最初から最後までなのでちょっと長めです。
2013年3月31日。
雲間に光が照らす中――
葦毛の豪駿ヒシケイジの年内初戦である、新たなるGⅠ中距離レース「大阪杯」の幕が上がった。
『葦毛の豪駿、今日は前へ前へ逃げる形か』
今日のヒシケイジは、スタートを切った直後の加速を選んだ。
パドックから感じていた空気。ライバルたちの視線。
相棒から下された指令、そのすべてを総合しても、まずは逃げを選ぶことが望ましい。
先行争いでペースを作ることができれば――そう考えたヒシケイジの発想は決して間違いではなかった。
『先行争いは七番ヒシケイジ、六番ダークシャドウ』
直後、俺は左右からのプレッシャーを感じた。
当初からの逃げを想定していた俺を追撃するように、スタートダッシュを切った馬たちが先行争いに殺到する。
何頭居ようと逃げる気にはならないが――
流石に初っ端から仕掛けられるとは驚きだ。
(おいおい、お前ら――全員俺狙いかよ!!)
そんな悪態をつきたくなるのも、仕方ないほどに奴らは皆、俺を狙って駆けだしていた。
左右から向けられた視線が語る。
【ヒシケイジ、お前さえ居なければ、俺たちの大切な誰かが泣くことは無かった!!】
そんな恨み言がこもった、敵意の視線――
分かるぜ、俺だって憎い馬がいないわけじゃない。
誰かのために走る覚悟がないわけじゃない。
『十四番トーセンジョーダン、十六番ヴィルシーナ』
「ケイジ、加速だ」
相棒、了解だ。
相棒が手綱を軽く扱くのは、足回りに影響が出ない程度の加速の合図だ。
ハミを即座に取る様に俺は、脚の回転を速める。
俺はトモに力を込めて、さらにペースを上げて加速する。
ついてくるなら来い。
俺と逃げ比べなんて、無謀な勝負がしたいなら相手になってやる。
だが、覚悟しろよ――俺は、葦毛の豪駿だ。
この名前を、下手な覚悟で背負ってるつもりはない。
だから、楽しく――楽しく走ろう。
他の馬にも伝わる様に!!
『九番エイシンフラッシュ、十番ダイワファルコン』
一頭、また一頭、景色と一緒に馬が流れていく。
(いい気分だ)
思考が加速し、脚が回る。
俺の新たに覚えた“本気”の使い方を活用しない手はない。
肉体は加速しながら、どんどん辛さが引いていく。
今日のレース、二千メートル。
前のレース、ジャパンカップ二千四百メートル。
スタミナとして辛いのはどっちだ。
フローの維持が楽なのはこっちだ。
勿論、最終直線で俺は手を抜く気はない。
二つのフローの使い方、もっともっとうまくなってやるっ!?
『多くの馬が豪駿を追う形!!』
そう考えた直後――ヒシケイジの前に、一頭の青鹿毛の馬が飛び出していた。
『ヴィルシーナが抑え込むような走り、ヒシケイジは二番手』
誰!? 俺の本気より早い巡行をする馬なんて居るのかよ!!
「ケイジ、そのままだ!!」
相棒の言葉に俺は頭とリズムを立て直す。
手前を変えて、思考をクリアに立て直す。
誰かが前に来た――!!
鞍上には、困惑と共に気鋭を見せる――打田騎手!!
「いいヨ、ヴィルシーナ。逃げるんだ!! ヒシケイジ相手だ!! 普段の自分を捨ててバカをやりたまえ!!」
ヴィルシーナ、ヴィルシーナ誰だっけ。
そうだ、前に一緒に走ってやったあの馬かよ!!
「あんの人――マジかよ」
相棒の扶助を受けて、俺はペースを落とす。
楽しい走りは崩さない。リズムを崩さず徹底的に楽に走ることを追求する。
だが、それは――他の馬からすれば、思うつぼだったようだ。
『ソトにトーセンジョーダンが三番手、ウチにダークシャドウがぴったりつきます』
ウチから、ソトから、ウマがぴったりとつく。
先行してマンマークしてきた。
大牧騎手のトーセンジョーダン!!
