2013年4月28日。
春の古馬三冠の二冠目、春の天皇賞の舞台にヒシケイジは立っていた。
『緑の絨毯に緑のカーテン、まさに舞台は緑一色です』
俺は相棒の石破 志雄を鞍上に乗せ、返し馬を終えて発走場所に向かっていく。
スタートラインには、会場の喧騒を避けた馬たちがすでに集まっている。
『京都競馬場、今日この場所で二頭の葦毛伝説が交わります』
葦毛の馬体が、春の風を受けて芝を踏みしめていく。
京都競馬場11R。快晴の空には雲一つない最高のレース日和だ。
そんな最高の舞台で俺の目の前をただ静かに周回するゴールドシップからは――
馬一倍に膨れ上がったプレッシャーを感じる。
『俺様が誰だと思って居やがる。テメェが何者かしらないがヨ。俺様に傅かないなら、こうだぞ、こう――』
去年、俺が初めてガンをつけられた日から――
『なんだてめぇ、見下ろすばかりの筋肉ダルマが!! 少し年上だからってなめてんじゃねーぞ!!』『舐めるなヒシケイジ。俺も、俺も、出来る、できるんだああああああああああああああああぁぁぁ!!』
俺が、ヤツを粉砕した日から――
『おうおう、ヒシケイジさんよぉ――GⅡレースに勝ったからって浮かれてんじゃねぇぞ。こちとら、お前に勝つために、バッチリコソ練して皐月賞まで取ってきちゃったからよ――あんま舐めてると、ブッ○してやるからな!!』『うわあああぁぁぁあああああああ~~~~~~~~~~~~~また負けたああああああああああああああああああ!! 俺本気で走ったのにぃ~~~~~~~~~!! ヒシケイジ先輩糞野郎には!! もっともっとコソ練しないと勝てないのか!?』
アイツの自信を砕いて、砕いて、砕きまくって――
『これでも、結構ゴルシ様は尊敬してるんだぜ。ケイちゃん先輩はデカいし速いし――知る限り、どの馬よりも強いしな』
それでも追ってくるゴールドシップの姿を、俺だって尊敬してきた。
『ケイちゃん先輩、負けるなよ!!』
三冠馬になっても一切の妥協なく走り続けてきたゴールドシップ。
『来年ゴルシ様と走るまで、負けるなよ!!』
今日の決戦のために俺はずっと俺を磨いてきたといっても過言ではない。
『俺様がお前に勝つまで、お前はずっと最強でいろよ!!』
だからこそ――
『豪駿か不沈艦か、あるいは新たなる波乱が待っているんでしょうか』
俺は一切手を抜かずに、今日のレースを走ってやる。
目を閉じれば浮かんでくるのは、俺たちに期待するしわくちゃの早山のおやっさんの顔だ。
俺と弟のテンケイを応援し続けてくれた三角ボディの土井さん。
相棒にもてる知識のすべてを伝え、メンタルを支えてくれた眼鏡の門田調教助手。
今日の会場に来てくれている綾部オーナー。
俺と相棒を見捨てないでくれていた雅秀社長。
『歴史を刻んで147回目の天皇賞・春です。グレードワン』
そして、会場に集まった人々の夢を背負う。
だがターフに立つまでは、皆の夢を背負うと誓おう。
だから後は――俺を押してくれ。
背負うべき人の思いをすべて忘れるくらい、俺は本気で走るから。
『ヒシケイジとゴールドシップ、新たな伝説を描くのは二頭のうちどちらとなるか』
誰にも追いつけない。
本気のエゴで、俺はお前らの夢を運んでやろう。
それが、王者となった俺にとってのレースだ。
『さぁ今、スターターがスタンドカーに上りました、我が国最古のGⅠのファンファーレです』
ファンファーレが鳴り響く中、ヒシケイジはすでにきわめて深い集中状態にあった。
サラブレッドたちの興奮のアベレージが上がる中――
ヒシケイジとゴールドシップ。
二頭はただ、ゆっくりと未来への青写真を描いていた。
『突き上げるような大歓声、今日は会場11万人近いお客さん』
舞台は整った。
歓声とともに、俺たちはゆっくりと枠に収まっていく。
