凱旋門賞から数日後――
2012年10月7日――ヒシケイジ、凱旋門賞を勝利する。
言葉にしてみるとあまりにも飾り気のない言葉の意味を、俺はシャンティーにある小森厩舎の馬房で思い出していた。
いい意味でも、悪い意味でも――
凱旋門賞の勝利が齎した影響は大きかったらしい。
連日訪ねてくるマスコミ相手にへとへとになりながら応対する小森先生は忙しそうだ。
そそくさと逃げるように国内に帰っていった相棒が今だけは憎らしい。
けれど、ご馳走だといわんばかりに現地の子供や訪ねてきた人から手渡されるニンジンスティックを食べていると、俺は自分が国とか種族のような垣根を越えて純粋に応援されているのだと感じることが出来て嬉しかった。
オルフェーヴルとは、あれから顔を合わせていない。
厩舎は同じだが馬房は離され、放牧の時間も分けられた。
あの時、凱旋門賞を終えたオルフェーヴルの視線からは、明らかに俺への不満と敵意が感じられた。
俺はオルフェーヴルが感じた苦しみを知らない。
パリ・ロンシャンでアイツが感じた色々な感情の全てを分かってやることは出来ない。
だから、オルフェーヴル、お前の真意は次のレースで見極める。
機会は必ず来る、走れば通じる。
今まで通りそれは変わらない。
その上で、勝つ……いや、勝てるのか?
凱旋門賞、あれだけ頑張ってみてなんだけど、勝ちは大分怪しかったような気もしないでもない。
最後ハナ差まで追いつかれてるし、あの仕掛けも、相棒が只管布石を置きに置いて成立したような有様だ。
「ブヒッ」
「おっ、ヒシケイジ、やる気あるね~。勝って兜の緒を締めてる感じかな?」
疲れ気味でも笑顔を絶やさない小森の前で、俺は慢心を捨てた。
そうだそうだ、馬生四年生きてみてわかったことがある。
そう、主人公は何事男、謙虚なくらいが相応しい。
いくらデカいことを成し遂げても勝って慢心すると、す~ぐ足元を掬われる。
ジャンプの漫画と同じ、ラノベでみたような失敗を俺はだいたいかまして来た。
それは、凱旋門賞を勝った今でも変わらないだろう。
うむ、凱旋門賞を勝った……凱旋門賞を勝った……凱旋門賞を勝った今でも変わらないだろう。
「ブヒヒヒ」
「調子いいね~、あ、でも悪いけどヒシケイジ、君、日本に戻ってもらうから」
「ブヒッ!?」
「お前とオルフェーヴルを同じ厩舎に置いておくなって、サンデーレーシングが煩くてさ……じゃ、また来年~!!」
ヒシケイジは、その言葉を問いただす間もなく馬運車で運ばれ仁川空港経由で成田空港に送られた。
マスコミ各社の過剰な報道によるストレスを避けるため、ヒシケイジの移送は極秘裏に進められ――
2012年10月13日の明朝頃。
冷え込む栗東トレーニングセンターに、一台の馬運車が到着していた。
俺は馬運車の中で、ただ静かにラジオを聞いて待っていた。
あまりにも早朝過ぎていい感じにアニメソングを特集してくれるチャンネルがなかったこともあり――
ラジオから聞こえてくるのは、今年に入ってさらなる隆盛を見せる競馬情報だった。
豪駿ヒシケイジの快挙、7日に行われた毎日王冠でのジャスタウェイの勝利。
来週行われる秋華賞における二冠馬ジェンティルドンナとヴィルシーナの直接対決。
二十一日の菊花賞を走る二冠馬ゴールドシップへの期待。
何より相棒が成田空港で語った、オルフェーヴルへの宣戦布告を聞いて俺は噴き出した。
(ま、どうせ走ることは決まってるんだ。)
そう思いながら待っていると馬運車の扉が開き、真っ暗な世界に見慣れた三角形のシルエットが輝いた。
「ギョロ~~~~~~~~!! 凱旋門賞よく頑張ったなぁ!!」
土井さん!!
約三か月ぶりに会う土井さんは、依然と変わらず中年太りのおにぎり体形であった。
「ブヒヒヒ」
「ギョロ、元気だな~。次のレースも決まったし、馬房で飯食って、しっかり休もうな!!」
「ブヒッ!?」
え、もうレースが決まっているのか!?
