ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
ヒシケイジの無謀な挑戦にご期待ください。


2012夏、宝塚記念(中:2/3)

 2012年6月24日。

 阪神競馬場、11R。

 

 その日、曇空の元に集まった十六頭の優駿の中に、ヒシケイジはいた。

 

 ファン投票に前年度の約二倍になる二百五十万票が集まったこのレース。

 

 ヒシケイジは人気投票、堂々の一位に推されていた。

 二位は、昨年度の三冠馬オルフェーヴル。

 三位は、秋の天皇賞一着、トーセンジョーダン。

 以降、ルーラーシップ、エイシンフラッシュ、ウインバリアシオンと続く中――

 

 悠々と歩くヒシケイジの姿は、変わらず人々を魅了したはずだった。

 

 春の天皇賞と変わらずパドックからレースまで、全国の中核都市でライブビューイングが行われる中――

 当日、阪神競馬場のパドックに訪れた人々の目を奪ったのは、有馬記念以来の調子を取り戻したオルフェーヴルであった。

 

 一人、土井さんに曳かれるヒシケイジには、変わらない覚悟があった。

 変わらず二人曳きで歩くオルフェーヴルには、見た者の目を奪う何かが満ちていた。

 

「ケイジいや……オルフェやな」

「本当か、本当にか!? 二度あることは三度あるというで」

「考え直すか、いや――オルフェか……」

「ルーラーシップもエイシンフラッシュも、大分仕上げてる」

「ホエールキャプチャもかわいいなぁ……」

「今日こそは、ウインバリアシオンに、期待したい……」

「ムホホ……どうせ、大なり小なりヒシケイジは馬券に絡むのだ。悩むだけ無駄であるが……」

 

(分からん……もう何もわからん!!)

 

 それは、この一年でミーハーを卒業してこなれた競馬ファンの心の叫びであった。

 

 中距離戦線において、古馬となったヒシケイジが持つ資質は未知数である。

 ならば、今日、万全なオルフェーヴルであれば分のいい賭けになるのではないだろうか。

 海外競馬で結果を残した優駿達ならば、ヒシケイジにも勝ちうるのではないか。

 

 各々が夢を託すグランプリにおいて、馬券の人気は驚くほど分散した。

 

 四枠八番、ヒシケイジ。

 十二戦八勝、体重528kg(-4kg)、3.5倍、一番人気。

 

 決してヒシケイジの評価が落ちたわけではなかった。

 その日、宝塚記念に集まった一頭一頭が、皆、地道に研鑽し、人々の期待を集めるに相応に仕上がりを見せた結果であった。

 

(構わない。むしろ、評価としては十分だ――)

 

 誘導馬の先導を受けて、現れたヒシケイジをザ・チャンピオンと人々の歓声が迎え入れる。

 その鞍上には、変わらず相棒である石破 志雄の姿があった。

 

 ヒシケイジは覚悟を決めていた。

 返し馬の間も、それは揺るがなかった。

 

 俺にとっては寧ろ、この古馬となってのレースの方がおかしかった。

 そう結論付ける方が、分かりやすく納得できた。

 

 オルフェーヴルは俺より強く、だが、俺に勝ち目がないわけではない。

 石破 志雄は手綱をよく確認していたが、返し馬の間、口を開くことはなかった。

 

 快く送り出してくれた土井さんに、軽い返事を返してから相棒はじっと何かを考えていた。

 曇り空と上がっていく熱気に対して、重く苦しい空気が漂っている。

 

「ケイジ」

 

 相棒が、俺に言葉を掛けたのは――結局、ゲートの前に向かうタイミングになってからであった。

 

「今の生添さんとオルフェーヴルの間で、折り合いがつかないとは思えない。今日は逆にセオリー通りいく」

 

 それは石破 志雄なりに、ヒシケイジに力を最大限発揮させようという考えであった。

 

「むしろ追い込まれに行こう――今日は最終直線で全開だ」

 

 分かった。相棒――ロングスパートを封じるんだな。

 それは俺のステイヤーとしての武器を封じて、オルフェーヴルと同じ壇上に立つことを意味する。

 

 そうして始めて、俺はヤツと対等に向き合える。

 

「行くぞ、ケイジ!!」

「ブヒッ」

 

 ヒシケイジが意気揚々は返事を返す。

 

『上空、薄い雲が広がっていますが雨の心配はありません、去年に続いて良馬場の阪神競馬場です』

 

 そうだ。俺がオルフェーヴルのように強い競馬をする。

 死中にある活路に、勝利の鍵がある。

 

『中央競馬前半の総決算、第53回宝塚記念 まもなくスタートを迎えようとしています』

 

 ゲート前でぐるぐると回る列の中、見知った馬達のなかに明らかなプレッシャーを感じる。

 

『史上初の連覇達成か、三冠馬の復活か、新しいヒーローの誕生か、ファンの興味は尽きません』

 

 だが時は来る。

 急遽録音から生演奏に変わったファンファーレが鳴り響く。

 

『さぁスターター台上です。宝塚記念、ファンファーレです』

 

 会場に集まった十三万人。

 歩行者天国となったSHIBUYA109前広場を含む、全国八ケ所のライブビューイング会場にあつまった十万人。

 

