ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。

(相棒サイドを描くにあたり、プロローグの描写をちょっとずつ更新しています。ご容赦ください)



2012秋、凱旋門賞(中:2/3)

『オルフェーヴルのクセか……そりゃまだ、アイツが甘ちゃんって所やろうね。オルフェーヴルは強いし頭もいいことは分かるやろ? 賞典と天皇賞に負けて、レースがどういうものか分かったうえで慢心もなくなってる。それでも――今のアイツにとっての競馬ってのは、ケイジを追うゲームなんや。前に出たケイジを追うっていう“目的”があるから“本気”で走れる――だから――石破クン、勝ちたければオルフェーヴルが考えるレースのセオリーを砕くことやね』

 

「具体的には?」

 

『言わな分からんか?』

 

「馬鹿ですから――」

 

『せやったな――つまり、ソロモンがオルフェーヴルを我慢している間に――ヒシケイジの脚が持つ限界ギリギリで飛び出してスパートをかければええんよ。出来るはずやね、石破クン。ヒシケイジには“差し”の才能がある、ボクが断言する。そら、オルフェーヴルとよーいドンしたら勝てんよ? でも、アイツの親って、ヒシミラクル、その前はサッカーボーイ。母父はタマモクロス、GⅠクラスの馬と比べても見劣りしない脚なハズやろ?』

 

「はい」

 

『石破クン、とにかく、オルフェーヴルとソロモンの折り合いを崩すんよ。そうすればオルフェーヴルは必ずリズムを崩す。何処かでマージンが出来る――ボクには通じないが、ソロモンには通じるはずよ』

 

「ありがとうございます」

 

『いいか、石破クン――癖馬抑えて、勝てると思ってるジョッキーなんかに絶対に負けるなよ!!」

 

◆◇◆

 

 2012年、秋、ロンシャン競馬場。

 石破 志雄は息を入れながら、ヒシケイジを一旦前方の好位置に付ける。

 

 まずは第一条件をクリア。

 オルフェーヴルに勝つためには条件がある。

 

 脚を貯めずに逃げても、本気のオルフェーヴルには追いつかれる。

 後方からよーいドンでは、初めから勝ち目がない。

 

『前半、どう力を抜いて行くかこれがレースの一つのポイントです』

 

 ヒシケイジは俺を信じて脚を貯めてくれている。

 

 スタミナと根性で一秒でも長くトップスピードを維持するレースは大前提。

 その上で、俺達はオルフェーヴルのミスを誘わなければならない。 

 

『さぁ、これから高低差10m、長く緩やかな坂を上って行きます――』

 

(本当に、分の悪いレースだ)

 

 その為には、前回のような逃げのレースではいけない。

 確かにケイジのペースで走らせるのは、ケイジと走り慣れていない馬には地獄だろう。

 

 だが、俺達とあの馬の因縁は長い。

 いくらヒシケイジが本気で逃げようと、そのハイペースに慣れているなら意味がない。

 

 だから、ゆっくりと――手綱を絞めつつもケイジのリズムには逆らわない。

 ヒシケイジの肉体のギアを上げつつ、脚を貯め――

 

「まだまだ、これからだ、焦らずキープしろ」

 

 ケイジの耳元で、語り掛ける。

 

 すると、俺の言葉が通じたのか露骨にケイジが息を整える。

 手前を変え、ペースを維持しつつもできる限りの方法でケイジが、余裕を生もうとする。

 

 俺ですら目の前の光景に目を疑う。

 こんなズルを使わなければ勝てない自分が心底嫌になる。

 

 だが、今日のレースは――今日のレースだけは負けられない。

 この凱旋門賞は、身にまとった白地に青線の勝負服、恩人である綾部オーナーに捧げるレースだ。

 

 勝ってやる。

 なんだってやってやる。

 一流のジョッキーに、独り善がりのプライドなんて不要だ。

 

 タケさんも、芝田騎手も、生添騎手も――

 後方のクリストファー・ソロモンだって、もっと「大切なもの」のためにレースをしている。

 

『オルフェーヴルは現在後ろから二頭目、クリストファー・ソロモンは後ろから二頭目を選択しました』

 

 なら――俺にとっての、大切なものは何だ。

 俺は迷わず「馬と勝つこと」だと答える。

 

 競走馬らしく、闘志を持って走ってもらいたい。

 走るために生まれた競争馬に、この世に生まれた意味を気づいて貰いたい。

 