なんて――俺の疑問は伝わるわけもなく、ラジオのスイッチを落として柵を開いて手綱を引く。
「スタッフの皆さん。ヒシケイジの輸送ありがとうございました!!」
「ブヒヒヒヒ……」
土井さんにあわせて、スタッフに頭を下げながら――
俺達は早山厩舎に続く土手をポクポクとゆっくり歩いて行った。
「ギョロ~、久々にあったら見違えるくらいデカくなってるな!!」
「ブヒヒヒ……」
「やっぱ、体絞るよりも自由に過ごした方がコンディションもいいのかな」
「ブヒ~?」
「そうだ、次のレース、ジャパンカップだってよ」
「ブヒ!」
「だいたい一カ月半くらいか? 綾部オーナーが走ったことないレース、走ってほしいんだってさ」
「ブヒ~」
「なぁ、ギョロ、初めてお前が栗東に来て、こうやって歩いた時のこと覚えてるか?」
「ブヒ?」
「俺、あの時、お前が自信たっぷりに頑張ろうってテンションで歩いてるのを見て――俺、お前のことは何があっても、甘やかしてやろうって思ったんだぜ」
「ブヒヒヒヒヒ……!!」
俺は土井さんと、笑い合いながら厩舎への道を歩いていた。
そして、朝っぱらにも関わらず馬房の寝藁に寝転がって初めて――
俺は日本に帰ってきたんだという実感と共に、久方ぶりにしっかりとした休息をとることが出来たのであった。
あ、ちなみに俺と土井さんは、三日も立たずに引き離された模様。
「ヒシケイジ、お前、短期放牧」
「ブヒ!?」
「ハハハ、また乗りに行ってやるから、信楽でも休むんだぞ?」
「ブヒ~~~!!」
俺は早山さんに、ぶっきらぼうに肩を叩かれ――
また頭を剃った眼鏡の門田さんに笑いながら俺は見送られた。
「ギョロ~~~~!! こんなのあんまりだ~~~~~~!!」
◆◇◆
かくして、ヒシケイジは2012月10月を、気候のいい信楽ノーザンファームで過ごすこととなった。
信楽ノーザンファームの放牧場はいつも通り、ぽつぽつと馬が点在し皆どこか、和気藹々と過ごしていた。
そんな皆の様子を見ながら、自由に草を食み、寝て、ラジオを聞く生活を過ごす日々――
そう、気づけば俺は、信楽ノーザンファームにいる群れのボスになっていた。
確かに元からこの外厩では、地位は高かった。
フランス遠征から戻ってきて俺の体が一回りデカくなり、栗東全体で見ても同じ体格の馬が消えたことも大きいだろう。
後は栗東不動のボス馬であるトーセンジョーダンが、生枝厩舎ごと別の外厩にいるというのも大きい。
お陰でオルフェーヴルが今どうなっているのか、人伝いの情報はとんと入ってこない。
それに、信楽ノーザンファームに来て二年、ここの顔ぶれは大きく変わった。
春と夏のレースを終えて引退を選んだ馬が消えて、俺より後に来た馬が増えていく。
みんないい奴ばかりであるが――変わっていく厩舎の姿に思わないことはない。
早山厩舎だって、今年も何頭か仲間たちを見送った。
ヒシロイヤルは、今年のスプリンターズステークスへの5着入線を最後に引退した。
短距離馬としてGⅢに勝ったとはいえ、年齢とGⅠの壁は高かったらしい。
レースの後、屈腱炎が見つかったことが引退決め手となってしまった。
厩舎から去ったヒシロイヤルが、どうなっていくのか俺も分からない。
ヒシパーフェクトも9月29日のシリウスステークスに勝ったとはいえ、いつまでレースを走るかは分からない。
俺も実際、何時までレースを走ることが出来るのだろうかは、分からない。
出来ることなら、何時までも、何時までだって、レースの世界に居たい。
俺はヒシケイジ、葦毛の豪駿で――相棒と共に走るチャレンジャーだ。
何時までも、そうあれればよかった。
世界の頂点に一度立ったからと言って、俺は何も変わっていない。
変わろうとしない様に務めていても、俺を取り巻く世界はどんどんと変わっていく。
ふと、思い出したのは俺が馬として転生する前に言われたあの言葉だ。
(生きる意味、そろそろ真面目に探さないとかな――)
俺は、違和感を感じながら周囲を眺める。
ある時は馬達の中に、ある時はレースの中に探してみたが見つからなかったもの――
別に放牧場を見渡しても、見つかるはずもない。
だが、周囲に目を向ければ見つかるものもある。
俺の視界の隅っこで、放牧場の隅で群れに入れず落ち込む青毛の馬が一頭とぼとぼと歩いている。
