「うぐぅ!?」
霧から抜けた先で、篠澤は盛大にお尻を地面に打ち付けてしまい、その衝撃で喉の奥から呻きが漏れてしまう。
涙目になりながら辺りの様子を伺おうとした時、後ろから焦った声が響いた。
「篠澤!?」
「その声、先生?」
慣れ親しんだ担任教師の声に篠澤が振り向く。
「すぐに逃げろ!!」
その相澤の声は、既に一歩遅かった。
「これがアイツの言ってた奴か」
「ッ、う……あ」
ガシリと無遠慮にその細い首を掴まれ気道が狭まる。
掴んできたのはガサガサに乾燥した肌触りの悪い手で、その腕の先には広場に佇んでいた全身にアクセサリーのように他人の手を貼り付けていたヴィランが立っていた。
「ぐ……ぅ!?」
グイっと首を支点に無理矢理立たされ、そのまま篠澤の両足は宙を浮く。
か細い力で手足を振るうも、その骨の浮く手足では暴れるペット程の力も出せておらず、無駄な抵抗を咎めるために相手が力を強くするだけだった。
「そいつを離せ!」
「おいおい、口の聞き方に気をつけろよヒーロー。大事な教え子が傷ついちまうぞ?」
ヴィランはニヤニヤと笑いながら、苦しむ篠澤を見せつけるようにその顔を相澤の方へ向け抱き抱える。
「さあ改めて挨拶といこうかヒーロー。俺の名前は死柄木弔、この度はオールマイトを殺すために来てやったところだ」
「随分と間抜けな自首だな」
「おいおいおいおい、お前耳が腐ってんのか? 俺は口の聞き方に気をつけろって言ったんだぜ?」
「あ、がッ……」
「篠澤!!」
強まる握力に首の骨がミシミシと音を立てて軋み徐々に篠澤の気道が潰れていき息が出来なくなる。
数秒が経過し、ただでさえ白い篠澤の顔色から血の気が薄まり更に青白くなり始めた時、ようやくその力が弱まった。
「ん?」
「ッ、けほっ」
「おっと危ねぇ危ねぇ、殺しちまうとこだったぜ。なあガキ、酷いと思わねぇか? お前がこんな苦しい目に遭うのもあそこにいるヒーローのせいだぜ」
「ッ!」
これ見よがしに相澤を指差しケラケラと笑う死殻木に、相澤は思わず口をついて出そうになる反論を飲み込んだ。
死柄木は先程、一時の感情の起伏で間違いなく篠澤を殺す気だった。何かを思い出すかのような素振りが無ければ、篠澤はその首を折られていただろう。
人質。それはヒーローにとってどんな強力な個性よりも足を止めさせる理由になる最強の盾なのだ。
「それじゃ話の続きといこうか……こうして俺達は遥々とオールマイト抹殺のために来てやったのに、なんと此処には肝心のオールマイトが居ない。授業計画書に書いてあったのにどうなってんだよ。一流のヒーローは遅刻も許されるってのか? まったくいいご身分だなぁ」
「……先日のマスコミの件はお前の仕業だったか」
「なんの話だ? 俺は入れなくて困ってた奴のために親切心で門を開けてやっただけぜ。ほら、ヒーローの大好きな奉公精神って奴だ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら軽薄な声色は続く。
「ヒーローが人の為に個性を使うのが許されて俺達が許されないなんて、これは歴とした差別じゃないか! 俺はさ、そんな社会に警鐘をあげたいんだよ」
「……破綻者め」
「あひゃひゃ、そんなこと言われたら悲しいぜ!」
何が可笑しかったのか大口を開けて笑う死柄木の姿になんとか隙を伺おうとする相澤だったが、右手を僅かに捕縛布へかけた瞬間その笑い声が消えた。
死柄木の瞳が、顔に張り付けられた人の手の隙間からぎょろりと覗く。
「おい、変な動きすんなよ」
「……」
「俺の個性は崩壊だ、この五指で触れたものを全て塵に変える。岩だろうが鉄だろうが……人だろうがな」
死柄木が篠澤の首を絞める『あえて中指だけを触れていない』手をわざとらしく動かし、ピトリとその指を篠澤に触れさせた。
「ッ!?」
「そうだ必死に個性を使えよイレイザーヘッド、瞬き一つでもしようもんならコイツの首は塵になっちまうぞ」
「お前ッ!」
「おっと、動けばこのガキをくびり殺すぞ」
「この! 離、して!」
「離させてみるんだなガキ……さあ、どうしたヒーロー、このガキを救って見せろよ!!」
篠澤は逃げられない。
相澤は動けない。
ヴィランはただ笑う。
まさに絶体絶命のピンチ。
そんな瞬間を救ってくれるヒーローの姿は、いまだ
「篠澤ちゃんを離せぇぇぇぇぇぇ!!」
「は? ぐぁ!?」
何もない空中から声がしたと思えば、死柄木がまるで何かに殴り飛ばされるかのように吹き飛ばされる。
突然の出来事に思わず緩んだ拘束を篠澤が必死に振り払うと同時に、彼女は何かに引き寄せられた。
「ごめんね篠澤ちゃん。助けるの遅くなった!」
「……透」
葉隠透。個性は透明化。
彼女は篠澤と共にワープさせられた後、息を殺して密かに隙を窺っていたのだ。
「何処にいるのか全然わからなかった、よ」
「へへーん、コレが私の必殺『完全ステルスモード』だよ!」
