『やめてくれ!もうやめてくれ!許してくれ!私はどうなったっていい!だからみんなを!私の部下を許してくれ!』
生まれたての子鹿のような震えた脚で、アールブ語だかオルク語だか、叫んでいる己ですら何も分からず、もしかしたら古典アールブ語やキャメロット語であったかもしれない。そんな絶叫で許しを請いながらその相手にサーベルの切っ先を向けた、ああ、本当に滅茶苦茶な……。
「―――閣下!少将閣下!オークどもの外務省の奴が来ました!」
「ン……、ん?ああハーマセン、そうか来たか」
いつもの悪夢に、あのロザリンドの悪夢にまたも魘されていたらしい。
オルクセンまで来れば少しはマシにもなるかと僅かに期待もしていたのだが、まあともかくシュヴェーリンにさえ会えればどうにかなるだろう。
にしても、コボルト族の小柄で愛嬌ある憲兵に見つかって困った顔をされながら列車から降ろされ、牢屋にでも拘留されるのかと思いきや、刻印式魔術で車内を涼しげに保った馬車に乗せられて辿り着いたのは、ここハーヴェルシュタールの市街の中でも一番に高級そうなホテルの最上階の部屋。
部屋を出てすぐの廊下にこそ監視の兵が2名立っているが、何か要望があれば従兵と同じに扱っていいとの事で、ならば新聞を毎朝と頼めば希望通りに、それも各国のものを届けてくれた。
食事に至っては三食に加えて軽食や酒さえ供された。聞けばこの部屋のサービスをそのままに適応しているよう。
これではまるで国賓待遇か何かだなと言ってみれば、半ばその通りでこのホテルの外国将官への待遇規則を援用しているという。
まったく諭旨免職と引き換えの少将の階級など要らぬと思っていたが、こういう役得を味わえるのであればそう悪くなかったな。
「それで、どちらに?」
「はっ、この部屋で話をしたいと」
「そうか。……うん?話をしたい?聞きたいではなく?」
「え?あー、そうですね。私とあのオークのキャメロット語が正しければですが」
となると、尋問ではない?
不思議なものだ。新聞を読んでいればエルフィンドに対するオルクセンの外交姿勢など容易に理解できるというのに、どうにも対応が温くて困る。
ともかくとして身嗜みを整え、訪ねてきたオーク族の外務省職員を迎えてみれば。
「ホルステナ・フルーベルさん、そしてカルラ・ハーマセンさん。お二方の入国審査なのですが、正直に言って我々の手に余る始末でしてね」
「となると、送還でしょうか?」
「いえ、そもそもとしてお二方の旅券と査証に一切の瑕疵はありませんでした。この時点で本来であれば我々や実際に審査にあたる憲兵は入国の許可を即座に下すべき、引き留めるなんて以ての外。だったのですが……」
目の前の彼はそのオーク族の巨躯を器用にも縮めながら横目に机の一角を、今日までの新聞が積み上げられたそこを見る。
毎朝届けられる新聞、それもオルクセンのみならずアルビニーやグロワール、数日遅れとはいえ海さえ越えてキャメロットや南北センチュリースターのものまで、それだけ見ればエルフィンドとオルクセンで何が起きたかなど明白だった。
「貴国と我が国の今日における特殊な事情を鑑みるに、ええ、来訪の目的は観光でしたか。あの国際列車は我が国の首都ヴィルトシュヴァインまでの直通でしたから」
「そして首都にはアンファウグリア旅団がいると。ああ、アンファウグリア、随分と詩的な部隊名じゃないか」
「……。ええ、そうですね。それで、上の方が直接に会って決めたいとの事で、よろしければお二方を首都へ送致いたします」
「それはまた、入国審査に手間を掛ける。いや入国審査では無いのかな?」
入国審査そのものには問題が無い、にも拘らず上で決めたい事がある。となれば亡命、あるいは間諜の勧誘か。
それも私の望みが叶うならば良いのだが、目の前の彼は黙ったまま。
さては私がこれを呑まなければずっとこの部屋で拘置するつもりか。そこまで構えなくても譲ってやるさ。
「ああ、首都に向かうのはすぐの話かい?もちろん私としてはそれでも構わないのだが、昨晩からずいぶんとこのホテルが物々しい雰囲気でな、これから首都までずっとこんな感じかい?」
明らかに、今朝からホテルの周囲に詰めている警戒要員の頭数が増えている。恐らく夜が明ける前からか。
一昨日にハーヴェルシュタールへ到着しての最初の入国審査から身分を明らかにしていたにも関わらず、今朝になって警戒体制が変わったという事は、つまり私を知っている誰かに事態が伝わったという事。
目の前のオルクセン外務省の役人でさえ腰に吊るした拳銃を隠そうともせず、椅子に座って申し訳なさそうに姿勢を縮めていながらも、むしろそれをバネにしてすぐさま立ち上がれるように身体の緊張を解いていない。……本当に外務省の役人か?