(なんか、悩みでもあるのか……気を落ち着かせあげないとな)
俺は、久々にボスの職責を思い出して、立ち上がった。
群れに入れない子がいたら、寄り添ってあげなければいけないのだ。
とりあえず、俺はブヒっと一言あげて、付いてきてくれる仲間を探す。
すると、とりあえず違和感の正体であるジャスタウェイが、どこかからのそのそとやってくる。
いつもつるんでるゴールドシップが菊花賞でいないからか――
妙に違和感を感じる機会が増えたから居ると思ったら、案の定近くにいたらしい。
この鼻に流星が入った鹿毛の馬は、今年クラシック戦線を走った菅井調教師の管理馬だ。だいたいいつも葦毛の馬を見ているか周囲を警戒しているから、割と頼りにしている一頭で、ゴールドシップとつるんでいることから、偶に一緒に走ることもある。
アニメで例えるなら優等生タイプなのに、健気だが、何処かつかみどころのない不思議なヤツだ。
こう言うヤツが一人いる日常系アニメは人気が出るんだ……
とりあえず俺は、ジャスタウェイを連れて青毛の馬に近づいて行った。
近寄れば牝馬とわかる、彼女が誰かは分からない。
すぐに退くこともない――立ち振る舞いから見ても大人しいお嬢様タイプか。
俺はジャスタウェイに振り向き、彼女について知っていることはないかアイコンタクトを取ってみた。
『<●> <●>』
うーん、ジャスタウェイは分かっているようだが、アイコンタクトの意味までは読み取れない。俺が分からない。
ま、いっか――軽く落ち着けるように、目をそらして彼女を撫でてやる。
ジャスタウェイと併せて、ゆっくり落ち着いた態度でコミュニケーションをしてやると、彼女も落ち着いたのだろう。
群れの方に誘導するように歩いていくと、彼女も同じような歩法で付いてくるようになった。
ありがとう、ジャスタウェイ。
あれ――気づけばジャスタウェイは、何処かの馬群に紛れていた。
やっぱり、アイツの考えていることは、よくわからない。
けれど、傍にいるこの青毛の牝馬が考えていることは分かる。
まるでお嬢様のような気品のある、本来落ち着いた委員長タイプの彼女が【くやしいですわ】と目に感情を滲ませていた。
そうか――こいつも悔しんいだな。
何処かのレースで勝てずに、周囲の人たちが悔しがっている姿を見て、その気持ちを汲んでしまったのか。
悔しいだろう。
俺も腹が裂けそうになるくらい悔しかった。
それにしても、いったいどのレースだろう。
最近あった重賞、GⅢあたり? 秋華賞ということはないだろうが――
解決の手段は一つだ。
俺は、彼女を先導するように、放牧場の外周を回り始めた。
悔しい思いを晴らすためには、走る以外ない。
少しずつ、彼女の脚をいたわるように、速度を速めて走る。
度々振り向けば、彼女はまるで、何かの幻影を振り切るように脚を回していた。
ていうか、速い!! 俺も手を抜くと追いつかれてしまいそうだった。
気づけばほかにも何頭か、後ろついて走る馬が出てきた。
丁度いいタイミングだ。
脚が暖まった俺も、トモに力を入れ、歩法を変えて飛んでやる。
前へ、前へ、前へ、前へ――馬群へと意思を伝えるように加速する。
どうだ、これが、走りに向き合った“本気”の走りだ。
くよくよしてもいい。
辛くてもいい。
どんなに汚い思いをレースにぶつけてもいい。
だが、今は走れ、走るんだ――!!
己の答えは走った先にしかない――俺の思いが伝わったのか、後方の牝馬が一段強く加速した。
ていうか、コイツマジで速いな……と思いながら、その日、俺達は放牧場の地面を滅茶苦茶にしながら走り回った。
「ブヒヒーーーーー!?」
後日、彼女がヴィルシーナであり、GⅠエリザベス女王杯を勝ち取ったと聞いた時は、流石の俺も驚いた。
季節は移り替わり、俺の休息期間も終わりが近づいてくる。
秋の大レース。ジャパンカップの最終追い切りが迫る中――
俺はゴールドシップが二年連続で生まれた三冠馬となったことを知った。
誤字脱字、感想お待ちしております。
『へへ、ボスの方から呼んでくれるなんて……うれしいですね。<●> <●>』
『ヴィルシーナですよ、ボス。この前の秋華賞で二着だった馬です。<●> <●>』
『このくらいなんてことありませんよ、ボス。それじゃ良い空気を邪魔しても悪いのでこれで……<●> <●>』