なんにもしないで、居れる場所。

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ビンテージ

「眼精疲労、睡眠不足、骨盤の歪み、カフェインの摂り過ぎ、睡眠不足、高カロリーの食事、睡眠不足、高血圧、ストレートネック、深酒(アルコール)、四十肩、睡眠不足、高血圧、胃酸の減少……」

「ははは、なんだか天国へ行けそうな言葉たちですねぇ」

「ははっ、天国ね。まあ、あながち間違いではないかな?」

「ははは、はははは」

 

分厚い眼鏡越しの、先生が浮かべた渇いた笑いに、更にカサカサのはにかみを返す僕。おぼろげに仰いだ頭上には、見知らぬ天井が広がっていた。

 

「ご予約も無しに突然伺ってしまい、申し訳ございません。それもわざわざ、院長先生直々に診ていただけるなんて……」

「いやいや、これくらいなんて事ないよ。君にも、君の御家族にも、いつもお世話になっているからね」

「ふふ、院長先生は昔から変わりませんね?」

「君こそ相変わらず、立派にやっているようで安心したよ。自分のトレーナーの不調にいち早く気が付くなんて……思えば昔からそうだったかな。君はいつも、皆の様子が変わりないか、誰よりもよく見ていたっけ」

「ふふふ、それ程でもありませんよ♪」

 

打って変わって、なんとも柔和な表情を浮かべながら先生が顔を向けたのは、我が担当ウマ娘、メジロアルダンの方であった。まるで本当の孫娘と祖父のように和やかに話す二人の様子を眺め、なんだか異様に着心地の良い病院着とふかふかの病室ベッドを撫でながら、どことなく感じる疎外感の置き場を、僕は探していた。

 

朝、いつも通りの挨拶を交わそうとしたその時、開口一番にアルダンに指摘された顔色の悪さ。トレーニング計画の草案制作に外部トレーニング場の使用アポ取り、彼女のメンタルケアの事等々、昨日の夜から続けざまの仕事の手を一旦止めて、彼女に向き合う僕。

『徹夜明けはいつもこんなもの』『少し仮眠すれば元通りだ』なんて僕の言葉に少しも耳を貸さずに、あれよあれよと彼女が手配した車に乗せられ、運ばれてきた市内一の大病院。そのままあれやこれやと診察を受けさせられ、流れるように決まってしまった丸一日の検査入院。と、なんだか間抜けなピタゴラ装置みたいに転がり込んだ、身の丈に合わない病室での事である。

 

「ま、という訳だ。幸い大事でなかったとはいえ、念には念だ。後で係の者から入院の案内があるから、ここで安静にしておくように」

「ははは……はぁ……」

「心配かね?彼女の、アルダン君のことが」

「あ、いや、それはその」

「大丈夫、彼女は強い娘だ。子供の頃から見ている私なら分かる。自分が辛い時でも弱音一つ吐かずに、入院中の他の子供たちを励ましてくれたり、遊び相手になってくれたりね……」

「もう、いつのお話ですか?」

「はっはは……だからね?たった一日くらいトレーナーが居なくったって、彼女はサボったりもしないし、寂しがったりもしないさ。そうだろう?」

「……うふふ♪」

「…………」

 

ほんとうに、そうだろうか。と、言いかけて口を噤んだ。今の僕が何を言ったとしても、まるで説得力など皆無であろう。

 

「まあなんにせよ、誰がどう見ても君は無茶をし過ぎだ。少し立ち止まって、一人で考える時間も必要だろう。それくらい、彼女も許してくれるはずだ」

「……はい」

 

彼女は、メジロアルダンは強い娘だ。ちょっとやそっと、僕が居なくったって問題は無い。と、分かっている。分かっているはず、だと思っていたのだが。

やっぱり、胸騒ぎが抑えられない。本当に大丈夫なのかと。もしも僕がいない間に、彼女に何かあったら……なんて、不安の濁流がぐるぐると五臓六腑に流れ込み、そのまま僕の全身を満たしていく。思えば、そうだな、それは今日に始まったことでは無い。

ずっと、そうやって生きてきた気がする。彼女と出会う前も後も関係なく。何か、ずっと自分の足元が気になって、もしや突然地面が崩れ去って、奈落の底に突き落とされてしまいやしないかなんて、そんな事ばかり考えてしまうのが、僕自身というもの、なのだ。

 

「それでは、私はこれで失礼するよ。何、そんなに不安そうな顔になる事はない。大丈夫だ、アルダン君も、君も、大丈夫」

「ええ、本当にありがとうございました、先生」

「あ……ありがとうございました……」

 

