海の男の一世紀 ~デーレリア・コンツェルン創業百五十周年記念誌~ 作:舞葉
第一話
メインマストの頂上、舳先に向かってたなびくクロムウェル海軍旗の下で、私は今一度熟考する。どうしてこうなってしまったのだろうか、と。
「両舷全門、装薬、ついで砲弾込めろ!弾種はカーカス弾だ!」
「装填完了次第、装薬貫け!点火装置の調整も済ませておけよ!」
なぜ、私は彼らを率いているのだろう。
「白兵戦だ!カトラスを抜け!」
「狙撃手はライフル装填急げ!そうじゃないやつも装填くらいは済ませておけよ!おっぱじまったら、切り込みはすぐだからな!」
「お前、そんな量の拳銃持ってどうすんだよ?」
「一発づつぶっ放してやンのサ。お前も一本どうヨ?」
「いや煙草みたいに言われてもさぁ……」
なぜ、彼らは私のぶっ飛んだ指示に喜々として従うのだろう。
「コルネリオ様、我ら一同、用意はできております。今一度、号令を」
なぜウィリアムは、半世紀は年下の私にそこまで信頼を預けられるのだろう。
「……わかりました。ウィリアム、
なぜ私はさも当然のように雷管式小銃と蓮根式拳銃の装填を済ませ、覚悟の決まった目でカトラスを右手に敵艦を見つめているのだろう。
そしてなぜ戦場を前にして、私はこんなにもワクワクしているのだろう。
『お前ももう良い歳だろう。そろそろ海に出る時だ』
私の人生が本当の意味で始まったのは十六歳の夏。照りつける太陽の元、船団長たる十六歳のガキこと私を乗せた船団は、蒼く輝く大南洋へと乗り出した。革命暦93年の、収穫月の半ばだったと思う。
まだ暦が大洋暦で、年数が四桁だった頃から海賊や傭兵として活躍していた、遠く神聖帝国領北ルーム地方にルーツを持つデーレリア家。そのその末裔たる七人の兄弟姉妹の、そのまた腹違いの末っ子として私は生まれた。
かつてアラゴン王国の海軍大提督として誇った栄華も今は昔。大東洋の異教徒との戦闘で失態を晒し、大西洋から大北洋に掛けてその覇権を築いた大国、オークニー朝クロムウェル帝国との一大決戦にも敗れ、今は南大洋の片隅にあるジャーラ・マグレディという名の荒れ果てた小島に、そこそこの港と十数隻の船を有するだけの弱小勢力になったデーレリア家の、成れの果てが私というわけである。
幼い頃の私は、しょっちゅう周りに迷惑をかける子供だった。当主の女奴隷の息子として生まれた私は、比較的扱いが雑だったゆえによく風邪をひき、そのたびに母や二人だけの使用人たちを悩ませた。半世紀は優に超えるほどの昔の話だが、今でもファルマンとドローテの狼狽した声を思い出せる。
七歳になるころには少しまともな住処が与えられ、また私自身もそれなりに成長したがために治まったが、今度はその変わり者気質が問題となった。ジャンクラウディオ・デーレリア―――当時の当主にして、私の父親だ―――の末の息子、しかも曲がりなりにも貴族家の血を引く本妻の子ではなく、気まぐれに孕ませられた曰く付きの女奴隷の子供という胡散臭い身の上ながら、どうもデーレリア家の血を一番強く引いたのは私だったようなのである。
私が剣術や格闘技よりも惹かれたのは、頻繁に港湾を出入りする船だった。
第四帝国海軍から奪った低等級の戦列艦やスクーナー、はたまた小型のガレー船など、かつてアラゴン女王国の海軍総提督として無敵艦隊を率い、連合王国や東方大陸の異教徒と干戈を交えた頃の名残として、デーレリア党は大小二十八隻ほどの船を保有しており、また他国の船も多数港湾に出入りしていた。
「ファルマン、ファルマン、あれは何処の船?」
「さぁ、何処の船でしょう?あの半月の紋章に見覚えはありませんかな?」
「うーん…あ、あそこだ!東の…なんとかバーン帝国!」
「惜しい、イシュトバーン帝国でございます。全く、コルネリオ様を見ていると、初代当主の言い伝えを思い出します」
