『なんとオルフェーヴル宝塚記念で復活!! 夢はヨーロッパへ!!』
ヒシケイジの目の前をオルフェーヴルが駆けていく。
生の歓喜を一心に感じながら、生添 賢治を気遣うように徐々に減速していく。
『勝ち時計は2分9秒.3、四ハロンが46秒8、三ハロンが34秒2――』
俺と石破 志雄は、その光景を静かに見守っていた。
負けた――十三戦目にして、五度目の敗北であった。
けれど、今日の敗北は以前のような次がある負けとは話が違った。
俺の理性と調教の努力がオルフェーヴルの才能に及ばない。
『信じられません。やや時計のかかる今日の阪神コースで、昨年ヒシケイジが打ち立てたレコードを軽々越えての優勝!!』
オルフェーヴルと俺では、生物としての限界が違う。
持ちうるすべての力を発揮しても、たどり着けない壁が目の前にあった。
『素晴らしいタイムでの優勝、文句なし!!』
そんな暴君の上で、生添 賢治はゆっくりと、左手で天を突き――
噛み締めるように、拳を握りしめて祈るようなガッツポーズを見せた。
「しゃああああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
直後、生添が吠えていた。
あっ、オルフェーヴルが凄い嫌そうな顔をしている。
それでも生添ジョッキーを放り出さないのは、ヤツなりの成長なのだろう。
『驚きました、生添賢治の声が聞こえました。勝ち鬨が上がりました オルフェーヴル生添賢治、見事に復活です』
馬として生を受け、数奇な運命の末に出会った唯一無二の
ヒシケイジはせめて胸を張って、ゆっくりと検量室に向かって歩いていく。
俺は全力を出した。
出し切った――できればもう一歩も歩きたくない。
それでも、俺に夢を託してくれた皆に、無様な姿を見せるなんて許されなかった。
「ケイジ、よくやった。お前の本気は――凄かった」
そうか、相棒――
お前から、そう見えたなら、よかった。
『こちらも素晴らしい走りは見せましたが二着に敗れました八番ヒシケイジ、時計は2分9秒.5――暴君さえ居なければ、ヒシケイジは昨年のレコードを更新していました』
こうして、俺の宝塚記念連覇の夢は散った。
それでも、綾部オーナーは大満足だったらしい。
何より俺の相棒である石破 志雄は、来る凱旋門賞でも俺の主戦騎手となることが即日公表された。
◆◇◆
2012年7月15日。
信楽ノーザンファームにおいて短期放牧されていたヒシケイジは、ラジオで流れてきた競馬情報から――
凱旋門賞においてオルフェーヴルが、クリストファー・ソロモン騎手とのコンビで、凱旋門賞に挑むことが決まったことを知った。
なんでも、関係者の間では生添で行くか、ソロモンに依頼するか意見の相違があったらしい。
だが、14日夜にソロモンが前哨戦のフォワ賞と本番の二戦とも騎乗できる確約が取れたため、決断に至ったとラジオは語る。
「ブヘッ!?」
「えっ、生添騎手じゃないんだ」
俺の傍にいたスタッフさんが、俺と同じように驚いていた。
『生添には、電話しました。彼の気持ちはすごく分かる。クラシック三冠を獲れたのも、天皇賞・春の惨敗から復活させてくれたのも――彼の力だと思う』
『受け入れるのに時間がかかると思う』
そう語る生枝調教師の言葉は震えていた。
8月25日に渡仏して、シャンティーで開業している
帯同馬には早山厩舎のヒシケイジが共に付き、オルフェーヴルと同じレースを走るということで、日本競馬界の祝賀、凱旋門賞制覇に向けてサンデーレーシングは総力をかけて当たるというプロパガンダじみた放送は次の話題に移った。
(えっ、どういうことですか?)
