Xに載せた読み切り。
こちらに載せる予定はなかったのですが要望が多かった為、少し手直しをして載せてます。


※Xではネームレスでしたが
こちらでは主人公に名前をつけてます。


夢主人公名
→宮 渚(みや なぎさ)

※大人軸
※侑と治とは昔からの幼馴染設定
※治の彼女。(高3から)
※激重ストーカー北さん
※微グロ

※※誰も予想できない衝撃のラスト※※


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気づいた時にはもう遅い

┈┈┈┈┈

 

彼女と連絡がとれなくなり3日目。

治の姿は北の自宅にあった。

 

「北さん…なんか知っとりますよね?

…アンタから…渚の匂いがしよんです。」

 

北は治の言葉に応えるように

満足気に笑みをこぼしたのだった。

 

┈┈┈┈┈

 

時刻は夜の7時過ぎ。

左手の薬指にはきらりと光る結婚指輪。スカートにジャケットと仕事着を纏った渚は道を駆け抜ける。

パンプスの音を鳴らしながら…大好きや旦那さんに早く会いたいと駅からの夜道を無我夢中で走る。

 

「――治、ただいま。」

「おん。おかえり渚。」

 

"おにぎり宮"の暖簾を潜り店へと入る。

そこは旦那様こと宮治が営む飲食店。

カウンターから笑顔を向ける治。そして同じ顔をした人物の姿がカウンター席にあった。

 

「っ…て!侑!?」

「うぃーっす!久しぶりやなあ"ナギ"〜。」

「えー!どしたん!?帰ってきとるん?」

「おん。ゆうても5日間だけやな。」

「ええやんええやん!ゆっくりできるなあ〜。」

 

渚はいつもの様に侑の隣に腰を下ろす。

ニコニコと侑との再会を喜ぶ渚の姿に治も嬉しそうだった。

 

「渚。仕事お疲れ様。」

「うん。ありがとう治。治もお疲れ様やな。」

 

ふたりの間に流れるマイナスイオンな空気。新婚さんのキラキラとした雰囲気に侑はむぅっと頬をふくらませた。

 

「かァ〜〜〜!ええなあ新婚さん!」

「侑もはよ結婚したらええのん。」

「相手がおらんのや!相手が!……渚がなってくれる?」

 

その時、カウンター越しで治のゲンコツか容赦なく侑の頭部に振り下ろされた。

 

「じゃっかしいわクソツム!手ぇ出したらぶっ殺したるからな!」

「冗談やろがい!少しくらいふざけてもええやろがい!俺ら幼馴染やろが!」

「ちょっと2人とも!そんな事で喧嘩しないでよ!」

 

下手をしたら取っ組み合いになりそうな小さな喧嘩に慣れた様子で対応する渚。

さすがにもう学生でもなければ立派な大人だ。だがこの2人は血の繋がりのある双子、兄弟。多分これからもずっとこんな感じなのだろうと少し呆れる渚だった。

 

 

「――渚。手洗って降りといで。晩飯用意したる。」

「ありがとう治。」

 

互いを愛し、認め合える存在。

だからこそ渚と治は夫婦になった。

侑も幸せそうなふたりを横目に小さくほほ笑みを浮かべる。

 

どうか――幸せになって欲しいと。

 

┈┈┈┈┈

 

カウンター席で治が作ったおにぎりとお味噌汁を口に運ぶ渚。胃袋が落ち着いたその時、ふと最近の悩みをつぶやく。

 

「最近誰かに見られとる気ぃする?」

 

言葉と共に"はぁ!?"と素っ頓狂な声を上げる侑。本気で捉えてるわけでもなく笑いを零すほどだった。

 

「ナギの勘違いやろ?ちょっと可愛ええからって自意識過剰やねん。」

「え!酷!ツム最低!」

 

渚は隣の侑の背中を叩くと"あイタ〜"と呑気に侑は零す。その光景に治は呆れたようなため息を漏らした。

 

「何言ってんねん。お前も昔っから渚に付きまとったやろがい。」

「お前もやろサム!」

「結果として俺は結婚まで漕ぎ着けましたー。」

「くぅぅぅぅ……腹立つわあ!」

 

あっという間に話は逸れていく。

 

「てか、ナギは仕事は順調なん?」

「うん。毎日楽しいよ?通勤に時間かかるのがネックやけど。」

「ほーん。大変やなあ。…俺が旦那さんやったら即辞めさすけどな?なんたって今をときめく大人気バレー選手やからな?稼ぎも悪ないでぇ?」

 

「アホツム。渚はやりたい事あるから仕事やってんねん。」

「冗談やて〜。ナギが仕事好きなんは俺も分かっとるからな。でも職場に男多いんやろ?心配せん?」

「ドアホ。渚は俺の事大好きやからな。その辺の小物なんか興味無いやろ。」

 

「…まあそうなんだけど言い方…」

 

渚は毎日1時間半ほどかけて電車通勤している。栄えた街中に拠点を構える大きな広告代理店に勤めていた。高校を卒業して大学で学び、必死に努力して掴んだ就職先だった。

激務が多いがやり甲斐はある。繁忙期はいつも帰りが遅く心配も多いが治はそんな渚を尊重していたのだった

 

 

「あ、せや。……なあ渚、明日北さんの所にお使い頼んでええか?」

「別に構わへんで?仕事も休みやし。」

「助かるわ。明日どうしても店空けられんくて――」

 

ふと思い出したように治はとあるお願いを渚に依頼した。

その内容はかつての高校の先輩にあたる北信介が関係していること。治が営むおにぎり宮に欠かせない"お米"を作っている北。頻繁に顔を合わせる仲では無いが大切な取引先のひとつとして、また信頼している先輩でもあった。

 

最後に会ったのは……そう。

北の祖母の葬式だった。

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

翌日、午前10時過ぎ。

"おにぎり宮"と塗装されたミニバンの商用車がある場所に停車した。傍らには広大な田んぼがあり、美しい山々に囲まれたこの土地。

 

ここはおにぎり宮のお米を生産している、北の田んぼだった。

 

 

 

「よお来たな。渚。」

「こんにちは!」

 

敷地内に佇む大きな家。

鍵も開けたままのThe 日本家屋の引き戸を開け、作業着姿の北は渚を出迎えた。

そして蔵の方へと2人は向かう。

 

「治に頼まれとった新米や。今年のは去年のより上出来やで。」

「食べるのが楽しみです!お客さんにも北さんの新米提供できるて治もわくわくしとります。」

「ウチの新米を一番に渡す約束しとるからな。渚もいっぱい食べ。」

「はい!ありがとうございます!」

 

"ほなら車に積んだる"と北は口にすると米袋を次々と運び入れていく。渚も運ぼうと米袋に手を伸ばすも北の手がそれを静止した。昔から北は優しかった。渚がバレー部のマネージャーをしていた時も、いつも気にかけてくれていた。

 

"北さんはナギにいっつも甘い"

"俺らには厳しいのにズルい!"

…そんな声がいつも飛び交っていた。

しかし北は"渚はいっつもちゃんとしとるから指摘することないねん"と口にしては甘やかす。まるで妹のように渚を溺愛していたのは全員が分かっていた。

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

「暑かったやろ?ほら、お茶飲んでいき。」

「ええんですか?お邪魔やないです?」

「もうやることは終わらしたし大丈夫や。」

 

米袋を車に乗せた後、渚はそのまま自宅内へともてなされた。広々とした和室、開け放たれた大きな窓の先には美しい稲が揺れていた。自然豊かな空気が部屋に流れ込む度に渚は瞼を閉じ、風の音を鼓膜に流す。

 

「相変わらず渚はちゃんとしとるな。」

「北さんいっつもそう言いはりますよね?」

「事実やからな。」

 

机にのせられた湯呑みと茶菓子。

渚はそれをゆっくりと口に運び込む。

 

「渚の所作。昔から好きやねん。」

「所作?」

「おん。――そうやって丁寧に湯呑み持つとことか、茶菓子に菓子切り通す時の手元とか。」

「えぇー?そうですか?」

「せやで。……昔から不思議と惹かれるんや。」

「よく見とりますね。そないな事、北さんしか言いませんよ?」

 

北にじっと真っ直ぐ見つめられる。なんとなく読めない彼の表情は時たま恐ろしさを感じることもあった。こちらの心を見透かすような、何を考えているか読み取りにくい瞳の奥。出会った頃はただ単に"怖い人"としか思えなかったが今は遠に慣れている。

……だが…少し怖いのは変わらない。

 

 

「…あ。せや。お線香あげさせてもろてもいいですか?」

 

渚はふと部屋の隅に置かれた仏壇に視線を向けた。静かに佇む仏壇に備えられた物。そして"おばあちゃん"が微笑む写真が置かれていた。

 

 

 

 

――約1年前、北の祖母は亡くなった。

当時の稲荷崎の男子バレーに関わっている人物は祖母の存在が北にとってどれだけ大切な人物だったのか分かっていた。

 

北の誰よりも真っ直ぐで真面目な"ちゃんと"を教えた人。北信介という人物を創った人物とも言える。時たま宮ツインズと共に遊びに来た時にも優しく出迎えてくれたのが彼の祖母だった。

 

1年前の葬式。

北と同じく渚も大きな喪失感に見舞われていた。涙が止まらなかったのを覚えいる。

 

「「……」」

 

一礼し線香をあげる渚。白檀の爽やかで甘みのある香りが渚と北を包み込み不思議と緊張や不安を和らげてくれた。写真立ての祖母の微笑みを前に小さく息をつく。そんな彼女の背中を北はじっと見据えていた。

