ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤字脱字報告、感想ありがとうございます。

ギリギリになったから、補記しました(1805)。


2013春の天皇賞(後:3/3)

 春の天皇賞、ヒシケイジの後方でプレッシャーが爆発する。

 まだ――まだ、遠い。

 

 俺が感じた脈動も第六感に近いだろう。

 

 ヒシケイジはゆっくりと、息を整える。

 脚も体も、まだまだ走りに没頭できる。

 

『あぁ縦長縦長、縦長の展開になった、この縦長の展開を読んでか打田博士』

 

 周囲から迫る馬の圧、スタンドからの歓声。

 ヒシケイジとゴールドシップを見つめる人々の期待。

 

 馬にとっては、重たいレースだ。

 酷く押しつぶされそうな青空の元、“覚悟”のある馬は動き始めている。

 

『早めに今日はゴールドシップ上がって行きます』

 

 サトノシュレンが逃げる。

 俺はその背後にぴったりと付けながら追う。

 

 ソトから来る圧力は――ビートブラック

 苦しいか、サトノシュレン。

 苦しいか、ビートブラック。

 

 俺はまだまだ、これからだ。

 

『一周目の正面スタンド前を通過しました』

 

 そう言わんばかりに、ヒシケイジはまるで挑発するように2コーナーの経済コースを悠々と行く。

 相棒が苦しくないように、最後、直線コースで泣かないように――

 

 今日の競馬で笑えるように、俺は走る。 

 

『さぁ歓声が離れていきます第2コーナーです』

 

 二コーナー、後方の馬とぐっと距離が開いた。

 ゆっくりと、ゆっくりと――前が開く中、相棒からの合図はこない。 

 

『先頭はサトノシュレンですが、ゴールドシップがどこまでポジションを上げたか』

 

 いいぜ、待ってやる。

 

「悪いなケイジ、もう少しだ」

 

 いいぜ、待ってやる。

 サトノシュレンの大逃げには付き合わない。

 

『フェノーメノがここにいます。そしてそれから遅れて4馬身から5馬身、ゴールドシップはここにいました』

 

 俺の戦うべき相手は、まだ後方に居る。

 ゴールドシップ、それ以外にも何頭か目星は着いている――奴らは、来る!!

 

『緑の芝生に白い馬体がよく映える二頭、さぁ向こう流しに入っていきます』

 

 ヒシケイジは、意識を正す。

 

 向こう正面に入って、先頭とも後方とも距離は開いた。

 ビートブラックが一頭、果敢にケイジについてきている。

 

 昨年よりもずっと成長している。

 まだ、スタミナは十分、ハミを取り折り合えている。

 

『先頭はサトノシュレンです、リードを5馬身取りました、今年も少し大逃げになるのか』 

 

 その、ビートブラックの目が語っている。

 ヒシケイジ、お前さえ居なければ――そうだ、俺が居なければ――お前は去年勝てたかもしれなかった。

 

『豪駿ヒシケイジが二番手、ビートブラックが三番手、距離が開いてトウカイパラダイスが四番手、その後ろからユニバーサルバンク』

 

 恨むなら、運命を恨め。

 だが、今日お前が頑張るのは、そんなちんけな復讐心じゃないはずだ。

 

『その後ろ、だいぶ縦長 フェノーメノはこの位置にいました』

 

 ビートブラック、お前と走れて良かった。

 お前はまるで俺の鑑のように、俺の心を冷やしてくれる。

 

『ステッキを抜いた、五番のマイネルキッツ、クリスティアーノ・ディムロス』

 

 ゆっくりと、前との距離が開いていく。

 ムキになって追おうという気にはならない。

 

 ひたすらに集中したまま、俺は勝つ競馬をする。

 

『そして虎視眈々、日本のタケとトーセンラーです』

 

 ゴールドシップに勝つためだけに走って勝てるほど、このレースは甘くはない。

 

『インコースからアドマイヤラクティ、レッドデイヴィス、レッドカドーがいて内からトウカイトリック』

 

 そうして内省するヒシケイジの目の前に現れたのは、京都競馬場名物の高低差4mの坂だ。

 ゆっくりと、ゆっくりと――前との距離が広がる中で、俺は只管に脚を貯める。

 

『あぁそしてゴールドシップここにいた、まだしかし前とは20馬身の差があります』

 

 ゴールドシップに勝つために。

 

『メイショウカンパク、ゴールドシップの背後につける』

 

 三コーナーの頂上。

 

――パァン!!

