三人称視点です
捏造注意
01
少年がその男を見かけたのは、夏休みも終わりに近づいたとある朝のことだった。
その日彼はいつものように、幼馴染の家の前に向かっていた。
というのも少年は夏休み中、世話になっている先輩に家庭教師をしてもらうため、ことあるごとに幼馴染の家を訪れていた。
もちろん基本は少年の家で勉強を教わっている。しかし夏休み中、なにかと幼馴染が心配で、先輩に誘われるがままお邪魔していたのだ。
すると我の強い母親からお礼に実家から届いた菓子でも届けてこい、と自転車の籠に袋を詰められ、朝から追い出された。
そういうわけで大して遠くもない距離を自転車で走っていたのだが。
「…?」
その日はいつもと様子が違った。
見慣れた住宅街を尻目に角を曲がり、顔を上げると、幼馴染の家の前に見知らぬ青年が立っていたのである。
(お客さんか…?こんな朝早くから…?)
お客さんより先には入りにくいな、と思い、少年は自転車から降りて様子を伺った。
青年は少年から見ると随分大人びて見えた。しかしまだ大人には見えない、幼さを残した横顔をしていた。先輩の知り合いだろうかと、少年は思考する。
数分が過ぎた。ーーいつまで待っても男は家に入ろうとしない。それどころかインターフォンすら押していなかった。じっと表札を見つめて、なにかを思案しているようである。
「あの、」
少年は痺れを切らして、思わず男に話しかけた。
「ずっと家の前に立ってますけど、なにかご用ですか?」
「……この家の子供か?」
「いえ、違いますけど。ずっと家の前に立ってるので」
男はそうか、と言った後少し狼狽えたように考え込んだ。
「ああいや、その、猫が…」
「猫?」
「猫が…この家の敷地に迷い込んでないか…聞きたくてだな…」
「飼い猫ですか?」
「ああ、知人の飼い猫だ。三毛猫なんだが」
ほっと少年は一息吐いた。不審者ではなく、ただ猫探しをしている人だったようだと安心したのである。ーーこんな朝から家を抜け出してしまったのだろうか。
少年は口下手そうな青年を気遣って、自転車を駐車場の傍に立てかけながら声をかけた。
「知り合いの家なんで、俺が代わりに聞いてきますよ」
「悪いな。ところでこの苗字は…アメトリさん、でいいのか?」
「え?ああ、アマトリです」
「雨を取る、と書いてあまとりか。良い名前だな」
「はあ…じゃあ聞いてきますね」
少年が玄関ポーチを上がりインターフォンを押すと、はーい今開けますと聞き慣れた声が聞こえてきた。
しばらくも経たないうちに、玄関のドアを幼馴染が開けてくれた。
「朝早くに悪いな、千佳」
「ううん、おはよう。今日授業の日だったっけ?」
「いや、実はお菓子を届けに…ってその前に聞きたいことがあったんだった」
「聞きたいこと?」
「猫…三毛猫がこの家に迷い込んでないか聞きたいって人がいて」
「三毛猫?私は見てないけど…、裏庭のほう、見てこようか?」
「頼む」
「うん、ちょっと待っててね」
少年は菓子の袋を手渡し、色良い返事をしてくれた幼馴染にほっと息を吐いた。
彼女の兄だったら、いないの一言で終わりだったかもしれない。それだと飼い主も、探しているあの青年も納得できないだろう。
「探してくれるみたいです。よかったで…あれ?」
振り向くと、先ほどの男はどこにもいなかった。
(え、どこに行ったんだ…?)
