明日から、パドックです。
2012年五月。
ヒシケイジ、春の天皇賞に勝利GⅠ三冠目を獲得す。
その日のレースは終始ヒシケイジのペースで進んだ。
向こう正面へと入って始まった圧倒的な大逃げの勢いは、二番人気オルフェーヴルの決死の早仕掛けから始まる各馬の猛追劇にも関わらず、3200mの間、一切止まることはなかった。
世間に注目される葦毛の豪駿の圧倒的な勝利は、2012年の日本競馬界にとっては文字通り皮切りに過ぎなかった。
4月28日のクイーンエリザベスII世カップをルーラーシップが、
5月06日のNHKマイルカップをカレンブラックヒルが制する中――
ヒシケイジはついに凱旋門賞へと舵を切る。
その後、5月20日の優駿牝馬においてジェンティルドンナが牝馬二冠を獲得。
そして来る5月27日、東京優駿において“不沈艦”ゴールドシップが牡馬二冠を達成し、二年連続の三冠馬リーチに世間の注目が集まる中で、5月に人々の注目を最も集めたのは、2日に開催された「かしわ記念」であった。
現地時間の3月31日に行われたドバイワールドカップを、日本の各局は、ある意味で過剰なほど推していた。
だが、ヒシケイジもオルフェーヴルもいない日本勢である。
メディアはスターを求め、白羽の矢が立ったその一頭こそ、スマートファルコン号だった。
決して順風満帆とは言えないスタートであった。
それでも地道で、それでいて華やかな彼の活躍は、殊更にひたむきさを好む日本人にきわめて相性が良かった。
人々はそのラストランに涙し、エイシンフラッシュの勝利に酔い――
そして、彼が活躍したダートというもののG1を、地方競馬という枠組みすら関せずに、一目見ようと足を運んだ。
その日の船橋競馬場は、雨とネットでの馬券購入プラッツフォームの早期導入という努力すら水の泡になるほどの人数が押し掛け、勝利したエスポワールシチーの名は嵐となって轟いた。
いい意味でも悪い意味でも、第三次競馬ブームは円熟しつつあった。
新たな客層を取り込もうとする運営側と、ミーハー気味の新規ファン、既存の競馬ファンの対立が俄かに巻き起こる中――
春の天皇賞で咲いたヒシケイジがその後、一度もカメラの前に姿を現さないうちに、2012年も六月になろうとしていた。
◇◆◇
2012年五月。
春の天皇賞の後、ヒシケイジは、信楽ノーザンファームに短期放牧へと向かっていた。
念願のGⅠ三勝目、世間も認める完勝だった。
けれど、俺の心には、文字通りぽっかりと穴が開いてしまったのであった。
「ブヒ~~」
五月初旬、ヒシケイジの調子は良くなかった。
普段より痛むコズミはあるが、ストレスや熱発といった精神的な異常とは別にヒシケイジは、どこかぼーっとする時間が増え食事力も減っていた。
そんな中、舞い込んだ凱旋門賞の参戦に一番面食らったのは信楽ノーザンファームのスタッフ達であり――
彼らは自身が取れる最後の選択肢として、文字通りヒシケイジを自由にすることを選んだ。
「……」
ヒシケイジはその日、昼夜放牧に出された。
だからと言って、することは変わらない。
俺は空を見上げ、青草を喰いながら、ラジオを聞いていた。
『ヒシケイジ、凱旋門賞電撃参戦!!』
連日、ニュースになっている自分のことを聞くのは飽きてしまった。
『オルフェーヴルとの帯同が、予定され――』
俺とオルフェーヴル、今となっては、よくわからない関係だ。
初めて会ったとき、気が立ってて、それでいてコミュ障だったアイツを助けてやって――
芙蓉ステークスで勝って、クラシックで再戦して負けて、負けて、負けて、結局負けた。
古馬になったころからなぜか疎遠になったし、直近2戦は俺が勝ったけどーーそれでも、何処かアイツの影を追っている自分がいる。
レースの中で、俺はヤツの影を追って、追われて――
春の天皇賞じゃ、オルフェーヴル、あいつは結局、掲示板にすら上がってこなかった。
あとでレースの中継を聞いたから分かる。
奴の仕掛けが悪かったわけじゃない。
単に、レースの流れが、アイツに向かなかっただけだ。
それでも、オルフェーヴル。
お前がもし“本気”を出していたならば、俺が居た場所に来れたんじゃないか――
そう思えば思うほど、俺が本気を出して勝ちたかったレースが何なのか。
心の中で、その意味が、ぼやけてしまったような気がする――
「うひ~」
なんて、考えをしていながら芝生の上にいる俺の傍で、久方ぶりに気の抜けた声が聞こえてきた。
久々に会ったオルフェーヴルは、実に馬らしく何も考えてような姿で俺の傍に転がった。
俺は立ち上がり、少し距離を取る。
言葉はない。俺が掛けられる言葉もなかった。
「うひひひひ……」
オルフェーヴルは、そんな俺の背をついて歩いた。
ポクポクと互いに散歩するように、放牧地を歩いていく。
言葉もない。
交わす理由もない。