『風物詩となった全国のライブビューイングは全国十二万人が押し寄せました』
狭い枠の中、俺はただスタートを待つ。
リラックスとも緊張とも違う。
フロー特有の集中状態の中――俺はわかっているように耳を傾ける。
『さぁ残りが一頭になります』
「ケイジ、先行、馬が来たら譲れ。ペースは適宜調整だ――」
「ブヒヒヒヒ」
『片やクラシックを終えた時点で、GⅠ四勝、クラシック三冠馬ゴールドシップ』
相棒と予定を再確認する。
わかったぜ――相棒。
『片や新たなるGⅠ大阪賞を勝ち抜きGⅠ六勝、凱旋門賞馬ヒシケイジ』
ゲートイン、一瞬と呼ぶにはあまりにも長い静寂。
――ガコン、と音が鳴りゲートが開く。
『あるいは未知なる波乱が押し寄せるか、第147回天皇賞・春です。飛び出しました』
ヒシケイジは今日のゲートも、俺は一瞬の狂いなく――他の馬に先んじる。
相棒はまるで分っているように、俺を前に前に進める。
芝を踏みつけ、電撃的にリズムを上げていく。
巡航速度に一気に加速する芸当。
俺の前世が人だったから――その意識が残っているからこそできる裏技だ。
『ヒシケイジがテンを取る、ゴールドシップ一番後ろ』
ヨーイドンでテンをとる。
競り合いはしない――データ通りなら、ゴールドシップは最後方にいるはずだ。
『これがいつもの指定席、これがいつものマイポジション』
ヒシケイジは着々と一周目の坂を上りながら、冷静に周囲を確認する。
左右から馬が上がってくる。
先行策は俺だけじゃない。
春の天皇賞は前よりの攻略が王道なことは、俺自身が証明している。
『ゴールドシップ下がって行って今日もやっぱり十七頭を見るような』
ヒシケイジは加速した思考を生かして、周囲を見渡す。
フロー状態――ゾーンに入った“巡行”は走り以外にも気を向けられる優位がある。
白い帽子、サトノシュレンが内からぐっと飛び出してきた。
ピンクの帽子、ビートブラックが飛び出す気配がある。
『ゴールドシップちょっと見えてくるかどうか』
両馬、一歩も引かずについてくる。
片方は見知った顔、去年もともに走った仲だ。
だが、もう一頭。
雪 秀明騎手の騎乗するサトノシュレンか。
『あぁここですね、デスペラードと並んで行っています』
ヒシケイジはサトノシュレンを再び見た。
奴の視線には――ただただひたすらに前に行こうという意識が見える。
いいだろう、譲ってやる。
ここまでは完全に予定通り――
『ゴールドシップはいつものように後ろから行っています』
前に前に出て、できるだけ削ったうえで譲ってやる。
相棒から減速の合図は出ていない。
俺は変わらず、巡行を続けたまま前に前にと走っていく。
『先行策はヒシケイジ、サトノシュレン』
サトノシュレンが俺を追う。
馬群の真ん中に陣取った俺に向けてビートブラックが遠慮なしに突っ込んでくる。
逃げ馬同士、考えることは同じか。
共にスタミナが持ち味のサラブレッドだが――
最終直線の切れ味では相手もこちらに勝てるとは思っていない。
だから、ビートブラックが勝つためには、ひたすら俺を削るしかない。
削って削って、どこかで出し抜く。それしか勝ち筋はない。
『ビートブラックも出て行こうとしています』
(もちろん、わかっている。だから俺は今は冷静に――コイツと競り合わせてもらう)
ヒシケイジはまだぎゅっと縮まった馬群の中から飛び出し、悠々と坂を上っていく。
パワーを生かしてぐんぐんと坂を坂を上る競馬は俺の得意分野だ。
『それからユニバーサルバンク、ギュスターヴクライ』
3コーナーのウチをサトノシュレンに譲り――
相棒の指示通り足をためていく。
『あっ、フェノーメノはちょうど馬群の中団辺りの赤い帽子』
ソトにビートブラックがつく。
ピッタリと、俺をマークするのは予定通りだ。