どこにもいない、最初からいなかったみたいに。見渡す限り閑静な住宅街が広がるばかりである。
少年は戸惑った。猫を探して欲しいのではなかったのか。
「修くん、裏庭にはいなかったよ」
「あ、ああ」
「…どうしたの?」
「いや、猫を探してるって言ってた人が、どこにもいなくて…」
「そうなの?…あ」
幼馴染が、少年の背後を指さした。
「なにか置いてあるよ」
少年が指差された方を振り返ると、道路沿いに設置されたポストの上に、四角い小さな紙片がぽつりと置かれていた。
「なんだ?紙…?」
風が吹けば飛んでしまいそうで、少年は慌ててそれを手に取った。
「『猫の目撃情報の連絡がきたので急いで行きます。聞いてくれて感謝します』…?」
メモ帳の切れ端に走り書きで書かれたそれを読み上げる。
どうやら彼は少年が幼馴染と話している間に連絡がきて、猫を探しに行ってしまったらしい。
「よっぽど急いでたんだ。でも見つかりそうでよかったね、修くん」
「そうだな、千佳」
少年は紙をポケットにしまって、幼馴染に招かれるまま、雨取邸に足を踏み入れた。
猫を探していた青年のことは、そのまま忘れてしまった。
02
(なるほど、対象の名前は雨取千佳か)
織田作之助は、勿論立ち去ってなどいなかった。
護衛対象の名前と顔を確認するという仕事を無事に遂行していた。
彼は親切な少年がインターフォンを押している間に、密かにメモを置いてカメレオンで潜伏していたのである。
(名前と顔は確認できた。迅からは『小学生くらいの女の子、髪は肩より少し上』、としか聞いていなかったからな…)
偶然とはいえ、名前と顔を確認できたのは大きい収穫だ。家にいるのを確認できたのも。
なるべく早朝に出たし、迅の予知もあるとはいえ、身元不明、行動パターンも不明な少女の護衛は難しい。
(夏休みだから不規則な行動が多いだろう…どこの小学校か把握できると助かるんだが)
閑静な住宅街の中は人通りが少ない。見知らぬ男がいれば嫌でも目立ってしまう。カメレオン入れておいてよかったと、織田作は迅の予知に感謝した。
姿を消したまま待機していると、先ほどの眼鏡の少年が雨取家から出てきた。どうやら用事を終えたらしい。雨取千佳と二、三言話してから、駐車場につけた自転車に乗って帰っていく。
ーー玄関の壁にかけられた家族写真を見るに、雨取家は父、母、兄妹の四人家族。迅に言われた特徴に当てはまる子供は、雨取千佳以外にいないようだ。住所的にも特徴的にも、護衛対象は確定したといっていいだろう。
(……!)
対象に動きがあったのは昼時だった。
雨取邸から青年が出かけて行った。雨取千佳の兄だ。
それに続けて、雨取千佳が一人で家を出ていったのである。
(追いかけよう)
織田作はサンドイッチ(迅に渡された)片手に音もなく雨取を追いかけた。
彼女は慣れた様子でひとり街の中を歩き、人気のない…警戒区域に近い街中を通りーー寂れた神社にたどり着いた。
(一人遊びが好きなのか…?)
一定の距離をとりながら尾行していたが、雨取千佳はずっと一人だった。
本を読んだり、神社の軒下で宿題を広げたりと、家でもできるようなことはしている。
しかしその動きになんら目的を感じなかった。一人遊びを楽しんでいる様子もない。ーーこれではまるで、孤独になるのが目的のようではないか。
(…親御さんが心配しそうだな。…迅は『守らないとヤバいことになる』なんて曖昧な言い方をしていたが…この子の身に一体なにが起こるというのだろう)
夕方ごろになると、彼女は神社から帰路についた。
その足取りは慣れたもので、あの神社に何回も通っていることを感じさせた。
こんなことを毎日しているのなら、侵攻があった際危険な目に遭うという迅の予知にも納得である。警戒区域の近くをこんなにも無防備に歩いているのだから。
人気のない街中、淀みのない足向きの少女を、織田作之助はカメレオンを起動しながら尾行した。
すると雨取千佳は、突然ハッとしたように足を止めた。
織田作之助もおや、と足を止める。
彼女は、なにかに気付いたような態度であった。
『ゲート発生、ゲート発生』
直後、付近で大音量の警告放送が鳴り響いた。
織田作は死角でカメレオンを解除し、ホルスターから銃を引き抜く。
(近いな…。警戒区域内で収まりそうだが…
……!)