 

「…もう1年経つんですね。」

「せやな。」

「北さんのおばあちゃんが作るお雑煮…美味しかったな。」

「……懐かしな。」

「正月にみんなで北さん家集まって、おばあちゃんが作ったお雑煮食べて…」

 

男子バレー部で押しかけた年始のこと。嬉しそうに出迎える祖母と同じく笑顔をうかべる北。みんなで机を囲み、お手製のお雑煮を食べた時のこと。

 

「あん時、おばあちゃんと一緒にお皿とか片付けて……言うてくれたんです。」

 

渚はくるりと仏壇から北へと視線を向け優しく微笑む。

 

「なぎちゃんはええ子やなあ。優しい子やなあって言ってもろたの忘れられんくて。」

 

いつも祖母は渚を褒めてくれていた。それはちょっとした気遣いであったり、北の言う通りの綺麗な所作や程よい謙虚さが素敵なものだと思ってくれていたのだろう。もしかしたら北が渚の事を話していたという事もあり余計にフィルターがかかっていたのかもしれないが。

 

「…おばあちゃん。ほんまに大好きでした。」

 

仏壇の前から離れ、渚は再び北の対面側へと腰を下ろした。思い出に浸るような微笑みを口元に浮かばせそっと湯のみに口をつける。

北も同じく湯のみに口をつけ、こくんと緑茶で喉を潤し呟いた。

 

「……バァちゃん。俺の結婚式見ぃへんまま死んでもうたからな。」

「そいえば言うてましたよね?おばあちゃん。北さんの結婚式楽しみにしとるって。」

「まだあん時は高3やで?早すぎるやろ。」

「あん時めっちゃ悩んでましたもんね?バァちゃんに今から結婚相手の話しされるって。」

「早く安心させてあげたかってんけどな。……叶えてやれんかったな。」

 

北の当時の1番の悩みは"バァちゃんに結婚式楽しみにしとる"と言われていたことだ。孫の幸せな瞬間を誰よりも見たかったのだろう。部活を終えた後、会話の中でそんな悩みを打ち明けられたことがあった。

 

「…………」

 

渚はじっと北を見つめる。湯のみを片手に田んぼの方へと視線を逸らす彼の姿はどこか寂しそうだった。"心ここに在らず"という例えが近いかもしれない。

北は祖母を亡くしたあと、この広い家でひとりで過ごしていた。高校や大学時代とは違い仲間たちも仕事で忙しく集まることも少なくなってしまった。渚自身も仕事に追われる毎日。治にお使いを頼まれた時や治と共に来ることもあるが数ヶ月に一度の時もある。

 

北は昔から感情を出さない人物だ。3年の時、ユニフォームを監督から手渡された時に涙を流したのを見た時は渚も驚きを隠せなかった。

祖母の葬式は彼は泣かなかった。最後まで立派に、祖母を見届けていたのを渚は知っている。

 

北さんはそういう面では不器用な人だった。

だからこそ少しでも寄り添えたらと。少しでも彼の心が沈んでいかないようにと。治や侑、角名やアラン、大耳、赤木、銀島、小作、理石――マネージャーとして共に過ごしてきた渚は北を按じていたのだった。

 

「なあ、北さん。」

「ん?」

「いつでも頼ってくださいね。」

「……」

「いつでもええですから。ウチにも遠慮なく遊びに来てください、」

「…渚」

 

北の視線が渚へと戻る。

切れ長の冷静な瞳が、感情を含んだ瞳が渚を見つめる。

 

「北さんの美味しいお米で!治が美味しいおにぎり作ってもてなします!…あ!お味噌汁はウチが作りますから!美味しい白味噌のお味噌汁!」

「………」

「治もいっつも会いたい言うてます。今日もほんまやったら治も来たかった思います。……昨日、治か北さんの事――」

 

 

 

 

 

 

 

"治"

 

 

治がな?

……昨日、治が…

 

治……治――

 

オサム…おさむ……治

治、治、治、治

 

治治治治治治治治治治治治治治治治治治治

治治治治治治治治治治治治治治治治治治治

 

 

 

 

 

 

"……やめえ、…その名前……やめえや。"

 

 

 

 

 

"治"

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

「……北さん?」

「あ…」

 

北は我に返るように気抜けた声を漏らした。

表情は変わらず、先程まで感情を含んでいた瞳はいつもと同じ読み取れない瞳の色へと変化する。

 

「大丈夫です?何か顔色悪…」

「すまんな。何でもない。」

「…そですか…?」

 

ほんの少しだけ感じた違和感。

渚は不思議そうに彼の顔を覗き込むも"何を考えているか分からない。"

朝から農作業に疲れているのだろうか。

 

「……もうこんな時間やな。えらい話し込んでしもた。」

「え、あ!ホンマや!そろそろ戻らなアカン…」

 

部屋の壁掛け時計に視線を向けるとかなりの時間が経過していたことに気づく。昼前までには戻って店の手伝いをしたいのに!と思っていた渚。

 

┈┈┈┈

「北さん。また来ますね。」

「おん。」

 

運転席の窓から北へ視線を向ける渚。

 

「次は北さんの好物の豆腐ハンバーグ作て持ってきます!」

「おん。ありがとうな。」

 

渚の優しさが身に染みる。

ニコニコと無垢な爛漫な笑みを向けられる度に心臓がどくどくと脈打ち"変な感情"がふつふつと湧き出す。

 

……ああ。かわええな。

優しな……昔と変わらず、ホンマに…

治は幸せもんや。羨ましい。

ええなあ……ええな、

 

「それじゃおおき――」

 

渚がハンドルに手を乗せようとした時。

ひんやりとした北の大きな手が突如渚の手を掴んだ。

 

「"なんで俺やないん"。」

「え…」

 

低くて冷たい声だった。

そして意味のわからない台詞に渚は戸惑うばかり。

 

「なんで治なん。」

 

聞き間違いだろうか。

"なんで治なん"と刃を首に突きつけられたような恐ろしい感覚。瞳は笑っていない。無意識にゾッと背中が震え上がった。

 

「ッ……おおきに!」

 

反射的に手を振り払い渚はアクセルを踏み込んだ。車は発進し、整っていない地面の凸凹に車体を揺らしながら北の所有する土地を抜けていく。

 

「((……あれ、なんやったん。……わからへんっ…))」

 

ゾワッと体全身に寒気が広がる。渚は右手でハンドルを握り、左手で心臓を掴むように胸元を押さえつけた。

心拍数は激しく跳ね上がる。冷や汗が額を滑る。

 

「((…何でウチ…こんなにビビってんねん。相手は北さんやで……何を怖がっとん……))」

 

この感覚…今の今までも似た感覚があった。

鋭い目に射止められるような、なんとも喩えられない恐怖。

 

 

"渚"

 

 

「ッ…!!!!」

 

ぞっとするほど低い、押し殺したようなこもった声。渚は既視感があった。

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

「…渚?」

「っ……」

「おい、渚!」

 

その日の晩。深夜23時を回った頃。

 

「魘されてんで?どした?怖い夢でも見たか?」

「あ……」

「汗ヤバいて。びっしょびしょや。着替え持って来たる。」

 

自宅の寝室。ベッドで一緒に眠っていた渚と治。どうやら自分は酷く魘されていたらしい。まさか治を起こしてしまうとは…申し訳ない。

 

「ごめん治。起こしてもうて。」

「別にんなこと気にすんなて。……ほら、バンザイしい。」

 

治が新たに持ってきたTシャツに袖を通す。背中に張り付いていた不快感は消えてなくなりホッと息を漏らした。

 

「今日色々任せすぎたな。せっかくの休みも結局お使いやら店の手伝いさせてしもて。」

「う、ううん!別に全然大丈夫やし!」

「……渚…?」

「ホンマに大丈夫やから…」

「"なんかあった?"」

 

ベッドの上で向かい合う2人。

治は渚の両肩を優しく掴むと顔を覗き込む。微細な渚の表情の揺れ。治は異変を察知していた。

 

「……えっ…と」

「………なぎ」

「………」

 

"北さんのこと"

"ちょっと怖いねん"

"なんで治なん、言われて"

"手掴まれて、怖い思って"

 

"あの視線、既視感あんねん"

 

 

「し…仕事で…実はちょっとやらかしてん。」

「え?」

「部長にめっちゃ怒られて……夢でそれ見てもうて。」

 

"治に言えるわけが無い。"

北のことを皆信頼している。

治も北のことが大好きなのだ。大切な先輩で…大切な仲間で…

 

「ごめんな治。そないな事で心配させて…」

 

あれは多分何でもない。考えすぎだ。

北も祖母を亡くして少し変わってしまったのかもしれない。寂しいのかもしれない。

だからあないな事……

 

「大丈夫やから。ほんまに。」

 

自分にそう言い聞かせる。

 

「…そか。ならええけど………って!その部長!確か男よな!?」

「せ、せやで」

「許さへん!明日職場に突撃や!」

「アカン!それはアカンで治!」

 

"あかーーーん!"と夫婦漫才のようにふざけ合う2人。あっという間に渚に笑顔が戻ると治は安心を見せた。

 

「渚。お願いやから無理だけはせんでな?」

「うん。分かっとるで。」

「俺かて…ツムの言う通りで…仕事辞めてずっと傍におって欲しいって……何回も思た事あるし。」

「…うん。」

「でも俺は渚がやりたいことやって欲しい思てるし。」

「うん。」

「だからこそ、辛いこととか嬉しいことはちゃんと共有しよな?」

「……うん。」

 

