ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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2008冬、ヒシケイジ命名される。

 2008年、冬。

 

 ギョロはめっきりと自分から走ることを辞めてしまっていた。

 しんしんと雪が降る中、厩務員たちの部屋がある窓際で、ラジオの中継を聞く時間が増えた。

 

『2008年、有馬記念――』

 

 ああ、今年の競馬は多分終わってしまうのだろう。

 ギョロは、今年の楽しみが一つ終わってしまうことが寂しくてため息が出る。

 

 他の馬がじゃれ合うのを見ても、今や心は振るわない。

 最近、また人間だったころの夢を見る日が増えた。

 

 勝つためには少しでも情報が必要だと思い聞き始めたラジオであったが――

 こうしてラジオの音で現実逃避をしていると、不思議と気持ちが軽くなるのだ。

 

 生前に言い渡された宿題を思い出して三か月。

 自分の生きた意味を見出すために、馬の中にいた。

 

 人一倍、いや、馬一倍。

 食べて寝て走ることに飽き足らず、ボスとして他の馬を率いてまで自らを鍛え続けてきた。

 

 その結果、俺は他の馬が育つ以上の速度で成長しすぎてしまっていた。 

 最早、群れの誰と競っても、得られるものは何もない。

 

(これじゃ一生、生きた意味なんて見つからないぞ!!)

 

 ギョロが一声嘶くと、さっきまで遠くで遊んでいた馬たちが駆け寄ってくる。

 なんだっていい、ボスも走ろうと――彼らの目が語っていた。

 

 ギョロは、その鮮烈な三白眼を連中に向けた。

 

 誰かに追い立てられたのか?

 ボスである俺に挑む理由はこいつらにはないはずだ。

 

 正常な状況判断はため込まれたフラストレーションに押し流された。

 

 ギョロはその場で軽く、頭を下げ、堰を切ったように雪原の中を一気に加速する。

 勝てないと分かってて、来るなら容赦しない。

 

(遅い、遅い――こいつらは、遅すぎる)

 

 まるで矢のよう加速し、ギョロは根雪を踏みしめる。

 蹄鉄が雪を巻き上げながら、後ろ脚のストライドの衝撃が地面へと伝わり、四肢を前へと送り出す。

 

 キャンターは即座にギャロップへと変わる。

 見る見る肉体が加速し、日の落ちた雪原に葦毛の暴風が奔る。

 

 ギョロはいつの間にか、群れの中から孤立していた。

 俺は強い、強い俺が鍛えたはずのお前らは強いはずなのに。

 

 もう、アイツらは達は着いてこれない。

 なんて、情けない奴らだろうと思いながら、脚を緩めるという選択肢はない。

 

 どうした――来ないのか、来れないのか――

 あれだけ期待してやったのに、その程度なのか。

 

 見る見るうちに彼らは背後から消え、柵の端にギョロはたどり着く。

 太陽の沈みかけた漆黒の世界が、まるで行き止まりの壁のように暗く見える。

 

 このままで自分は勝てるのか、果たして先はあるのか?

 

 早く、走りたい。

 速く、走りたい。

 この才能を生かして、生きてみたい。

 

(俺を、早く――“レース”で、走らせてくれ!!)

 

 気付けばギョロは、放牧地の柵の前で立ち上がり――

 目の前に立つ牧場主の田辺と、見知らぬ二人の前でヒヒーンと、一声、いなないていた。

 

 あ、やっちゃったかもしれない――田辺さんが、顔を真っ青にしてこっちを見ている。

 

 即座にギョロは、元人間としての理性を取り戻し、ただでさえ白い顔を青くした。 

 しゅんと、普段の二割増しで縮むギョロであったが、目の前にいる数人の内、中央の二人は寧ろ感心した様子だった。

 

 二人のうちの一人、杖を突いている品のいい白髪の老人が、その姿に反して瞳に光を灯して興奮していた。

 

 もう一人の傍に立つコートを着た少し背の低い壮年の男性からは、一目見て強いオーラを感じる。

 黒髪を短くまとめた、その表情は静観であり自分を品定めしているようだ。

 

 まるで、王様と王を守る騎士団長のような佇まいだ。

 さぞ、名のある方々とお見受けするが、彼らは一体誰なのだろう。

 

 ギョロは脳裏に疑問を浮かべながらも、一年ぶりに見知らぬ人に出会った事実に緊張して普段の三割増し程度に縮んだ。

 

「ミラクル!! ミラクルだよ、門田(かどた)くん!!」

 

 だが、ギョロの疑問に答えるように、品のいい老人は、大声をあげてこちらへと歩み寄ってきたおかげで理解できた。

 

 ミラクル――ミラクルとは何だろう。 

 ギョロが馬並みの思考を巡らせていると、幸いに思い出した単語があった。

 

 ヒシミラクル、それは田辺さんが口に出した今世の父親の名前だ。

 俺の父親を知っている人が訪ねてくるなんて――まるでアニメのワンシーンのようだった。

 

「ミラクルに似た、葦毛のい~い馬だぁ……」

「はぁ……そうでしょうか……」

 

(そこは否定するところかよ!)

