ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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2010春、ヒシケイジ栗東に立つ

(あ~、俺もやっと競走馬として走れる日がくるのか~、今日まで長かった~)

 

 名馬「ディクタス」の血を色濃く継ぐ、葦毛の三白眼牡馬「ギョロ」こと「ヒシケイジ」。

 彼が名門ヒシの名を冠する馬主である「綾部」との出会いから一年間が過ぎた。

 

 この一年、ヒシケイジは日高町の育成牧場で競走馬としての基礎を積み立ててきた。

 

 鞍もハミにもすぐ慣れた。

 ゲート調教なんてやれるだけやってきた。

 

 そんな自分が2010年1月。

 本格的な調教を始めることを理由に栗東にあるトレーニング・センターへと移送されることになった。

 

(田辺さん、俺、ちゃんと凄い馬になって――帰ってくるからな……)

 

 北海道日高町から、滋賀県栗東市までの移動距離は決して短くはない。

 だが、幸いにしてヒシケイジは運送にもストレスにも強い馬であった。

 

 田辺牧場を出るときに形見にもらった小さなラジオは今もそばにある。

 

 適当にラジオから流れてくるアニメソングを聞きながら、ヒシケイジは寝た。

 いや、本当にどうということも無すぎて、ほぼ常に鼻に提灯を浮かべながら寝るしかすることがなかった。

 

「ギョロ、俺達よりも楽しんでないか……」

「やっぱり怖いっすよ、この馬……」

 

(は~、久々にめっちゃ寝た……遥々来たぜ。滋賀県)

 

 ヒシケイジにとっては、前世も含めて初の滋賀県だ。

 空気の違う新天地であったが、悪くない。

 

 というか、目を覚ましても同じ天井しか見えない世界と比べて、今の馬生には楽しいことしか待っていない。 

 俺にとって一度きりのチャレンジである、第二の生の第三ステージの始まりである。

 

 と思ったけど、なんか、全然人が来ないぞ。

 外にいるスタッフさんも、困惑している様子が伝わってくる。

 

(いきなり、放置プレイとか――アニメでもないよなぁ)

 

 停車してから、人数が多いアイドルグループの新曲が一曲終わったころ。

 ヒシケイジは、やっと車外から大きな声を迫ってくることに気づいた。

 

「す~みません――丁度、おやっさんが来たところで、遅れてしまいましてね!!」

「土井さん。お願いいたしますよ――そうだ、ラジオは彼の荷物なので忘れずに。これがあるとすごく大人しいです」

「ええっ、ラジオを聞く競走馬ですか……イマドキの馬はすっげぇな」

 

 それにしても、聞き覚えのない男の声は随分と快活で通りがいい。

 アニメに例えるなら、主人公の友達ポジの三枚目のような男に違いない。

 

「ヒシケイジ号はスケールが違って面白いですよ。では、彼をよろしくお願いいたします」

「分かりました。綾部さんが気に入った馬です、大事に預からせていただきます!!」

 

(こういうキャラが一人いると、良い感じに話が進むんだよな――)

 

 なんて、半ば居眠りをしていたヒシケイジの前に「土井」と呼ばれていた男が現れる。

 

 彼の見た目は例えるならおにぎりのような三角形だった。 

 想像通り戦隊モノなら確実にイエローが割り振られそうな男だ。

 

 待ってましたと視線を向けると、育成牧場のスタッフが明らかに気圧されていて一歩退く。

 

「うおっ!? ビックリしたなぁもう……―ギョロ~、やめてくれよな~!!」

 

 だが土井は違った。

 一瞬、俺の視線にびっくりした様子であったが、軽口を叩き――

 すぐに慣れた様子で、柵を開き俺のハミにつけられた手綱をとってのしのしと歩きだそうとして――

 

「やっべ。ギョロのラジオ、忘れるところだったぜ!!」

 

 振り返って、やっちゃったぜ――といった表情でラジオを手に取り剽軽な格好でヒシケイジを引っ張った。

 

 凄い、人生経験が少ない俺でも、図太さのパラメーターが降り切れていると分かる人だ。

 

 裏表なんて、一切感じさせない立ち姿、良くも悪くも何も考えていない。

 もしかしなくてもだけど、この人、これが素なのかもしれない――

 

 なんだこの人間、面白過ぎるだろ。

 あまりにも、キャラが立ち過ぎていることに驚かざるを得ない。

 

(ああでも、なんだかこの人は好きになれそうだ)

 

「じゃあ、ギョロいこ~ぜ?」

「ブヒヒヒヒヒヒ」

 

 ヒシケイジが笑う中、土井が手綱を引く。

 かくしてヒシケイジは、新たな家族に曳かれ競走馬としての一歩を栗東の地に踏みしめるのだった。

 

「それじゃギョロ、こっから厩舎まで歩こうな~」

「ブヒヒ……」

 

 一月の栗東は、思ったよりは寒い。

 昼間とは言え、厩舎までの土手を歩くヒシケイジの口からは白い息がこぼれていた。

 

 とはいえ、日高の肌が凍り付くような感覚はなく――

 遠目に見える巨大なコース、沢山の施設は寧ろヒシケイジをワクワクさせた。

 

