(12/25日分:後:2/2)
◆◇◆
2012年、11月25日。
ジャパンカップの最終直線、ヒシケイジは飛んだ。
その時、東京競馬場にいたすべての人間が――
全国のライブビューイング会場にいた人々が――
家で、町中でテレビの中継を見ていた人々が――
全国のスクランブルで放映を見ていた人々が――
ヒシケイジが、その幅広いストライドで芝の大空を飛ぶ姿を目撃した。
人々は啓示を見た。ヒシケイジの血に繋がる競走馬達の意地が如き走りを見た。
ヒシケイジがまるで歓喜を表現するかのように、飛んでいく。
全身のバネを使った躍動が、生み出すエネルギーの解放が――その無駄のない加速が、豪駿の背中に翼を見せる。
その翼を見ていたのは決して、人間だけではない。
ヒシケイジの走りを後方から見ていた、競争馬達は思い出す。
ヒシケイジの走りは、あの日、誰よりも幸せに走ったかつての自分の走りと同じだ。
その事実を、彼らは本能で理解した。
ついて行け――脚を回せ、鞍上の、調教師の、厩務員の事が脳裏をよぎる。
『オルフェーヴル、極限まで足を貯めている。青い帽子はヒシケイジ!!』
直後、背後にいる馬たちすべてのギアが一段跳ね上がる。
王の走りは、決して開花したヒシケイジを孤独にすることをゆるさない。
來る――加速が來る――すべての馬が加速する。
最終直線、ヒシケイジは頂点まで上がったテンションが馬のポテンシャルを引き出した。
有馬記念と同じだ。
今日はそれが出来る馬が揃っている。
来い、受けてやる。
俺に迫れ、俺は挑戦者だ。
だが、俺は――今、先頭にいる。
俺は――王者だ!!
葦毛の豪駿は、この場に立つ王でもあるんだ!!
『さぁ、来た!! 外からオルフェーヴルが上がってくる!!』
来い!! 来い!! 来い!! 来い!!
俺のライバル、オルフェーヴル!!
お前が来なきゃ、今日のレースは始まらない!!
『さあ、さらにウチの方ではジェンティルドンナも懸命の粘りを見せている!!』
いや、二頭、二頭が來る――!!
二頭が並び立つように――俺のソトに来る!!
黄金が風となり、貴婦人が光となって俺に向かってくる。
ていうか、来る!! 来た!!
どんな脚をしてるんだコイツら!!
もう二馬身もマージンがない……そう思った直後――
後方で轟音が鳴り、迫るプレッシャーの片方が脈動する。
『そして、この行動はちらっとトーセンジョーダンも見た!!』
よくわからないが一頭が來る。
どっちだ――オルフェーヴル、ジェンティルドンナ!?
来ることは、分かっていれば覚悟もできる。
さあ来い、さあ来い、さあ来い!!
『こちらには黒い帽子のフェノーメノも上がってくる!!』
そう思った直後――俺の右後方から、まるで高級車がぶつかってきたかのような衝撃が走った。
なんだ、何が起こった!?
思えば、これは――この衝突は、ヒシケイジにとって生涯初となる経験だった。
ていうか、凄いいい匂いする!! とってもいい匂いした気がする!! 誰だこれ!!
「はぁ!?」
あへっ……何!? が起きたか分からないが、一瞬、俺の体が宙に浮くような衝撃が走る。
相棒がかろうじて、姿勢を正し――俺もそれに合わせて辛うじて姿勢を正した。
「ギョロ~~~~~~~~~~~~~!? ぶつかった!? ぶつかった!?」
「磐田ぁァアアアア!! あの野郎!! 強引にねじ込みやがった!!」
「土井さん、早山先生、落ち着いてください!! ケイジならいけます」
スタンドから悲鳴にも似た怒号が響く。
全国の会場で浮いたヒシケイジから人々が眼を逸らす。
「け、ケイジ……ああ、ケイジ……ィ、わしの夢が……!!」
「親父!! 大丈夫だ!! ケイジを見ろ……勝負はついていない」
どれだけマージンを喰われた?
半馬身――体をねじ込まれた分で、俺が負けると思うか!?
舐める――な!!
俺は“誰だと思ってる!?”
「ケイジ、死ぬ気で加速いくぞ!!」
――パァン!!
直後、俺は加速する。
ぶつかってきたジェンティルドンナ!! 後で絶対に殺してやる!!
――パァン!!
だが、これはレースだ。
前に、前に、前に行くんだ。
――パァン!!
思い出せ、あの日の走りを、今日の歓喜を――
だから、今はただ――この全力を全開にして、前へ、前へ――!!
前へ、前へ――前へ、前へ、前へ、前へ――!!
――パァン!!
そうだ、前だ。
すべての意志をかき混ぜて、今は前に出るときだ!!
『暴君と豪駿、横並び!! 貴婦人が突っ込む!! 三頭横並びか!?』
一歩、一完歩、姿勢を下げて再加速する。
隣にいるのは、ヤツだ、オルフェーヴル――間に来るジェンティルドンナがなんだ!!
ヒシケイジの蹄鉄が芝を踏みつけて、己の肉体を加速する。
意識が引き延ばされる、いやに時間が遅く感じる。
余裕なんてもうない。
息が苦しい。
脳がバチバチとスパークしている。
オルフェーヴル――今日は随分とお前の顔が良く見える。
俺のことなんて、何も気にしていない。
ただひたすらに、前だけを見て走るお前が見える。
まるで昨日までの俺のような、挑戦者の走りだ。
何が何でも、プライドを捨ててでも勝つ姿――
けれど、お前の王者としての走りは一瞬も衰えてなんていない。
そうか、お前も学んだんだな。
王としてではなく――
挑戦者として、俺に迫ってくるのか。
いいぞ、オルフェーヴル、お前が強くなればなるほど――俺も強くなる。
もっといい走りが出来るように、強くなってやる。
『前の争いは、前の争いは最後どうなったんだ!?』
もう前以外見えない――何も見えない。
二頭、傍にいる馬の息遣いだけを感じる。
いいぞ、もう一度楽しくなってきた。
楽しい、楽しい、楽しいから前に行くんだ――
(まあああぁぁぁぁぁぁぇえええええええぇぇえええええええええええええーーーーーーーーっ!!)
ヒシケイジのストライドが、普段よりさらに一歩、一歩と広がっていく。
オルフェーヴルのピッチが、昨日よりさらに一回転、また一回転速くなっていく。
両馬はほぼ同じ速度で、ゴール板を踏み抜く。
『分かりません、審議のランプが点灯しています!!』
どうなった!!
ゴールを駆け抜けたヒシケイジの脳裏に浮かぶのは困惑だった。
「イワタさぁん!? 勘弁してくださいよォ!!」
久々に聞く、生添騎手の声が響く中――会場には言葉にならない動揺が満ちていた。
その声を、オルフェーヴルは聞いていない。
不服そうに、それでいて――へこたれない意思をその目に宿したままに――
『ヒシケイジ、オルフェーヴル、ジェンティルドンナ……ほぼ同時。審議の青いランプが灯っています』
ただ一瞬、ちらりとこちらを見て――
『豪駿と暴君に対してジェンティルドンナはハナ差……二頭の写真判定をもう少しお待ちください』
【また走るぞ】――とだけ言い残すように、オルフェーヴルは生添騎手の指示を聞いて去っていった。
こうして、俺達とオルフェーヴル達の残り少ない戦いが一つ、終わりを迎えた。
約20分の写真判定の結果――2012年のジャパンカップは、ヒシケイジとオルフェーヴルが同着であると判定された。
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