ふわっと治の胸の中に収められる渚。

大きな彼の体に包まれると再び睡魔に襲われた。

 

「((……大丈夫や。…なんも問題あらへん。))」

 

瞼を閉じ、治の心音に耳を傾ける。

 

 

「((北さん。…おばあちゃんも亡くなってもうて……寂しいんや……))」

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

――あれから1ヶ月。

渚の仕事は繁忙期に差し掛かり、毎日業務に追われていた。しかし同時にやり甲斐もあり、治やまわりの仲間たちに支えられながら平和に過ごしていた。

 

……だが感じる違和感。

具体的に喩えられない妙な予感。

 

『なぎちゃんどしたん?』

「…あ……何か誰かに見られとる気いして。」

 

仕事で外回りに出た時。

視線のようなものを感じる事が前よりも多くなった。

 

それは外にいる時。仕事中や通勤時。

視線だけでなく背後にピタリとつかれている感覚もあった。自分が立ち止まると背後にいる誰かも立ち止まるような距離間というか……影のように引っ付いてくるような気味の悪い感覚。

しかしいつも分からない。もしかして幽霊でも取り付いているのか?と疑ってしまうほどに。

 

┈┈┈

 

「なあ渚。」

「ん?どしたん治。」

「……顔色悪いで?」

 

治も渚のちょっとした変化に違和感を覚える。食事も摂っているはずなのに痩せて見える……窶れているというのが正しい例えかもしれない。

 

「今繁忙期やし、自分が気づかんうちに疲れが溜まっとんやろなあ。」

「医者行こうや。てか、少し仕事量減らした方がええて。」

「治は心配性やなあ。ご飯もいっつもちゃんと食べとるし。毎日治の作るお弁当とか、朝ごはんも晩ご飯も栄養たっぷりやし問題ないて。」

「……でも……」

「心配することなんかなんもあらへんで?あと少しで仕事も落ち着くし、落ち着いたらデートしよや!」

 

"お風呂入ってくるわ!"と無邪気な笑みを頬に浮かべリビングを後にする渚。治はソファに腰かけたまま渚の背中を見送る。

本当にあれは仕事のせいなのか?渚は隠し事や嘘はつかないタイプ。となればやはり自分の杞憂なのだろうか……

頭の中でグルグルとまざまな思いを巡らせる。

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

更に2週間後。

 

仕事の区切りが着いた渚。

チーム全員で仕事の成功を祝い、会社から少し離れた繁華街で仲間たちと飲んでいた。

いつもであれば真っ直ぐ帰ることが殆ど。それは通勤距離やら治を心配かけたくないという理由で飲み会などは今まで断っていた。

しかし今夜は違う。治も渚を気遣って"今日くらい皆とご飯食べてきい。ただし、終電は逃さへんようにな!"と言われている。

治も渚の為、少しでも元気になるならと、息抜きしてきなさいという意味で今夜の宴の参加を快く許していた。

 

『なぎちゃんそろそろ終電やで?』

『イケメン旦那さんに怒られる前にはよ帰りい!』

『また週明けに会おな〜!』

『んなまたな宮〜!』

 

仲間たちもそれを理解し渚を解放する。

渚は久しぶりの飲み会を楽しんでいた。お酒は程々に、ほろ酔い気分で駅までの道を歩く。

 

 

 

 

「ふんふんふ〜ん♪」

 

つい鼻歌が漏れてしまう。それほどに渚は今の幸せな時間を心の底から喜んでいた。

仕事も何とか無事終えた。仲間たちと喜びあい順調。治との約束通り終電も間に合いそうだ。

 

「……えーっと。治にLINE……」

 

渚はその場に立ち止まりスマホの画面と向き合う。

"  分の電車乗るね。"

後に直ぐに既読がつくと返信が来る。

 

"おん。ウチの最寄りまでは迎えに行くからな。てかそっちまで迎えに行けんくて悪い。"

"気にせんで?今日は治も倫太郎と家で飲んでるんやし。"

"車は乗れんから角名と2人で歩いて迎えいくでえ"

"豪華なお迎えやんなあ。"

"せやろ。角名もはよ会いたいって言よる。そのまま3人で駅前で飲み直そや?"

"うん。そしよ!"

 

渚は画面越しに嬉しそうに笑みをこぼした。

 

 

"じゃ、また後でな渚。"

"また後で!"

 

その会話を最後に渚はLINEを閉じる。

スマホ画面の壁紙に表示されるのは治とのツーショット写真。東京旅行の時、某テーマパークのネズミのキャラクターのカチューシャを付けたふたり。頬をくっつけ満面の笑みをこぼすふたりの幸せそうな写真――

 

 

「……ふふっ」

 

幸せやなあ。

はよ会いたいなあ。

仕事も落ち着くし、次の長期休暇はゆっくり温泉とか行きたなあ。

 

「…………」

 

"……あれ?"

 

渚は再び脚を止めると違和感に気づく。

 

 

 

 

 

"ウチ、なんか忘れてへん……?"

 

 

 

 

 

 

「――"渚"」

 

忘れていた声。

忘れていた存在。

 

渚はゆっくりと背後へと視線を向ける。

そこに立っていたのはシンプルな白いTシャツにいつもの作業着のパンツを履いている北だった。

 

「……北さん?」

「久しぶりやな渚。」

 

相変わらず目は笑っていない。

しかし口元と頬は笑みを含んでいた。

 

「えっと……なんでここに?」

「たまたま近く寄ってな。」

「……こんな遅くに?ですか?」

「おん。」

 

自分が返した質問だけに応答する北。間を置くことも無く、即座に淡々とした返事に何故か恐怖を感じる。

 

 

 

「送ったるで。車乗りい。」

 

北は傍らのコインパーキングを指さす。そこには見慣れた北の愛車である軽トラが停車していた。

 

「や……そんな悪いし……」

「もう遅いし乗っていき。」

「……でも……」

 

渚が渋る中、北はスマホの時計に視線を落とした。

 

「終電の発車まで残り5分。そんな華奢なヒールの靴履いて間に合うん?」

「走りには自信ありますし……そんなん北さん知っとりますやろ?」

「あと4分。」

「……ツ……」

 

北を前に足が竦んでしまう。先輩でもある北が好意で送ってあげると言っていることに関して完全拒絶出来ない自分がいた。

足止めともとれる今の状況。別に逃げてしまえばいいのだが何故か体が動かない。

 

「ッ……」

 

渚は無意識に肩にかけていた鞄を強く抱きとめる。

 

「((……北さんは……寂しいだけ、やんな?))」

 

もしかしたら何か私に話したいのかもしれない。

 

渚は考えすぎてしまった。

そのせいか一番重要なことが抜け落ちてしまう。

 

"何故いまこのタイミングでここに居るのか――渚の前に現れたのか――"

 

それは恐らく"皆が信頼している北さん"というものがあるからだ。

 

 

 

 

あの北さんが

誰よりもちゃんとしている北さんが

――変なことをするわけが無いと。

 

「ほら。もう間に合わんで。」

「……んなら……甘えてもええですか?」

「おん。」

 

渚は北と共にコインパーキングへと向かう。車のロックの解除音がするとそのまま助手席へと促される。

 

「狭いけど堪忍な。荷物はここに置き。」

「はい。…………あの……治に連絡してええですか?」

 

渚の言葉に北は視線を向けないまま車のエンジンをかける。覚めた視線は外へと向けられていた。

 

「治なら知っとる。連絡せんでも大丈夫やで。」

「でも…」

「"俺が送るって伝えた。"」

 

間髪入れない返答。

昔からそうだ。言い方は悪いがまるで言いくるめられるような雰囲気。

 

「今日、角名と飲んどるんやろ?」

「え?北さん知っとったんですか?」

「角名から連絡来てん。こっちに帰ってきとって今日飲みませんか?って。治の家で飲むんですって。」

 

何故かホッと胸を撫で下ろす渚。

治だけでなく角名というワード。その存在のせいか安心感が芽ばえる。

 

「俺は用事があってな。」

「それでこっちの方まで来とったんです?」

「せや。ウチの農場の元管理者の人が前々から飯に誘ってくれとってな。」

「せやったんですね…………」

 

 

 

 

「……渚。なんか疑っとる?」

「え!いや!別に……そないな、こと……」

 

漂う暗い空気。

渚は視線を手元に落としたまま小さくつぶやく。モジモジと両手指先を絡めながら、どこか申し訳なさそうだった。

 

「昔から渚は直ぐに顔に出よる。やから何考えとるか大体分かるで。」

「……」

「俺ん事怖い?」

「いや、そういう事やなくて」

「誤魔化さんでも分かるて。」

「ちゃうんです!……ホンマに……ちゃうくて――」

 

それ以降会話は無く、ただただ車は道を走る。そして暫くすると車は赤信号を前に停車した。

 

繁華街から抜けた先はだんだんと車両の数も少なくなり、田舎特有の寂しい夜の空気が外に漂っていた。

 

「なあ渚。」

「……はい?」

 

停車した時同時に北が口を開く。

そしてハンドル部分に両肘を乗せ、顔ごと視線を渚へと向けた。

 

「"俺と一緒にならん?"」

「…ぇ…………へ?」

「俺と夫婦になろや。」

 

訳が分からない。

意味不明過ぎる言葉に渚はぽかんと口を開け、北を見つめた。

 