「ギョロ~、お前、リラックスしてるなぁ~」

「ブヒ!」

「ギョロ、お前、俺が何言ってるか分かるのか?」

「ブヒ……」

「ギョロ、俺達って、友達だよな?」

「……」

「おいおい、そこは、答えてくれよ!!」

「ブヒヒヒ」

「ギョロ、お前めっちゃ期待されてるんだぜ」

「……」

「綾部オーナー、今年はお前以外ウチに寄越さなかったんだぜ」

「ブヒヒヒヒヒヒヒ」

「おう、ギョロもやる気十分だな~」

「ブヒ」

「そうだ、今から会う『早山のおやっさん』はお前の調教師だから、シャンとしてくれよ」

「……」

「たのむぞ~、未来の三冠馬!!」

「ヒヒ~ン!!」

 

 それにしても、まるで自分に言葉が通じているかのように土井さんは、話しかけてくる。

 これもきっとスキンシップの一環なのだろう。

 

 気づけば10分ほど、歩き回ったあと、

 ヒシケイジの目の前に、広めの平屋建てである「厩舎」が見えてくる。

 

 その広めの門の前に立っていたのは、背筋の通った白髪の老人だった。

 男はヒシケイジと土井を見るなりガツガツと近づき、驚くヒシケイジを余所に土井を殴りつけた。

 

 スゴイ、今じゃ珍しい昭和のスパルタだ。

 土井はヒシケイジの手綱を離し、後方に一馬身程度は吹き飛んだ。

 

「何すんだよ。早山のおやっさん!!」

「土井のバカが、待たせやがって……どこ、ほっつき歩いてた?」

 

「ちょっとスキンシップが長引きまして――でも、早山のおやっさん、連れてきましたよ。コイツがヒシケイジです」

「ケイジ……ポリの方か?」

「ディクタスだから、お告げの方でケイジらしいですよ」

「そうかぁ……その、なんていうか実況で弄られそうな名前だな……ヒシケイジ」

 

 そういって調教師である早山のおやっさん、ヒシケイジをにらみつける。

 まるで、自分の全てを見透かすような父親や教師がするような――自分を品定めする目がヒシケイジを見つめていた。

 

 目の前にいる老いた男が発する気迫に貫かれ、ヒシケイジの足が一歩退く。

 

「ミラクルにはあんまり似てねぇな。継いだのは葦毛くらいか」

「引き締まったいい馬です。張り方が二歳馬じゃないっすよ」

「良いことばかりじゃねえが――ま、どんだけデカくなるかってとこだ。土井、頼んだぞ。この馬、いっちょ前に緊張していやがるからな」

 

 その言葉の通り、ヒシケイジは目の前の男が持つ気迫に確かに緊張を感じていた。

 画面越しでは分からない、酸いも甘いも知る人間から漂う空気感が啓示の肌を擽る。

 

「大丈夫だよ、ギョロ。早山のおやっさんがお前を強くしてくれるからな」

 

 そうか――そうだ。このおやっさんは、味方なのだ。

 

 幸い、傍にいた土井が宥めてくれたおかげで、ヒシケイジは平静を取り戻していた。

 その姿を見て、おやっさんもまた格闘漫画の名セコンドのように老獪に笑う。

 

「確かに――綾部のオーナーが入れ込む理由は分かる。零細血統に3000万と奮発したと聞いたが、見ただけでG1すら手に届くと確信できる馬は初めてだ。順当に長距離戦線だしていけばの話だがな」

「そりゃあ、これだけのウマっすからね……でも、聞きましたよ。オーナー、大分無茶なローテを希望したんでしょう?」

「ああ、綾部オーナーは、こいつに大分入れ込んでやがる……出来る限り早くメイクデビューを行い、朝日からのダービーを期待しているらしい」

「ということは、『高速調教』を中心ですか? この仕上がりなら、ついて行けるでしょうが――」

「ま、とはいえやってみなきゃ、分からんこともある。幸い早熟なヤツだ。夏までじっくりやってみようじゃねえか」

 

 ふーん、へぇ、ほーん……

 ダービーか、確かに少年漫画なら、ここでトップを目指さなきゃ嘘ってもんだろう。

 

 ヒシケイジは期待の色が混じった彼らの話を聞きながら――

 自分の心のうちに彼らと同じくらいに湧き上がったワクワクを感じ取っていた。

 

 そうか、クラシック戦線、日本ダービーか。

 競馬知識は所詮転生後のラジオ頼りであったヒシケイジですら、ダービーという賞の重さは理解しているつもりだ。

 

「いいっすね、おやっさん、今から燃えてきましたよ」

「ま、何せやる気だけはあるみたいだからな」

 

 燃え上がる土井につられるように、ヒシケイジは闘志の炎を燃やす。

 その熱を感じ取ったように、おやっさんは緊張から興奮にシフトしたヒシケイジの首筋を優しくなでた。

 

「ケイジ、お前は強くなるぞ」

 

 そんな調教師の言葉はヒシケイジに、確かな自信を与えていたが――

 丁度、2010年の早春を迎えるころ、老将「早山 正春(さやま まさはる)」は、その頭を抱えることとなった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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