ヒシケイジは以前に早山さんから、オルフェーヴルの帯同馬になることは聞いてたが――
主戦が変わると聞いたのは、今日が初めてのことであった。
「オルフェーヴル、お前、フランスで別の騎手が乗るらしいよ」
「うひ~」
オルフェーヴルはスタッフさんからの言葉に【それで?】程度の反応を返した。
俺はそれでいいのかよ、お前――と思わなくもないが、オルフェーヴルはオルフェーヴルだ。
俺の隣の馬房で、スタッフさんに話しかけられたオルフェーヴルは、相変わらずノー天気な態度で踏ん反り返っていた。
五月以来、オルフェーヴルは、相も変わらず俺にべったりと甘えながら、馬らしくのびのびとした日々を送っている。
これも、綾部オーナーの進言で、帯同馬として共にフランスに行く俺に慣らすためであると小耳にはさんだ。
何もかもが、オルフェーヴルファーストか。
実際、世間も言葉に出さないが誰もが俺以上にオルフェーヴルに期待をしていた。
これまでの実績を加味しても、オルフェーヴルは俺以上の馬だ。
宝塚記念で見せた尋常ではないスピードにパワー。
復活した三冠馬は世界屈指の実力であると誰もが疑わなかった。
「ブヒ~」
出発は八月。
それまではもう少しこの生活が続くことだろう。
既に調教は再開されていたが、どうも走りが身に入らない。
調教としては、普段と同じ量を走ってはいるものの――心には蟠りが残っていた。
2012年7月も、もう終わりが近づくころ――
俺が放牧地で不貞腐れていると一頭の影が近づいてきた。
オルフェーヴルか? だが、ヤツなら何も言わずに突っ込んできてもおかしくはない……
『ぴすぴーす!! 俺だぜゴールドシップ様だ。このヤロー、随分と凹んでるじゃねぇか――オイオイ、ライバルである俺の目の前で腑抜けた態度たァ、先輩として示しがつかねぇんじゃねェのか?』
ヒシケイジが振り向いた先にいたのは、ゴールドシップだった。
あと何故か、より遠くからこちらを見つめる視線を感じる。
ゴールドシップが言いたいことは、言葉がなくとも伝わった。
ゆっくりと立ち上がる俺に、ゴールドシップは変わらずガンを飛ばしてくる。
『なんだなんだ、ヒシケイジさんよ。悩みがあるなら聞いてやろうか、いいや聞いてやらねぇ――俺が、お前にそこまでしてやる道理がどこにあるってんだ!! 俺より強くて速いお前が、不機嫌になってるの、マジで意味わかんないから!!』
ゴールドシップは、毅然とした態度で相変わらず俺につかかってきた。
まるで鏡を見ているようだ。
馬なのに、ゴールドシップの瞳を見つめているとコイツの言いたいことが嫌でも伝わってくる。
『なぁ、ヒシケイジ。なんだかんだ、誰からも期待されてるのによォ、お前ってば――なんで、腐ってんだよ。お前にだって大切な相手や夢とかあるんだろ。ありったけかき集めた、ビックなドリームってやつがよォ!! なのになんだよ。お前、ゴルシ様のライバルなのに、一度負けたくらいでヘコんでんのか? ていうか、万が一にでもお前が凹んでるのが、もっとくだらねぇ理由なら、俺は容赦しねぇからな――!!』
いや、伝わり過ぎじゃね?
だが、ゴールドシップが言いたいことは分かる。
『勝てばいいんだよ!! 勝てばよ!! ゴルシ様が断言する。お前の悩みは勝ては解決する!! お前が大切な人が、お前を見捨てたか!? たとえそうだとしても、お前がやるべきことは、勝つことだろうが!! お前は俺のライバルなんだから、レースに負けた礼はレースで返しやがれ!!』
目の前の後輩の不遜な態度が、今だけは心に優しかった。
そうだ――いつもと変わらない。
期待されたければ、見返せばいい。
俺の脳裏に相棒の顔が浮かぶ――相棒は俺を見捨てるか――?
いや、見捨てない。
きっと、きっと――俺が勝つための方法を考えてきてくれる。
他力本願かもしれないが、俺が勝つための方法を考えるのは、俺一人でなくてもいいんだ。
『うおおおおお、我慢できん。ヒシケイジ!! 今この場所で、ゴルシ様と勝負だ!! 見てるんだろ、ジャスタウェイ。お前も来い!! 競争だ!!』
「ブヒッ!!」
そうだ。
俺は脚を止めたわけじゃない――今はただ、気持ちを上向きにして走り続けるしかない。
ヒシケイジは、吹っ切れたように放牧地を駆けだした。
後ろに付けるのは、前より確実に速くなったゴールドシップ、それと、見知らぬ馬が一頭。
誰だ、コイツ――?
まぁ、いいか。
気持ちが上向きになってからのヒシケイジの立ち直りは早かった。
2012年8月15日。
俺とオルフェーヴルは、ストールとかいう輸送用のアレに乗せられて成田空港からフランスへと向かった。
オルフェーヴルは物凄く緊張していたが、俺はコイツの世話をするのもアレなのでぶっちゃけ放置していた。
だいたい12時間の間、耳抜きのために水を飲む以外は只管、俺はレースのことを考えていた。
どうやって、オルフェーヴルに勝つ?
同じように走っても勝てない相手に、勝つ方法は――ある。
日本ダービー、去年の宝塚記念、菊花賞、有馬記念、春の天皇賞、今回の宝塚記念――
どこかに、勝つためのヒントがある。
オルフェーヴル、コイツは強い。
次のレースの鞍上は、生添騎手じゃない。
勝つためのヒントはそこにある。
ヒシケイジは、ただ只管に思案を続けた。
途中何処に止まったのか、いまいちわからないほど時間が過ぎたころ――
ヒシケイジは、空気の味がどことなく違う知らない土地へと降り立っていた。
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明日も1800投稿予定です。