レース明日から走る予定です。
2013年3月31日。
ヒシケイジは正午ごろ、馬運車にのって阪神競馬場に現れた。
四月になろうという朗らかな気候の中、明らかにキャパオーバーの阪神競馬場は見慣れたものだった。
とはいえ、一切プレッシャーがないわけではない。
細やかな緊張と、それ以上にいい走りをして厩舎に優勝レイを届けようというモチベーションが俺の中で渦を巻いていた。
つまり、やる気に満ち溢れていたということに他ならない。
というのも、昨日オルフェーヴルは、ドバイシーマクラシックに勝利してGⅠ七勝目を挙げた。
鞍上は他の誰でもない生添 賢治騎手である。
他の誰でもないヤツが乗っての海外GⅠ勝利だ。
今年の宝塚記念、凱旋門賞――どちらも生添 賢治が乗ってのレースになるかもしれない。
俺のGⅠ勝利数はこれで五つ。
相棒と後どれだけレースを走れるかは分からないが、今日のレースと春の天皇賞。
両方を勝てば、オルフェーヴルのGⅠ勝利数に並ぶことが出来る。
勝ちたい――俺は今日のレースに勝って、自分の価値を証明したい。
(相棒、俺達もオルフェーヴルに追いつくぞ)
ヒシケイジのそんな思いとは裏腹に、曳き運動の後、馬装を整えた彼を出迎えたパドックは剣呑な空気で満ち溢れていた。
「すげえ~、やっぱヒシケイジか?」
「でも2000mだぜ? ケイジには短いやろ……」
「そこは何か上手いことやるんやないの?」
その場に居る人々が馬達に向ける意思は普段通りだ。
だが、その場に集まった18頭、彼らがヒシケイジに向ける視線や圧からは確実な敵意を感じた。
「ギョロ、今日はヤバいぜ……」
「ブヒ」
俺を曳く土井さんも、ピリピリとした空気を明らかに感じているのか――
どこか普段より動きが硬く、おどおどとしている。
曰く、勝ち続けると、すべての馬が敵になる――とか。
最近ラジオで聞いたから、嘘ではないだろう。
今日、この場にオルフェーヴルはいない。
奴が居ないレースを走ったことは一度や二度ではない。
だが、今日のようにすべての馬の視線が俺に向くのは初めてのことだった。
なら、なおさら負けられない。
オルフェーヴルは今までだって同じような重圧を感じて勝ってきたはずだ。
「お、ギョロ……気合入ってるな」
そう思えば、今此処に集まっている人々に猶更無様な姿を見せることは出来ない。
俺は出来る限り――自然に、それでいて堂々と歩いていく。
「おお、ケイジは今日も……見てて気持ちよくなるような馬やな」
「まー、ヒシケイジ軸でいいん、じゃない?」
「いやいや、ヒシケイジが追い付かれるなんて凱旋門賞でもジャパンカップでもあったやん……」
こうして、ヒシケイジが本馬場に現れるころには――
人々の期待は、十二分なほどにヒシケイジに集中していた。
『ちょうど今、ヒシケイジが本馬場に現れました』
誘導馬に連れられ、鞍上に石破 志雄をむかえたヒシケイジが本馬場に現れたとき――
周囲からは、普段通りの歓声が沸き上がった。
『聞こえておりますでしょうか昨日のドバイの熱に負けない全国二十万の大観衆』
一昨年、昨年と変わらない声援。
それは俺が、俺達が努力をつづけて、夢を繋いできたことだけが理由ではない。
『初代春古馬三冠、国内最強を決める初戦は王道中距離2000m』
言葉にできない幸運があった。
みんなの思いが少しずつ向けられて、そうしてこの熱が産まれているんだ。
「ケイジ、気負ってる?」
「ブヒ!?」
俺がそんな漫画みたいなセリフを吐いたところで、鞍上の石破 志雄は冷静に俺に言葉を掛けた。
『仲春の曇り空は徐々に晴れ間が見えて、まさに競馬日和』
気負ってる――確かに俺は夢を背負ってるが――
なるほど、確かに俺は気負ってるのかもしれない。
『今年より生まれかわった新たなるG1レース、大阪杯の本馬場入場です』
俺は再び気を引き締めて、普段通りの返し馬を淡々と進めていく。
今日の馬たちのテンションは、言葉にできない物があった。
スタンドに「ザ・チャンピオン」が流れる中――
一頭、また一頭と、馬たちは気を入れていく。
もしかしたら、今日は一波乱起きるかもしれない。
ヒシケイジには、そんな予感があった。
◇◆◇
『一枠一番、昨年の有馬記念で見せた好走そのままに、春のターフで波に乗れるか』
『オーシャンブルーは
(漢冨士田――オーシャンブルーが回ってきたのは幸運だった、馬の調子はいい。行かせてもらうぜ!!)