もう一言、『大丈夫』と言い残して彼は病室を後にする。なんとも逞しい……悔しい程に、逞しい背中だった。

 

「……ふふ、まさか院長先生に会えるだなんて……昔から、沢山お世話になっているんです♪」

「ああ、確か昔はよく、ここに入院してたんだっけ?」

「ええ、産まれたばかりの頃から身体の弱かった私の為に、両親が信頼できる病院を探しだしてくれたのです。ここならば、間違いなく大丈夫だ、と……」

「大丈夫。大丈夫、かぁ」

「?」

 

どことなく頭にこびりついた言葉を反芻し、大きく息を吸い込む。清潔過ぎて少し身体に合わない空気と、消毒液の匂いで、少しだけ鼻の奥がひりつく感覚がした。

 

「では、私も少し使用人達と、学園にも報告して参りますね?トレーナーさんは……念の為言っておきますが、ここで絶対安静、ですからね?」

「う、うん、もちろん分かってるよ?」

「ふふ、よろしい♪」

 

しっかりと、釘を刺すような目線を僕に向けてから、アルダンも病室を後にする。一気に静まり返る室内。やっぱりこんな立派な部屋は、僕には似合わないみたいだ。

 

「大丈夫……大丈夫、大丈夫……ね……」

 

もう二、三度。相変わらず脳内を駆け巡る言葉を口に出してみる。院長先生も、彼女の両親も、どうしてそんな言葉をあっさり使えるのだろうか。

答えは明確、きっと彼女と共に生きてきた年数が、僕なんかとじゃ比べ物にならないから、なのだろう。きっと僕なんかよりもアルダンの事、身も心も知り尽くしているから、だからこその言葉なのだろう。これくらいならば、大丈夫だと。

 

「……やっぱり、こんなことしてる場合じゃないよな」

 

だけど、やっぱり、大丈夫なんかじゃない。まだまだ彼女の事をなんにも分かっちゃいないのは理解している、けれども、どうしても、だからこそ彼女のことが心配になってしまう。こんな時でも何か、彼女の為に何か出来やしないか、なんて、そんな事ばかり考えてしまうのが、僕自身というもの、なのだ。

 

「トレーニング計画の草案、くらいなら病室でだって作れ……ああ、パソコンないのか……!いや、タブレットさえあればいけるか?誰かに持ってきてもらって……たづなさん、は、なんか怒られそうだし、同僚の誰か……誰か……」

 

バタバタと、携帯の連絡先を漁りながらベッドから起き上がる。どこか……屋上とかなら誰にも見つからずに電話ができるだろうか、いても立っても居られず、慌てて僕は病室を飛び出し……

 

「うおっ……!?」

「……あら?トレーナーさん?」

 

……咄嗟に、手に持った携帯を懐に隠す。ドアの向こう側に立っていたのは、数分前に去ったはずの我が担当ウマ娘、メジロアルダンであった。

 

「どうされたのですか、そんなに慌てて?」

「えっ?あ、ああー、ちょっと喉、乾いちゃって……じ、自販機とかあるかなーって?」

「あらあら、仰って頂ければ買ってきましたのに……」

「いやいや。あ、それじゃこれから、一緒に買いに行こうか?」

「ふふ、勿論お供いたしますよ♪」

 

昂っていた胸の鼓動が少し落ち着いたのは、上手く誤魔化しが効いたから……だけじゃないみたいだ。

 

「……やっぱり、いいなあ」

「はい?何がですか?」

「ああ、いや、こっちの話だよ」

 

やっぱり、なんだかんだ言っても結局は。

好きなんだな、と思う。彼女の居る空間が。

 

彼女の為だ、なんだと、色々と御託を並べてみたけれども。結局どうしてここまで僕が無茶を繰り返すのかと言えば、それはやっぱり、『僕が彼女のそばに居たいから』なんだな、と、そう考える。彼女と共に居たい、だからずっと、彼女の為になる事をしたい。彼女と共にいる、その許しを得るために。

 

「……ところで、アルダンはこんな所で何してたの?」

「ええ、これを……見ていたのです」

「これは……絵?」

 

彼女が指を差したのは、壁に飾られている画用紙。それになんともぐちゃぐちゃなクレヨンで描かれた、まさに子供達の絵。それも一枚や二枚では無い、少しだけ色褪せて皺の寄った絵が沢山、沢山、見渡す限りの廊下にずらりと並べられていた。

 

「院長先生の計らいで、入院している子供たちの絵が病院中に飾られているんです。先生、子供たちが本当に大好きですので♪」

「ははは、なんだか微笑ましいなぁ。なんとも子供らしい……あれ、でもこれなんて、子供にしては相当上手じゃない?色使いのセンスが凄いし……この子はきっと将来、立派な画家になるかもね?」