かつてアラゴン王国にあって、世界最強を誇った無敵艦隊。その地歩を築き上げたデーレリア家初代当主がそうだったように、今も色褪せない私の船舶や海そのものに対する興味は、半ば偏執に近いものがあった。見覚えのない船、特にクリッパーやラテン帆のガンボートなどがやってきた時など手がつけられないほどはしゃぎ回り、痩せ型の体躯を生かしてするりと船に忍び込んでは、価値の高いものから石ころほどの値段もつかないものまで様々なものをくすねてきて、いつまでも飽きずに眺めたものである。
六分儀や望遠鏡、小さな帆船の模型、さまざまなジャンルの本といった高価なものから、精巧な彫金細工の施された蓮根式拳銃や、何処から手に入れたのやらロレンツ共和国の新型制式ライフルなどの物騒なものまで。三年とたたぬうちに私の部屋は足の踏み場もないほどの蒐集品で埋め尽くされた。
また、暇を持て余していた私は第一言語のローヴァンディア方言のラテティア語の読み書きに加えて、神聖帝国の公用語であるアルブレヒト語、第四帝国のフラビア語、そして遠く雷神海峡を隔てたオークニー朝クロムウェル帝国のカムラン語、果ては西のカスティーリャ語まで、四大洋の主力言語をあらかた覚えてしまった。
が、同じ船好きとはいえ高等戦列艦にご執心だった父とは異なり、私の専門は高速の小型船だった。嵐のように現れ、素早く手痛い一撃を叩き込み、風のように去るそれらの戦い方を、私は愛したのである。
そんな私が初めて乗り組んだのは、本島と大洋各所を行き来し、戦利品を売りさばく商船団の旗艦を務めている小型のスクーナー『ボンザ』。元はクロムウェル帝国海軍のエクスプレス級伝令艦で、その先進的な鋭い船体が祟り、僅か二隻しか作られなかった悲運の艦である。武装はもともと備わっていた12ポンドカロネード砲が片舷三門の計六門に加え、十八ポンドカロネード砲に代えて据えられた、12ポンドと砲弾重量こそ同じなれど、比較にならないほど射程が長く、重量も同世代の他方に比べて驚くほど軽いグレーヴォ式カノン砲が片舷四門の計八門。全長二十四メートルと武装のわりにかなり小型であり、後者の砲に関しては、エクスプレス級の原設計にはない大戦争時代の品だ。かつて四大洋を暴れ回った、第四帝国陸軍の置き土産である。
そんなボンザにおいて、私に割り当てられた役職は、船団長兼通訳だった。船団指揮自体はベテランであるヴィクトリア商会出身のウィリアムが担当する。クロムウェル植民地の南にある島から出土した石像そっくりの四角い顔にもじゃもじゃの髭を蓄えた、この道四十年の大ベテランである彼だが、フラビア語とラテティア語以外の言語はからっきしである。没落貴族の令嬢だったらしい奴隷上がりの母の薫陶よろしく四大洋のほとんどの言語を話せるようになっていた私は、遠洋航海には便利な存在だったらしい。
そんなこんなで一端の船乗りとなった私の最初の船団には、スクーナー艦ボンザを旗艦に、護衛艦として第四帝国海軍の払い下げ品たる建造三十年のガリオテ級臼砲艦、ヴォルツァーノとヴェスヴェィオが所属していた。船としては古典的な二本マストに台形のガフセイルと横帆がたなびくケッチ型で、旋回式三十二ポンド臼砲二門と八ポンドカロネード片舷四門の軽武装艦で、全長はボンザよりでかい三十メートルの全幅八メートル、最高速度はボンザと同じく十五ノット。元来が沿岸攻撃用かつ糞のように重たい臼砲を抱えているせいで、せっかくの原設計の優速を台無しにしている。
そのほかには前世紀に滅びたローヴァンディア共和国海軍の軍用ガレー船を起源とする輸送船が四隻おり、それらの艦齢はすでに六十年越え。もともと軍用規格のランテルナ*1として作られただけあって性能は高い。が、船腹のわりに要求人員が多く、完全充足時の半分の人員で運用する都合上、足に関しては相当ヘボ臭い。かつてはカルヴァリン砲と共に艦首に並べられていた三十二ポンド砲も、今は各艦二門を除いてそのすべてが取り外され、他の艦艇に移設されている。これら七隻を擁する船団の、お飾りとはいえ総司令官たる船団長に、海の事などさっぱりな船好きなだけの十六歳のガキを据えるあたり、ウチももう限界かと思う次第である。