雨取千佳の様子を伺うと、彼女は警戒区域の方面に走り出していた。
(なにをやっているんだ…!?)
止めなくてはと体が動き出そうとするが、頭に迅の声が過ぎった。
『基本的に、護衛対象の動きを邪魔しないように注意してほしい。その子がトリオン兵に襲われそうになって、どうしようもないときだけ助ければいいから』
咄嗟に飛び出しそうになった足をぐっと堪え、織田作は警戒区域に走っていく護衛対象を追いかけ始めた。
雨取千佳が警戒区域に侵入すると、すでにトリオン兵…バムスターが獲物を探して徘徊していた。雨取は慣れた様子で廃屋の影に身を潜める。
織田作はバッグワームを着込み、雨取千佳に見えない位置取りを選びながら、いつでもバムスターの核を打ち抜けるよう、銃を構えた。
ーーバムスターは雨取千佳が隠れている塀の目と鼻の先にいた。いつ気づかれてもおかしくない。相手は捕獲対象のトリオンを計測しているのだから。
織田作の緊張が高まった、その時である。
(……は?)
バムスターが、雨取千佳を
そうとしか思えないような現象が起こった。
塀の後ろにいた彼女を見向きもせず、ぐるりと方向転換したのだ。
トリオン兵は、機械だ。生物のような見た目と動きをしていても、実際にはプログラムされた通りの合理的な動きをする。
ーートリオンが低い人間はトリオン器官だけを抜き、それ以外は攫う。
そのバムスターが雨取千佳を無視した。それは基本設計を無視した、非合理的な行動である。
(…どういうことだ…?)
迅の指示に従い、織田作はバムスターを倒しはしなかった。
そのうちバムスターは人間を求めて移動を始め、到着した付近の部隊が掃討を始めた。
雨取千佳は、戦闘が終わると、何事もなかったように帰路につき始める。
織田作はそれを冷静に追いかけながらも、頭の中では今起こった現象を理解できず、混乱していた。
門限があるのか、雨取千佳は日の明るい18時頃には帰宅した。ーーそれからは外に出る様子もない。
遅くとも18時に任務は終わるという迅の予知は、正しかったようである。
考えた末、織田作はそのようなサイドエフェクトなのではないか、という結論に至った。
未来予知ができる人間が二人もいるのだ。トリオン兵から身を隠せる人間もいるのではないだろうか…。そうだとしても、なぜ警戒区域に入るのかはわからないが…。
兎も角、織田作は彼女が襲われるような事態にならずにほっとした。
織田作は少し離れた場所で大人しくトリガーを解除した。
端末を確認すると、迅から見透かしたように『任務おつかれ。明日は鮭おにぎりだよ』と一報が入っていた。
暑い夏にぴったりな塩分多めのメニューのようだ。
織田作は苦笑して、『サンドイッチ美味かった。感謝する』と返信した。
ここから数日、まさか何回も彼女が同じことをして、肝を冷やすことになるとは思っていなかった。
03
朝から雨取千佳を監視し、帰宅するだけで数日が経ち、特に荒事に発展しないまま、夏休みが明けてしまった。
変わったことといえば任務のためとはいえ早朝に出ていく織田作を心配し、香取家が昼飯を用意してくれるようになったことくらいである。(2日目の弁当が本当に鮭握りだったため、織田作は驚愕した。)
片手間に食べれるものといえばおにぎりやサンドイッチ、ゼリー飲料ばかりだ。そのため織田作が一時的にカレー欠乏症に陥るトラブルはあった。
しかしながらそれに気づいた葉子が夕飯の肉じゃがにカレールゥをぶちこんだため、事なきを得た。
三門第一高校でも、新学期が始まった。
とはいえ織田作は始業式に参加できなかった。護衛対象の通う小学校を特定する必要があったためである。
始業式の日の調査の甲斐もあり、雨取千佳の通学路と小学校の特定に至った。
「少し楽になったんじゃない?四六時中一緒にいる必要なくなったわけだし」
迅はぼんち揚の袋の開け口を織田作に差し出しながら言った。
「午前中はお互い、学校があるからな」
