星暦八七六年七月、さらに細かい日付ではアンファウグリア旅団の編成完結式が執り行われた七月四日から数日後の話。
闇エルフがゆえなくして故郷を追われたと全世界に知らしめられてから数日後の話だ。
アンファウグリア旅団旅団長のディネルース・アンダリエル少将が国王官邸で部下達へ警護の指導をしていたある日、副官部のミュフリング少佐からお呼び出しがされた。―――なんでもすぐ執務室へ来てほしいとか。
それで訪ねてみればグスタフが困った顔をして迎え、その隣にはいつもの野盗顔でありながら器用にも困った顔もしている外務大臣のクレメンス・ビューローもいた。
「来たな。少将」
「はい、我が王」
ディネルースを迎えたグスタフは早々に本題を切り出した。
「早速だが、ホルステナ・フルーベルとカルラ・ハーマセンという名に聞き覚えはないか?白エルフなんだが」
それに対してディネルースが示した反応は明瞭だった。
「知っている!よく知っているとも!ホルステナ・フルーベル、エルフィンド陸軍の大佐で、そう、あいつは白エルフだが良い奴だ。 ああ、カルラ・ハーマセンはその副官だったはずです」
「ふむ、……どんな奴だ?君が白エルフを話題にして悪感情を示さない、それどころか良い奴と言うのも珍しいが」
「ええ、それというのも、 ホルステナを含め将校辺りより上のエルフィンド軍人という奴はそもそもとして闇エルフへの差別意識の薄い者、無い者がそこそこいるのですが、その中でも彼女は闇エルフ迫害の発端となった暗殺事件の前、その被害者が反逆を疑われた裁判で弁護をして無罪を勝ち取ったのです」
「なんと、闇エルフ迫害の経緯は聞いていましたが、その闇エルフの弁護をしたのが白エルフだったとは」
「元より我々闇エルフは殆どが狩猟やら耕作やらを生業としていて、法律に明るい奴なんてそういませんでしたから。そして白エルフでも弁護士だとか法律をやるような奴らにはことさらに選民思想の強い奴が多い。それに反逆を疑われた闇エルフの弁護など下手すれば連座されかねず。だがホルステナはエルフィンド陸軍の大佐にして本職は法学者でして、それをやってくれました」
「なるほど、つまるところ正義の人、諸種族の中の正義の人というところか」
そのグスタフの発した単語に、ディネルースに加えビューローまでもが聞き覚えが無いと疑問を浮かべた。
「それは、その正義の人というのはどういう意味で?」
「ああ、ある集団に属する人々が、例えばこの例では闇エルフが迫害に遭っているその時に、その集団に属していないにも関わらず、危険さえ冒してでも守ろうとした人の事を言うんだ」
「ほほう、さすが我が王。博識であらせられる」
……やはりオルクセンの王の側近達は、グスタフが時折に生み出す新しい言葉に慣れてしまっている、我が王とはそういうものだと思ってしまっているのだな。
「なるほど。しかし彼女にはもう一つの一面がありまして」
「もう一つ、とは?」
「ええ、ここに上級大将の面々が居ないのが本当に惜しい。ホルステナは一二〇年前のロザリンドの会戦に氏族の名代として参加していまして、エルフィンドに伝わる伝説ではそこで一つ大きな戦功を挙げた事になっているのです」
それもエルフなら誰しも一度は聞いた事があるような、とても有名な伝説。
「その戦功というのが、オーク族のとある将軍と一対一の決闘をして勝利し、その将軍の右の牙を折り取ってオークの軍勢を壊乱させたというものです」
私も、先の師団対抗演習でかの牡を実際に目にして、この折れた牙と傷がと思ったものだ。
「右の牙?……もしやシュヴェーリンか!?」
「ええ。 絶対に一対一で立ち向かってはならない闘将、もし戦場で相まみえた日には脱兎のごとく逃げろ、私もそう聞かされたかの牡と伝えられています」
