オルクセン王国首都ヴィルトシュヴァイン。
その郊外にあるヴィルトシュヴァイン大演習場の北側に設けられている兵站駅舎の一室に真新しい看板が掛けられた。
―――
闇エルフと共にシルヴァン川を越え、今はヴァルダーベルクに身を寄せている僅かばかりの白エルフ達に対する身辺調査が終わるまでの、その僅かばかりの期間を私が過ごす為の仮住まいである。
ディネルースなどは、そんなまどろっこしい事をせずとも即日に私をヴァルダーベルクに放り込んだ方が手っ取り早いなどと言っていたが、まあ実際にそのような気もするとはいえ、そこはオルクセン側の面子を立てるべきであろう。
ともかく、そんな物騒な事は私も昨日からは我が王を敬う立派なオルクセン王国臣民であるからしてさておいて。
「うむ、おはよう。良い朝だな」
部屋を出てすぐに顔の会った、警護だか監視だか案内役だかで立っていた第一擲弾兵師団所属の憲兵であるオーク族とコボルト族のペアに朝の挨拶を繰り出す。
「は、はあ……。おはようございます。ええ、その。確かにちょうど日の出を迎えて、そう、朝の五時になりますが……」
「その、……肩に担がれているのはハーマセン殿では?」
「ああ、そうだな。これから朝の日課のランニングに行くのだが、この演習場を適当に走っても良いかな?」
「…………。ええ、この広い演習場で迷わないよう、私達もお供します」
「ああ、助かるよ」
理解が早くて、そして細かい事を気にせず融通の利く者が身の回りにいると楽で助かるな。
まだむにゃむにゃと寝ているカルラを左肩に担いだまま駅舎を出て、更に駅舎脇に積み上げられていた枕木を一つ拝借して空いていた右肩に担ぐ。
昨晩ここに着いた時に見つけていたのだが、ちょうど目算通り八〇kg辺りといったところか。
「よし、こんなものか。それではいくぞ」
ここから南へ、演習場のほぼ中央を東西に流れるバンドウ川とやら、まずはそこを目指してみよう。
「……さすがシュヴェーリン上級大将と一対一でやりあったという」
「……エルフってのはあんな細身でも力持ちなんだなあ」
途中で起きたカルラと枕木を担いだままにバンドウ川を、走ってきた道を通すために掛かる橋を横目に泳いでいく。
何時もの如く背中でガボガボと賑やかなカルラと共に泳ぐことほんの数十秒、それで対岸に辿り着いた。
「いやあ、やはり良い。カルラも久々に泳げて心地良かっただろう?」
「ゲホッゴヘッボヘゥエッ」
キャメロットでも滞在中は泳ごうと思っていたのだが、首都ログレスを流れるアイシス川は余りにも汚くて泳ぐのを諦めてしまってなあ。
変わってこの演習場を流れるバンドウ川など、深いところは私の身丈でさえ肩まで浸かるにも関わらず川底の石の一つ一つさえくっきりと見える清らかさ。
警護のオークの手を借りて川から上がった私の服など多少の砂が付いている程度、星欧北部の夏の心地良い清涼な風に吹かれてしまえば早々に川を泳いだ事など分からなくなるだろう。
といっても、ほどほどに休んだら駅舎への復路でまたカルラと枕木を担いで泳ぐのであるが。
しばらくは法学者としても、格闘教官としてもすぐに仕事は割り当てられないというから、こうして日課の鍛錬か新しい銃の構想をスケッチに纏めるくらいしかやる事がなく。
―――と思っていたのだが。
ほんの何日かそういう日々を過ごしていたある日、朝のランニングを終えて駅舎へと戻ってみれば私を訪ねてきたらしいディネルース達がいた。
達というのは、ディネルースの他にも闇エルフが二十名といくらかばかりいたからなのだが。
とりあえずディネルースの他に知った顔が居ないのを確かめ、担いでいたカルラと枕木を放り捨てて呼びかける。
「やあディネルース!こんな何も無い所に何の用だい、そんなに
「ぐべっ!」
「「「……」」」
あからさまな侮蔑語を使ってみたのだが、いまいち反応が鈍いのはディネルースが前もって何かを吹き込んでいたからか、それとも地面に落ちたカルラの気の抜けた悲鳴のせいか。
私としては何名か血の気の多い奴が飛び掛かって来るくらいを想定していたのだが、まあ良い。
「あー、ホルステナ。前に言った通り、私の部下にお前の格闘技術を教え込んでもらいたくてな」
「その薄汚い黒共にか?」
再び、しっかりと侮蔑の意味合いを込めた上で繰り返すが、まあ事実として騎乗にてやって来たようで砂塵に塗れていたのだが、これでようやく数名が目元を光らせて、しかしそれだけ。
これは鈍いというよりも、そういう奴を選んだな?