何はともあれ、船団で一番小さい船を旗艦に据え、本来旗艦として作られた船を輸送艦として運用するというねじれを抱えたわが船団は、青く輝く海に乗り出した。先に述べた通り、まだ夏の初めだと言うのにクソのように暑い年末の事であった。
…と、こう書くと意気揚々と出航したように見えるが、実態としてはえっちらおっちらがいいところだ。私の故郷の位置するルーム海域は、四大洋きっての多島海であり、東からの風が数多くの島にぶつかって複雑な気流を形作る。要するに、帆が使えないのだ。多少人員が不足していようとも、我らがデーレリア党が全長五十メートルの艦隊型ガレー船を無理やり運用している理由はそこにある。
幸いにして、船は比較的軽い。ジャーラ・マグレディからルーム海域の出口である雷神海峡までは、汽船の普及した130年代ではだいたい四時間ほど。小回りの効かない大型ガレー軍艦で、なおかつあちこちの島や名の知れた岩礁を迂回しながらでも、半日ちょっとあれば着いてしまう。ならば、輸送品のほかには最低限の水と食料だけを積み、多少の金を払ってでも海峡の港で必要な物資を詰め込んだ方が楽なのだ。
あちこちに見える無人島の岸壁には、座礁したと思われる帆がぶら下がったままの船の残骸が存在し、そのほとんどは櫂の存在しない第四帝国やクロムウェルの船だ。何を隠そう、私の生まれる三十年前まで、南大洋のあちこちを荒らしまわっていた多数の海賊団の船を追いかけて、総帆展帆でルーム海域に突っ込んだ哀れな連中の船である。何ならうちの団が所有する船の半分は、それらをサルベージして修復した代物だ。
『南大洋の真珠』という通称に相応しく、ルーム海域を行く道中の景色は絶景と言って差し支えない。どこまでも蒼く透き通った空に、島から島へと飛び回る鴎の白い翼がよく映える。欠点があるとすれば、あまりにも透き通っているがゆえに浅瀬に沈む朽ちた武器や半ば砂に還った人骨がはっきり見えてしまうことぐらいだろうか。先の第三帝国と大洋列強の大戦争で酒樽数万杯ではすまない量の鮮血を飲み込んできた海は、海上のことなど知らぬとばかりに透き通っていた。
ボンザの甲板でのんびりと空を眺めていると、船団の速度が安定してきて暇になったのか、ひょっこりとウィリアムが横に現れた。
「初めての海は如何ですかな、コルネリオ様?」
「なんというか、穏やかで…包み込まれる様だ。潮の香りも、心地いい」
「そいつは重畳。コルネリオ様は一応船団長ですから、船酔いなどされてはどうしようかと」
「なんだ。海にでも投げ込む気だったか?」
「いえいえ、純粋な心配でございます。私が銃弾に倒れるようなことがあれば、あなた様にしか指揮は取れませんので」
タチの悪い冗談はやめろと思いっきり顔を顰めて見せると、ウィリアムは呵呵大笑し、あちこちを行き交う海鳥の名前や、特徴的な小島の名前を一つ一つ丁寧に教えてくれた。
「まぁ、海鳥と言ってもこのあたりには
あちらこちらの島には小さい砂浜や切り立った崖などが点在し、真っ白なアエギア風の塗装がなされた灯台も散見される。これらはルーム海域に点在する諸侯が好き勝手に整備している物であり、例え二カ国が戦争状態に突入しようとも、各地の灯台だけは絶対に攻撃しないのが不文律だ。
「あれは…灯台旗だ!灯台守がいるぞ!」
「有難いことだ。総員、帽振れ、帽!」
青い空と青い海に、真っ白な灯台は良く映える。各地の灯台の上には旗竿が立っており、頂点には『灯台守ここに在り』を示す灯台旗が翻っていた。幼い私も船員に混ざって古ぼけた三角帽を振り、ついでとばかりに腰に差していた蓮根式拳銃を三発発砲した。いかなる所属の船であろうと、灯台守には必ず敬意を表すのが、ルーム海域の習わしだった。
「…見えました!雷神海峡の大灯台です!」
「よぉし!野郎ども、よくやった!今日は明日の朝まで此処で過ごすぞ!」
「「「「おっしゃぁー!」」」」
半日強の穏やかな航海の後、私を乗せた船団は、無事に雷神海峡にたどり着いた。