「……シュヴェーリンを、いやあの悪党は北部か!じゃあゼーベックとツィーテンだ!あいつらなら何かシュヴェーリンから聞いているかもしれん!すぐに呼ぼう!」
そして国王官邸に2人を呼び寄せてみれば、彼女の伝説はいとも簡単に裏付けされた。
「ホルステナ・フルーベル?ああ、そういえばそんな名でしたな、 奴が言っていたのは」
「あの悪党、私にはそんな事一言も言ってなかったぞ!」
「それは、決闘で負けたなど自分から言い広めるような事ではありませんから。公刊戦史にも敵の弾が牙に命中して負傷したとしか記述してません」
「それにあの戦の後に起きた先王派との対立がある中で、シュヴェーリンのやつが戦時に敵のエルフと決闘をやって負けたなどと表沙汰にするわけにもいけませんでした」
「それは、まあ……、そうだろうが。だが私にも教えてくれたって良かっただろう」
なんとも、知らなかった事よりもシュヴェーリンに隠し事をされていたのが嫌だったらしいグスタフが、知っていたらしい2人を問い詰めるけど、まあどちらの気持ちも分からないでもない。
「奴はあれほどの強者に負けたなら戦士として満足だとか言っておりましたが、まあ撤退戦の最中にエルフと決闘をして負けた挙句に生き恥を晒しただの、軍の瓦解を決定付けたような所もあって、戦傷としても不名誉なところがありましたから」
「それに、決闘で負けたというのも良くなかった。あの戦いで堡塁に篭ったエルフ共にはとんと困らせられたが、かといってエルフ共が揃って戦上手という訳ではありませんでしたでしょう」
なんとも若干の言い辛さを私に向けてくるが、まあそうだろう。実際にそうだったのだから。
「いやいやそんな事を言われても、私の知るロザリンドのエルフというのはどこに行っても逃げても待ち伏せている恐ろしい者たちというのを聞いた記憶ばかり。当時の私は一介の療術使い、もっぱら衛生隊で負傷兵と戦っていたばかりで、エルフとは戦っていないんだ」
「ええ、それでもしかし、待ち伏せされた不利にも関わらず勝った戦闘が少なからずあったのは覚えていますでしょう?」
「それは、ああ、確かにあった。……そういえば、どうやって?」
「それは私どもから話しても良いのですが、せっかく当時は谷の向こうで戦っていたアンダリエル少将がここに居るのです。私としても答え合わせがしてみたい。どうでしょうかな?」
「それに、エルフたちの間ではシュヴェーリンとそのホルステナというやつ、いったいどんな決闘をしたと伝えられているのやら。シュヴェーリンのやつもあんまり話さないもんでな、私としてもお聞きしてみたい」
「ええ、もちろん。それでは―――」
再びの回顧会、やはりここにフルーベル大佐もシュヴェーリン上級大将もいないのが惜しい。が、その当人らがいないからこそ話し易い話題もある。さて、何から話したものか。
「まず、エルフ族に戦上手ではない者がいたというツィーテン上級大将のお話、これは私としても事実として認める所です。エルフィンド軍は魔術探知による三角測量で敵の居場所と動きを一方的に把握し、先んじて陣地を設えての周到な待ち伏せを可能とする事でロザリンド渓谷の戦いを優位に戦いました。ですが待ち伏せという戦術は忍耐を要する。それも生物としての本能に反する非情な忍耐を」
なにしろ私ですら指揮刀のサーベルの切っ先が震えないよう抑えるので精一杯だった。ロザリンドでは常にそうだった。
目の前に見えるオーク族の軍勢、エルフ族よりも遥かに巨躯の、あの恐ろしいオーク族の軍勢、堡塁をこさえていたとて恐ろしくないはずがなかった。