『そしてご覧のようにゴールドシップ』
下り坂、ぐっと加速しながらも、俺はひたすらに足をためる。
「いいぞ、ケイジ――そのままだ」
そうだ、焦るな。
レースはまだまだ始まったばかりだ。
『白い馬体は最後方からレースを進めています』
俺の背後には奴がいる。
今日の俺を倒すために迫る無敵の不沈艦、ゴールドシップ。
長い長い、三分間の果てに俺はお前に打ち勝とう。
そのために、俺はこの溺れそうな三分間の間、長い長いフローを泳ぎ切ってやる。
『クラシックと同じように、有馬記念と同じようにゴールドシップは最後方です』
プレッシャーを感じながらも、俺は内ラチぎりぎりを抜けていく。
そうビビるなよビートブラック。
今日は余裕の十センチ。
これでも俺は相棒の消耗を考えて走っている。
『サトノシュレンが逃げました、リードを2馬身取っています』
最近気づいたが相棒が俺のリズムをとるときにやるあの動き。
腕を振りながら走るあの“剛腕”は、ひどく体力を消耗するらしい。
『二番手の位置にヒシケイジ、ソトにビートブラック』
遠心力に引かれながら、できる限りブレずに――
相棒のストレスに気を使いながら、コーナーを回る。
『インコースからギュスターヴクライ』
ヒシケイジは自らがどうにかなるすべてを可能な限り制御しながらスタンド前へ駆け抜けていく。
前を走るサトノシュレン。
ソトについたビートブラック。
背後から迫るギュスターヴクライ。
『その後ろからユニバーサルバンクとトウカイトリックがいて』
コーナーを抜けて立ち上がるユニバーサルバンク、トウカイトリック。
馬たちの呼吸を感じながら、俺は自分の競馬をする。
ひたすらにレースを楽しむ。
そうだ――今日は、一年待ちわびたかの春の天皇賞なんだ。
ステイヤーにとって、今日だけが距離のハンデのないGⅠだ。
今日が、俺たちのレースだ。
俺たちが一番輝けるレースなんだ。
『赤い帽子がフェノーメノ現在六番手から七番手』
さぁ、迫るぞ――来るぞ。
正面スタンド、歓声が来る。
十一万人、想像できるか。
俺たちを迎える歓声にビビるなんてもったいないぞ。
『その内側にマイネルキッツです』
そうして、ヒシケイジの喚起が爆発する中で――
京都競馬のスタンドへと、ヒシケイジが駆け込んできた。
豪駿は冷静に――ただただ緻密にリズムを刻む。
ため息が出るような、美しい歩法を進める“競馬王子”石破 志雄がそこにいる。
まるでアニメから出てきたような、丁寧で繊細な騎乗。
それは、ともすると「乗馬とはかくも楽なものなのか」と、誤認してしまうかのような妙技であった。
『その後方から続いているトーセンラー、あるいはレッドデイヴィス』
現実は違う。
あらゆる意識を配り、石破 志雄はヒシケイジをコントロールしている。
油断もない。慢心もない。
精密制御のスイス時計のように、あの男はヒシケイジのすべてを引き出す。
『そして画面の一番右、画面の一番右、ゴールドシップ』
だが、それは――決して彼の専売特許ではない。
少なくとも、最後方に控える打田博士にとっては、そうであった。
『あぁ1000mは59秒4で行っているちょっと早い』
前方に見える銀色の豪駿。
奴とゴールドシップの間にあった差は、日々の積み重ねの中で確かに消えた。
「さぁ、シップいきたまえ――もう我慢は不要だ」
『ゴールドシップ、ポジションをちょっと上げた』
ならば、今のシップに追いつけないわけがない。
黄金の不沈艦も、我々もまた、世代の王なのだから!!
『ゴールドシップ、ポジションをちょっと上げました。並んで行った並んで行った、ジャガーメイルを交わして行く!!』
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。