「ええ、大変申し訳ございませんが、これも警護のためですので」
「ものは言いようだな」
「その代わりと言っては何ですが、首都までの列車は特等クラスを用意しました。この部屋にも劣らないサービスをお約束します」
それに従って支度をして部屋を出てみれば、昨日までは廊下で拳銃を腰に吊るしてただ立っているだけだった監視の憲兵二人、彼らが着剣状態の小銃で立哨していた。
しかもまるでこれから決闘でもやるのだというような強ばった顔つきをしている。
まったくディネルースの奴め、いったいどんな脚色をしてオークに伝説を聞かせてやったのやら。
しかしまあ、首都までの列車の旅は約束通り素晴らしいものだった。
なんと特等クラスのフルサービス、饗された食事はなんとエルフィンド風ときた。
薄くスライスしたライ麦パンにバターをたっぷりと伸ばし、スモークサーモンやハム、あるいはレバーペースト、そしてスライスオニオンや香草を載せたオープンサンドイッチ。
1cmほどの厚切り豚バラ肉をカリカリに焼き上げ、さらにその脂で焼き上げた林檎を付け合わせに。
茹でた鱈とジャガイモの粒マスタードを効かせたホワイトソースかけ。
デザートにはシナモンと木苺のジャムを乗せたミルクライス。
どれもこれも素晴らしい食材と調理師の手による美味であり、さらに食前から食後に至るまで好きな酒が飲めた。
そうこう堪能している間にオルクセン王国首都ヴィルトシュヴァインへ到着してみれば、私たちを出迎えたのは大廈高楼の数々。
「なるほど、我らが首都ティリオンよりも余程栄えているらしいな。それどころかキャメロットの首都ログレスにもまるで劣らない」
もとより国境の町であるハーヴェルシュタールの時点でティリオンと並ぶような街並みであったのだからさもありなん。
そして案内された馬車までの少しばかりの通路を歩いていけば、周囲から浴びせられる視線の数々、どれもこれも敵を見るような目ばかり。
それもそうだ、我々白エルフは闇エルフを国家的に虐殺した非道な種族であるからな。
「いやいや参るね、なあハーマセン准尉」
似たような視線の筵に囲まれた事をトラウマにしているハーマセンを当時の階級で煽ってみれば更に萎縮するばかり。
「だが、今回に限っては、我々は何ら悪行を働いたわけでもない。私の側付きとして堂々と胸を張り給えハーマセン退役少佐」
そうして馬車に載せられてヴィルトシュヴァインの栄えっぷりを見ながらに招かれたのはパンテオン式に大理石で設えた大円柱列と大階段を正面に構える巨大な建物。
その門や各所には暗い肌色と突耳が特徴的な闇エルフ族が警護として立っていて、―――おお、彼女らの視界に入った側から殺気の籠った視線の数々が向けられてくるではないか。
「なるほど、彼女らがアンファウグリア旅団。となれば、ここはもしや国王官邸か?」
己に突き刺さる殺気の数々を楽しみつつ大階段を上り、上がり切った先でも四方から殺気に囲われながら、その中に一つ困惑が混じっている事に、それが知った顔だった気付いて、つい足を止めてしまった。
「おや、おやおやおや!リンディール!エレンウェ・リンディールじゃないか!奇遇だな!」
なんと懐かしい顔だ、我が教え子の一人と再会できるとは!
「は、はい!フルーベル教官殿!お久しぶりであります!覚えておいでですか!?」
「そうとも!エルフィンド陸軍大学校での数少ない我が教え子だ。決して忘れるものか!そうか君は生き残れたのか。少しくらいは私の教えも役に立ったかな?」
「はい、もちろんであります!フルーベル教官殿に比べたら国境警備隊の奴ら案山子みたいなものでした!」
ああ、リンディールがオルクセンへの脱出行で国境警備隊の白エルフの首をあの闇エルフ独特の山刀で跳ね飛ばす様が容易に目に浮かぶ。
今のシルヴァン川流域方面の国境警備隊は元々の主力だった闇エルフを追い出した埋め合わせ。リンディールなら刈り取るのに造作もなかっただろう。
「そうかそうか、君を教えた格闘教官として私も嬉しいよ。近ごろは君の時よりも格闘を汗臭い泥臭いと忌避して、あまつさえ時代遅れと軽く見る奴らがさらに増えてしまってな。全く嘆かわし……」
はて、私はなぜオルクセン首都ヴィルトシュヴァインにある国王官邸にまで来ているのだったか。
「しまった。ああ、すまんよ。呼ばれていたんだった。あー、その階級章は佐官の、中佐かな?リンディール中佐、また会えたら会おう。オルクセンでもしっかりやれよ。あー、あとな、また立ち姿に脇の甘さが出てたからな、気を付けたまえ」
「はい!フルーベル教官殿もお元気で!気を付けます!」
いやあ懐かしい顔を見てつい話し込んでしまった。いかんな。
懐かしい顔に別れを告げ、オルクセン外務省の彼に謝りつつまた案内に従って官邸の中を進んでいく。その途中、歩きながら彼から質問があった。
「失礼ですが、彼女、アンファウグリア旅団の中佐とはどのような関係で?」
「うん?君も横で聞いていた……。すまないうっかりだ、アールブ語で喋っていたな」
なんと招かれている身で母国語を振り回して接遇役を困らせていたとは、まったくいかんな。
「教え子だよ、エルフィンド陸軍大学校の。私が格闘教官で、さっきのエレンウェ・リンディール中佐が学生だったのさ。近ごろのエルフィンド軍、というか白エルフは格闘を軽視する奴が多くてな、わざわざ私に教えを乞う数少ない学生の一人だったリンディールには随分と仕込んだものだ。それに闇エルフは狩猟をやる氏族が多いからな、格闘の重要性を理解して熱心に受講してくれる学生が多かったんだよ」
口から出す言葉を低地オルク語に切り替えて説明すれば、どうやら私がエルフィンド陸軍大学校で教官だった事や、闇エルフを教え子にしていた事を知らなかったらしい。
まったく、こういう事で面白がるのはディネルースの悪い癖だぞ。