 

 今この瞬間にすべてを弾けさせるために走ってきた。

 

『そのインコース、エアグルーヴも天国から見つめているフォゲッタブル』

 

 俺はその瞬間――トモの肉を振るわせて、下り坂の芝に蹄鉄を喰い込ませていた。

 相棒が腕を前に振る――残り700m、ベストな距離だ。

 

 去年から、何度も使う。

 この位置からのロングスパートだ。

 

『その後方からジャガーメイルが続いて、後方にぽつんとデスペラード』

 

「喰い縛れェ!! ビートブラック!!」

「ケイジ、マージン稼ぐぞ!! ゴールドシップもすぐに来る!!」

 

 俺はぐんぐんと流れる速度が速くなっていく景色と裏腹に――

 一完歩、脚を踏み出すたびに、俺の思考は引き延ばされていく。

 

 バネのように体が弾む。

 楽しい、楽しい、楽しいレースだ。

 

 今日という日を走るために俺は生まれたと信じられる――さぁ来い、ゴールドシップ!!

 

『さぁ既にヒシケイジは行っている。三コーナーの坂の頂上』

 

 来い――!!

 

 来い――!!

 

 来い――!!

 

 ゴールドシップ!!

 

 俺はもう――お前の遥か前に居るぞ!!

 

『あぁ行った行った!! 行った行った!! ゴールドシップここで動いた打田博士』

 

 俺はぐんぐんと坂を使って加速して、まるで嵐のように先行するサトノシュレンに肉薄する。

 

『一緒に行きましょうゴールドシップ、ゴールドシップ。トーセンラーを交わす、マイネルキッツを交わすか!!』

 

 ウチは塞がれている。

 それに気づいた時には既に相棒は手綱の動きで俺を外にぐっと出していた。

 

 ほぼ同じコースを通って、背後にビートブラックが迫る。

 手綱を扱いて、必死に俺を追うアイツに影を踏ませないように――

 

 俺は残酷なほどの加速でサトノシュレンを抜き去りたった一頭、馬群の正面に出た。

 

『ユニバーサルバンクを交わしていく、一気に伸びて先頭集団、さぁ第四コーナーを迎える』

 

 颯のように駆け抜けて来て、前に見えたのは第四コーナーだ。

 

 後方の差し馬がスパートを駆ける中、俺はただターフの稲妻として駆け抜けていく。

 この最高の、奇跡のようなレースに!! 俺は、勝ちたい!!

 

『既に先頭は、ヒシケイジ!! 今年の淀も豪駿が強い!!』

 

 馬群の後方にサトノシュレンとビートブラックが沈んでいく。

 前方五馬身、限界までマージンは稼いだ。

 

 馬群は横一線で迫ってくる――その大外に奴が居る。

 その事実を認識しながら、俺はコーナの内ラチ5cmに幅を寄せてコーナーを曲がる。

 

『さぁそしてトーセンラーの外から来るゴールドシップ、白い馬体にぜひご注目ください』

 

 来た――来た――2周目の正面スタンドが見えてきた。

 

 あとはもう、要らない。

 意地も、矜持も、何もいらない!!

 

 前に、前に、前に前に前に前に前に――俺は前に脚を運ぶ。

 芝を蹴って、トモが生み出した力を蹄から地面に伝えて飛ぶ。

 

「ああ、行くぞ!! ケイジ――望み通りの決戦だ!!」

 

 相棒の声が聞こえてくる。

 俺は、その声と腕の動きに合わせてリズムをあげる。

 

『最内を飛ぶのがヒシケイジ、外の弾む馬体、これがゴールドシップ さぁロングスパートが今日も炸裂するか!!』

 

 一段一段と走りのギアが、上げていく。

 歓声が、一秒ごとに高まっていく。

 

『しかしジャガーメイルの脚色もいい! 直線コースに入った!!』

 

 俺の傍にはまだ、誰も居ない。

 前へ、前へ――前へと――

 

 俺は俺の全てを表現して走る。

 

『ヒシケイジが悠々逃げる。何時だって全力疾走が競馬王子だ!!』

 

――パァン!! パァン!! パァン!! パァン!!

 

 相棒の鞭が飛ぶ。

 俺の集中が増していく。

 

 去年、あんなにも退屈だったレースに、俺は呼吸すら忘れるほど熱中している。

 

 倒すべき相手が消えて、勝つべきレースだけが残った。

 

 見えているのはフローが見せる。

 ただ、目の前に続く一直線の道だ。

 

 去年は――その直線の上に、俺の理想の走りが見えていた。

 今は見えない。見えなくていい。俺はもう俺の理想へとたどり着いている。

 

『ゴールドシップ!! フェノーメノ!! メイショウカンパク!! トーセンラーがあがってくる!!』

 

 ヒシケイジはまるで、その理想の走りを伝えるように――前を前を疾駆する。

 

 そうだ、感じるのは4つ分のプッシャーが上がってくる。

 一頭は誰か分かる!!

 

 沈まないロングスパートの不沈艦が、黒い怪物の猛追が――

 自分のために走る穴馬の意地、最高の血を受け継いだ覚悟が――

 

 迫る、俺よりも早い速度で迫ってくる。

 いいぞ――お前らは強い俺よりも、きっと強い――だからもっと、全力で、全てを俺にぶつけて来い!!

