ヴォルフの水兵達から視線で追いかけられつつ向かった先、それはもはや辿り着く前から感じ取れた。
エルフィンドの港を出港したからといって、これほどの気配はあり得るはずもなく。
既に隣を歩くモリエンド女史も歩く足の運びが弱く歪となっていて大変に不味い。
それはまるで我々がロザリンドから帰るその時の歩みを思い起こさせるもので、思わず彼女の肩に手を伸ばしてしまった。
けれども、その指先が彼女の肩に触れたその時になってようやく、私はどんな言葉をかければ良いのか見つけられていない事に気付いたのだ。
よりにもよって白エルフ族の私が?
「……あの?どうして、フルーベルさんまで手が震えているんですか?」
「いや、その。……君が失輝死しないよう励ますつもりだったんだ」
問われてどうにか絞り出した言葉は、もはや励ましですらなく情けない吐露となってしまった。
「フルーベルさんこそ、英雄だなんて呼ばれてるのにそんな泣きそうな顔をして、まるで迷子の幼子みたい」
見上げられているにも関わらず幼子のようだと言われて、しかし迷子というその言葉は何故か私にすっと当て嵌まってしまったような気がしてしまった。
「迷子……。まあ、そのようなものさ。本当に、迷子だよ。だから、しばらく君の肩に手を置かせてくれないか?」
「はい。そのくらいなら、どうぞ」
彼女には悪いが、ここに私だけで来なくて良かったと思う。
こんなに強い潮の匂いが漂う中であってさえ、その気配は余りに濃密で、トストルプであってもこれほどではなかった。
そしてついにそのエルフィンド商船が見えてきた。
ヴィンギローテ号。
五年ほど昔にエルフィンドの海運企業からの発注でキャメロットの造船所が造った木造帆装の材木運搬船とのこと。
今はネーベンシュトラント海軍根拠地の岸壁の片隅に停泊しているその船は、古典アールブ語で水沫の花の名を冠するだけあって、さぞ美しい船だったのだろう。
しかしオルクセン海軍の補助巡洋艦ゼーアドラーからの停船命令や威嚇射撃、それも一五cm砲によるそれを無謀にも無視して逃走したため、その帆は榴散弾を撃たれてズタボロにされてしまっていた。
今や見るも無残な帆の成れ果てを潮風に靡かせて難破船のようである。
そんなヴィンギローテ号の舷梯を登って甲板に辿り着けば。
樹種ごとに分けられて積み上がった丸太の山の内その一つ、それは間違いなく。
「……積み上げられた丸太を目の前にして白銀樹を感じたくはなかったな」
「……そうですね」
「つまり、やはりそうなのですか?」
クリスチャンセン大佐にも前もって最悪の、そして最も予想されうる予想は伝えていたし、そうであるから私もモリエンド女史も覚悟はしていたのだ。
だがしかし、最悪を目の前にして前もっての覚悟など何の役にも立たないのはロザリンドの頃から変わらぬ世の常だったらしい。
「この丸太の山一つ、全て、全部が白銀樹です。……恐らくは、我々闇エルフいずれかの氏族にとっての、母、だった白銀樹です」
他のトウヒやらと比べれば量は少なかった。
しかし、そんな事は何の救いにもならないのだ。
白銀樹の本数にしておよそ七か八
もはや声にならぬ悲鳴混じりの嗚咽を漏らして震える彼女に、私はどうにかして彼女を現世に繋ぎ留めようとその肩を抱き寄せる他なかった。
どうして?
