ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤字脱字報告、感想ありがとうございます。


2012春、阪神大賞典(後:3/3)

 2012年3月18日。

 

 波乱の阪神大賞典、第三コーナーに差し掛かったタイミングで、ヒシケイジが先頭に立つ。

 そんな中、オルフェーヴルはコースから外れ減速していた。

 

『まさか、まさかのアクシデント発生か!?』

 

――パシィ

 

 ヒシケイジに石破 志雄の鞭が入る。

 ゆっくりと、リズムを作るように入る鞭に従うように、俺はゆっくりと加速していく。

 

『オルフェーヴル、脚でも痛めたのか!! 後退したー!!』

 

 実際、ゴールまでは、まだだいぶ距離がある。

 

 俺に求められているのは坂路で他の馬を突き放すように加速しながらコーナーを曲がり――

 坂を駆け下りながら本領を発揮するロングスパートだ。

 

『なんとこんな姿だけは見たくなかったオルフェーヴル、後ろから二頭目!!』

 

 悔しいぜ。

 オルフェーヴル、どうせなら対等な条件でお前と走りたかったが――

 

 勝負は勝負だ。

 後方の馬もオルフェーヴルの逸走を見て、明らかに早めなこの位置からスパートを掛けている。

 

 石破 志雄も仕掛けがあと一手遅れていたら、前に出る機会を逃していたことだろう。

 

『さぁここからさらに巻き返して行くのか――!!』

 

 しかし、まだ油断はできない。

 

『あぁ! もう一回巻き返してくる!』

 

 そう思った矢先に、俺が感じたのは――

 まるで肉食獣が迫っているかと勘違いするかのような、普段以上の暴力的なプレッシャーだった。

 

『これは凄いレース!』

 

「嘘でしょう!? 戻ってきたのかァ!!」

 

――パシィ!!

 

 後方から、安東 數井(あんどう かずい)の驚きの声が聞こえてくる。

 他の馬も明らかに、迫るプレッシャーに急かされ、一段とギアを上げていく。

 

『とんでもないレースになった!』

 

――パシィ!!

 

 何が起きたのかは、もう言葉にする必要もない。

 ヒシケイジ達、競走馬が丁度第三コーナーに差し掛かろうというところで、オルフェーヴルが再度加速した。

 

『もう一回、オルフェーヴルが甦ってきたッ!!』

 

 大外に感じるのは、誰でもないオルフェーヴルの気配だ。

 奴以外に、この加速が出来るはずがない。

 

 だが、こんなレースが出来るのか、オルフェーヴルの脚なら、不可能じゃない。

 俺も、出来ないことはないが、そもそもやろうなんて思わない。

 

 オルフェーヴル、何て我儘なヤツなんだ。

 

 もう、勘弁してくれ!!

 オルフェーヴル、お前本当に、マジか、マジで――いい加減にしてくれ!!

 お陰で、俺の情緒とかマインドセットとか何もかもが、ぐちゃぐちゃだ。

 

『どうするんだここから、先頭は豪駿ヒシケイジ!!』

 

――パシィ!!

 

「ケイジ!! 来るぞ!!」

 

 直後、石破 志雄の鞭が俺のトモを外側から叩く。

 気づけば、ベストなライン取りが崩れ、50㎝近く――俺は柵から離れてしまっていた。

 

 馬鹿野郎、ヒシケイジ!!

 何を考えてるんだ、俺は!!

 

 今、俺がベストな走りをしなけりゃ――それこそオルフェーヴルの思う壺だ。

 

『やはり、この馬は持っているッ!! 歓声と共に阪神でも翼を広げるか――!!』

 

 ヒシケイジは遠心力に負けずにぐっと体を柵に近づける。

 

 石破志雄の脚とコーナーの距離は10㎝あるかないか――

 それでも、この稼いだ距離と加速のマージンがなければ、オルフェーヴルには勝てない。

 

『この前半のロスを巻き返すかオルフェーヴル、直線コースを向く!!』

 

 ヒシケイジは、ほぼ限界までロスを削った状態でコーナーを曲がり切る。

 

 後方、二馬身――オルフェーヴルの距離も精々二馬身半――

 稍重な馬場で絞り出した限界ギリギリのマージンだ。

 

 真っ先に侵入したホームストレッチ、俺達に向けられた歓声を浴びながらヒシケイジはゴールを見据える。

 

――パァン!!

 

 直後、ヒシケイジが石破 志雄の鞭を合図に、トモに残された余力を絞り最終直線を飛んだ。

 鍛え上げた筋繊維がバネのように歪み、溜めた力を蹄鉄から芝に伝え、蹴り上げる。

 

 飛ぶ――ヒシケイジがその530kgの馬体重に関係なく、芝を蹴り上げ、推進する。

 

 ヒシケイジは、その日、阪神競馬場に集まった十二万の観客に――

 GⅡにもかかわらず、全国の地上波で放映されていたモニター越しに――

 

 約三か月ぶりに自らの背に翼が生える瞬間を、その場に居る誰にも見せつけるように走った。

 

「ヒシケイジ、すっげええええええええ!!」

「いいぞ、いいぞ、行けよ!! 古馬初戦で、オルフェーヴルに勝てッ!!」

「オルフェーヴルッ、こいこいこいッ!! こいッ!! お前なら勝てる!!」

「頑張れオルフェーヴル、ワイらの馬券を紙くずにしないでくれッ!!」

 

 優雅で、理想的なストライド。

 それでいながら、一歩一歩地面を踏みしめる力は、クラシック期の比ではない。

 

「なぁ……おい、ヒシケイジってこんなにすげえ馬だったか?」

「知らないよ――でも、速い、速すぎるだろ……」

 