 

 老人の言葉に門田と呼ばれた騎士団長がまじめに返した。

 慣れた態度な所を見るに、騎士団長の方は良く王様を諫めることがあるのだろう。

 

「そうか……確かに、似てないかもなぁ……ミラクルはこんなにギョロ目じゃあなかった……だが、い~い馬だ……門田くんはどう思う?」

「さっきの走りを見ましたよ。これが一歳馬とは信じられません。乱暴ですが、ディクタスの血が強く出ています。菊花賞は硬いでしょう」

「そうだねぇ!! 田辺さん、よくやってくれました!! 君とスウィートエルフに託してみてよかったよ!!」

 

 老人がへりくだる田辺さんへと振り返り深々に礼をする。

 なんだかんだいろいろ否定されながらであるが、これだけ前向きに自分を褒められると、嬉しくなってくる。

 

 こういうシーンは、アニメでよく見てきた――

 

 王様に良い恰好をしておくと得をするものだ。

 というか、王様に舐め腐った態度を取るとひどい目にあうものだ。

 

 ギョロも田辺さんに応えるように――ゆっくりと塀から頭を突き出して、名も知らぬに老人に向けて頭を下げた。

 

「おお、なんと――分かるのかい、ええと……」

「はい、綾部(あべ)オーナー、ギョロです。ギョロは本当に利口ですよ」

「田辺さん。その――ギョロというのは、ディクタスの血からですか」

「はい。ギョロの目、ギョロギョロしてるでしょう――生まれた時から、ギョロギョロしていたから、ギョロですよ」

 

 綾部さん、彼は綾部(あべ)さんというのか、田辺さんの許可の後、嬉々としてギョロの頭を抱きしめる。

 しわがれた掌の感触から、コート越しに伝わるぬくもりから、彼の歓喜と期待が良く伝わってくる。

 

 それは、幾度もギョロが物語を通じて想像してきた、勇者の登場を待ちわびた王の振る舞いそのものであった。

 

「おお、ギョロ、ギョロぉ……、おまえの父は、私たちに夢を見せてくれる、い~い馬だったんだよ……なぁ、ギョロぉ、お前の父と母の血はね――遡れば、ある馬に行き着くんだ」

 

 綾部は、感極まった声色で縋るようにギョロへと通じるはずのない言葉を語りかける。

 だが、ギョロは綾部オーナーが絞り出すように語る言葉を、瞳を閉じて受け止めていた。

 

「その馬の名は、名馬『ディクタス』。その名前はね、啓示、お告げという意味なんだ。お前を見た時、私にも啓示が下りた心地になった――お前は私に『夢』を見せてくれると確信した――だから、お前の名はケイジ、ヒシケイジだよ!! 私、綾部 雅一郎が、おまえを必ず一門の馬として世に出すことを誓おう!! 田辺さん……ギョロを、ヒシケイジをどうか私に買わせて下さい!!」

 

(ディクタス、啓示――俺と一緒か。分かった、俺は今日から「ヒシケイジ」だ)

 

 綾部オーナーがギョロは、いやヒシケイジを解放し、感極まって田辺さんと抱き合う。

 ヒシケイジは彼らが乗った帰りの車のテールライトが見えなくなるまで見守っていた。

 

(お前は私に『夢』を見せてくれる――か)

 

 その日の夜、ヒシケイジは、どこか上の空のまま、彼が自分に語りかけた言葉を反芻していた。 

 

 果たして、誰かに「夢」を見せるには、どうすればいいのだろうか?

 それは、生きた意味を見出すことにつながるのか。

 

 分からない。

 なら、分かるまで俺も夢を追ってやる。

 

 早く、勝ちたい。

 速く、勝ちたい。

 この才能を生かして、戦いたい。

 ヒシケイジとして、戦って勝ちたい。

 

 自分を信じてくれた人に「夢」を見せたい、

 それは前世を通じて一度も、誰かに「夢」を託されたことのないヒシケイジのうちに、初めて生まれた「渇望」だった。

 




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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