「えと……ちょお待ってください。ウチは治と夫婦ですよ?もしかして北さん、実は酔うてます?飲酒運転はアカンて」

「飲んでへん。」

「んなら……どうしてそないな事」

「俺じゃアカン?」

「……やから……ウチは治」

「渚。」

「ちょ、ちょっと待ってください!訳が分からんて…ッ!…」

 

思わず声を大きくあげる渚。

それに驚いたように北は目を見開くと一瞬のうちに表情が変化した。

 

「……何でなん……」

「北さん……?」

「何でやねん……何でや……」

 

色のない北の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。渚は反射的に"申し訳ない"なんて律儀に考えてしまうと運転席の北へ手を伸ばす――

 

 

その瞬間、ムワッと口元に強い薬品の臭いがすると湿った布が鼻と口を覆ったのだった。

 

 

「ン゛ッッ!グッ……っ!!」

 

驚きのあまり呼吸が荒くなる。

そうすれば意図して渚の体内に強い薬品が吸い込まれていく。

 

遠のく意識。視界は曇り、体の力が抜けていく――

「おやすみ。 渚。」

 

北は自身の頬に流れ落ちた涙をあっけらかんとした様子で指で拭き取る。表情は微かに喜びさえ感じるほどあかるいものだった。

 

 

┈┈┈┈┈

 

「……渚、出てくるの遅くない?」

「よなー。さっきの電車に乗っとったはずなんやけど――」

 

渚を迎えに最寄り駅で待つ治と角名。

付近では治達と同じように終電の車両から降りた家族や恋人を迎える人々の姿が目につく。

今日は所謂"華金"というやつだ。いつにも増して終電利用者が多い。

 

しかし待てど暮らせど角名の言う通り"出てくるのが遅い"のだ。時折渚に似た服装や風貌の人物が目につくと治は微かに反応を見せるがやはり違う。

 

「渚から連絡は?」

「んー特になし。LINE送ってんけど既読にならへん。」

 

"着いとるでー"

"北口の改札前おる"

"大丈夫かー?"

 

メッセージを送るも既読すらつかず反応がない。普段から連絡はマメな方だ。電車が遅延した時も、乗り遅れた時も直ぐに連絡を入れる渚。だからこそ心配していた。

 

「駅構内探してみる?トイレとか寄ってるんじゃない?お酒飲んでるんでしょ?」

「せやな。渚ん事やから、久しぶりに飲みすぎとるかもしれんしな。ホンマに……」

「たまには許してあげなよ。あの渚が酔いつぶれてたらそれはそれで面白いし。あ、写真撮ろ。」

「ぶっ飛ばすで?」

 

2人はほろ酔いの状態でケラケラと冗談を笑い合うと入場券を購入し改札内へと入る。キョロキョロと周辺を見回し渚を探す治。隣を歩く角名も渚にメッセージを入れたのだった。

 

"渚。治が心配してる。どこ居る?――"

 

 

しかし反応はなかった。

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

ツンと残る薬品の臭い。

その刺激臭に一瞬眉をしかめる渚。

同時に瞼を持ち上げるとこちらをのぞき込む男の姿が視界に映る。

 

「お早うさん。渚。」

「……ん………え!?」

 

のんびりとした穏やかな北の声。

渚は夢と現実が未だに理解出来ていないのか寝ぼけたような様子で当たりを見回した。

 

「気持ちよお寝よって。起こせられへんかったわ。」

「……今何時……ここどこ……」

 

軽トラの車内。

エンジンは止められており無音の空間があった。しかし外の景色は先程の繁華街とは打って変わって真っ暗闇。しかし目が慣れてくると今自分がどこにいるのかすぐに理解した。

 

「北さん…………ここウチの家じゃないです。」

「ん?渚の家やで?」

「ここ北さん家ですよ!……ホンマに……何」

北の腕をつかもうとしたその時、逆に北に強い力で押さえつけられてしまう渚。硬い背もたれに強く体を押し付けられると反射的に表情を歪める。

 

「……なあ。渚。」

「なにしよんですか。……ホンマになにっ」

「"かくれんぼしよか。"」

 

渚の言葉を遮る不気味な低音で放たれた言葉。

 

そしてその瞬間、渚の体は外へと投げ出されるように落下した。

 

「痛ッ…………」

 

助手席のドアは開けられ、北は乱暴に外へと押し出したのだった。突然のことに受身を取れる訳もなく、地面に体全体を打ち付ける。経験したことの無い恐怖に襲われる。渚は軽トラの助手席に座り、こちらを見下ろす北を恐る恐る見上げた。

 

「なん、で……?」

「…………」

「北さん……なんでこんなことするんですッ……」

「…………」

「何か言うてください!……北さ」

 

「"ああ……たまらんなあ。"」

 

渚はゾクリと背筋を凍らせた。

怠そうにこちらを見下ろす北の視線がとにかく恐ろしい。

 

 

「俺。ちゃんとしとる渚の事、めっちゃ好きやねん。」

「……は……」

「それとな。もひとつあんねん、…渚の好きなとこ。」

 

北は開けっ放しになっていた軽トラの助手席から降りると渚へと近寄る。完全に腰が抜けてしまった渚は上半身だけを何とか立たせ、地面に倒れ込んでいるままだ。

 

「"辛いことあって……泣いて泣いて悲しんで苦しんどるとこ。"」

 

腹の底から恐ろしいものを引き出すような北の満足気な不気味な口元の笑み。興奮しているようにも見て取れるその姿に渚は更に追い詰められるように額から汗を滑らせる。

 

「渚が高2ん時の春高。烏野に負けた時の悔しそうに泣く姿とか。」

 

「俺が卒業した後、治と侑が喧嘩して大変やーって半泣きになりながら相談しに来た時も。」

 

「治と喧嘩した時、ウチに来て泣き腫らした時。」

 

「バァちゃんの葬式ん時。あん時の渚、歯あ食い縛って泣いて……なんか知らんけどめっちゃ興奮してん。」

 

北は両腕で自身の体を抱き留めるような姿勢を見せて興奮していた。見たことの無い北の様子に渚はズリズリと腕の力を頼りに後退する。

 

 

 

 

 

「……ほら、はよ逃げんと…」

「…ッ………」

「鬼さんに捕まんで?」

「ヒィッ……」

 

北は庭先に置いていた鉈を手に取った。綺麗に手入れされている"ソレ"は月の光に照らされ、刃は月明かりを反射させた。

 

猟奇的な刃物。その鉈を手に何をしようと言うのか。

 

「よお見てみ…………」

「……ッ……」

 

北は自身の腕に鉈を擦り付ける。ツーーッと滴る鮮血はポタポタと地面に落ち、薄闇でも分かるほどに砂を赤く染めていく。

 

「渚にこれ使うたら……どんな声あげるんやろな。」

「…… はぁ……はぁ……ッ……」

「真っ赤な血が飛び出して……痛い痛いって泣いて…………興奮するなあ……」

 

"狂ってる"

――もう……あの北さんじゃない。

 

逃げないと……"殺される"。

 

 

渚は震える体を何とか持ち上げ必死にその場から駆け出した。

 

「はぁっ……はぁっ……はあっ……」

 

恐怖のせいか声が出ない。

喉が閉まっているというか、詰まらせているように声が出ないのだ。

 

 

 

 

「((交番……ッ……この辺民家も無いし……どうしよッ…))」

 

街灯すら疎らなこの土地。

ただでさえ暗く視界も悪い。

 

「ぅ……ッ……足痛い……」

 

右足首に激痛が走る。

恐らく先程軽トラから落下した時に挫いたらしい。右足で踏み込む度に激痛が走るも今は関係ない。とにかく逃げなければ――

 

「……そや!スマホ!……ウチどこやって…」

 

渚は物陰に潜むと必死に服のポケットに手を当てる。ジャケットのポケットにもスカートのポケットにもスマホは入っていない。

顔面蒼白状態で必死に探るも出てこない――

 

「((アカン…車ん中に鞄置きっぱや。あん中にスマホ…取りに行くしかない!…))」

 

 

スマホさえ手に入ればどうって事ない。

連絡さえとってしまえば大丈夫だ。

 

稲荷崎メンバーの誰か一人に……このことを伝えたらきっと大事にならずに済む。

 

「((ウチが悪い。……昔から気づいてたはずやのに……ウチがそのままにしとったのが悪いんや。))」

 

北の視線。

マネージャーをしていた時からそうだ。

1年の時、稲荷崎に入学したあの時、

侑と治と3人で"入部したいんですけどォ!"なんて意気揚々と突撃した時。

 

あの時に気づいていたじゃないか。

北の視線がいつも自分を捉えていたこと。

 

……今更……私がアカンかったんや――

 

 

「……ッ……」

 

息を殺して物陰から周辺を覗き込む。

暗闇に慣れた瞳は周辺を観察した。

蛙の鳴き声、秋の虫の音、山の木々が風に揺れる音。

 

それ以外は何も聴こえない。

 

「((……まさか北さんも車に戻るなんて思ってないはず。敷地の外に逃げるのが普通の判断……))」

 

"普通なら"直ぐに逃げて交番なり1番近くの民家に逃げ込むだろう。助けを求めるだろう。男に追われている、鉈を持っていると。

 

だが渚はその選択をするつもりは無かった。

 

「((この怪我も……コケたとか言って誤魔化せばええ。どうにか警察沙汰にはならんように…………できるだけ北さんが悪ならんように――))」

 

北が罰せられるのは嫌だった。

正しくない判断だとは分かっている。

だが仲間たちの悲しい顔が容易に想像出来る。

 

「…………っ……」

 

 

"今なら行ける"とゆっくりと足を踏み出す。足音で気づかれないようにヒールを脱ぎ捨てストッキングに覆われた脚で地面を踏み込む。

 