「ふふ、ありがとうございます♪」

「ふふふ、なんでアルダンがお礼を言うのさ?」

「だってそれは、私の絵ですもの♪」

「えっ」

 

予想外なアルダンの返答に、思わず三度見を決め込む僕。改めてじっくりと見渡した額縁の端には確かに、『メジロアルダン』と、彼女の名が控えめに刻まれていた。

 

「まさかまだ残っていたとは思わなくって……それで、思わず足を止めてしまったのです。私だけではなく、丁度この階には私と同じくらいの頃に入院していた子たちの絵が沢山ありましたので、まるで同窓会のようで……つい、ですね?」

「ふふふ、そっか、それは仕方ないね?その子たちは……もう皆、退院できたのかな?」

「そう、ですね。少なくとも、もうこの病院にはどなたもおられないみたいです」

「……そっか、皆どこかで、元気だといい、ね」

「ええ、そう……ですね」

 

お互いすっかり当初の目的を忘れて、彼ら彼女らが残していったその絵たちを、静かに、静かに眺めていた。きっと、そうだな。皆が皆『元気に退院』出来た訳では無いのだろうけど、けれども今ぐらいは、信じさせてもらおうと、そう、思った。

 

「正直に言えば。昔はこの病院の事、まるで『牢獄』のように感じていました。いつ釈放されるやも分からぬ、私の自由を阻む、鉄格子で囲まれた檻のようだと」

「……うん」

「けれども、贅沢な事を言う様ですが……今になって思い返すと、何故だかあの日々が愛おしく感じるのです。忙しなく揺れ動く毎日を過ごしていると、あの日の……皆でお絵描きして、お昼寝をして、それだけで一日が終わってしまうような、『なんにもない日』が、凄く、恋しい」

「……『なんにもない日』、それでも、許される空間、か。うん、分かるよ。凄く、すごく、わかる」

 

少しだけ、想像してみる。無理も無茶も、なんにもしなくってもいい、なんにもしていなくっても、彼女と、『メジロアルダン』と共に過ごすことの出来る、そんな場所があったとするならば、それは、どれだけ……

 

「……けれども、少しだけ恥ずかしいですね?今の私なら、もっともっと上手い絵を描けるというのに……」

「ふふっ、それはまあ、その通りだね?」

「きっと、院長先生の中では私は未だに、あの頃のまま、なのでしょうね?」

 

少しだけ、渇いた笑みを浮かべてから。彼女ははっきりと、まっすぐに僕の方へ視線を向けてくる。純粋無垢、だけではない。酸いも甘いも味わった、逞しい大人の雰囲気も少しだけ混ざりあった、美しい瞳だった。

 

「トレーナー、さん?」

「アルダン?」

「院長先生はああ言っていましたけれども……私、本当はまったく、大丈夫なんかじゃ、ないんです」

「……うん」

「もう昔の……なんでも耐えて、我慢していた子供の頃の私ではないのです。今の私は弱虫で、打たれ弱くて、トレーナーさんがいなければ何も出来ない。そんなウマ娘に『成長』できたのです。貴方の、おかげで、だから」

「…………」

「だから、今はゆっくりと休んで下さい、トレーナーさん。貴方がいなければ駄目なんです。『ずっと』貴方がいてくれないと、私は嫌なのです。だから、無茶をして、突然、永遠にいなくなったりしないように。休まないといけない時は、休んで下さい。お願い、です、トレーナー、さん」

 

弱虫で、打たれ弱い、なんて嘘だ。嘘でしかない。こんなにも涙を瞼に溜め込んで、それでも、それでも何とかギリギリで堪えている、その姿こそが、何よりの証拠だ。

 

「……うん、ごめん、ごめんね、アルダン。僕だって大丈夫なんかじゃない。君を置いていく事なんて、出来ない。そんな事も忘れてた、僕は大丈夫だと、そう思い込んでいた。ごめん、アルダン」

「本当に、今日は、今日だけはなんにもしないでくださいね……世界中の誰に文句を言われても、私だけは、許してあげますから……」

「……ふふっ。うん、うん、そう、だね」

 

思わず、湿った笑いが僕の口からも零れ落ちる。おぼろげに仰いだ頭上には、少しシミのついた、懐かしげな天井が広がっていた。

 

「ああ、約束する。絶対に、たくさんお休みさせてもらうね?」

「……ふふ、では私も久しぶりにここで寝泊まりさせていただこうかしら?一晩中トレーナーさんの事、監視させていただきましょうかね?」

「こ、こらこら、睡眠不足ダメ!」

「ふふふ、まるで説得力がありません、ね?」


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