 勝たせてやりたい――俺は、ヒシケイジを勝たせてやりたい一心でケイジの手綱を握る。

 

『先頭はマスターストローク、そして二番手の位置は、ミハイルグリンカが立っています……さらには三番手、ロビンフッド』

 

 坂道の頂上に来てもまだ、ケイジはまだ全然余裕だ。

 4000mだって、今のケイジなら余裕だろう。

 

 ヒシケイジがハミを噛まなかったのは、公式のレースでは菊花賞の最終直線以外はない。

 

(油断なんて、しない――失敗もしない)

 

 石破志雄がヒシケイジの手綱を絞る。

 

『冬支度を始めた木々の脇を抜けて一八頭が駆け抜けていきます』

 

 ヒシケイジは分かってる――決して後方に沈まないペースを維持し続けてくれている。

 脚を貯めるという第一目標を崩さず、ヨーロッパらしく常に動くレースに対応してくれている。

 

 軽く扶助してやれば、ケイジはロンシャンの坂道を疾走しながらも、位置取りを調整してくれる。

 

 俺は後方のペースが上がる隙をついた。

 ヒシケイジがいるのは、いつでも飛び出せるように進路が開いた120点の好位置だ。

 

『オルフェーヴルは後ろから二頭目です そして中団の位置取りですが内の方から黄色い帽子のグレートヘヴンズ……』

 

 こうして、坂の頂上で再び馬群が一段となったところで、俺とケイジはロンシャンの坂を下りる。

 

 景色が流れる速度が、ワンテンポ速くなる――だが、まだケイジにスパートをさせてはいけない。

 

『さらには、青い帽子、日本のヒシケイジ、セントニコラスアビーが続いています』

 

「まだキープだ、ヒシケイジ」

 

 俺は、再びケイジに語りかけながら、肘と膝を付けたような姿勢から腕を伸ばす。

 

 そうだ、フローにはまだ早い。

 だが、相対的にギアは上げなければいけない。

 

『さぁ一番……坂の頂上、10mの一番高い所を上り切って急な下り坂が待っています』

 

 俺はケイジの首の上下に合わせて腕を振った。

 

 これで第二条件はクリアだ。

 

 生添騎手と話してから三週間。

 俺は、本番のレースに向けて体を絞りながらも、手綱裁きだけで馬を走らせる練習をしてきた。

 

(できる。手綱だけでケイジを御せる!! 俺も、騎乗が上手くなっている!!)

 

 ヒシケイジは自分をバネのように弾ませる。

 ぐんぐんと、体を前へ前へと送り出すようにストライドして大地を蹴る。

 

『先頭はマスターストローク一馬身半のリード、そして二番手にロビンフッド、三番手の位置からミハイルグリンカ……』

 

(無駄じゃなかった――ああ、今日までの努力は無駄じゃなかった!!)

 

 ああ、勿論――分かっている。

 これもすべてケイジという馬が、利口だからできていることだ。

 

 ケイジが俺を信じてくれている。

 

 自分で自分の走りをコントロールして、最善の走りをしてくれている。

 

 ケイジは、俺のために勝とうとしてくれている。

 競走馬のこいつが、恐怖と、焦りを押し殺して、俺の熱意を組んでくれている。

 

 本当にお前は最高の馬だ。

 

 俺はお前を信じる、お前の最高の武器を最高の形で発揮させてやる。

 だから俺も、見せてやる――お前の最高の走り、フローの先を引き出してやる!!

 

『さぁ第二コーナーの坂の下りです 先頭マスターストローク、リードが二馬身半から二馬身あります』

 

 坂はまだ続く、俺はヒシケイジを地面が爆発するような轟音と共に、三コーナーに差し掛かる。

 中段、中央、位置取りは完璧だ――足の回転数を上げながら、ケイジがコマネズミのようにコーナーを回る。

 

 先行したマスターストロークはどうせ失速する。

 目の前の馬群は広がるが、目の前の空間は埋まらないことは分かっている。

 

 まだだ、まだこの位置をキープする。

 

 直線が見える。

 クリストファー・ソロモンは俺の仕掛けを待っている。

 

『ソロモンはまだ我慢させています』

 

(感謝します、生添騎手。全部あんたの言った通りだ!!)