 

「ギョロッ、すげえ、すんげえよ……お前、俺涙が出てくる……」

「クソッ、だが悪い癖だ。後ろの馬を引っ張っちまう――上がってきてる馬、全部ヤバいぞ!!」

「ああっ、見てくださいッ、ゴールドシップが!! ゴールドシップが!!」

 

 前へ、前へ――前へ、前へ――

 前へ、前へ、前へ、前へ――

 

 俺は、瞳から稲妻を走らせながら、駆ける。

 その引き延ばされた瞬間の中で、ついに見た!!

 

『ケイちゃん先輩!! いや、ヒシケイジ!!』

 

 葦毛の馬が、一頭――白金のようなオーラを棚引かせ――

 

『俺が、ゴルシ様が、お前に勝つ!!』

 

 俺のソトから、馬群の中心を往くように淀の大海原を驀進していった。

 

『なんとなんと! ゴールドシップが抜け出した!! 不沈艦は沈まない!! 残り200m!!』

 

――パァン!!

 

 いいぞ!!

 

――パァン!!

 

 ヒシケイジの中で、何かがはじけるように――トモの筋肉が残されていたATPを燃焼させる。

 

『先頭ゴールドシップ、だがヒシケイジ、まだ伸びる!! ステイヤーの花道を二頭は一歩も譲らない!!』

 

 前に、前に――走れ、ただ走れ。

 馬としての本能を燃やすように、ヒシケイジは前に、前に、前にと――脚を繰り出して駆け抜ける。

 

 背後から感じるプレッシャーは、膨れ上がり、噴火するような感情をこめて迫る。

 後方のフェノーメノとトーセンラーを引き連れながら、ケイジは喘ぐような必死さでゴールドシップと並んだ。

 

 喰らい付け、喰らい付くように――伸びろ、ゴールドシップ、お前に負ける気はない。

 そう思った瞬間―― ゴールドシップは、糸が切れたようにリズムを崩し後方へと沈んでいく。

 

『ああっ、ゴールドシップが!! ゴールドシップが沈む!! ヒシケイジも苦しいか!! だが怪物は間に合わない!!』

 

 つらい、苦しい――もう何も分からない。

 他の馬に気に掛ける暇なんてないのに、俺はヤツのことが心配でたまらない。

 

 ゴールドシップ、悔しいな。

 俺は決着を誓ったライバルの無念を思いながら、ただゴール板を踏み抜いた。

 

『ヒシケイジ!! フェノーメノ!! トーセンラー!! ゴールドシップ!!』

 

 歓声が上がった。

 相棒がガッツポーズを掲げる。

 

『強い強い!! 余りにも強すぎる!! ヒシケイジはこれでGⅠ7勝目!!』

 

 俺はゆっくりと、一歩一歩息を正すようにコースを駆け抜けていた。

 

『競馬に絶対はない、だが、啓示は絶対だ!! オルフェーヴルに追いついた日本の豪駿、残る敵は暴君のみ!!』

 

 会場から沸きあがる歓声が、確かに俺を称えていた。

 俺を――俺だけを称えるかのようなその声を、俺は決して喜ぶことなんてできなかった。

 

『苦しい叩き合いを制したヒシケイジに、場内が沸きあがっています』

 

『クソオオオオオオオオオオオオオオオオッ!! クソォォオオオオオオオオオオオオッ!! うわあああああああああああああああああああああああああああ!!! なんでだよ!!! なんで俺は、最後まで――畜生オオオオオオオオッ!!』

 

 その時、俺は一頭の馬の嘶きの中に、溢れんばかりの感情を感じて振り向いていた。

 

『そしてゴールドシップが涙を流しています。ゴールドシップ、悔し涙だ。淀の二マイル、すべてを出し切りましたが、残念ながら後二歩届きませんでした』

 

『今日勝てなきゃ、何時だよッ!! 何時勝つんだよ……俺は、俺は……』

 

 そこにはゴールドシップが、さめざめと涙を流しながら、とぼとぼと歩いていた。

 

『やはり勝ったのはヒシケイジ、御見事。そして二着にフェノーメノ、三着トーセンラー』『今日の競馬には絶対がありました! 会場は日本二強が並び立った熱狂が渦を巻いています』

 

 ゴールドシップが、シクシクと悔やむように泣いている。

 俺がアイツの元に寄ろうとして、相棒が手綱で引き留められた。

 

『淀の二マイルを完全に支配した、一番人気のヒシケイジ』

 

「ケイジ、今は――行くときじゃないだろ」

 

『春古馬三冠のうち二冠を制し、冠の数はついにオルフェーヴルへと並びました!!』

 

 そうだな――そうかもしれない。

 悔しさを、噛み締めるべき時もある。

 

 俺は相棒の言葉に、踏みとどまり――踵を返した。

 そして、割れんばかりのコールが響くスタンド前の事後検量室へ、ゆっくりと歩を進めていった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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