ウチから来るのはダークシャドウ!!
後方から迫るダイワファルコン号は、塞ぐというか塞がれている感じだ。
馬のもっと前に出たいというイメージを、騎手のウデで抑え込んでいる。
ほう――いい状況だから、普段より見えている視界と思考で冷静に考えてみようか。
『ダイワファルコンが五番手、エイシンフラッシュがその後ろに控える形』
前はヴィルシーナに、ソトはトーセンジョーダンに塞がれている。
ウチのスペースにはぐいぐいと、今も加速するダークシャドウ。
後方には不気味なオーラに浸食され始めたダイワファルコン。
そして、俺個人が狙う仮想的のエイシンフラッシュ。
奴のペースは一切、狂っていない。
ソトにいるトーセンジョーダンが一切疲弊しなかったら?
このまま、奴がベストな脚を繰り出したら?
『一コーナーから二コーナーへと向かっていきます』
馬としては、大分気持ちいい状況だが、競走馬としてはまずい状況だ。
俺の強みは現状ほとんど潰されてしまった。
まずい――非常にまずい。
どうする相棒――
『十六頭、一六番ヴィルシーナが懸命にペースを作る形か。リードは一馬身』
とりあえず、俺に現状出来る事は一つ。
カーブを曲がりながらヴィルシーナを追うことだった。
『七番ヒシケイジ二番手』
「どうするもこうするも――キープだろ」
そりゃそうだ。
相棒にほとんどツーカーで意識が通じたことに驚きながら、俺はじっくり集中して逃げるヴィルシーナを見ていた。
『六番ダークシャドウ、三番手に上がって二コーナーから向こう正面へと出ます』
懸命に、懸命に彼女は逃げている。
彼女が抱くオーラに、一切の敵意はない。
打田騎手が信じる中で、彼女は必死に――本当に必死に逃げている。
『四番手十四番トーセンジョーダン、一歩後ろにダイワファルコン、ウチ並んで一番アスカクリチャン』
向こう正面を走る。
シンデレラと呼ばれた、ヴィルシーナが見せつけるように――そうだ、見せつけるように逃げていた。
ヴィルシーナの背中が【自分は、こんなにも走れる馬になったのだ】っと語っている。
逃げる、何だよ。俺のために逃げているのか――
気づけば他の馬も同じだ。
ちらっと、外を見ればトーセンジョーダンが目を逸らした。
【ぶっちゃけ、お前なんてどうでもいい。俺は勝ちたい。勝ちたい!! 鞍上に座り、悩み、悔やんであえぐ此奴に勝たせてやりたい!!】
そんな思いが、彼の全てから漂っていた。
そうだな、トーセンジョーダン。
おまえがそんな卑怯なタマじゃないことはわかっていた。
『その後ろ七番手グループはウチに三番サダムパテック。ソトに九番エイシンフラッシュ』
ダークシャドウ、お前はどうだ?
【えっ、何で見るの?】――なんて目が俺を見つめる。
「えっ、見てるん?」 なんて、騎手の方が驚いてどうするんだ。
そうかそうか――わかってきたぞ。
『八番ナカヤマナイトが徐々に上がり始めて、ソトに二番トーセンラーここは先頭まで九馬身――』
「ケイジ、だからいいんだよ。維持だ――楽しく走ってろ!!」
そうだ――こいつらは、競争馬だ。
生きている中で、走る中で、騎手や自分の周りにいる人の思いを受け取っているだけだ。
(俺を負けさせるために走ってる馬なんて、一頭たりともいない)
勝ちたいんだ。
この状況で飛び出して、飛び出して勝ちたい!!
『一馬身遅れて四番ジャスタウェイ、一番オーシャンブルーがウチラチ沿い』
(レースの過程で、この状況がベストな形になっているだけだ!!)