「((ッ……あった!ドアも開きっぱやし運がええ――))」

 

車両の助手席に手を伸ばし鞄を手に取った渚。しかしあるべき場所にスマホが無い。内ポケットに入れていたはずのスマホが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"見ぃつけた"」

 

 

 

背後から北の声が飛び込んだ。

"ヒュッ"とした呼吸音だけが喉から飛び出すと渚はガクガクと震え始める。

 

「……"やっぱ優しなあ。渚は"……

俺ん事考えて戻ってきてくれたんやろ?」

 

北の片手に握られたスマートフォン。

しかし画面は鈍器らしきもので割られたのか大きく凹み、使い物にならないことなど直ぐに分かる。

 

「な……やめっ……――」

 

 

 

 

 

渚が手を伸ばそうとしたその時、突然左頭部に衝撃が走った。鉈ではない別の棒状のもので左側から思いっきり殴られたのだ。

"ゴツン"と聞いた事のない音、ぐらりと視界は回転し平衡感覚がおかしくなる。

 

「…………」

 

渚は即意識を手放す。

北の足元に転がる渚の体。左頭部の皮膚が切れたのかじんわりと鮮血が滲み出していく。

 

「((…………おさ……む……))」

 

 

渚の左手薬指の指輪が光った。

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

「……昨日は濃紺のスカート履いとりました!こんくらいの膝下の!あとは……なんかこう……胸んとこにリボンついとるシャツ着とって……」

 

最寄りの大きな警察署の一室。

そこには治と角名の姿があった。

治は半ば取り乱しながらも警官たちに必死に妻である渚について口にする。

 

「髪は長いです!ちょっと茶色に染めとって……巻いておろしとりました!」

 

"音信不通、行方不明"

最愛の妻が帰ってこない。

 

「ちゃんと終電に間に合うて!  分の電車乗るて連絡来とるんです!!……ほら!LINEにそうきとります!!見てください!」

『旦那さん、ちょっと落ち着いて』

「お願いします!どうにか見つけてください!ウチの奥さんの事やから絶対なんかに巻き込まれとるんです!勝手に消えたりせえへんのです!」

 

ワナワナと震え必死に警官たちに縋る治。その傍らでは角名が治の肩を掴み、これ以上取り乱さないようにと必死に宥めていた。

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

「……治。侑も来るて。」

「…………ッ……なぎ……渚……」

 

聴取を終え警察署の待合で過ごすふたり。自販機横のベンチに腰をかけ、治は頭を抑え項垂れる。角名はスマホを片手に渚の幼なじみでもある侑にも連絡をとった。どうやら丁度大会を終え、こっちに戻ってこれるらしい。角名も渚の件が落ち着くまでここに残ると決めていた。

 

「それと昨日一緒に飲んでた渚の仕事仲間も来るみたいだし、何か分かるかもよ。」

「うっ…………ぐ……ッ……渚……ッ……」

 

悲痛と苦痛に歪む治の声。グシャリと掴まれた髪の毛は乱れ彼らしくない。結局あれから眠ることなく警察署で一夜をすごした。しかしこういう時、不思議と眠気が無い。ずっと覚醒しているような妙な感覚が治を苦しめる。

 

「……ね、ちょっと落ち着きなよ"おさ…"」

「落ち着けるわけないやろがァあ!!頭イっとんのかボケェ!!!」

「ッ!!」

 

警察署の通路に響く治の怒号、叫び。

角名は怒り狂う治を相手に恐怖さえ感じた。

 

「落ち着けって……ッ……治!」

「あぁん!?何でお前はそんなに平然としてられんねん!」

「痛ッ……」

 

「自分の嫁さんがおらんなって!!冷静でおれるわけないやろがい!!!」

 

治はやけに落ち着いた様子の角名に苛立っていた。そして角名の襟元に掴みかかると通りかかった警察官に必死に制止される。

 

「うっ……ぐ……渚……」

 

「治……ほんまに落ち着けって……!」

「やっぱり俺が職場の方まで迎えに行けば良かってん……ッ……俺のせいや……」

「…治。」

「角名……ッ……渚に何かあったらどないしよ……ッ」

 

らしくない治の涙。ポロポロと溢れる涙は止まることなく床を濡らす。

 

「怖い目に合ってへんかな……ッ……腹空かせて……ひとりでどっかにおるとか……」

「大丈夫だよ。警察も動いてくれてる。俺も侑も渚を探す。」

「なぎ……ッ……なぎっ……渚――」

 

治は角名から手を離しその場に膝を着くと絶望するように項垂れた。警官たちはそんな治を前に苦しげに眉を顰める。角名は治の傍にしゃがみこむと優しく背中を擦ることしか出来なかった。

 

 

┈┈┈┈

 

 

「……角名!」

「侑。」

 

ジャージ姿の侑がキャリーケースを引きながら現れる。まさにトンボ帰りと言うやつだろうか。試合を終えてそのまま新幹線に飛び乗ったと言っても過言ではないだろう。

 

「状況は!?渚はどこにおんねん!?」

「何も分からんって。スマホの位置情報とかもまだ時間がかかるらしいし、本当にまだ何も。」

「サムは?」

「話にならん。取り乱しまくって今は別の部屋にいるよ。疲れとるやろし、仮眠するように言ったんだけど……」

「…………まあ無理もないわな。渚が消えたって……」

 

侑は頭を抱え盛大なため息を漏らした。

例えようのない治の苦しみ。それは双子の侑はより理解していた。

 

「なあ侑。変なこと聞くけどさ、渚と治が喧嘩したとかは違うの?侑何も聞いてない?」

「なんも聞いてへん。サムと喧嘩したら絶対俺に連絡くるようになってたし。寧ろ関係は超良好やったと思うで。」

 

渚と治との仲は良好だ。

それは侑が"腹立つわ〜"なんて呟きたくなるほどに夫婦円満だった。

 

「そもそも渚は喧嘩したとて勝手何も言わず出ていくような奴ちゃう。寧ろ何かあったら解決するまで容赦なく攻め込むタイプやからな。」

「…………まあ、確かに。」

 

昔から渚は姉御基質だった。

たまたまお隣さんに双子がいて、たまたま幼馴染という存在になって――生意気で口が悪い双子に昔っから容赦ない対応をしていた渚。

喧嘩して泣かされるということは無く、寧ろ渚が双子を泣かせていた事の方が多い。それは成長しても変わらず。よく言い争いになっては涙目になった渚が"ええ加減にせんとあんたら双子大嫌いになるからな!"と学校の廊下に響き渡って沈黙が流れたこともある。

そんな渚がたかが喧嘩で消えたとしたなら余程のことだろう。だが治は全く身に覚えがない。ということは夫婦間では何も無いはずなのだ。

 

 

「なら仕事は?悩んでたとかは?」

「んー……渚は仕事好きやしなあ。聞いたことあらへん。」

 

侑は顎に手を添え考える姿勢を見せる。

脳内に残る渚との会話……どれもこれも特に問題はなく、仕事も楽しそうだった。

 

 

 

「…………悩み…………渚の悩み――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"最近誰かに見られとる気ぃする。"

 

 

 

 

 

 

「……角名。ちょっと気いなること合ったわ――」

 

侑は閃いたように目を見開いた。

渚が漏らしていた"あの言葉"。

もしあれが関係しているとするならば……

 

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

倉庫の扉が開く音。

そしてその更に奥に怪しい扉があった。

古びた南京錠で閉ざされた空間。

北は小鉢などが乗せられた盆を片手に農作業姿で現れた。

 

「――渚。」

 

優しい声で北は呼ぶ。

窓も何も無いコンクリートの冷たい部屋には渚の姿。古びた石油ストーブからは柔いオレンジの光。傍らには無造作に置かれた寝具。その上で渚は座り込んでいた。

 

 

「ほら。渚の好きな梅のおにぎりやで。」

「…………」

「食べ。」

「…………」

「もう3日も食べとらんやろ。食べんと死んでまう。」

「……らん」

「ん?」

「いらん!!」

 

渚は傍らにしゃがみこむ北の手を振り払った。その衝撃で皿に乗っていたおにぎりは転がり落ちる。

「はぁ……はぁ……ッ……はぁ……」

「少しこの部屋冷いな。ストーブ弱なっとる。」

「……帰して……」

「今日は少し畑見たら戻てくるから、それまでええ子に」

「はよ帰してください!!」

「晩飯は味噌汁作ったろな。渚の好きな白味噌の」

 

全く聞く耳を持たない北。

渚は咄嗟に声を張り上げた。

 

 

「狂っとる!!イカれとるッ!