ルームに明るくない皆様にとって、陸といえば大小の島しかないこの海域において海峡とは何を大袈裟な事を思われるかもしれないが、雷神海峡に関しては別物だ。
シスリ島とメッセナ島と言う二つの島に挟まれたこの海峡は、一番深いところでは水深二十メートルと、多島海域外縁部の中でもダントツで深く、幅も約百メートルと広い。大型船が通れる水深十五メートルのエリアは五十メートルとやや狭まるが、それでもアラゴン海軍の百四十門艦ドン・ホアン級一等戦列艦が、二隻並んで通るに十分な幅である。そして、ルーム海域の東部においてはここ以外に外洋へと出られるルートは見つかっていない。これが、シスリ島とメッセナ島が海峡と称される所以である。32ポンド砲とカノン・ロイヤルこと68ポンド砲で守られた二つの島は、クロムウェル海軍も手出しできない中立地帯である。
二つの島はそれぞれ直径十キロほどのサイズがあり、海峡を挟むように標高二百メートルほどの切り立った山がそびえ、岩肌にへばりつくように多数の宿や店がその軒を連ねている。聞くところによれば、上に行くほど宿代は安いらしい。島の中ほどには五キロ四方はあろうかという広大な――多島海基準では十分広大である――農場が、丘上の風車小屋に見下ろされるように立っている。昔は一つの島だったというだけあり、二つの島は鏡合わせのように瓜二つだった。
そんな島に寄港した私の船団がまず手を付けたのは、ここから目的地であるダールム・ドゥ・ゲール連合王国のファースタル港までの道程に必要となる、食料や弾薬といった物資の補給だった。特にこの先の航路に当たる西大洋は、革命暦の導入以前から続くクロムウェル帝国の植民地戦争の余波で海上の治安が最悪といっていいほどであり、武装の点検と整備は欠かせない。私の初仕事は、この雷神海峡であった。
「じ、12ポンド砲百発分で二千五百セヴリン!?どういうことだ!」
「お、落ち着いてください、ウィリアムさん。『…ああ、クロムウェル政府の。…なるほど』、どうも最近西洋各地で新大陸とクロムウェル軍の衝突が増えたおかげで、軍による弾薬の買い占めと政府の価格統制が起きているみたいですね。南からの城跡の輸入もうまく行っていないようです」
「そいつは弱りましたな…三百袋分で六千五百セヴリン、それと、うちの船の積荷を少々では?」
「『はい、はい。六千五百と、グラナダ植民地産の銀半ポンドほど…え、足りない?あ、はい。少しお待ちください』…銀一ポンドならいけると」
「わかりました、それで手を打ちましょう。そうお伝えください」
「ここからファースタルまで大体三か月として、乗員百人の一日七百グラムだから……大体六トン半程度か。マッセルとキャンベールで補給するとしても、四トンくらいは積んどいたほうがいいな」
「おうおう、干し肉と野菜の瓶詰も忘れちゃいかんぞ。干し肉だけで七百キロ、瓶詰も二百キロ、それに水も二十バレルくらいは積んどいたほうがいい。まったく、いくらファースタルの買値がいいとはいえ、ここまでする必要があるのかねぇ?極東の大陸で金でも探す方が、まだ儲かるんじゃねぇの?」
「しょうがねぇだろ、それがお頭の指示なんだから。お前らはここで値切り交渉をしといてくれ。俺はひとっ走り言って、現金をとってくるよ」
わが船団はガレー輸送艦の有する大型のランタンのお陰で夜には強かったのだが、先述の通り飯と水と弾薬がない。この時代、銃砲弾と火薬を載せずに海に出るのは、たとえどれほど小さな漁船であっても自殺行為である。手漕ぎオール一本で動くような小舟でも、水濡れに強く安価なフリントロックの短銃は標準装備だ。ましてや金目の物を満載し、のそのそと動くガレー船団など格好の的である。輸送船の甲板側面に備え付けられた八ポンド砲は、何も脅しというわけではない。このご時世では大抵古臭いガレオン船やボンザの様な小型船に乗っている他のライバルに手痛い一撃を叩き込むための、立派な防衛火器である。
とはいえ所詮は合計六隻の小さな船団、補給はあっさりと済み、私も混ざってシスリ山頂の醸造所産の麦酒を片手に飲み明かした次の日、皆で揃って二日酔いに苦しみながら、私達は改めて西大洋へと滑り出した。