わかるぜ、だからこの均衡さえ崩れれば、まだまだ勝ち目はある。
レースは動く、何よりこの状況で――楽しんでいる俺の心は嘘じゃない。
ヴィルシーナ、お前、今、すごい頑張って今走っているんだろう?
トーセンジョーダン、そうだよな。一番得意な距離で負けたくないのは俺も一緒だ。
だから俺も向こう正面、ぐっとぐっと前に走っていく。
楽しめ、楽しめ――もっと楽しむんだ。
『ソトに五番ヒットザターゲット、ソトに十三番のジャガーメイル』
ああ――相棒、早山のおやっさんたちにはこの思いは伝わっているかな。
「ギョロ……まだ、先頭のダンゴの中にいる、やべえよ、イけるのかよ……」
「打田のヤツ……ヴィルシーナが掛かった状況を利用しやがった。喰えねぇ騎手だがよ。なんつーか、心配がねぇんだよな」
「ええ、おやっさん――ケイジは、やれますよ。“我々の調教の成果”を信じましょう!!」
綾部オーナー、雅秀社長、心配しなくても大丈夫だ。俺たちは――やれるぜ。
「雅秀、石破くんは、諦めていない……策があるんだろう」
「ああ、親父――ケイジの走りに焦りがない。最終追い切りの走りと一緒だ」
『あと一五番ローズキングダムがここで、スパートをかけて千メーター切りました!!』
それはそれとして、この状況はヤバいかヤバくないかと言われたら危ないがな!!
「ケイジ、脚貯めておけよ。来るぞ!!」
マジかよ――相棒が何かを感じ取っている。
『前半の1000mは59秒.9というペース』
幸い、序盤の逃げ比べでの疲弊は感じられない。
本気で逃げるヴィルシーナは途中何処かで失速するだろう。
『最後方は五番ショウナンマイティぐんぐんあがって、三コーナーカーブ、残り800を切ります』
とにかく、今の問題は第三コーナーのカーブ。
斜行と取られない様に、ヴィルシーナの背中をグイグイと追う。
加速、加速しながらヴィルシーナを追う。
いいぞ、見せてみろ――お前の覚悟と本気を見せてくれ。
『ヴィルシーナのリード一馬身、シンデレラがヒシケイジから懸命に逃げる』
そう思った直後、ヴィルシーナのリズムが一瞬、ヴィルシーナの鞍上が剛腕っぷりを発揮しながら手綱を扱く。
『三番手のトーセンジョーダン、四番手ダークシャドウがヒシケイジを囲む形』
それでもまだ、限界はこない。
左右の馬は俺を逃がさないが如く上がってくる。
分かるぜ――このコースで奔るのが楽しいんだ。
『九番エイシンフラッシュが上がってきて、アスカクリチャン』
だが、もう時間はない――プレッシャー、一頭の馬が大外からぐっとこっちに加速してくる。
『外からローズキングダムが動いていきました』
この状況で――気づけば――
周囲の馬全てが、すでにペースを上げていた。
『現在、先頭まで五馬身の差、三番手グループの大外まで飛びついています』
――パァン!!
後方の馬の動きに合わせて、相棒がぐっと姿勢を沈みこませる。
コーナーの途中から、加速!! わかってるぜ。無理は承知だが――
俺は誰だ?
なぁ、俺は誰だ!!
――パァン!!
相棒の鞭が飛びながら、俺は一馬身あるスペースから前に出した。
『四コーナーカーブから直線コース』
「ああっ、クソッ!!」
俺の邪魔をするよりも、走ることを優先していただけのトーセンジョーダンと、ダークシャドウの動きが一完歩遅れる。
騎手が油断していた今がチャンスだ。
『さあ、大外からエイシンフラッシュが抜け出しを図ります』
外の外から抜け出してきたエイシンフラッシュ!!
おまえに追いつくように俺はヴィルシーナのソトのギリギリを抜けていく。
ヴィルシーナ、お前の目は見ない――!!
次お前と会うときが、きっと決着だ。
楽しかったぜ。ありがとう――
――パァン!!