ぼんち揚を一枚取り出しながら、織田作は淡々と返事をする。
雨取千佳も織田作之助も学生の身分だ。午前中は学校にいるため、守る必要はない。
始業式から数日、迅は昼休みになるとわざわざ咖喱パン片手に昼食に誘いにきた。曰く、長期任務の労いの気持ちらしい。
夏休み中も任務終わりに食事に誘われたりした。要するに労い兼任務の進捗確認がしたいのだろう。
先輩からの奢りをありがたく享受し、咖喱パンの袋を開け、いつも通り迅に尋ねた。
「侵攻の期日はいつになりそうだ?」
「1週間以内ってところかな。仕掛けてくるのは夕方から夜にかけて。織田作なら大丈夫だとは思うけど…ま、用心しろよ」
期日が近づくにつれ、迅の予知も正確になってきたらしい。
この任務も最大1週間で終わりのようだ。
「昼飯ありがとう。行ってくる」
特別早退する旨はボーダー側から伝えてある。織田作之助はその場で換装し、屋上のフェンスを飛び越えて目的地へと向かった。
一瞬後ろを振り返ると、迅が菓子の袋片手に手を振っていた。
*
その時、影浦雅人は偶然窓の外を眺めていた。
北添と弁当片手に駄弁っている最中のことである。
「ア?」
青い空を、見覚えのある赤毛が飛んでいった。
「おい、ゾエ」
「なあに〜?唐揚げなら、もうあげないよ」
「ちっげーよ。織田作の野郎、今日も防衛任務なのか?」
「え?そうなの?」
ほら、と影浦が親指を差し向けると、住宅街の屋根から屋根を、人影が飛び移っていた。
「もう遠すぎて見えないよ〜。ホントに織田作だったの?」
「おう。間違いねえ」
「最近、早退多いよね〜。本部でも見ないし」
「……チッ」
織田作は夏休みの途中から本部で姿を見なくなった。しばらくランク戦もできていない。
ボーダーは学生が多い。そのため、始業式からこんなに過密なシフトを高校生相手に組んでいるとは思えない。
ーーということは、なにかしらの仕事を任されているのだろうか。
「織田作も防衛任務なら、今日、会えるかもね〜。ゾエさんたちも今日、早退だし」
「だといーけどな」
マスクを引き上げながら、影浦は仁礼を迎えに行くため歩き出す。北添は慌てて残りの米をかきこみ、後を追いかけた。
防衛任務は18時まで。
影浦は一応、時間と場所を端末で送信した。
04
一方、織田作之助は順調に護衛を続けていた。ここ数日で定まったルーティンである。
学校から出てくる雨取を見つけ、潜伏しながら追いかける。
雨取は帰宅するや否や家を飛び出し、寂れた神社に向かう。
そこで宿題をやったり本を読んだりーー普段から変わった様子はない。
織田作には一つ疑問があった。
雨取はトリオン兵から隠れることができるというスキルを持っている。なのにどうして、侵攻の際に危険な目に遭うというのだろう、ということだ。
ここ数週間、トリオン兵のほとんどは彼女の捕捉に失敗している。それなのに、よりによって侵攻の際にだけ、どうして危険な目に遭うのか。
そもそも彼女はなぜ警報が鳴ると警戒区域に踏み入るのか。それもわからない。
自殺志願者の割には隠れるのに積極的すぎるし、スリルを味わいたいだけの輩にも見えない。
(なにか目的があるんだろう…だが、それを探るのは護衛の仕事じゃないな)
考え込みすぎると戦闘に集中できなくなる。
西陽が傾いてきた辺りで宿題を終えたのか、雨取は神社の階段を下っていく。
織田作は身を潜めながら後をつけた。
警戒区域近くの街中に着いたときである。
(……!警報か。)
雨取がハッとしたかのように走り出した。
その直後、聞き慣れた警報音が鳴り響く。
『ゲート発生、ゲート発生』
『誤差 7.12』
『付近の皆様は、ご注意ください』
警戒区域の中に入っていく少女を追いかけ、織田作は素早くカメレオンを解除し、廃屋の屋根に上がる。
そのときに気がついた。
(なんだ、この
ボーダー本部付近から警戒区域スレスレの場所まで、普段の量の倍以上、黒い門が一斉に開いていたのだ。
(もしかして今日なのか、侵攻は…!)
