『先頭はメジロアルダン!先頭はメジロアルダン!他の追随を許さずに、更に突き放して、更に突き放して今、ゴールしました!』
1ミリの誤差もなく、節々まで美しく揃えられた指先。長く長く、芝生を穿つ切っ先の如く伸ばされた脚。けれども、決して型に当てはめられている訳では無い。
ライバル達を唆すように集団をすり抜け、嘲笑うように見事に出し抜く。鮮やかなマジックに魅せられているような、自由な脚運び。その強さは何時何処であろうと決して変わることは無い。府中の舞台でも学園の模擬レースでも、それは同じ事であった。
「ぃ、よっし!」
思わず震えた、僕の拳。彼女の勝利に胸が熱くなるのもまた、何時何処であろうと決して変わることは無いのである。
放課後、定期開催される学園内模擬レース。およそ四バ身差で勝利をもぎ取った我が担当ウマ娘、メジロアルダンの姿を、わらわら集ったオーディエンスの最前線で僕は見ていた。
「心配、要らなさそうだね。ほんと、良かったよ」
ダービー後、ややブランクのある彼女だが、まるでどうということは無かったらしい。むしろ思うようにトレーニングが出来なかった分、元来持ち合わせていた思考力がさらに研ぎ澄まされているように思える。間違いなくあのダービーも……あの『負け』も、彼女の『強さ』の土壌として、きちんと彼女の中に取り込む事が出来たみたいだ。
彼女がこちらに気づいて、優しく控えめに手を振った。尊敬と畏敬の念を込めて、僕はとびきり大きく手を振り返す。
「『メジロアルダン』、最近調子良さそうだな?」
「え?ああ、ええ、おかげさまで」
不意に至近距離で僕の左耳を震わせた声。渋々と目線を向けると、僕の隣に、別のトレーナーが立っていた。僕の三年ほど先輩にあたる彼、まだまだ勝ち星こそ少ないが、それでも何度か教え子を重賞戦線に送り込んでいる、なかなかのやり手トレーナーである。
「筋力もその使い方も、やっぱり凄いな。仕掛け方もなんというか、センスの塊、って感じだ」
「分かりますか!?分かっちゃいますよね!いやほんと親バカみたいに思われちゃうかもしれませんけれどもやっぱり彼女のフォームはいつ見ても美しいんですよね!なだらかで大きな歩幅のストレッチ!一度走ってるところをカメラで連射してみたんですけど、ほんとどこを切り取っても本っ当に完璧に絵になってて!さることながらそれをレース中ずっとキープし続ける持久力も持ち味なんですよね!ゲートが開いてからゴール板を踏むまで、まるで一本の芸術作品を見てるみたいな……」
「あー!ストップストップ!お前は話が長いんだよ!」
「え?あれ?僕そんなに、話してました?」
ぼんやりと語っていた僕の言葉を、遮って彼は話し始める。なんというか、せっかちだなぁ……僕はただ、事実を話してるだけなのに……
「……ま、あれ程の娘を担当していれば、自慢したくなる気持ちも分からなくはないけどな。ほんっと、やっぱ『モノ』が違うんだろうな」
「……モノ?」
空を仰ぎながら、彼が呟いた一言。なんだか妙に引っかかって、僕は思わず聞き返した。
「名門『メジロ』のウマ娘……それもあの『メジロラモーヌ』の妹。なんてな、とんでもないのをスカウトしたもんだよお前。ほんと、羨ましい限りだ」
「………………」
「しかし、あんな娘担当すんのも、それはそれで大変なんだろうなぁ。存在価値っていうか、俺らが教えること、何も無いじゃねえか!って……」
「それ、だったら、ですね」
「?」
少しだけ、被せ気味で口を開いた僕を、少しだけ驚いたような顔で見つめる彼。何やら言いたげな様子であったが、構わず僕は、言葉を紡いだ。
「それだったら、どうして僕よりも早く彼女を見出してあげなかったんですか?」
「え?いや、それは……」
「彼女はここに入学してから一度足りとも、自分自身の立場を隠した事なんてない。メジロ家の出である事も、メジロラモーヌの妹である事も、ハナから誰もが知っていた事だ。けれども、こんな、僕程度の駆け出しトレーナーが手を差し出すまで、誰も彼女の手を取る者は現れなかった。それは、どうしてなんでしょうね?」
「ちょ、ストップストップ、お前また……」
「彼女は、優しい娘だ。人当たりも良くって、争いも好まない。他人の為にいつだって本気になれる娘だ。彼女と真正面から話をすれば、きっと誰だって彼女の事を好きになる。けれど、けれども、今までずっと、彼女と目線を合わせて話そうとするトレーナーは現れなかった、現れなかったんですよ。何故なんでしょうね?本当に、本当に」
「そ、それは……」
「トレーナー、さん?」
「……あ、アルダン?」
「……うおっ!?ほ、本人……」
そんな僕の言葉を、包み込むように優しく遮った、彼女の、アルダンの声。ドキリと心臓が跳ね上がって、それきり僕は、何も言えなくなった。
「失礼致しました、お話、もうよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、別に、全然……」
「ふふ、ありがとうございます。それで、トレーナーさん?先程の模擬レースのことで、少しご相談が……」
「………………」
「トレーナー、さん♪」
「あ、うん、うん、そうだね。行こう行こう。それじゃ、僕はこれで」