白銀樹とはエルフィンドそのものであるはずなのに。
どうしてその白銀樹を切り倒して、あまつさえベレリアント半島の外へと売り払えるのだ。
しかも降って来た者ですらない、白銀樹から産まれた同じエルフ種族が。
冒涜という言葉ですら余りあるこの悍ましい行為を。
「すまない、モリエンド女史。こんな事に付き合わせてしまって」
「……そうですよ。本当に、酷いです」
「そうだな。ああ、どうして、どうして……」
エルフィンド陸軍大学校での私の教え子達は、白エルフ族であろうとも闇エルフ族であろうとも、私は全員の顔と名前を覚えている。
故に、誰があの民族浄化を逃れられなかったかも、ヴァルターベルクで過ごす私には分かってしまうのだ。
その教え子達の護符を還す白銀樹さえ失われてしまったかもしれない。
「どうか、寄る辺なき魂に安息を」
それも、私が願った所でどうなるというのだ。
そも、何に祈るというのだ。
それでも。
それでも、どうか救いがあってほしいと願うほかないのだ。
しばらく私とモリエンド女史と、そしてクリスチャンセン大佐と案内の中尉とで黙祷のように祈りを捧げて。
その間に太陽は手のひらの幅一つ分ほど進んでしまった。
あのヴォルフなどは既に着岸を済ませているのが見える。
「……だいぶ、時間を取らせてしまいました。申し訳ない」
「いえ、構いませんよ。モリエンドさんも、大丈夫ですか?」
「あっ、大丈夫です。……はい」
どうにか、酷く気落ちさせてはしまったが意識はしっかりと保っているようだ。
「それでは次の、他の積荷についても確認して頂きたく。積荷目録の写しはこちらになります。それを見ながら積荷のある船室へ行きましょう」
クリスチャンセン大佐から手渡されたのは二枚の書類。
原本からしてアールブ語とキャメロット語のものが一部ずつあったらしい。
とりあえずキャメロット語の方を手元に残し、アールブ語の方をモリエンド女史へと流す。
「それで、トウヒ、ナラ、ブナ、リンデンといった材木、それに書かれてはいないが白銀樹。あとは琥珀と民芸品か」
つまり、その二つが闇エルフ族から収奪されたものでないか気になったのだろう。
「琥珀であれば、ベレリアンド半島で産出するのは首都ティリオンや我が故郷トストルプが面するシスリン湖と、そこから流れ出るシスリン川、そして荒海沿岸が主だな。あるいは闇エルフ族の主な居住地であった南部なら、それこそシルヴァン川でも見つかると聞いた事はあるが、しかし我々エルフ族にとっての聖地であるから商業的な採掘は禁忌とされていたはずだ」
あるいは闇エルフ族の風習までは私とてそこまで詳しくはないのでモリエンド女史へと視線を向ける。
「ええと、そもそも私達闇エルフ族はあまり宝飾の類と縁が無いので。あの、農耕でも狩猟でも宝石の付いた指輪は邪魔ですし、首飾りとするにもこの白銀樹の護符がありますし。あとは、ディネルース様のように族長だとか、氏族の中でも高い地位にあれば耳飾りを付けてその身分を示すくらいで……」
そこでモリエンド女史は私を、いや私の突耳を見上げた。
「うん?……ああ、私はこの背丈があったから耳飾りが無くてもな」
それに、耳飾りを仕立てるような金があれば銃を作るのに充てたり、ロザリンドで負傷した部下の面倒を見るのに使うのが常だったからな。
一方で首飾りなら、シュヴェーリンから折った牙を今も護符と共に首から吊るしているわけだが。
「……ええと、ともかく。その耳飾りも先祖伝来の
つまり琥珀は闇エルフ族から収奪したものである可能性がそもそも乏しいのだろう。
話している間に辿り着いた船長室の、その金庫を開けて出て来たのは。
「なるほど。クリスチャンセン大佐、ティリオンの宝石商による鑑定書が付いているではありませんか」
その鑑定書によればどれもシスリン湖で見つかった上等なもの、鑑定書そのものは信頼のある機関により鑑定する必要があるとはいえども。
両手で数え切れないほどの数がある琥珀に付けられた鑑定書に記された日付はどれも年月を経たもので、紙の質感もそれに違わず。
「私が察するに、戦時調達の支払いに充てる外貨の足しとするため、エルフィンド政府が抱えていた現物資産の内からこの上等な琥珀を輸出しようとしたのかと」
「なるほど。一理ありますな」
そして残るは―――。
このヴィンギローテ号の船長室を見渡しても、調度品の類はどれもキャメロット製のようで。
「クリスチャンセン大佐。この、積荷目録にある
数にして一〇と記されているから、それだけの数があれば見つかっていない訳でもあるまい。
それは実際にその通りであったらしい。
ただ、その悪辣さに私が思い至っていなかっただけで。
「はい。その民芸品と記されているのが、どうやら彼女達のようなのです」
「……糞共め」
白銀樹から攫って、刷り込みをした成れ果てが民芸品か。
それはもう大事な積荷だろうよ。