 

 

…………ッう!」

 

そんな渚に容赦なく振るわれる暴力。

北の大きな手が渚の頬を張り手で叩くと恐怖と痛みで静まり返った。

 

「"帰さへんて。なんぼ言うたら分かるん。"」

 

薄闇に光る北の切れ長の瞳。

冷めきった声。本能的に逆らえないと体が危険信号を放つ。

 

 

「…北、さ…」

「ごめんな。俺もこないな事しとーない。」

 

打って変わって今度は大きな手が優しく頭を撫でる。数日前に殴られた左頭部の傷はジクジクとした痛みを放っていた。丁寧に巻かれた包帯には微かに血が滲む。

 

「……お願いしますッ……帰してください。……誰にも言いませんから……はよ帰らんと治が心配しますッ」

「渚はなんも心配せんでええよ?治には伝えとるし、暫く帰れんって。」

「そんな訳ないですよね!?嘘つかんでください!」

「……渚。」

「お願いします……お願いします!このままやと……北さんも……ッ」

 

訳の分からない北の発言の数々。治に伝えているわけなど無いだろう。こんな監禁まがいの事まで…有り得ない。

それに万が一ここに誰かが来て見つかったとしても……北は間違いなく咎められる。

 

 

「渚は聞き分けのええ子やったよな?」

「ぁ……あ……」

「ちゃんとできる。言うことちゃーんと聞けるええ子よな?」

 

さらに強くなる北の眼光。その目で見つめられると不思議と反論も何も出来なくなってしまう。

「バァちゃんも喜んどるで。渚が傍におってくれて、天国で笑とるわ。」

「北さん…ホンマにおかしいて……冗談ですよね?」

「ん?何が?」

「…何がて………ちょお待ってください!北さん!」

 

北はゆっくりと渚から離れる。

そしてストーブの火を手馴れた手つきで調節すると無垢な穏やな表情で微笑んだ。

 

「渚は…ずっとここにおってくれるよな。」

「……なに」

「だって渚は俺と一緒になってくれるって言っとったもんな。」

「何言って……うちそんなこと一言も――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

"北さんのおばあちゃん、お嫁に来てほしいなあって言っとったんです。"

 

"ウチはあないな立派な北さんには相応しゅうないです。もっとええ人がおりますって。"

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

北は口元に妖しげな弧を描いた。

それは渚も見たことがないほどに不気味な"嗤い"。

「……バァちゃんからその話聞いた時……ッ……嬉しかってん。」

「は……何……」

「謙遜せんでもええんやで?な?」

「意味……分からん……」

 

狂いすぎている。

ゾッと背筋に冷や汗が流れ、声も上手く発せられないほどに詰まってしまう。

 

「幸せになろな。」

「待ってッ!待って!!」

「ほな、行ってくるな?」

「ここから出して!!帰らして!!」

「……ああ、せや。渚は明日排卵日やったな。」

 

南京錠の鍵を片手に北はくるりと振り返った。

 

「俺と渚の子ぉ。……楽しみやんな。」

 

そして扉は閉ざされる。無機質な冷たい音が響くと渚は大きな声で叫んだのだった。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

雪が降り積ったとある日の夜――

 

 

 

 

「おお。治。」

「どうも北さん。ご無沙汰しとります。」

「久しぶりやな。」

 

玄関先に現れた治。

外には"おにぎり宮"の商用車が停められていた。扉を開けるとふわりと暖かい空気と北の優しい笑みが彼を迎えた。

"寒いからはよ入り"と部屋へと招き入れ炬燵が置かれた居間へとたどり着く。

 

「治、少し痩せたんちゃうか。飯はちゃんと食ってるんか。」

「ぼちぼちです。」

「店もやっと再開し始めたしなあ。」

「はい。やらんと食っていけへんし、常連さんも来てくれるんで。」

「…………」

「それに……渚が戻ってきた時……お店なくなっとったら悲しむと思うんで。」

「せやな。」

 

"お茶用意するから待っとき"と再び立ち上がると傍らのキッチンへと向かう北。その後ろ姿を治は見据えながらふたりは会話を続ける。

 

「そんで?渚の情報は?」

「なんも。……今んとこ。」

「もう"3ヶ月"になんねんな。警察もお手上げっちゅー事か。」

「………………はい。」

 

渚が消えて3ヶ月。

あれから全く進展はなく、警察の動きも鈍くなってきた。携帯の位置情報も何も見つけられず、街中の防犯カメラも何もかも役に立たなかった。巷では"可愛い奥さんが不倫でもして逃げた"とか"さすがにここまで経ってたら殺されてる"とか"おにぎり宮を経営するにあたって実はお金関連でいざこざがあって嫁さんが連れていかれた"のではないか――なんて、根も葉もない噂が独り歩きしている状況にまで発展してしまった。

 

しかも何故そんなことが広まったのかも全く意味不明だった。確かに"おにぎり宮"が経営安定するまでには時間がかかった。融資、借金……だがそこまで噂が立つようなことでは無い。それに一部の人間しか知らないような事だ。

 

 

人の恨みを買うような渚ではない。治もそうだ。"何かがおかしい"のだ。

 

「ほら、飲み。外寒かったやろ。」

「……ありがとうございます。すんません。」

「謝ることないやろ。」

 

ことん、と置かれた湯のみ。

北らしくない可愛らしいデザインの湯のみに治は口をつける。温かい緑茶が胃袋を温め、ほんの少し気が楽になった気がした。

 

 

そんな時、ふと治は対面側に腰を下ろした北の手元に視線を向ける。左手に巻かれた包帯。農作業をしていたら手元の怪我などは日常茶飯事だ。しかし今の季節は冬。包帯を巻くような怪我には発展しにくいはずなのだが。

 

「その手、どしたんです?」

「……ああ…"ちょっとなあ"。」

 

北は手に巻かれた包帯に視線を落とすと僅かに口元を緩ませた。

 

「最近、野良のメス猫が来んねんけど。餌あげたらエラい気に入ってくれてな。」

「猫?」

「おん。……ま、その猫が孕んどってな。そのせいか気が荒くてよお噛みつかれんねん。」

 

"困った困った"……そんなことを呑気に口にしながらも手元に向けられる視線は穏やかなものだった。寧ろ愛おしいだなんて感じてるようにも治には見て取れた。

 

「腹ん中に子供がおると猫も必死になんねんな。」

「…………」

「噛まれたり引っ掻かれると痛いんやけど……なんか愛らしゅうて……」

 

 

右手でそっと左手を撫でる北。

そしてそれを冷ややかな瞳で見据える治――

 

 

 

「……治。なんか手伝えることあったら言ってや。」

「…………」

「行方不明のビラも追加で今度持ってきてくれるか?知り合いの農家にももっと配りたいねん。」

「……はい。ありがとうございます。」

 

北の厚意に礼を述べる治。

そして空になった湯のみを机に戻す。

 

 

――刹那、治の目付きが変化する。

怒りや憎しみ、ありとあらゆる憎悪の塊をはらませていた。

 

 

 

「なあ……北さん。」

「ん?なんや?」

 

流れる空気、違和感。

ふたりの間に不穏な何かが流れる。

 

 

「北さん……なんか知っとりますよね?」

「は

「アンタから……渚の匂いがしよんです。」

 

治の冷たい視線と声色。

しかし北は全く動揺を見せない。

寧呑気に笑みを浮かべ頬を緩ませていた。

 

「ハハッ……なんやねん急に。」

「アンタ渚の事つけとりましたよね。」

「は?」

 

「渚の事。アンタずっと狙っとりましたよね。」

 

治は北を詰めるように言葉を発する。

 

「高校ん時"から。俺と渚が付き合う前から……渚を見る時の北さんの目ぇが違っとったのは俺も分かっとりました。」

「ほん。」

「俺と渚が結婚するて報告した時も、結婚式ん時も……妙な違和感に気づいとりました。」

「んで?」

「やから怪しんどりました。俺だけ……ずっと……誰にも言わんかったけど気づいとりました。」

 

治は誰にも言わなかった。

――言えなかった。

稲荷崎のメンバーはみんな北を信頼していた。

そして渚も同じく。北を信頼していたのは治も理解していた。だからこそ内に秘めていようと治は高校の時から胸に刻んでいた。

「」

「証拠あるんかい。」

「証拠あるんです。」

 

だからこそ掴まなければならなかった証拠。

治は茶封筒をダウンのから抜き出す。

 

「まだ警察が握っとらん証拠。……あるんですわ。」

 

茶封筒から抜き取られた一枚の写真。それは机に乱雑に投げ出される。

 

「……なんや。誰やコイツら。」

「よぉみてください。」

 

写真に写るのは複数の男女の写真。何やら飲み会の後なのか道のど真ん中で集合写真を撮っている様子だった。

 

「……角名と侑が調べてくれよって。」

 

その写真の奥に微かに車の影があった。

白い軽トラ。どこにでもあるような何ら変哲のない白い軽トラ。しかし見逃さなかった。

 

「"おにぎり宮"て。後部のナンバー横にステッカー貼っとるの。見えますよね?」

 

目を凝らさなければ気づかないようなもの。

しかし一際目立つステッカーだけは確認できる。

 

「ナンバーは歪んで見えんけどステッカーはハッキリ目視できる。……どう考えても北さんしか居らんやろ。」

 

この写真は角名が探してくれたものだった。SNSを屈指して、数ヶ月に及んで見つけたものだった。侑も同じく忙しい中、日々渚を見つけ出すために動いてくれていたのだった。

 

 

 

 

「…………」

 

北は写真を指で掴んだまま何も発さない。

無表情でじっと見つめるその顔は昔と何ら変わらない冷静沈着なもの。

その反面、治は必死に感情を抑えていた。頭に血が上るような感覚。反動で無意識に膝に置いていた両手に力が篭もる。

 

 

「北さん。渚はどこに…」

「"ほら、鍵や。"」

「…………は」

 

北は写真を机に戻し、ポケットから鍵を出すと治の前へと差し出す。

 

「隣のデカい倉庫の鍵。」

「……な……」

「奥に南京錠かけとるスペースがあってな。渚はそこにおるで。」

 

治は震える手で鍵を取る。

 

「((……なんや……エラいあっさり……))」

 

 

治は鍵を片手に走り出す。

乱雑に玄関の扉を開け、家から飛び出した。真っ白な雪は止まることなく降り続けていた。寒さなど忘れるほどに、今はとにかく渚の無事を祈るばかり。

 