「それに耐えられなかった将兵に白も闇も無かった。私はあの戦場で距離50mよりも遠くから撃たないよう、あるいはもっと近くまで引き付けてから撃つように指揮していたけれど、それが出来なかった隊は尽く蹂躙された。簡単だったでしょう?火打石銃をロクに当たらない距離から撃ってしまって恐慌に陥ったエルフ達を踏み潰すのは」
「ええ、火打石銃の装填はどんなに早くても20秒はかかりますから。そして恐慌に陥ってしまえばどれだけ時間があった所で次の弾など飛んで来るはずもなく。堡塁で再装填もせず銃剣をこちらに向けて竦み上がるだけのエルフを至近距離からの統制射撃で薙ぎ払った事など一度や二度の出来事ではありませんでした」
まったく嫌な記憶だわ。隣の堡塁の指揮官が距離を誤ってかそうなり、魔術探知で知覚できる味方の反応が瞬く間に減っていくあの感覚、思い出しただけでゾッとする。
「そしてこれは闇エルフと白エルフとの関係にも由来する問題なのだけど、闇エルフの中でも私のように狩猟を生業としていた者達は猟兵としても行動していて、それで首級を挙げていたのを知った白エルフ達がやっかみを覚えましてね。戦争が始まるまで銃どころか弓矢や投槍での狩猟すらやった事も無いのに、闇エルフに出来るならと手柄欲しさに真似をして勝手に堡塁から抜け出す白が山ほどいました」
これも上級大将の2人は実際に目の当たりにしていたのだろう、驚きは無いようだが。我が王は違ったらしい。
「それは、それは無謀では?」
「もちろん、自殺同然でした。なにせ単独での魔術探知で分かるのはだいたいの方向と数だけなのに、それを頼りにオーク族の軍勢へと真っ直ぐに突っ込むのだから」
それこそ、将校クラスのエルフィンド軍人に闇エルフに対する差別意識に乏しい白エルフがそこそこ居るというのも、ロザリンドで差別意識に囚われて死んだ馬鹿が多かったからというのが大きい。
「ええ、いましたなあ。時折ただ真っ直ぐに突っ込んで来る白エルフ達。ですが貴方達、それをしばしば囮にしていませんでしたか?」
「それはもう、こちらの助言に耳を貸さないのだもの。本来なら見つけたその時点で軍法に則り銃殺刑にすべきだったのだけど、闇エルフが白エルフを殺したなんて余計な諍いのもと。なら敵の弾で死んでもらった方が後腐れなかったから、その上で利用させてもらいました」
それに加えて猟兵として長駆行動している時に、無能な味方を銃殺する為に貴重な弾を消耗したくなかった。というのは流石に慎む事にした。
銃殺した死体から弾を回収しようにも、当時のエルフィンド国産紙製弾薬包は防水が不完全で血に塗れたら使えなかったのよね。
「そして、ここからが本題なのですが。彼女、ホルステナ・フルーベルも堡塁から抜け出した愚か者の一人だったのです」
「なんと」
声を挙げたツィーテン上級大将のみならず、我が王グスタフやゼーベック上級大将達にビューロー外務大臣までもが驚きを顔に示した。それもそうでしょう、私だって初めて聞いた時には驚いたのだから。
「それも自らが名代として率いていた氏族の隊を丸ごと全部引き連れて、そして真っ直ぐにシュヴェーリンの軍へと突っ込んだ」
「それは、しかし、いやどうやって……」
「そうね、あの戦争で最も愚かな行為の一つ。彼女自身でさえそう評した、彼女の言葉をそのまま低地オルク語に訳すなら―――。『あの突撃とも言い難い無秩序な前進で、私の部下は半分が死んだ。私が当時の族長から預かった、氏族の若者ばかり集めたその半分がだ。あの時の私という奴は、どうしてあんなに愚かだったのだろうか。今からでも銃殺刑にした方が良いと常々思う』」
それを話してくれた時の彼女の眼は、まるで失輝死した屍のように昏かった。
「だが、ホルステナはどうやってかシュヴェーリンの目前まで辿り着いて、―――」
『やめてくれ!もうやめてくれ!許してくれ!私はどうなったっていい!だからみんなを!私の部下を許してくれ!』