葉隠はその個性を最大限に発揮する為、ワープ後に迷わず唯一の装備である手袋と靴を脱ぎ捨てていた。
何一つ身に纏わぬその身は興奮からか恐怖からか僅かに震えているのを篠澤は感じ取り、ただぎゅっと強く抱きしめた。
「ありがと、ね。ヒーロー」
「えへへ、このヒーロー葉隠にお任せあれってね!」
彼女の表情を見る事は叶わないが、きっとそれは太陽のように輝かしい笑顔なのだろう。
「葉隠。助かった、があまり無茶はしてくれるなよ」
「あ、相澤先生!」
彼女達と死柄木との間を遮るように相澤が体を滑り込ませると、二人にすぐに離れるよう指示を出す。
油断なく相手を見据える鋭い視線の先には今にも起き上がろうとしている死柄木の姿があった。
「クソッ! 黒霧の奴、余計な奴までワープさせやがってあの無能が!」
「お前は篠澤を連れて速く13号の方へ向かえ。俺はコイツをどうにかする」
「わかりました!」
警戒を怠り、たかが学生に隙を晒した自分は棚に上げて罵倒を繰り出す死柄木を他所に二人は迅速に会話し行動に移す。
「よし、行こう篠澤ちゃん!」
「うん」
周囲のヴィラン達は既に相沢の手によってほとんどが戦闘不能に陥っている。あとは入り口の門周辺に居るであろう13号の元へ向かうだけだ。
篠澤と葉隠の二人が、手を取って駆け出していく。
「逃がすわけねぇだろうが!」
「お前の相手は俺だ」
追いかけて来ようとする死柄木の前に相沢が立ち、この場を絶対に通さないと相手を睨みつける。
「ちっ、ヒーローってやつはどいつもこいつもウザってぇ……」
「大人しく捕まってもらうぞ、お前にはいろいろと聞きたいことがあるんでな」
「もう勝った気か? そりゃ考えが甘いなイレイザーヘッド」
そのどす黒い瞳は未だに笑みを浮かべていた。
「本命は俺じゃない」
「なに?」
「そいつを捕まえろ、脳無!!」
死柄木が叫ぶと同時に生温い風が吹いた。
それは、もはや本能と呼べるものだった。もしかしたらこの場所で最も弱い篠澤だからこそ感じ取れたのかもしれない。
圧倒的な死の予感と同時に篠澤は全力で葉隠を突き飛ばす……のだが葉隠はよろめく程度で済み、篠澤が反動で転んでしまうのだった。
「うわっと! どうしたの篠澤ちゃん?」
「透、逃げて!」
黒い影が現れた。
「ぐぅ!?」
「篠澤ちゃん!!」
大きな手のひら一つが、まるでオモチャの人形のように篠澤の体を掴んだ。
現れた影は3mはゆうに越す身長に、オールマイトにも劣らぬ筋骨隆々の肉体を持っており。その全身は黒く光沢のない死人のような皮膚に包まれていて生気を感じさせない。
何より特徴的なのは、その頭部から見える剥き出しになった脳みそだ。
その全貌は、まるでヒーローショーに出てくる怪人。
もはや異形系の個性すらも通り越した、文字通りの怪物がそこに居た。
「この、篠澤ちゃんを離して!」
「だ、駄目……透」
葉隠がすぐさま殴りかかるも、個性を抜けば少し身体能力の優れた女子高生に過ぎない彼女の力では、怪人にとって戯れ付く子猫のようなもの。まるで何もないかの如く無視されてしまう。
そして当の怪人は捉えた獲物を逃さないようただ片手を少し強く握る。
……ボキリと嫌な音が辺りに響いた。
「ッ、あぁぁぁぁぁあぁああ!!」
「篠澤!?」
「相手から目を逸らすのは悪手だなぁ、イレイザーヘッド」
相澤が篠澤の悲鳴に思わず振り向いた瞬間、死柄木がすかさず間合いを詰めその手で相澤の肩を掴む。
瞬く間に掴まれた場所の服は塵となりその侵食が肌に及ぶ直前、何とか相澤の個性の発動が間に合い崩壊が止めることが出来た。
「ッ、クソ!」
「おっと」
体を捻り拳を相手に叩き込もうとするも、軽い調子で躱される。
「残念だったなぁ、せっかくのチャンスだったのに。でも俺に感謝するべきだぜ。もし俺に何かあったら、そこのガキがトマトみたいになっちまってたところだ!」
「クッ!」
「形勢逆転だなイレイザー」
まるで少年が遊びの中で秘密兵器を出した時のような優越感。
その勝利の余韻を全身に浴びるように、死柄木は両手を劇の主演のように広げて笑う。
「くだらねぇ伏兵もバレて、人質を取られて、どうするよヒーロー。次は増援でも呼んでみるか?」
「……」
「出来ねぇよなぁ! もうお前は何もできない……それとも、そこのガキを見捨てて逃げるか? 俺は寛大だからな、許してやるぜイレイザー」
「……」
「何とか言ってくれよ、寂しくなるじゃねぇか!」
死柄木は、ただ「ギャハハ」と相手の心を踏み躙りながら笑う。
だが相澤にできる事は何もない。あらゆる可能性からこの場を切り抜ける方法を考えるも、個性を消すという個性はこの場において無個性と同義。
もはや時計の針が止まる事を祈る事しか出来なかった。
どれくらいが経っただろうか、やがて嗤うことに飽きたのか音がピタリと止む。そして、死柄木はしゃがれたその声でたった一言を呟いた。
「やれ、脳無」
言葉と共に、無慈悲にもグシャリと肉の潰れる音が広場に反響した。