 

┈┈┈

 

 

「なぎッ……渚!!」

 

倉庫には何度も足を踏み入れたことがあった。重機や農作業に必要なものが所狭しと並べられた大きな倉庫。しかしその奥に鍵のかかった部屋空間があるなんて治も知らなかったことだ。

 

凍えるような寒さの倉庫内。

治は白い息を吐きながら南京錠を開ける。

 

「……渚!!」

「……ん……"治"?」

 

懐かしい声がした。

愛おしい、可愛らしい渚の声が。

間違いなく自分の名を呼ぶ最愛の声。

 

「渚!俺や!治や!!」

「治!!治ぅ!」

 

上下グレーのスウェットに裸足。髪の毛は少し伸びた気がする。簡易的に取り付けられた電灯で確認できた渚の姿にホッと安堵した。

 

「よかった……渚……」

「うわぁああ……うぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

「帰ろ。はよ帰ろな。もう大丈夫や。」

 

幼子のように泣きじゃくる渚。優しく抱きとめると前よりも細くなった体に苦しげに眉を顰めた。しかし何か感じる異変。細っこい体のはずなのに渚の腹部が少しだけ膨らんでいる気がしたのだ。

 

 

 

「……とりあえずはよ帰ろな。」

「あの人はッ……あの人は!?」

「北さんの事なら気にせんでええから。もう終わりや……もうこれで終わ――」

 

刹那、治の背中に激痛が走る。

"ドッ"と何かが打ち込まれるような、尖った何かが背中に突き刺さる。

 

「ぁ……がっ……」

 

そして同時に目眩を起こした。目を回すような気分の悪い感覚と吐き気。胃液が腹から込み上げる不快感。

 

「ちと効きが遅くて焦ったわ。」

 

背後から迫る北の声。その片手には以前渚を追い詰めた鉈が握られていた。

治は直ぐに彼が落ち着きを放っていた理由を理解した。

 

「((……アカン……油断しとった……))」

「お前相手に手ェ抜くわけないやろ。喧嘩しても負けるからな。体格もちゃうし。」

 

治は鉄の臭いを感じた。

"ツーー"と鼻から垂れ落ちる血液。そしてそれは口からも漏れ出す。

 

「ンやねん……あの茶ん中に……なんか混ぜたな……?」

「おん。」

「……はっ……ゲスなことするやんけ……"あの北さん"が……」

 

北が混ぜていたのは農薬。人間が体内に入れると危険なものだった。

 

「治っ……!どないしたん!?治!!」

 

異変にパニックを起こす渚。

自分を抱きとめていた治の腕の力が弱まっていくことに気づく。

 

「治。お前はここで死ぬんや。」

「……は……」

「渚の前で。そしたら渚もやっと諦めるやろ。」

 

北は冷静に、全く惑うような気配も出さないまま静かに語り始める。

 

「俺の事孕んでも一向に懐かへん。腹は守るけど俺の事には見向きもせえへんくてな。」

「……アンタ……渚に何しとんじゃァ!」

「しゃあないやろ。俺の事愛してくれへんのやから。」

「あったりまえやろがァァァ!!アンタイカれとるわ!」

「んなら治殺せば諦めつくとおもてな。今日来るって決まった時から殺す気ぃでおったんや。」

 

北も北で分かっていた。

きっと治はいつか気づくだろうと。

 

 

 

「……ほら。次は頭狙うで。」

「ぐっ……」

「治!!!!」

 

薬物が治の体を犯していく。

もう渚を抱えて逃げることは不可能な程に力はなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「((……絶対……渚は生かすんや。))」

 

 

治は渚を部屋の外へと体全身の力を込めて投げ出す。

 

 

 

 

「――うあっ!」

 

渚は部屋の外へと突き飛ばされる。

そして大きく振りかぶっていた北は隙を突かれ治に覆いかぶされる形で部屋の中へと転がった。

 

「くっ!?」

「ははっ……まだ俺もやりますやろ?北さん……」

「退け!!退けぇや!!」

「あーアカン…めっちゃ背中痛い……わァッ!」

「んッ!?ぐあぁぁぁ!!」

「首刺さりました?痛そおやなあ、北さん。」

 

部屋の中で揉み合うふたり。

時たま悲鳴が聞こえると渚は怯えるようにその場に座り込んだ。

 

「ぁあ……あぁあ……」

 

怒りに塗れた治。

狂ってイカれた北。

ふたりは互いに傷つけ合い、今までの恨みや嫉妬をぶつけ合っていた。

 

 

 

 

「……あ……アカン……死んでまう……ッ……」

 

恐怖で腰が抜けて動けない。

そんな時、ガタガタと震える渚に治が声を上げた。

 

 

「はよ逃げえ!!」

「でもッ治!」

「俺ん事はええから!!ひたすら逃げえ!」

 

悲鳴に近いような叫びだった。

渚はそれに律されるように腰を持ち上げる。

 

「待てェ!逃がさへんでェ渚!!」

「行かせへん!!行かせへんからなァ!!」

「グッ……!!」

 

狂気に覆われた北はまさに悪魔のようだった。取り憑かれたように渚に手を伸ばすその姿は恐ろしい。しかし治は北を必死に押さえつける。

 

「ッ……おさ」

「振り向くなァ!走れ!!逃げえ!!」

「行くな渚!!戻て来い!!」

「戻て来んな!!俺も追いかけるからなあ!とにかく今、渚は逃げえ!!!」

 

「……ッ!!」

 

後ろ髪引かれる思いで渚は倉庫から飛び出した。外は真っ暗闇で雪の白さだけが不気味に光っている。

 

「はぁっ……はぁっ……ん、……ッ……はぁっ」

 

 

「((……治……治ッ……おさ、む……治っ!!))」

 

 

渚はとにかく走った。

治が投げ渡してくれたダウンを体に纏わせ、必死に必死に。無我夢中で道を走る。積もった白い雪に足を何度も取られそうにもなった、既に足は冷え切り感覚も無くなっていく。

 

 

「誰かぁ!!助けてください!!」

 

 

そして暫くして灯りのついた民家へと駆け込んだ。明らかに様子のおかしい渚に住民は大慌てで警察を呼び、直ぐに渚は救急車で搬送された。

 

『女の子が裸足で……』

『顔よォ見たら、殴られた痕もあったんです。』

『とにかくあん時は震えて震えて、パニックになっとって話もできんくて……』

『近くの北さんの所で閉じ込められとったって聞いた時はびっくりしましたわあ。』

 

 

 

 

 

『――あの"北さん"が』

 

『1年ちょっと前にお婆さん亡くされたとか……』

 

『少しあの人怖かったなあ。わろた顔はカッコええんやけど……』

 

 

 

 

『なんか裏があるような』

 

 

 

 

 

『途中から近所付き合いもなくなってきてなあ』

『ほんまなあ。めっきり見んよおになって……』

 

 

『でもたまに近くのスーパーで見かけた時』

 

 

 

 

 

『"笑てたんです。"』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

「なあ、治……」

「……ッ……」

 

血に塗れるふたり

 

「俺が死んでも……渚は戻て……こんからな。」

「はっ……何や……」

 

倒れ込むふたりは向かい合い、

最期の言葉を交わす。

 

 

「お前…………"俺だけやと思とるな"」

「……なに……言っとんや……」

 

治も力を失っていく。

 

 

 

「……ハハッ……もう"遅い"ねん……」

「……は……ぁ?」

 

北の瞳は真っ黒に染まっていく。

 

 

「お前の……敵は…………

…………俺だけや……な――」

 

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

――あの日から3日後

市内 総合病院にて――

 

 

┈┈┈

┈┈┈

 

 

 

『では今朝の最初のニュースはこちらです。』

 

いつも見ていたキー局の全国ニュース。有名な報道キャスターやゲストたちが深刻なニュースについて取り上げる。

 

画面に移るのはフリップや現場写真。

渚はベッドの上で気抜けた虚ろな表情を浮かべ、静かにテレビ画面をを見つめていた。

 

 

『――女性を拉致監禁」

『"北信介"容疑者と――』

『被害者女性の夫である"宮治"さん――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『2人の"死亡"が確認され――』

 

テレビ画面に映るキャスター達は皆深刻そうに眉を顰め、事件の内容を次々と口にする。

 

 

『いや〜驚きましたよね。私もこの事件はずっと気になっていたのですが……なかなか足取りが掴めないままでしたよね?』

『本当にびっくりです。警察の初動も疑われた事件に、漸く終止符が打たれた訳ですが……』

 

フリップに記された相関図。

北、治、渚――

そして名前は伏せられているが情報を掴んでくれていた角名や侑の事も書かれていた。

 

『宮治さんはあの有名な"おにぎり宮"の店主。そして双子の兄弟はバレーボール選手の宮侑さんなんですよね。』

『被害にあった奥様も同じ高校出身で、歪んだ恋愛関係といいますか……もしかしたら奥様も昔から容疑者と何かしらの関係があったと言われてますね。』

 

あの有名なバレーボール選手の宮侑の双子の兄弟の死。農家の中でも一目置かれていた北。その残酷な行為の数々。SNSや報道番組。色々なところで荒れ狂っていた。

 

根も葉もない噂。過去の話。

一部報道では過去春高に出場した時の映像なども流されていた。傍らで見守るマネージャーの渚。烏野に敗れた時の映像や、3年の時に宮ツインズが活躍した時の映像。報道局の食レポか何かの特集が組まれた時の"おにぎり宮"の映像まで――

 