今思えば、あれは天が私に遣わした死兆星の初仕事だったのだろう。東風と南風が入れ替わる第四帝国領西端のキャンベール市から出航したものの、まともな風が吹かずに帆桁からだらしなく垂れ下がった帆を眺めること一週間、唐突に都合よく吹き出した南東からの風を受けるべくマストによじ登った船員の1人が、それを見つけたのだ。
「ふぇんふぁんひょう、ふぉうふぁいひょう、ふぁぃいらふぉふぁひはふほは…」
「オメェは良い加減足に干し肉を挟んで食うその癖を直せ!で?」
「むぐっ、むぐ、…ふぅ。北西の方、見てください!火柱です!それも、何本も!ありゃ、発砲煙だ!」
「はぁ!?この辺ってことは…
「小競り合いなんてもんじゃねぇ!あの規模、間違い無く三等戦列艦ぐらいはいますぜ!」
七州共和国ことセッテ・スタト、又の名をカムラン語でセブン・ステイツ。数百年近く続くクロムウェル新大陸植民地戦争の引き金を引いた国で、その名の通り七つの植民地州の連合体だ。果たして彼の言う通り、醇風を勢いよく帆に受けて進む船団の真正面では、合計三十隻はいようかと言う大小様々な船が、オレンジ色の閃光と爆発音をひっきりなしに轟かせ、激しい砲撃戦を展開していた。
「参ったなぁ。あの規模の海戦なんて、滅多に起きるもんじゃないぞ?ここは一旦引き返すか?」
「ここまで来てか?他国の商船旗を掲げて突っ切るのはどうだ?」
「クロムウェルならともかく、七州軍はあまり素行が良くないって噂だぞ。まずいと思うぜ」
判断に悩むウィリアムをよそに、船員たちは好き勝手なことを囁き始める。しかし、船団長たる私の視線は、とある一隻の船に釘付けになっていた。
「やかましい!少しは黙れ、野郎共!…だが、確かにそうだな、ここは一旦引くべきだ。積荷を少し崩せば、しばらく雷神海峡に滞在出来るだろう。この海戦の情報自体、結構な売り物になるはずだ。よろしいですかな、コルネリオ様。…コルネリオ様?」
鋭く尖ったスマートな艦首。追い風をいっぱいに孕んで膨らむ、四本マストに取り付けられた各種横帆と縦帆。既存のコルベットや戦列艦ともまるで異なる、速度を求めてデザインされた流線型の船体。マストの下には横に大きく張り出した四角い横帆もあり、黒地に白帯二本のシンプルな塗装の船体も相まって、まるで曇天の海の上でで輝いているように見える。全体は五十メートルほどとクロムウェルの七十門級三等戦列艦と同程度であり、元は私掠船だったのだろうか、三十二ポンド級と思しき重たい砲声も時折聞こえてくる。
「あれが、欲しい」
「はっ?」
「ウィリアム、今ガレー船に乗っている積荷から、特別金になりそうなものと火薬、それに大砲ニ、三門を残して、全ての積荷を可能な限りボンザ、ヴェスヴィオ、ヴォルツァーノの三隻に移してください。特に艦首の32ポンド砲も絶対に忘れないように。点火装置用の長い長いロープと、商船旗三枚も必要です。手早く用意をお願いします」
「ちょっ、ちょっとお待ちください!まさか、あの艦隊に喧嘩を売るおつもりで!?」
信じられないと言う顔で私を凝視するウィリアムとは対照的に、この世でいちばんの宝物を見つけたような気分の私は、確かにっこりと微笑んでこう言ったような気がする。
「私だってデーレリア家の男です、この程度、喧嘩を売らずして逃げ帰るなんてできませんよ。さ、早く用意をしてください。時間は待ってはくれませんよ」
かろうじて発した声は、傍からどころか自分が聞いてもわかる震え声。緊張と恐怖と虚栄心、そしてひと匙の矜持がないまぜになった顔はそれはそれはひどいものだったが、しかしウィリアム曰く、その眼光だけは『修羅場に向き合うときの先代当主のそれと瓜二つ』の、アクアマリンの様な鋭さと輝きを湛えていたそうだ。
革命暦、あるいは共和暦九十二年の、天測と私の記憶が正しければ
私の初陣であり、捉え方によってはデーレリア商会史初の戦いとなる、キャンベール沖の戦いが始まった