破志雄は、迷わず己の意志を口にした。

 

 思えば、去年。

 ヒシケイジに出会ってから、俺はずっとアイツと陣営の皆に支えられてばっかりだ。

 

 10戦6勝、獲得賞金5億9千万、誇るべきか誇らざるべきか――

 

 石破 志雄はレースの後、誰よりも悔しそうにしていたヒシケイジのことを思い出していた。

 

◆◇◆

 

 ヒシケイジはその日、中山競馬場の馬房にお世話になっていた。

 ラジオも切られて、真夜中、俺は窓から星を見上げていた。

 

 正直、眠れなかった。

 

 寝藁が違うからでも、敗北が悔しいからでもなかった。

 ただ、ただ、眠ることが出来ずにいた。

 

 正直――有馬記念のあの走りが勝ちにならなくて、よかったとすら思う。

 

 俺は、まだまだだ。

 

 まだまだ、これからだ。

 

 もっと、俺は走ることが出来るだろう。

 

 土井さんに世話されて、早山のおやっさんに鍛えられて、門田さんから教わって。

 オルフェーヴルと、生添騎手や、他の馬やジョッキーとも競い合って。

 

 そして、相棒――お前と一緒なら、これからも走って行ける。

 

 そう思うと、今年はいろんなことを頑張った。

 

 馬として成長した去年に比べたら、伸び悩んだように見えるかもしれないけれど――

 

 でも、俺は、必死に頑張った。

 

 目指すべき場所には、もう前脚が掛かっている。

 

 苦しかった日々も、きっと報われる。

 

 これからはきっと、本気を出し切るため努力が始まるのだろう。

 

(楽しみだ、ああ、楽しみだな……俺は、きっと――もっと皆に夢を見せられるようになる)

 

 ヒシケイジは、そう思いながら、寝藁にゆっくりと寝転んだ。

 その日見た夢で――、俺は久しぶりに晴れやかな秋晴れの空を、ただ本気で駆け抜けていた。

 

 背後に迫るのは――黄金の暴君、オルフェーヴル。

 

 負けないぞ、俺は――次こそお前に勝つ。

 

 夢の中でも、鞍上のステッキを尻に受けながら、俺は見知らぬ競馬場のホームストレッチを駆け抜けていく。

 そんな心振るわせる瞬間を夢に見ながら、2011年――ヒシケイジの苦闘は幕を閉じたのであった。




 誤字脱字、感想お待ちしております。
 明日も1800投稿予定です。

 重ねてになりますが、「ヒシケイジさえ居なければ」をお読みいただいている皆様、本当にありがとうございます。

 毎度毎度、誤字報告を頂き、感謝と同時に身も引き締まる思いです。
 お察しの通り、当方ケアレスミスもしがちなため、皆さんのご指摘に救われております。

 また、割と重箱の隅系のご指摘は遠慮なくお待ちしております。
 意図がある部分もありますが、どうしても資料で見れない部分もあります。

 これからも、頑張って更新を続けてまいります。
 長い目で、ヒシケイジさえ居なければ、楽しんでいただければ幸いです。
 
 次回、シロイアイツ出ます。
 出張ります。

 お楽しみに。
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