一〇月二二日。
ネーベンシュトラント。
ここオルクセン北西部にある港湾都市の片隅に置かれたオルクセン海軍の根拠地は、ここからベレリアンド半島を挟んだ向こうにあるドラッヘクノッヘン港に置かれたグロスハーフェン海軍本拠地に次ぐ規模との事。
まあ、私が今までに行った事のある海軍港と言えばファルマリアのエルフィンド海軍本拠地くらいなもので、比較するならこちらになってしまうのだが。
「これは、大きな港だな」
しかしオルクセン最大の商業港と並んで立地しているとなれば港としての規模は本当に大きなもので、列車の車窓から見えてきた景観はキャメロットのコルナイス港にも劣らないように見える。
我々の乗る客車はネーベンシュトラント中央駅で海軍根拠地へ向かう石炭輸送列車の後端に繋ぎ換えられて引込線に入っており、もうじき到着という頃合い。
「えっと、やっぱり私も何か正装を拵えてきたほうが良かったのでしょうか」
そんな気弱に問い掛けてきたのはグルティナ・モリエンド女史。農作業にも使っているという普段着での出で立ちである。
彼女は闇エルフ族には珍しく平地での農耕を主な生業としていた氏族の出身で、今はヴァルターベルクの農業部門で纏め役の一つを務めている。
ちなみに自分の畑では黒人参を育てているのだとか。
つまり今回の案件である林業は殆ど専門外ではあるものの、アンファウグリア旅団が出征した後のヴァルターベルク残留組の中では上から数えられる上席者でもあって私と同行する事となった。
「それはそうなのだろうが。ただ、急な呼び出しなのだからそこまで気にしなくても良いだろう」
それどころか、その急な呼び出しの原因は私なのだから本当に申し訳ない。
「それに、私の白い突耳より悪く見られるような事はあるまいよ」
白エルフ族である事を示す白い突耳はオルクセン陸軍の制帽を被ったとて隠しようもなく目立つものだ。
そうでしょう?と同行している海軍大佐のドワーフ族、クリスチャンセン大佐に問いかける。
なお先日にバンドウへ訪れたもう一方のクレメンス・ビューロー外務大臣は多忙につき首都で留守番である。
「まあ、確かに目立つでしょうが。しかしネーベンシュトラントには通達を出しておりますから問題ありません。それにモリエンドさんも、民間が平服で出入りする事は珍しくもありませんから、心配はご無用ですよ」
「よかったぁ。ありがとうございます」
なるほど。
それはその時に騒動とならないというだけで、悪感情の端緒となって将来に禍根を残しかねない訳だが。
まあ、平服が問題とされないなら十分か。
そうして少しばかりの内に列車は停車した。
車窓からは石炭貨車の並びが見えるので、ここは積み下ろし前の操車場なのだろう。
ここからネーベンシュトラントからの出迎えで来た中尉による案内で客車から降りて目的地へと歩いて向かう。
本来ならばネーベンシュトラント中央駅から徒歩か馬車で海軍根拠地の正門から訪ねるようになっているのを、白エルフ族である私を市井に露出させないためこういった面倒を掛けてしまっているのだ。
首都を発つ際もヴァルターベルクから海軍貸切の客車に乗ってヴィルトシュヴァイン中央駅まで行き、そこでネーベンシュトラント中央駅へ向かう編成に繋ぎ換えてきたほど。
そうする事で私とモリエンド女史は一切の乗換をせずにヴァルターベルクからネーベンシュトラント海軍根拠地へと辿り着いたのだ。
便利といえば便利だったのだが、エルフィンドとの戦争の最中にそのような調整が大変に煩わしかったであろう事は容易に想像できることもあり、戦後にはこのような手間の無いようになっていれば良いのだが。
そんな事を思いつつ操車場を出て、どうにも疎らな基地の中を歩き進めば桟橋の並びが見えてきた。
戦時という事もあり停泊している軍艦は少ないが、やや遠くの商業港として使われている区画には無数の商船が停泊しており、そのマストが林立している。