「お、おう……」
──────────────
「………………」
「………………♪」
三歩先を歩く彼女の背を見つめながら、考えるのはやっぱり、先程の事。
『モノ』が違う、『モノ』が。彼も決してアルダンを侮辱している訳ではない、というかむしろ褒めてくれていた。のは勿論分かってるのだが。なんだろうな、このモヤモヤした気持ち、なんだろう……
「……ふふ、ふふふっ♪」
「……アルダン?」
「いえ、すみません……なんだか、トレーナーさんが『怒っている』のが、珍しくって、つい♪」
「……あ」
『怒っている』。と、彼女の言葉を聞いて。困惑しながらも、パズルのピースがようやく見つかったような、そんな感覚を覚える僕。そうか、僕、怒ってた、んだな。
「ええと、その、聞いてた?」
「ええ、聞いてましたよ?いつの間に私の事、カメラで連射なんてされていたのですか?トレーナーさん?」
「めちゃくちゃ最初の方から聞いてるし……」
「……確かに、あのような事を言われれば許せません、よね。私も……凄く、嫌でした」
「………………」
とても、自分が情けなくなる。彼女にあんな会話を聞かれてしまったこと。彼女だけは、彼女の身と心、だけは。他でもない、僕が守らなければならないのに。
「ごめんね、ごめん、アルダン。僕が不甲斐ないばかりに、他人からあんな事を言われちゃう、なんて……」
「……どうして、トレーナーさんが謝るのですか?」
「本当に、辛いだろう、きっと。僕なんかじゃ想像もつかないけど、勝てば家柄のおかげ、負ければ体質のせいにされる、なんて。まるで君自身の努力なんて、存在しないみたいに、そんな風に言われる、なんて」
「………………」
自分で話していて、じわじわと目の前の景色が歪んできて、慌てて空を仰ぎ見る。まるで今の僕と同じ、溢れだしそうなぐずついた空模様だった。
「あの、トレーナーさん?」
「……アルダン」
そんな僕の気持ちを全て見透かすみたいに、彼女は立ち止まって、振り返って、僕の顔をしかと見つめて……そうして、そうして……
「その、申し訳ございません……先程から何の話をされているのですか?」
「えっ」
……予想外な事を言われて目を丸くする僕の事を、更に目を丸くして見つめ返すアルダン。なんだかよく分からないけれど、とにかく感覚を擦り合わせるべく、僕は彼女と目線を合わせる。
「えと、だから。あのトレーナーが話してた事だよね?」
「ええ、まあ、それはもちろん……」
「彼が、その、なんだ、アルダンの事まるで軽く見てるみたいな事言ってたから。それで、怒ってた、んじゃ……」
「えっ?いえいえ、軽く見られていたのは、トレーナーさんの方では?」
「えっ?」
「まるで私が勝手に走っていて、トレーナーさんの存在価値がないかのような、そんな事を言われて、それで怒っていた……のではないのですか?」
「……えっ?そっち?」
刹那、頭の中に突き刺さる閃光。と、同時に溢れてくる、納得感。そうか、そう、だよな。彼女は、アルダンはいつだってそう、他人の為に本気で喜べるし、他人の為に本気で怒ることだってできる。そんな娘、なのだ。
「……もう、アルダンは本当に……僕の事なんて、いいのに」
「いいえ、いいえ。それだけは私、許せません。たとえどんな理由があろうと、トレーナーさんが軽く見られるのは、絶対に許せないのです。だから、トレーナーさん?」
「う、うん」
「トレーナーさんはご自身の事、きちんと大切にされて下さいね?ご自身が軽く見られていることに、鈍感にならないで下さい、それだけは私、本当に許せませんから、ね?」
「……うん、うん、ありがとう。だけど僕だってそうだよ。君が、メジロアルダンが軽く見られるのだけは、絶対に絶対に我慢ならない。許せない。だから……」
「………………」
「だから、君が軽く見られた時、誰かに傷つけられそうになった時は、迷わず僕を呼んでほしい。いつだって、どこにだって駆けつけて、絶対に君を守るから、ね」
他人の為に本気で怒ることができる、彼女。ならば僕は、そんな彼女の為に怒ってあげたいと、そう思う。そんな自分でありたいと、そう、思うのだ。
「───────」
「……アルダン?」
「ふふ、ふふふ、もう、仕方の無い人……」
「当然だよ。君は、今の僕のすべてなんだから」
「……では、私はトレーナーさんを守って差し上げますよ、必要ないと言われても、絶対に、守らせていただきます♪」
「もう、そこまで言われれば、必要ないだなんて言えるわけないでしょ?」
「ふふふ♪なんだか今は、誰にだって負ける気がしませんね♪もっともっとレースがしたいです、いいですよね?トレーナーさん?」
「ああ、まだまだまだまだ、許容範囲内だ、行こうアルダン。もっともっと、誰にも負けないぐらい強くなっていこう。二人で、ね」
鮮やかなマジックに魅せられているような、自由な、自由な彼女の笑顔。その強さはやっぱり何時何処であろうと決して変わることは無い。府中の舞台でも学園の模擬レースでも、それは同じ事。
やっぱり僕の瞳に映る君はいつだって、メジロ家のお嬢様でも、メジロラモーヌの妹でも……脆く儚い硝子の少女なんかでもない、間違いなく、ただの一人の『強いウマ娘』なのだった。