 

『さぁ各馬がフォルスストレートに掛かってきました』

 

 坂は終わり、直線が広がる。

 狭い直線、他の馬は我慢して待っている。

 

『ロンシャン名物のフォルスストレート』

 

 俺はケイジを此処まで最高の形で残すことが出来た。

 スタミナの全てを末脚に変えて、ケイジで俺が一番得意な“差し”を走らせることが出来る。

 

『オルフェーヴルは我慢している』

 

(わかるぜ、行きたいよな――だが、我慢だ)

 

 ヒシケイジは、嫌でも全てを理解していた。

 

 だが、まだだ――ケイジ、俺には分かる。

 お前がマジで全力を出せるのは、700m――だ。

 

 確かにお前は大逃げも、追い上げも、ロングスパートも何でもできる。

 だが、フローに入ったお前の脚が最高の形で輝き続けられるのは精々700mが限度だ。

 

 ああ、お前は十分凄いよ――お前が凄いのは、ここまでその脚を使うのを我慢できる「根性」だ!!

 

(ありがとう、ヒシケイジ)

 

 これで、第三条件はクリア!!

 チキンレースは終わった!!

 

「ケイジ、行くぞ――」

 

 その時――ピシャリと、音を立てて――石破 志雄の手綱がしなった。

 

 鞭はこれであと5回!!

 

 直後にヒシケイジがため込んだエネルギーの奔流を吐き出すように、荒ぶるように一完歩のリズムを上げた。

 

「行けッ!! 行けッ!! ヒシケイジ!!」

 

 俺は、その時――出せるだけの声で叫んだ。

 

 そうだ、聞こえているだろう!!

 俺の熱意が伝わっているだろう――俺はダメ押しの鞭をもう一度入れる。

 

 更に、もう一度!!

 ここからは、俺も挑戦の時間だ。

 

 俺は集中したヒシケイジの手綱を扱きながら、ゆっくりと上がっていくヒシケイジのテンポに会わせて手綱を扱く。

 どんどんヒートアップするケイジに俺がついて行く――前から思っていた通りだ。

 

 ケイジがヨレるのは――焦るからだ。

 こうやって、俺や乗り手が焦らずケイジに意識を伝えている限り――ケイジはヨれない。

 

 ケイジがトモの筋肉を、ただひたすらに躍動させ、銀色の蹄鉄で芝と地面を踏みしめる。

 そうだ、行け!! 前に行くんだ!! ケイジ!!

 

 これがお前の理想の競馬だ――どんな距離でも最高の脚を貯めて、ベストな位置から一気に前に出る競馬だ!!

 

『おおっと、ここでヒシケイジぃ~~~~~、明らかにスパートをかけて前に出たァ!!』

 

 俺はケイジの歩法が得意のロングストライドに移ったところで、さらにスピードを上げるように手綱を扱く。

 

「行け、行け、もっとだ、もっと行け!! お前の『全力』の先に行け!!」

 

 そうだ、ヒシケイジ。

 全部自分でやろうとするのはお前の悪い癖だ。

 

 ヒシケイジ、出し切れ――

 出し切るつもりで前に行け――!!

 

 俺は徐々にケイジの走りのペースを上げていく。

 前へ行け、前へ――前へ出ろ!!

 

 前へ、前へ、前へ、前へ!!

 前へ、前へ、前へ、前へ!!

 

『先頭はヒシケイジィ!? オルフェーヴルは後ろから二,四頭目』

 

 俺はフローに入ったヒシケイジの限界を見極めるように加速させーー

 ペースの上がる限界を見極める。

 

「いいぞッ、ケイジ!! あとはお前が思うよう走れ!!」

 

 俺は腹の底から笑いがこみあげてくるのを感じていた。

 ヒシケイジでなければ自棄同然の、前代未聞の早仕掛けは成功した。

 

 ステイヤーとして世に生まれ、逃げ馬として一世を風靡したスタミナへの信頼。

 前日の雨によって創り出された、レースを減速させる不良馬場。

 ノーマークから来る馬群全体の混乱。

 全力疾走時にヨレるクセの土壇場での解消。

 

 この凱旋門賞の大舞台で、すべてのピースがそろう。

 石破志雄はそれを信じて、ただ腕を振るい、ヒシケイジはそれに答えたのだ。

 

 ついに――最終直線が見えてきた。

 

 泣いても笑っても、ゴールまでは残り533m。

 

 この一世一代の賭けに、勝利の女神はほほ笑むのか――

 俺に鞍上で笑いながら、自らの起こした波乱の果てに勝利が降ってくることを信じていた。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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