『鑑識によると死体は酷く損傷していたとの事です。』

『これは第三者は全く関係が無いということでしょうか?』

『はい。現場の血痕や指紋から鑑みるに、お互いに傷つけあったとしか考えられないと言う事です。』

『いやー…奥様の心情を考えると……なんと言いますか……いたたまれませんね。』

 

『ですね。……では事件現場の農場から中継です。――』

 

渚はリモコンを手に取ると電源を落とす。

ゲストやキャスター達の言葉が胸に突き刺さり、それは根深く抜けることなく傷をさらに深くしていく。

 

 

 

「……治…………治…………ッ……」

 

渚は憔悴しきっていた。

最愛の夫を……治を失った現実に立ち直ることなどできない。

 

「うっ…………う……ぐぅ…………」

 

胸元を押さえ、ポロポロと涙を流す。

最後に治に抱きしめられた感覚、優しいにおい。優しい声。

 

「逝かんで…………戻てきて…………」

 

"どんなに願っても、治は戻ってこない"

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

その日の午後。

病室に面会者が現れた。

 

 

「なぎー。来たで。」

「渚。入るよ?」

 

優しいノック音と共に現れたふたり。

侑と角名だった。

 

「…………」

 

渚から返事は無かった。

ベッドに寝転んだまま窓の外を静かに見つめるばかり。5階の病室から見える程に外には報道陣が大勢立っていた。

 

「あーー!見んな見んな!マジであいつら全員ぶっ殺してやりたいわァ!」

「侑。ちょっと静かにしなよ。ここ病院。」

「うっさいわ!……マジでアイツら好き勝手言いよって……渚の気持ち考えぇや!カス!!」

 

窓を締め切るようにカーテンを乱雑に閉める侑。その傍ら、角名は呆れ口調でため息を漏らす。

 

 

「「…………」」

 

暫く沈黙が続くと侑と角名は傍らの椅子に腰掛ける。全く焦点の合わない渚の窶れた様子に上手く言葉が出なかった。

 

 

「なぎ。甘いもん買ってきたからな。」

「ねえ渚。何か欲しいものあったら言うてね?」

「俺も角名も暫くこっちにおるからな?お互いチームの了承は得とるし。」

「うん。絶対ひとりにしないよ。」

 

優しく声を掛ける侑と角名。しかし渚の表情は変わらず色彩は戻らず無表情だった。

 

「……あ、ごめん。電話。」

 

暫くして角名のスマホがバイブレーションで震えた。すると何やら外部の人間から電話が来たらしい。"ああ、はい。……そうですか。すぐ行きます"――そんな会話が数十秒続くと角名は席を立った。

 

「侑。俺担当刑事のとこ行ってくるわ。」

「え?今?」

「うん。急ぎで確認したいことあるって。院内におるらしいし、ちょっと行ってくるね。」

「おん。気ぃつけて。記者に声かけられても無視せえよ。」

「当たり前。」

「なんかあったら殴り飛ばしたれ。」

「しないよそこまでは。」

 

冷静に返す角名。

そして彼は病室から出ていく。

 

 

 

残されたふたり。

幼馴染のふたり。

幼少期から高校まで、治と殆ど同じ時間を過ごしていた幼馴染のふたり。

 

 

 

「…………渚。」

「なあ、治は?」

「……ツ……」

「サムはもうおらんのやで。」

「治は」

「やから、もうおらんて」

「治は」

「…なぎ。ちょお話し聞け……」

 

「"治は"」

 

渚の死んだ瞳が侑を捉えた。

真っ黒なモヤがかかっているような。完全に光を失った瞳の色をしていた。

 

 

「……サムは…………

……サム……サムは――」

 

侑は歯を食いしばり悲痛な表情を浮かべ項垂れた。しかし大きな侑の手は渚の手を優しく覆うように握りしめる。

 

 

……辛いよな。

大好きな旦那さん殺されて……

挙句の果てに腹ん中には旦那さん殺した殺人鬼の子供を孕んどるんやて。

 

サム……なんで逝ってしもたんや。

なんでひとりで北さん家行ったんや。

 

 

なんでや、……なんで?

俺は?なんで俺になんも言わへんかった?

 

渚の事、俺も大事に考えとった。

行方不明になってから俺も血眼になって情報かき集めた。

ムスビィのチームメンバーに心配されるくらい……俺も必死やった……

 

 

 

 

 

 

せやのに、なあ?

……渚……?何でなん

 

 

 

"治は?"

 

 

――なんやねん。マジで。

渚は昔からそうやった。

 

 

治知らん?

治!あ!おった!

治と今度デート行くねん!

治におにぎり作ってん!

 

 

 

"侑!聞いてほしいことあんねん!"

 

――ん?何?嬉しそうやなあ。

 

"治に告られてん!"

 

――おお!良かったやん!

 

 

 

 

ずーーーーっと

……渚の視線の先にはサムがおった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治治

 

 

 

 

 

"治"

 

 

 

いっつも治て言いよって。

 

同じ顔しとるやん?

声は少しちゃうけど似とるやろ?

俺の方が強いねんで。

バレーも活躍した。

アイツより稼ぎあるし、ええやんか。

 

サムより話もしよた

サムより傍におった

サムより気にかけとった

サムより一緒に帰って

サムよりバスでも隣の席座って

サムより一緒のクラスやったし

サムより一緒に昼飯も食った

 

 

 

サムより渚の事愛しとるよ

 

 

なあ、

 

 

 

なんでなん?

 

 

 

 

 

 

"…………サムがおらんかったら

……渚は俺のもんやったのに。"

 

 

 

 

 

 

 

 

「"ハッ……ははっ……俺イけるやん。"」

 

 

 

だって、あいつとDNA同じやもん。

 

 

 

 

 

「……渚。可哀想になあ……」

 

刹那、侑は渚を優しく抱きとめ

いつもと違う柔らかい口調で語りかける。

 

「大丈夫やで。」

「………ぁ…」

「俺がおるやろ?」

 

耳元で囁かれる言葉。

渚は驚いて目を見開くと慌てて体を引き剥がし侑を見上げた。

 

 

「……あつ、む……?」

「ちゃうよ。」

「え?……つむ……」

「よお見て見い。な?」

 

渚の瞳の色が変わっていく。

黒からさらに濃い漆黒へ。妖しげな光を帯びた漆黒に気味の悪い眼光を宿す。

 

「あ、え…………ぇ……?」

「渚」

 

 

 

その時、侑は乱暴に渚の髪の毛を後ろへ引くと鼻と鼻がくっつきそうな程に顔を近づけた。

 

 

 

 

 

 

 

「……"治?"」

 

 

 

 

渚がその名を呼んだ時。

侑は今までに無い程の高揚感に興奮していたのだった。

 

 

┈┈┈┈

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

 

「……ごめん2人とも。遅くな……

 

 

 

 

 

 

っ……え?」

 

 

数十分後、刑事と話を終えた角名が病室に戻ってきた。

しかし目の前の光景に角名は大きく目を見開き唖然と体を固まらせた。

 

 

「んはぁ……あ」

「ン……渚……」

 

熱く抱擁し、口付けを交わし合うふたり。

気味の悪い光景に角名は声を荒あげる。

 

 

「ちょ!何してんの!?」

 

角名の声に肩を揺らすふたり。

抱き合った体勢のまま視線をずらすと渚は顔を真っ赤にして手で顔をおおった。

 

 

「アカン!倫太郎に見られた!」

「……待って……どういうこと渚?」

 

「角名。久しぶりに会うたのに邪魔すんなやー。」

「ちょ……お前何言って……」

 

訳が分からなかった。

まるで現実世界とはかけ離れた気味の悪い目の前の全ての出来事に角名は手を震わせていた。

 

 

「倫太郎!なあ!治おったで!」

「……渚?」

「生きとる!生きとるやん!」

「ぇ、え?……なんの事……」

「治やて!」

 

興奮しきった渚の姿。

それは昔から変わらない天神乱漫で明るいもの。

つい先程まで憔悴仕切っていた姿からは想像できないほどの変わりようだった。

 

 

「おん。死んでへんで。」

「……は?」

 

口調が違う。

よくよく見ると雰囲気も違う。

 

……いや、待て待て。

侑だ。目の前にいるのは侑だ。

服装もムスビィのジャージ姿。髪色だって金髪だ。でも顔つきが違う。侑じゃない。

 

でも侑なんだ。

 

「渚……違うよ。」

「え?倫太郎……?」

「違う!それは治じゃなくて"あつ"」

 

 

 

「""角名""」

 

喉元を噛み切られるような、まるで殺されてしまうと錯覚するような"恐ろしく低い声"。

 

ブチ切れたときの侑の声。

それは全く変わっていなかった。

 

 

「……あつ、む……」

「何言うてんの?頭イカれたか?」

「待てて……お前……何する気や……」

「話合わせろや。殺すで。」

 

壁に追いやられる角名。

目の前に塞がる侑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は宮治やで。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺は気づいてた。

侑が治に抱いていた歪んだ気持ち。

 

仲のいい幼馴染3人組。

双子にいつも挟まれていた渚。

 

侑が渚に向けていた視線。

治に渚を取られた時の顔。

 

狂気

嫉妬

赫怒

 

それから幾度となく偽っていた侑の心情を……俺は気づいていたのに。

 

 

 

「俺のもんや。」

「……ダメだ、……ダメだって……」

「渚は誰にも渡さん。……俺のもんや。」

 

 

「……侑……」

 

 

「クククッ……ははははっ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"気づいた時にはもう遅い"

 

 

 

 

――fin

 


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