 全国の人々の拍手と共に、俺が、各馬がゆっくりとゲートインを進めていく。

 

『大歓声が沸き上がりました阪神競馬場――』

 

 ネコパンチ、ビートブラックがゲートに入り、一瞬の静寂。

 直後、俺の目の前でゲートが開く。

 

『第53回宝塚記念 スタートしました!』

 

 ヒシケイジは、その日、馬群に紛れるように力を抑えてスタートすることを選んだ。

 相棒も、手綱を扱いて俺を急かすことはしなかった。

 

『まずまず揃いました ルーラーシップちょっとタイミングが合わなかったのか?』

 

 左右の馬のペースに合わせるように、先行を取る。

 

『そしてショウナンマイティも下げました』

 

 今日のレースには好位置は必須だ。

 だが、俺のペースで走る必要はない。

 

『オルフェーヴルはまずまず出た、オルフェーヴルはまずまず出ていきました』

 

 最低限、最大限先頭集団の速度の範囲で脚を貯められる位置に付ければいい。

 

『さぁ先行争いだ、外から行った行った行った行った! 十六番のネコパンチ』

 

 そう思うと、お前は最高だ。ネコパンチ――

 事前に競馬情報をチェックする中で、コイツが前に出ることは理解していた。

 

 お前のペースなら、問題なく俺は追走できる。

 勝負をかけるタイミング、そこで俺のマイルでも通用する脚を使う。

 

『ネコパンチ懸命に追っ付けながら大惠田 テル(おおえだ てる)、上がって行きました、これは予想通り』

 

 だから俺は冷静に状況を見る。

 先行する馬は、ネコパンチ、スマイルジャック、ビートブラック、マウントシャスタ――

 

 各馬の呼吸に合わせながら、今は只管に耐える。

 苦しい競馬だ――苦しくつらい競馬だが、今の俺は去年の俺とは違う。

 

『ビートブラック、ビートブラックが行って、豪駿ヒシケイジも早めに前の方に付けています』

 

 第一コーナーが迫ってくる。

 オルフェーヴルの気配はまだ感じない。

 

 俺が生添騎手なら、普段と同じペースで“本気”を使ってぐっと前に出る。

 なら今は、普段通りの位置あるいはその少し前で脚を貯めるつもりだろう。

 

『そして十一番のオルフェーヴル今日はいつもより少し前で競馬を進めるんでしょうか』

 

 いいぞ――お前が出来ることは、俺にも出来る。

 ヒシケイジは第一コーナー、普段通り内側の経済コースを通って前について行く。

 

『後ろから今、六頭目ぐらいで1コーナーのカーブに入って行こうとしています』

 

 ヒシケイジは虎視眈々と、前の馬を見据える。

 今はまだ、前に出るタイミングじゃない――大丈夫、俺は背負っているものがある。

 

『さぁまず一六番のネコパンチが行ってこれは面白くなりそうであります』

 

 何も言わず、調教で脚を気遣ってくれた早山のおやっさん。

 不満一つ言わず、世話してくれた土井さん。

 いつだって笑顔で、俺にのってくれた門田さん。

 

『今年の宝塚記念――ウインバリアシオンはオルフェーヴルを見るような格好になりました』

 

 応援に来てくれた時は――沢山の人参を持ってきてくれた綾部オーナー。

 厳しい表情の中に、皆を慮る気持ちが溢れていた雅秀社長。

 

 相棒――俺の相棒――!!

 俺はお前の夢を背負う。

 

 何より、俺はアニメの主人公のように――この場に居る、沢山の人の夢を背負っている。

 単勝3.5倍――支持率23%。俺は全国にいる競馬ファンの何十万人の夢が背中を押してくれる。

 

『一コーナーから二コーナーに向かって先手を取るのはネコパンチ、リードを三馬身から四馬身に広げていきました』

 

 コーナーのインコースを取りながら、ヒシケイジは脚を貯めていく。

 大逃げの時の、あの脚をすべて最終直線で解放するイメージだ。

 

 遠心力に負けない馬体の、筋肉だけで盛り上がったトモのエネルギーを全て解放するイメージだ。

 

『そしてなんと五番のスマイルジャックが二番手に上がってこれはペースが早くなるぞ、ビートブラックが三番手』

 

「ギョロ、予定通りとはいえ……本当に逃げじゃなくて、先行で行けるのか!? 行けるんだよな!!」

「分かってても肝が冷えるわな。ヒシケイジがここで一皮剝けるかなんて、俺達にも分からねぇ」

「ええ、フローは本来……全力という限界に挑むにすぎません。すべては――ケイジと石破くん次第です」

 

 不安を隠しきれない早山陣営の視線を受ける中ヒシケイジは、ただひたすらに――

 余裕そうにも見えた、無謀ともいえる巡行を続けていた。

 

『内に四番のマウントシャスタ、その外に八番には我らが葦毛のヒシケイジ連覇なるのかどうか!!』

 

 今のヒシケイジの中にあるのは、万が一のまぐれ勝ちではなく。

 那由他に一つの可能性の砂粒を掴むという、己と走りのプライドに対する覚悟だけであった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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