 生まれ持ったスタミナとパワー、マイル馬にすら勝てるスピード。

 華麗で速い馬が、脚を十全に使う競馬をすれば負けるはずがない。

 

 俺達が夢想したヒシケイジがそこに居る。

 

 競馬に“もしも”はない――だが、有馬記念の最終直線、あと一歩で見せたあの加速、テレビで嫌というほど流れたあの加速、俺達が最後、悔し涙を飲んだあの加速をヒシケイジが最終直線の初めで見せていたら――

 

『ヒシケイジ飛んだ!! ヒシケイジ飛んだ!!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 最終直線でヒシケイジはその答えを見せていた。

 一歩、一歩とヒシケイジが残されたスタミナを絞り出すように加速していく。

 

『だが、外からオルフェーヴル、あんな競馬をしてまでも勝ち切るのか!!』

 

 脳内にスパークが走り、ゴールまでのラインが浮かび上がる。

 

 詰まりかけた差が、少しずつ開いていく

 

 見ろ、見ろ、見てくれ――土井さん、早山のおやっさん、門田さん。オーナー!! 社長!!

 

 今日、今日勝つのは俺だ、俺なんだァあああああぁぁぁーーーーーーーーーー!!!

 

『ヒシケイジ!! 豪駿が下剋上か、クラシックの無念を今日晴らすのか!!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 勝てる、勝てる、勝てるんだ。

 オルフェーヴル、お前に、勝つ。

 

 お前に勝って、お前に勝って――お前に勝ってやるッ!!

 

『先頭はヒシケイジ!!』

 

 2012年、第六十回阪神大賞典。

 以後『伝説の阪神大賞典』あるいは『阪神大笑点』と呼ばれたこのレースは――

 オルフェーヴルの大暴走、逸走からの逆転劇に始まり、豪駿ヒシケイジの覚醒の日として語られることになる。

 

「ギョロッ、マジで強いッ、今年のギョロは一味違うぜ……!!」

「こういうこたァ、言いたかないが……凱旋門、見えてきたじゃねえか……」

「ええ、ええ、おやっさんッ。土井さんッ、今、間違いなく、ヒシケイジはオルフェーヴルより上ですよ!!」

 

 早山陣営の狂喜と共に、ヒシケイジは先頭を駆ける。

 

『オルフェーヴルが來る、残り150m。しかし先頭はヒシケイジだ!!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 この期に及んで、オルフェーヴルとヒシケイジは両馬ともに、まだ加速を続けていた。

 俺の全力にもかかわらず、オルフェーヴルはさらに、さらに伸びてくる――

 

『オルフェーヴルが、再度再度、迫ってくる!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 白銀と黄金が縦に並ぶ中――無常にもゴール板は迫る。

 

『残り50m、二馬身差!! 届かないか、ヒシケイジか!!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 この日、オルフェーヴルは昨年、有馬記念でヒシケイジが吹き飛ばした120億円を超える。

“130億円”もの大金を人々の財布の中から、掻っ攫っていった。

 

『オルフェーヴルは敗れた!! ヒシケイジ!!』

 

 ヒシケイジが悠々と歓声の中、ターフを駆け抜けていく。

 

『二着にオルフェーヴル、三着にナムラクレセント!!』

 

 石破 志雄は、心から勝利を喜ばない。

 昨年のGⅠに勝るとも劣らない歓声の中、俺もまた、勝利の美酒に酔えずにいた。

 

『とんでもないレースになりました、とんでもないレースになりました』

 

 俺は今日、確かに過去一で調子が良かった。

 

 結局あれだけ逸走して――俺は、ヤツを引き離せなかった。

 オルフェーヴル、もし奴が今日も万全な調子だったなら――

 

『ヒシケイジ、流石。豪駿らしいところを見せました』

 

 俺は、咲き続けられるのか、俺は競走馬としてどうやって奴と立ち向かうべきか。

 あるいは、オルフェーヴル、もうお前は終わりなのか?

 

『そして一頭、競走中止しているのがリッカロイヤル。オルフェーヴルのこんなレースは見た事がありません。これはご覧の3コーナーを手前にして、ちょっとひょっとしたら馬体に故障かも、と私は思ったんですが、これはもう一度加速をしてこの後伸びてきました――ですからおそらくは馬体に今のところ異常はないんではないかと思いますが』

 

 俺が、大真面目にこれからのことを考える中――

 

「堪忍、堪忍してやぁ!!」

 

『おおっと、生添騎手――ここで振り落とされました』

 

 気づけば、なんか後方で生添騎手が振り落とされていた。

 

『えぇ、このレースは審議になりましたご注意ください、阪神大賞典は審議です』

 

 生添騎手、おいたわしや――

 俺は唯々、彼を慮ることしかできない。

 

「放っておこう……」

「ブヒッ」

 

『一応の到達順は勝ったのがヒシケイジ、二着にオルフェーヴル、三着ナムラクレセント』

 

 それにしても最初から最後まで、俺の勝利が霞むとんでもないレースだった。

 

『勝ちタイムが3分9秒8という結果になっています。リッカロイヤルは競走中止です――』

 

 とりあえず、ひさしぶりの口取り式な気がする。

 

 そんなことより、大分疲れた体をいたわるようにヒシケイジは悠々と観客たちの元に帰っていく。 

 

『イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!!』

 

「とりあえず、勝ててよかったな」

「ブヒッ」

 

 俺達を迎えたのはGⅡレースにも関わらず巻き起こった石破コールだった。 

 その声にかき消されるように小さな声で、石破志雄はやっと俺達の勝利を受け入れたようだった。




ヒシケイジ、11戦7勝。
賞金6,091万円追加。

誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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