雨取も出てきた門の量に驚いた顔をする。
しかし彼女が逃げ出す時間はもうなかった。
ーーモールモッドとバムスターが門から降りたち、人間を探して蠢き始める。
突然降って湧いた大量のトリオン兵に、雨取は怯えた顔をしたが、しかし冷静な様子で、建物の陰に身を潜め始めた。
(ーーいつも通りだ。トリオン兵たちは雨取を捕捉できないでいる)
雨取はうまく隠れられている。とはいえ、それでも敵の数が多すぎる。
拳銃を構えた腕に、不思議と力が籠った。
モールモッドが、無事に進行方向を変えた時である。
ピリリリリ、ピリリリリ、
無機質な電子音が鳴り響いた。
(……アラーム音?携帯端末か!)
それは、雨取千佳のポケットに入っていた子供用の携帯であった。
突然の電子音に、モールモッドがぴたりと足を止める。ぐるりと方向転換し、雨取千佳の隠れている建物に向かおうとした。
雨取は必死に携帯の音を止めようとしていた。震える手で、必死になってボタンを押しこむ。
下を向いていた彼女の顔に、大きな影がかかった。
「ひ、あ…」
小さな悲鳴が上がる。力が抜けたのか、手から携帯が滑り落ちた。
そこには、彼女の目の前には、モールモッドが聳え立ち、大きく口を開けていた。
震えるまま、衝撃に備えるように、雨取千佳はぎゅっと目を閉じた。
『 ハウンド 』
衝撃は訪れなかった。
音もなく飛んできたハウンドが、モールモッドの核にまともに激突したからだ。
核から大量のトリオンを漏らしながら、轟音と共にその体躯が崩れ落ちる。
雨取側にトリオン兵が倒れてこないよう、織田作はもう片方の手で
「ぇ…?」
雨取が呆然と顔を上げる。
彼女からすると、目を開けたら襲い掛からんばかりだった近界民が、道路標識に押し潰されていた、という珍妙な光景に見えたのだ。
しばらくぽかんとしていたが、ハッとして逃げ出そうと反対側…西側に走り始める。
(どうするか…。
西側の通りもトリオン兵が多い。彼女に気づかれないように倒せるか…?)