『一枠二番、京都記念で見せた勝利を新しいGⅠでも、ディープインパクト産駒トーセンラーは日本のタケ』
「トーセンラー、今日は頑張ろう……頑張ろうね!!」
「ヒヒン!!」
『二枠三番、マイルチャンピオンシップで掴んだ栄光、春の中距離で再び輝け。サダムパテックはワンダー・龍神』
(結局今年も、同じ登録名――いや、それよりもサダムパテック。ヒシケイジ相手でも、出し切れば勝てる)
『二枠四番、臥薪嘗胆、ハーツクライの血は波乱を呼べるか。ジャスタウェイ、鞍上は
「ジャスタウェイ……今日こそ君の力を引き出せるよう、努力しよう」
(<●> <●>)
「その表情は何かな、ジャスタウェイ……」
『三枠五番、昨年の覇者、得意な阪神、得意な中距離で勝利を柄みたい。ショウナンマイティ、
(ヒシケイジ、幾度も挑んできた日本二強。今日こそは彼に勝ちたい!!)
『三枠六番若き鞍上と共に心機一転、GⅠに挑むはダークシャドウ。鞍上は
(あれが、ヒシケイジか――感心してる場合じゃねぇけど、イけるかは俺達次第かな……)
『四枠七番、聞け我らが豪駿よ、暴君は一歩先に行ったぞ』
「一言が余計だろ……」
「ブヒ?」
『凱旋門賞馬は2000mでも頂点を取れるのか。ヒシケイジは、石破志雄です』
「今日はヤバそうだが、さて、どう行く?」
「ブヒ……」
「ちなみに今日はオーナーが居るから、あんまり心臓に悪い勝ち方は出来ないぞ」
「ブヒ…………」
『四枠八番、トライアルレースでは、堂々一着。一歩一歩の積み重ねが今日の栄光となるか』
『ナカヤマナイトは、
「芝田です。ナカヤマナイトもGⅠが勝てるところを証明したい……芝田ですッ!!」
『五枠九番、煌めくGⅠ三勝、漆黒の名優。熱望していた2000mで白銀の豪駿と決着を!!』
『エイシンフラッシュはミルコ・ディムロス!!』
(
『五枠十番、鞍上変わって覚醒か、意気揚々とした走りを見せてくれ』
「ダイワファルコン。鞍上は、西村 弓一」
(やっぱり、フロー理論は正解だった。後はここにマントラとチャクラを合わせるんだ!!)
『六枠十一番、昨年夏の好走を再び、ダルトン・ヴァルジョのお手並み拝見、アスカクリチャン』
「アスカクリチャン、この馬は出来る馬だ――次乗る人のためにもやっておかないとね」
『六枠十二番、日刊スポ賞中山金杯、小倉大賞典で見せた末脚、今年のGⅠも連勝と共に望みます』
「ヒットザターゲット、鞍上は
「ブヘッェ!?」
(えっ……ダルトンって日本語しゃべれるのかよ……ヒットザターゲットも動揺してるぜ)
『七枠十三番、大ベテランの復帰戦、弾みをつけて春古馬三冠を虎視眈々』
『ジャガーメイルは、
(ジャガーメイル、ここでガッツリ稼がせてくれや……頼むよ!!)
『七枠十四番、昨年秋の悔しさをバネに、2000mはこの馬が強い』
『トーセンジョーダン、鞍上は
(分かってる、俺もこいつも本心から期待されてるわけじゃない……だが秋競馬を前に、爪痕は残させてもらう!!)
『八枠十五番、勝手を知る鞍上がGⅠ二勝の実力を引き出します。春の阪神に薔薇は咲くのか』
『ローズキングダムは
(誰が何と言おうと、梧桐 剛鬼。ローズキングダムにはまだ闘志があると信じる!!)
『八枠十六番、昨年、貴婦人との戦いに涙をのんだシンデレラが、大外枠から二つ目の冠を狙います』
『ヴィルシーナは、主戦、打田 博士』
(ヴィルシーナ、ヒシケイジのことが気になってる? とはいえ走りは似た馬だ。不利も不利だが、どう運ぶかな……)
◇◆◇
かくして、ゲート前に熱気が集まる中、スターターが壇上に登る。
周回するヒシケイジが聞いたのは、阪神競馬場のGⅠファンファーレだった。
『GⅠ馬が七頭集まった、今日の大阪杯――期待した以上のレースが見れそうですね』
奇数番号の馬があっさりとゲートに収まる。
「ケイジ、逃げ気味で行くぞ。後方は不味そうだ」
偶数番号、ヴィルシーナが、少し嫌がりながらゲートに収まる中、ヒシケイジは首肯で答えた。
『豪駿の初戦、彼に挑む優駿たちの第三次競馬ブームの物語がまた一ページ。全頭収まりました』
ゲートイン、一瞬の静寂――
ガタン!! という音と共に、俺達はぐっと馬群の中央から飛び出した。
芝は良馬場、枠順は中央――ヒシケイジの良好なスタートにスタンドが湧き上がる。
「いま、スタートしました……ヒシケイジが今日も気持ちのいいスタートを切ります」
かくして、年内初戦のレースが始まる中――
ヒシケイジを狙う馬たちの視線が、豪駿の背後に突き刺さっているのだった
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。