この程度の事では動揺しないような資質が要求される特別な任務の為に。
「ああ、任務想定は護衛。それも来る戦争で我が王を守るためのだ。私の方で腕の立つ者を選抜してこれまで鍛えてきたが、そういう間合いでは私よりお前の方が強いからな」
「こりゃあまた、我が王と並んでディネルース、貴様という奴も相当だな。よく言えばエルフィンドに居た頃と同じだが、ここはオルクセンだぞ?」
それもこれから白エルフと戦争をやるという時に、よくもまあ国王警護の訓練を白エルフにやらせるなど。
「しかし、適任だろう?お前ほど白エルフらしくない奴はそういないが、しかし白エルフの
ああ、それはまったくだ。
「そういえばそうだったな。いつか目にもの見せてやろうと思ってはいたんだ」
私の弁護を虚仮にしてくれた教義派の糞共め。
ああ、なるほど。
こんな事を彼女らに言っては憤慨されるかもしれないが、私も似たような者なのか。
敵討ち、とまでは違うだろうが、まあ意趣返しといったところ。
「しかしまあ、となると相当に扱くぞ。二度目など御免被るからな。部下がどんな姿で帰ってきても、遺髪の一本すら帰って来なくても文句を言うなよ?」
「ああ承知の上だとも。むしろそうでなくては困る」
「言ってくれたな?忘れるなよ?」
我が王の気質からして、そしてデュートネ戦争を先例としても、来るエルフィンドとの戦争では将が請わずとも自らシルヴァン川を越えて親卒するだろう。
そのような敵地での国王警護など、後方にいようが安全など決して望み得ない。
ならば自らの血と命で贖う他なく。
さて、それではエルフィンド陸軍大学校ヴィルトシュヴァイン分校とでも洒落込もうじゃないか。
まずは選抜してくれたディネルースの顔に泥を塗るなよ?
「さて!これより貴様ら黒共の教官を務める事となったホルステナ・フルーベルである!まずは貴様らの基礎体力を確認してやるから、総員そこの枕木を担いでランニングだ!我が王を背負っているつもりで付いてこい!」
「「「了解!」」」
私はついさっきに朝のランニングを終えたばかりだが、まあカルラ抜きならもう一往復くらいの余裕はある。
そもそもとしてオーク族としても巨漢な我が王を担ぐとなれば枕木を二本担いだとしても不足があるのだが、初日からそこまでは求めまい。
ただし、同じように枕木を担いだ私に遅れるようであれば、まずはそこから扱き直しだな。
しかし、まだオルクセン軍に籍の無い私が、オルクセン軍の被服に身を包んだ兵らを一時の訓練のためとはいえ指揮下に入れても良いものだろうか?
まあ、いいか。そんな細かい事は置いておいて。
「さあ!
兵隊など命令に振り回される定めであるが、貴人の警護などそれ以上に気分一つで振り回される任務だ。
それを表現するのにこれ以上の行進曲は無いだろう。
しばらく後になって、彼女らの忠誠心というものがどちらかというと我が王よりもディネルースの方に重い事に気付いたのだが。
なんとも、
なあディネルース?