織田作が思案しながら移動する。
迅にはバレないようにしろとの
彼女を守っていることがバレてはいけないし、顔を見られるなんてことはあってはならない。
(目の前で倒せば銃声で位置がバレる。だがこの量をハウンドだけで殺し尽くすのは無理だな)
織田作がひとまず凌がなくてはと、ハウンドを出そうと手のひらを構えたとき
【突然近くの廃屋が爆発する。風圧と共に白いビニール袋が顔に張り付く。そのままハウンドが誘爆して緊急脱出する】
そんな未来が突発的に見えた。
ハッとして顔を上げる。空に弧を描くようにメテオラが飛来していた。
ハウンドを出すのを中止し、爆発と共に瓦礫を回避する。顔付近に飛んできたビニール袋も、左手でキャッチした。
(近くに隊員がいたのか…しかもこれは)
『北添、影浦、近くにいるか』
『ア!?』
『オダサク!?いるの!?』
『西側の屋根の上だ』
内部通信を飛ばすと、予想通り、影浦と北添の声が響いた。
そういえば端末に防衛任務の予定だと送られてきていた。ーーこれは使える。
『今のは北添のメテオラか?』
『そーだよ。レーダー見て適当撃ちだけど。トリオン兵、こっち集まってきた〜』
どうやらトリオン兵の注目を集めるためのメテオラだったらしい。
織田作は雨取に張り付いて走りながら、影浦隊のオペレーター、仁礼光に通信する。
『仁礼、聞こえるか』
『ん?なんだ、織田作か?』
『俺の進行方向にモールモッド3体とバムスター2体がいる。そいつをレーダー上でマークしてくれ。優先的に倒してほしい。大通りを挟んでここから2本西の通りにいる奴だ』
『おー。カゲ、ゾエ、光さんがレーダーにマークつけてやったぞ』
『織田作、だいじょぶ?ゾエさん、狙い適当よ?』
『問題ない。こちらに被弾しそうなら空中で落とす』
次の瞬間、北添のメテオラが山なりに西の通りに飛んでいった。
雨取千佳に当たりそうになるのが視えたものは、先んじてハウンドと拳銃で撃ち落としておく。
『おい。西のにかまけてると東っ
影浦の声に背後をちらりと見やる。警戒区域の外に出ようと蠢くトリオン兵たちが見えた。
『影浦。俺は東側に向かえない。悪いが頼めるか』
『アア!?行けねえってどーゆーこった!?』
『説明してる時間はない。北添、西側に
『了解!』
西側にメテオラが飛来していく。
激しい音と閃光を避け、雨取千佳は織田作が誘導したい方向に無事走り出した。
敵の層が薄く、比較的安全な道だ。
(二人のおかげで俺の存在はバレていない。警戒区域さえ抜けてくれれば安全だ。
……!)
そううまくはいかない。雨取の進行方向に、モールモッドが一体いるのが確認できた。
彼女を逃すには倒すしかないが、北添と影浦の援護はもう難しい。バレないように倒すのはもっと難しい。
(仮にも戦闘用トリオン兵だ。近づいて倒したいところだが…ん?)
ふと、先ほどキャッチしてそのままにしていた
捨てるのもどうかと思い、ポケットに突っ込んだ
(仕方ないか)
*
雨取千佳は走っていた。
息を乱しながらも、涙目になりながらも、彼女は冷静だった。
近界民から逃げるという稀有な体験に慣れていたからだ。
ボーダーができる、ずっと前から。
近界民に狙われる自分のせいで、他の人を巻き込みたくない一心だった。だから警戒区域に入って自分を空っぽにし、一人逃げ続ける日々を送っていた。
だけど今日は、いつもと様子が違った。
まず近界民の数が多かった。次に携帯を鳴らして、気づかれてしまった。
幸い逃げ出すことはできたけれど、今日こそは捕まってしまうかもしれない。
ボーダーの人だろうか、大きな爆撃音が断続的に響く。その方向を避けながら、警戒区域の外を目指して走った。
(怖い、自業自得のはずなのに)
袖で汗なのか涙なのかわからないものを拭う。
走っているうちに、有刺鉄線の張られたフェンスが見えてきて、ほっと息を吐いた。
しかし…。
「あ…」
尖った鉤爪の、大きな近界民。それが一体いた。
体が凍りつく。
あそこにいては逃げられない。他の道を探すしかないだろうか。だけど、こっちに近づいてきている。
(落ち着いて、隠れなきゃ。心を空にして…)
物陰に隠れ、目を閉じる。
このままやり過ごせばいい。大丈夫だ。いつもやっていることなのだから。
近界民がいなくなったら、逃げればいいのだ。
(どうしよう、心臓がドキドキする)
動揺しているせいだろうか、いつものようにできない。
焦りがさらに鼓動を加速させる。
どうしよう、近界民の不気味な足音が、すぐ近くに迫っているーー。
ドン、ドン、と続けて二回、破裂音がした。
続いて重いものが倒れるような、地震のような衝撃で、地面が揺れた。
「え…?」
恐る恐る、角から顔をだす。
驚くべきことに、近界民が、活動を停止していた。
目玉のような機関に穴が空いて、黒い煙が漏れ出している。
煙に紛れて、巨体の前に誰か立っているのが見えた。ボーダーの人だろうか、銃を片手に持っている。
あの人が倒してくれたのだろうか。
(……?)
