前哨戦はスキップ予定です。
走らないパートがちょっと増えるかもだけどご容赦ください。
2013年7月。
春古馬三冠を獲得したヒシケイジが居たのは信楽ノーザンファームの放牧地であった。
宝塚記念の後、運動誘発性肺出血が確認されたヒシケイジは次走に凱旋門賞を定めたまま療養を発表した。
口取り式は形式的に行われ、相棒は、陣営は凱旋門賞での活躍を誓う。
ラジオで俺が聞いたのはその辺りまで――
気づけば俺は、夏の信楽ノーザンファームで、ゆっくりと療養をすることとなった。
幸い、運動誘発性肺出血とそれに伴う鼻血は軽度の物だったらしい。
数日間、安静にしていれば苦しさは治ったし、夏の暑さも感じにくいこの場所で俺の体調は少しずつ上向いて行った。
正直に言って、何時か来るとは分かっていた。
俺の調教や走りは、尋常な物ではない。
競走馬としての寿命を削って、その上で結果を導くようなスパルタさがある。
だが、俺は正直後悔はしていない。
俺は綾部オーナーのために、随分良くやった。
雅秀社長の期待にも十分応えることが出来ただろう。
早山のおやっさん――土井さん。門田さん。
厩舎のみんなが居なければ、そもそもGⅠにこんなに勝つなんて出来るはずがない。
相棒――俺のことを一番理解している相棒だって、そのことは分かっているはずだ。
石破 志雄は、俺が居なくても、きっと問題ない。
ニュースでは俺とヒシテンケイの事ばかり取りあげられるが――
ラジオで聞く限りアイツはもう一人の名ジョッキーとして、引っ張りだこになっている。
だから、俺がもし次に無茶をしても、俺が引退してもアイツは大丈夫だ。
そう思いながら放牧地に俺が倒れ込もうとしたとき、気づけば傍に一頭の馬が座っていた。
おいおい、誰だ――ゴールドシップか、あの遠くから見つめられている視線がないからジャスタウェイではないだろう。
俺が首をあげると、そこに居たのは尾花栗毛のサラブレッド。
「うひ~」
【暇してるな~】みたいな表情をして座っていたのは――誰でもないオルフェーヴルだった。
俺は一瞬、ヤツの姿を見て身構えてしまった。
あの日、去年の凱旋門賞のレースを走った直後に向けられた敵意。
ジャパンカップを共に走ったとき、俺に向けてきた勝つという意志。
この前の宝塚記念で――俺に追いつこうと迫ってきた時の覇気、俺は全てを覚えている。
だが、今――俺は、お前に敵意は感じることが出来なかった。
ただそばに座り、昔のようにぼーっとしているお前は、前ほどがっつくような――良き急ぐ感じが無くなったように感じる。
ああ、もしお前がもっと分かりやすい性格をしていたら――
俺ももっと、お前のことを理解してやれたかもしれないのに……
そう脳裏に想いが浮かんだヒシケイジは、今になって――
自分がオルフェーヴルに抱いていた敵意のようなものが、どこかに散ってしまっていることに気づいた。
そうだ、俺は――あんなにお前のことが憎かった。
エゴをむき出しにして、友人であったお前と競うことが馬としての人生だと思っていた。
勿論、それを今の俺は否定する気にはなれない。
俺の大切なものは――走ることだから。
「うひひひ」
そうか――そうだよな。
俺は、ゆっくりと立ち上がって、昔みたいに群れを巻き込むように柵の外を走り出す。
決して、速度は速くなくていい。
一緒に走ることが大切なんだということは分かる。
オルフェーヴルは気づけば、俺の後ろにぴったりと付いて走っている。
放牧の時間が丁度良かったからだろう――
他の馬も何頭か、俺の後ろに付いてきている。
『おーい、ボス。無茶したら、怒られますよ』
なんて、目で語るジャスタウェイ――
「ぶへ……」
宝塚記念の疲れをいやすため、いっしょに入厩したヒシテンケイーー
『なんだよケイちゃん先輩、いちゃ悪いかよ!! 次のレース、何時か分からんけど、ゴルシ様はへこたれないぞ!!』
気づけば混じっていたゴールドシップ――
俺は彼らを引き連れながら、まるで低強度の調教のように柵の外を巡っていく。
そうだ、別にレースみたいに走る必要はないんだ。
俺はゆっくりと、キャンターで走りながら――しなやかに体のバネを使って見せる。
分かるだろ――もうわかったよな。
そっか、俺は――結局、他の馬と一緒に走りたかった。
他の馬と、相棒と――もっと心躍るようなレースがしたい。
俺の生まれた意味は、走ることは楽しいことだって――
俺がそう感じたってことを、伝えることで――
それは、俺に受け継がれた血や技術や、周りの世界が感じさせてくれたことだけど――
きっとそれは、ただ生きて、ただ血を継いで、ただ毎日を生きるだけじゃ伝えられない事なんだ。
「だから、教えてやるこれが俺がお前らに勝った理由だ!!」
そう叫び出すように、俺は後ろに続く奴と同じような走り方で――
ただ只管に、悠々と走り続ける。
『なに? ケイちゃん先輩は、何してんだよ……』
みたいなゴールドシップの、焦りが見える。
『ボス、わかんない。たまにそれやってるのは見てるけど――』
ジャスタウェイ――やっぱ、難しいな。
相棒はこういう細かいテクを他の馬に伝えるのが上手かった。
やっぱ凄い――俺にはまだ、足りない。
言葉も技術も全然足りないな。
悔しい――俺は悔しい、俺には俺の限界が分かるんだ。
もっと先があるのに、全然俺は限界を掴めない。
俺には――やっぱり、無理なのか。
俺の走りの“楽しさ”を伝えることは出来ないのか。
「うひひひひひ!!」
そうして、俺が、挫けそうになった瞬間――
俺の後ろにいたオルフェーヴルが、急に笑いながら駆けだした。
ドンとその場に居たすべての馬の目を奪うような、アイツの美しい走り。
俺が憧れたままの最強の競走馬、オルフェーヴル。
アイツが俺の前に滑り出て――本当に“楽しそう”に走っている。
そうだ、そう、楽しいんだ。
レースって辛くて嫌なものじゃない。
スパートで感じる辛さも、体の苦しさ、敗北の怖さ――
そんなものは、全部自分が世に産まれて、ただ“走る”という幸せに比べれば――小さな、些末なことなんだ。
「ぶひぃ~~」
オルフェーヴルが走っていく。
『え、ケイちゃん先輩、大丈夫かよ。アイツ、次のレースの相手だぞ?』
『ボス、またやったんすか。ほ~、もしかしてボス、よくバカって言われません?』
俺に追いついた後輩や、その他諸々に茶化されながら――
俺はもし、次本当に人間に生まれ変われるなら――
今感じたすべての事を忘れても、絶対に“トレーナー”か“調教師”か……“厩務員”くらいにはなりたいかなと思った。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。