徐々に、互いに歩いていく速度が速くなっていく。
調教のお陰か――信楽ノーザンファームで一緒にいるとき、癖になっているからか。
俺達が揃うと、すぐこうだ。
柵を大回りで、走って――まるでランニングのような形になる。
気づけば、俺達はトロットからキャンターに、そしてギャロップで走っていた。
他の馬はもう、日常茶飯事だからか、俺たち二人には構わない。
俺が逃げる。
オルフェーヴルが追う。
オルフェーヴルの思考は分からない。
だが、今は、ただ走る。
ヒシケイジのコズミは既に抜けていた。
気づけば、俺の脳内は、いとも簡単にスパークし土ぼこりを上げながら柵のギリギリを疾走していた。
オルフェーヴルが追う、俺の背後に迫るプレッシャーは変わらない。
逃げられない、逃げ切るなんてできない――それでも、あのとき俺は勝った。お前に勝ってしまった。
『じゃあ、なんで、その走りを――お前は、前のレースでできなかったんだ!!』
一周ぐるっと走って戻ってきて、俺が振り向いた時、オルフェーヴルは何処か清々しく、申し訳なさそうな顔をしていた。
【ごめん】
と謝っているようで、不満があって――それでも、言葉にできない不安を抱えていた。
なんだよ――悩むなんて、お前らしくもない。
俺に、競馬の怖さを教えてくれたのはお前じゃないか。
俺に、挑戦することの大切さを教えてくれたのはお前じゃないか。
俺に、夢を背負うことを教えてくれたのは、お前じゃないか。
俺が、GⅠで戦ってきたのは、お前がいたからなんだ。
ヒシケイジは再び、オルフェーヴルを連れて走る。
オルフェーヴルに見せつけるように、本気を出して走る。
そうだ、お前は今、何のために走るのか分からなくなっているんだな。
馬鹿なのに、バカほど持ち上げられて、頭使えって言われて分からなくなってるんだろ。
成長した自分に一緒に走れる奴はいないって思っているならーーいるぞ、ここにいるぞ!!
ヒシケイジは疲労した筋繊維に鞭を打つように走った。
トモの筋繊維にかかった負荷が、ぐっと地面に伝わり重戦車のように俺はスピードを維持する。
既にギャロップで3600mは走っている――限界は近い。
だが、“本気”は限界に近ければ近いほど――絞り出せる。
苦しいか、オルフェーヴルーーそれでもいい。全力を引き出して来い!!
今日が、この馬以外誰も見ていない信楽ノーザンファームが、俺達の真の天皇賞だ!!
その直後、背後のプレッシャーが、確実に膨れ上がる。
ペースをあわせて曳いてきたオルフェーヴルの気配が変わる。
普段、生添ジョッキーに従って、本領を発揮していたオルフェーヴルにとって――
それは、生まれて初めて感じるゾーンの領域であった。
楽しんで――追う、目の前の馬を追う!!
どんよりとした曇り空に似た思考が、一瞬で快晴へと晴れ上がるように――
脚にこびり付いていた錆が、一歩一歩の衝撃ではがれ落ちるように――
オルフェーヴルは、まるで自分という存在が脱皮したかのように砕けたかのような心持のまま――
目の前に現れた一段上の領域に脚を踏み入れた。
◇◆◇
2012年六月。
栗東トレーニングセンター、坂路コースに集まった早山、生枝、菅生、3人の調教師は各々の理由で閉口した。
「マジか」
その日、ヒシケイジの鞍上に乗っていた石破 志雄は目の前の光景を信じるのに幾許かの時間を要した。
『は……ぐ……があああぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~!! 俺、お前に勝つためにガチで練習して、ダービー勝ってきたのに、ナメてたコイツにすら、負けたんだけど……? コソ錬、不足ってことかよッ!! お前らァ――まとめて、絶対殺してやる!! 殺してやるから覚悟しとけよォ!!』
「生添くん、生枝さん……凄い馬に仕上げてきましたなぁ……」
生意気盛りなゴールドシップがわなわなと恐怖に震え、鞍上の打田騎手が珍しく寡黙な態度を見せる。
「生枝先生。オルフェ、無事復活やわ~~!! 宝塚前に調子が戻ってよかった!!」
「ええ、打田騎手、これも早山さんのお陰ですよ。生添騎手、油断はしない様に。ですが、良い騎乗でした」
「石破――お前の責任だが、お前が悪いんじゃねぇからな」
「分かっています――ですが、これは――」
ただちょっと――発破をかけるつもりだったヒシケイジの思惑は大いに崩れた。
俺の目の前で、オルフェーヴルは、全く違う馬になったかのような変貌を遂げていた。
オルフェーヴル復活の兆しというニュースは静かに全国を駆け巡る。
そして、2012年6月24日、第53回の宝塚記念は、過去に類を見ない圧倒的な熱狂の元で始まろうとしていた。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。