海の男の一世紀 ~デーレリア・コンツェルン創業百五十周年記念誌~ 作:舞葉
序文
本項では、弊コンツェルン百五十周年を記念する社史によせ、創業者である祖父コルネリオ一世直筆の手記を底本としてコンツェルン黎明期について詳述する。手記は今より半世紀前、ルーム連邦建国からちょうど三十年を迎えたその日に、我が父コルネリオ二世によって弊社の書庫から発見されたものである。編纂にあたっては、手記の記述を時系列順に整理し、適宜史実に基づく追補を行っていることをご理解願いたい。
これまで数多くの功績をこの世界に残してきた弊コンツェルンではあるが、意外な事に、長きにわたって創業より半世紀の期間が塗りつぶされたように抜け落ちていた。私が生まれた頃、既に黎明期を知る最高幹部達は殆ど世を去っており、残るは創業者である年老いた祖父と、その伴侶であり初代書記の祖母のみであった。しかし彼も、彼が生涯一途に愛し続けた祖母も、長男である我が父にさえ多くを話さぬままに旅立ったが故にだ。
その失われた黎明期の語り部が見つかった。書庫の最奥にある古ぼけた本棚の裏、隠し扉の先の小部屋のそのまた片隅に、多数の書類の束に覆われて眠っていた小型金庫の中に納められていた手記。そこに記されていたのは、常日頃より語られるコンツェルン栄光の歴史とはまるで異なる、祖父とその同志達の苦闘の物語だった。
同時に私たちは、何故ああまで彼の業績が隠蔽されていたのかを理解させられた。常日頃置物やぼんくらと世間から評されてきた私の祖父が歩んで来た日々は、余りにもこの国の創成期と結びつき過ぎていたのだ。
亜麻や木綿、木材パルプなど、素材もまちまちな数百枚の紙にわたって書き綴られた長い長い手記が伝えるのは、国の標語である『団結と融和』とは程遠い、ルーム統一を夢見て必死に足掻いた男達の塗炭の苦しみの日々。ともすれば我が国にとって劇薬となりかねない、争いと謀略に満ちた歴史の記録だった。
海戦の火消し役に始まり、謀略の橋渡しや密輸紛いの軍需物資の横流しなどは優しい方。商船襲撃に偽装した要人暗殺や凄惨な通商破壊戦、時には貴族間の政争や、麻薬貿易の片棒まで担いだことも記されていた。どこの国にも暗部が存在することぐらいは公然の秘密であろうが、ルームのそれはクロムウェル帝国と同等、ともすればそれ以上と言えるものだった。祖父が執拗に隠蔽を施したのも道理である。このような文書が国家の成熟前に世に出れば、内戦の引き金となっていても不思議ではない。
しかし、それだけでは半世紀以上の封印には至らない。よしんば表沙汰にできない記述があったとて、帝王学や地政学、軍事学、ルーム共和国の政治力学まで叩き込まれた我が一家の後継たちなら、さわりのない事柄だけ選ぶぐらいは造作もない。ではなぜ祖父は封印を選んだのだのか。
答えは単純。彼の業績は、大き過ぎたのだ。一部だけ明かすことなどできないほどに。
『近代海軍の父』と呼ばれるに相応しい先進的な船舶設計に始まり、新大陸をふたつに割った植民地戦争、ルーム統一の第一歩となったルメリア戦争、フレンスブルグ帝国・第四帝国連合海軍を打ち破ったレーレルパント海戦、そして西の大国アウグスライヒから未回収のルームを奪い返したマルチェッロ戦争。過去百年の間に四大洋で発生した全ての戦争に祖父は参加し、いずれにおいても鍵となる役割を果たしてきた。そんな逸材が不安定な共和国に存在しては、いずれ独裁国家の象徴として担ぎ上げられていたことだろう。
故に彼は、祖国の安寧のために無能の誹りを甘んじて受け入れた。彼の業績ごと国家の歴史を封じ込めたのだ。されど、それを完全に葬り去ることまではできなかった。
これは、そんな愛すべき我が祖父の、苦難と、喜びと、そして何より終わりなき闘いの日々の赤裸々な記録である。半世紀前、再びの封印を選ばざるを得なかった父に代わり、本項を我が祖父、ひいてはコンツェルンの未来に捧ぐ。
デーレリア・コンツェルン会長コルネリオ三世 モンタドールの侯爵、ヴォンモルトーネの伯爵、オネゴリアの子爵