トーセンジョーダンとダークシャドウもギアを上げてくるのがわかる。
ここからは、本気で奔る時間だ!!
『あっ、ここでヴィルシーナからヒシケイジにバトンが渡る、ヒシケイジ先頭だ』
――パァン!!
残り750mメートル以内!!
もう一切の制限不要。
ヴィルシーナを抜き去る直前にはね上げていたギアを生かすように、相棒がどんどんと俺の走るペースを上げていく。
かくして、ついにヒシケイジが飛んだ。
相棒の剛腕に従うように、ヒシケイジが阪神の芝を飛んだ。
馬群中央、白銀の豪駿がトモの力を全開にして、芝を蹴り加速する。
ストライドだが、ペースが速い異次元の走りだ。
まるでツインターボが搭載されたスーパーカーのように、ヒシケイジがまるでマイラーのように速度を上げる。
翼が生えた豪駿が風のように走る姿を一体だれが想像できただろうか。
先ほどまで豪駿包囲網に冷えていた会場は、異様な動揺と熱狂に包まれていた。
「嘘だ、嘘だ!! 早い!!」
「なんや、あの豪駿!? ウソやん、ステイヤーやないんか!?」
「ムホホホ!! ケイジは二歳時に朝日杯フューチュリティステークスを勝っている……その理由は一つ。速筋の強化を重点的に行った早山厩舎のスパルタ特訓!!」
「おおおおおおおおおおおおおッ!! ギョロ!! やっぱギョロが最強だ!!」
「いいぞ、バカーズ一号、三号ォ!! ここ一か月、スプリンターのメニューで調教してるヒシケイジを舐めんなァ!!」
「ハハハハハ!! 一月前からわかっていたら、やれることはいくらでもあった……後はゴールするだけ、頼みますよ!!」
『ソトを狙って十四番トーセンジョーダン、その後ろから来た、四番ジャスタウェイ』
トーセンジョーダンとほぼ同じ速度で、俺はグイグイと前に出ていく。
――パァン!!
そして、逃げ合いをやってなお、スタミナが残っている分、こっちの方が
いい、いい、いい、いい!!
スタンドの観客が驚く瞬間が、一番楽しい!!
あとはもう、こいつら全員ぶっちぎっていくだけだ――
前に、前に、前に、前に――
前に、前に、前に、前に――
前に――!!
『先頭九番エイシンフラッシュ、代わって残り百メーター』
大外から走ってきたエイシンフラッシュ、あと半馬身!!
奴の閃光の脚に追いつけるかではない、ひたすらに走って追いつくんだ!!
「させないよ!!」
その直後、俺の内側から一頭の馬が突っ込んできた!!
『二番手ショウナンマイティ』
ショウナンマイティ――
お前の目に、稲妻が煌めいているのを俺は見た。
確かに今、この馬は“本気”で走っている。
真中騎手を勝たせるために、本気で!!
「真中さん!?」
「今まで僕はケイジと君からから逃げてきた!! 今日はもう逃げない!! 勝負だ!! ヒシケイジ!!」
ここで、このタイミングで突っ込んでくる!?
最高じゃねぇか――お望み通り千切ってやる!!
「エイシンフラッシュ、ヒシケイジ!! ジャスタウェイ、ローズキングダムが突っ込んでくる!!』
50mで横並び、三頭ほぼ、一直線だ。
止まったかのような視界の中で、エイシンフラッシュが外に見える。
加速する俺と、ショウナンマイティ――なんか、後ろにいるジャスタウェイ。
ああ、勝てる。
勝てるぞ相棒。
今日も今日とて最高のレースだ。
お前と一緒に走れるのなら、今年も楽しい競馬になりそうだ。
俺はトモから軋むような痛みを感じる中――最高の気分でゴールを踏み抜いた。
『これは、七番ヒシケイジがゴールイン。混戦、大混戦。終わってみれば豪駿が勝負強さを見せました――日本の新たな春古馬初戦を制したのは、豪駿ヒシケイジ……』
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。