あるいは、湾口の外を見れば今まさに入港しようとしている二隻の船が見えた。
船尾にオルクセン海軍の軍艦旗を掲げているのと、エルフィンド国旗を掲げているのが一隻ずつ。
エルフィンドの船はともかくとして、オルクセン海軍の軍艦旗を掲げた船も軍艦ではなく商船のように見えるのが気になるのだが。
つまり、ちょうどそのタイミングだったらしい。
「なるほど、我々を見る目が少ない訳だ」
オルクセン海軍の根拠地に白エルフ族が立ち入っているにも関わらず、誰も気付いたようではなく騒ぎにもならないなど、例え事前に通達があったとしても考え辛いものだが、しかし艦が帰還する入港のタイミングともなれば皆挙ってそちらへ注目してしまうものだ。
挙って岸壁に集まっている海兵達はその艦の方を向いてわあわあと海軍帽を振って歓迎に夢中で、背後を歩く我々の事など誰も眼中に無いらしい。
故に海軍。
国や種族さえ異なってもそこは違えないらしい。
「はい、あれはヴォルフです。件のエルフィンド商船を拿捕したゼーアドラーと同型の補助巡洋艦になります」
「そうか、ゼーアドラーはあれと同型なのか」
案内の中尉による説明でそれを知れたから、いつかの為にあの船の形をしっかりと覚えておくとして、今はヴォルフにだな。
「ところで、振る帽子は陸軍のものでも構わないだろうか?」
「はい?帽振れにそんな小難しい規則はありませんが」
「では遠慮なく」
頭に乗せていた帽子のつばを右手指で摘み、ヴォルフに向けて高く掲げ目一杯に振ってやる。
彼らオルクセン海軍が枝攫いの被害者を救い出してくれたのだ。
ここで感謝しなければ白銀樹の生まれとは二度と名乗れまい。
「……長躯なフルーベル少佐が帽子を振ると様になりますな」
「なんだ、君達こそ振らなくていいのかい」
「おっとそうでした。陸勤めが長くていけませんな」
それで皆揃ってヴォルフに向かって各々の帽子を振ることになった。
それが海軍帽が二つ、陸軍帽が一つ、麦わら帽子が一つという中々に見ないだろう組み合わせだったから目立ったらしい。
ヴォルフの甲板やマストで見張りをしていた水兵が私達に指や双眼鏡を向けたりと騒ぎ始めた。
「あー、しまったな。目立ってしまったようだ。ヴォルフの見張りは優秀だな」
「……はい?まさかこの距離からヴォルフの甲板が見えている?望遠鏡も無しに?おい、中尉は見えるか?」
「いえ、私には見えません」
「ああ、見えるが。そうだな、私の私物で良ければ双眼鏡を使って見ますか?」
エルフィンドの頃から持ち歩いていたキャメロット製の双眼鏡をポーチから取り出してクリスチャンセン大佐に差し出す。
まあ、私は裸眼の良さに加えて魔術探知も感が良い方だから使う事は希で、演習でも魔術探知を逆探知されたくない時くらいにしか使っていなかったのだが。
むしろこのように誰か、例えば同僚や部下に貸して使わせる事の方が多かったな。
「それでは、ありがたく。……おお、良い物を使っていますな」
「いやいや、オルクセン最新のプリズムを使ったものに比べれば劣りますよ」
あるいは私の目が悪かったのなら、それこそロザリンドで私はシュヴェーリンに敵わず死ねていたのだろうか。
ともかく、それで見えたようだ。
「ああ、あんなに慌てて。いや、そうか。流石に海の上にまで通達は届いていないか」
「あはは。いや、ああいう反応を見ると申し訳ないな」
「フルーベルさん、そんなに笑いながら帽子を振ってるの、揶揄ってますよね」
「いやそんな事は、……きっと、ないぞ。まあ、そうだな。そろそろ目的地に行こうか。ヴォルフの出迎えに集まっているこの海兵達が振り向いたらそれこそ騒動になりかねん」
私とて招かれた身で艦の帰還という慶事を騒ぎで台無しにはしたくはないのだ。
「それはそうですな。では改めて中尉、ヴィンギローテ号への案内を頼むよ」