よく見ると、その人は何故か、
白いビニール袋は、風に吹かれてゆらゆら持ち手が揺れている。
(な、なんで…?)
その疑問に答える人はもちろんいない。
その風貌のおかしなボーダー隊員らしき人物は、こちらに見向きもせず、銃片手に立ち去ってしまった。
(と、とにかく逃げよう…)
おかしなことはあったが、雨取千佳は警戒区域を抜け、無事帰路に着くことができたのであった。
05
無事、18時までに家にたどり着いた雨取千佳を見やり、織田作之助はほっと息を吐いた。
長かった護衛任務が、無事終了したのである。
その足で警戒区域まで戻りながら、織田作は迅に通信した。
『迅、護衛対象の帰還を確認した。トリオン兵の掃討に加わって大丈夫か』
『おつかれ〜。もう終わりかけだよ。トリオン残量大丈夫?』
『影浦隊に色々投げっぱなしにしてしまったから、援護してくるだけだ』
たどり着いた時には本当に終わりかけで、あんなにいたトリオン兵も数えるほどしかいなかった。
影浦隊のアシストに徹しているうちに、危なげなく侵攻は終わってしまった。
察しがよいのか、3人は文句を言いながらもなにをしていたのか聞きはしなかった。
「あ」
最後に撃ち漏らしがないか見回りをしていた際のことである。
織田作之助は思わぬ忘れ物を見つけてしまった。
「…………、仕方ない、行くか」
少し迷った末、織田作は
*
予想はしていたことだが、雨取千佳は家に帰ってから親にこってり怒られた。
擦り傷だらけ、埃まみれで帰宅。携帯すら失くしているのだから。
(無闇に警戒区域に入るのは、もうやめよう……他の人を巻き込みそうな時だけにしよう…)
あんなに危険な目に遭うのは【久しぶり】だった。
ボーダーの人がいなかったらどうなっていたことだろう。結局、迷惑をかけてばかりだなんて。
「千佳。入るぞ」
「兄さん?」
落ち込んだ千佳の耳に、歳の離れた兄の声が入ってきた。
どうぞと返事をすると、外側からドアを開けられる。
どうやら兄は今帰ってきたらしい。外出着のままだった。
「どうしたの?」
「お前の携帯を届けにきたんだ。玄関のとこに落としていたぞ」
「……え!?」
手渡されたそれは、警戒区域で落としたはずの、携帯電話だった。
ここにあるはずがないものだ。
動揺しながらも、千佳はそのまま携帯を受け取ってしまった。
「地面に落としたのか?液晶がすごいことになってたぞ。…来年からは中学生になるし、買い換えたほうがいいかもな」
「あ…うん」
用はそれだけだったらしい、兄はすぐに出て行った。
子供用携帯の液晶は、見る影もなくヒビが入っていた。
確かに落としたが、それだけではない。近界民に襲われた際、瓦礫に押し潰されたりしただろう。形が綺麗に残っているだけで奇跡である。
かろうじて電源は入る。しかし画面が滅茶苦茶だ。これではもう操作はできない。
それにしても…
「誰かが、届けてくれたのかな…」
警戒区域で落としたところを、誰か見ていたのだろうか。
(もしかして、ボーダーの人かな…あの、ビニールの…)
そんな結論が出ないことを考えながら、雨取千佳は壊れた携帯電話を、机の引き出しにしまっておいた。
雨取ちゃんは自分を空っぽにするのに慣れていたっぽいので、今まで何回も警戒区域に侵入していたのではないか、と思って書いた