海の男の一世紀 ~デーレリア・コンツェルン創業百五十周年記念誌~ 作:舞葉
私が他人より少々頭がイカれていることを自覚したのは、まず間違いなくこの初陣だった。
人を殺したことも、死体を見たことすらもないというのに、緊張を覚えるでもなく、気持ちは酷く落ち着いている。それぞれカトラスとリボルバーを握る右手と左手には、初陣を迎えた若い連中にありがちな武者震いは無く、肉体も平静そのものだ。
しかし、後年貴重な証言をくれたウィリアム曰く、あの時の私は頬をまるで恋を覚えた生娘のように好調させ、双眸を大きく開き、待ちきれないというような深い笑いを唇に浮かべ、総じてクスリか何かでもキメているかのような表情で、一途にあの船を見つめていたらしい。
今はもうこの世に居ない、我が最良の補佐官にして参謀長よ。そう言ったことは、もう少し早めに言ってくれると助かったのだが。
ともあれ、押し込まれつつあるクロムウェル海軍艦隊を、絶対に逃すまいと追いかける七州海軍の後方約五キロ。霧が深まった海域を、折から強まった追い風を受けて、平均二十ノットで私の船団は突き進む。
先頭に立つのは、ほぼ全ての櫂を捨てて帆をいっぱいに張り、甲板上に十数個の樽と一つの大きな木箱を並べたガレー輸送船。船首に据え付けられた衝角は曇り空越しの陽光を弾いて鈍く輝いており、今か今かと獲物の土手っ腹に突き刺さる時を待っている。その先端が捉えるのは、こちらに背を向けている七州海軍の主力戦列艦。高い乾舷*1と、複数階層の船内に所狭しと据え付けられた多数の砲を備えるそれは、旗艦である三等戦列艦は伝統的な七十四門、準主力である四等戦列艦でもボンザの八倍である五十門も大砲を持っている。砲弾の重量も段違いに重く、マストもその鈍重な巨体を動かすべくかなり背が高い。多数の鉄球で甲板上の構造物の破壊を狙うブドウ弾や、船員の殺傷と索具の破壊に使われる鎖弾を叩き込まれたと思しきそれらの船はかなり傷んでいたが、依然としてその巨体と多数の砲門はかなりの脅威である。
「本当にあれに突っ込んで、勝てる算段なんかあるんですかね、コルネリオ様」
「策さえ当たれば、どんな巨艦だろうと一撃で沈められる。戦列艦には、決定的な弱点がひとつあるんです。そこを叩きます。今はとにかく、私を信じて突き進んでください」
「アイアイ。……まったく、誰に似たんですかねぇ」
ぐんぐんと縮まる距離に比例して、霧のベールの向こう側に隠されていた敵艦隊の威容がみるみるうちに鮮明になる。撤退に移りつつあるクロムウェル艦隊の追撃と、鉤縄や梯子などを使った昔ながらの敵艦への移乗攻撃で人員が大きく前方に取られているのか、殆どの船には後方の見張り要員がおらず、そろそろ大砲の射程圏内に入るというのに発砲音も聞こえない。戦場は、私の想定通りに推移していた。
船首から斜めに生えるバウスプリットの先端、一番前のフォアマストの頂上とつながっているロープを掴んで立っていた私に、ウィリアムが叫んだ。
「敵艦距離、およそ六百メートルです!」
「ガレー船の人員は退避準備!そのほかの人たちは、そのままでお願いします!」
百メートル、また百メートルと縮まる距離。私の船団に気が付いたと思しき七州軍の海軍制服姿の男たちが、艦首の方に駆け出していくがもう遅い。
戦闘艦三隻の先頭に立つボンザと、敵三等艦の距離はすでにわずか150メートル。ウィリアムから教わった『三ノットに対し船一つ分』の停止距離の法則にしたがい、小型艦艇がぶつからずに回頭できるぎりぎりを狙って、私はこう叫んだ。
「今です!ガレー船班、船から飛び降りて後方の短艇に乗り移ってください!絶対に誰かは紐を手放さないで!ボンザ、ヴェスヴィオ、ヴォルツァーノはその場で全力取り舵いっぱい、進路は敵小型艦戦列!この戦いの趨勢を、ひっくり返してやる!」
海上に響き渡る鈍い衝突音。流石に異変に気がついた白い水兵服に青リボン姿の乗組員が駆けつけた頃には、鋼鉄で固められたガレー船の衝角が、戦列艦の飾り建てられた艦尾に、絶対に振り切られまいとするかのように深々と突き刺さっていた
あらかじめ艦長の私物や貴重品が積み替えられ、戦列艦の背後にロープで曳航されていた短艇に乗り移ったガレー船の乗組員は、磨き上げられたカトラスで瞬く間にそのロープを断ち切る。そして船員の一人にガレー船の甲板上に据えられた箱の端から伸びる細い紐の先端を固く握らせて、人数分残してあった櫂を手に全力離脱を始めた。
「スクーナーとガレー船で戦列艦を仕留めようなんざ、連中も馬鹿なこった!おい、銃と大砲を持って来い!連中を嬲り殺しにしてやれ!」
「手隙の人員は後方へ!敵艦乗員を殲滅しろ!」
数隻の小型艦とガレー船程度に何ができると、せせら笑いながらマスケットを装填し始める七州海兵。実際、彼らの舐め腐ったセリフは事実だ。まともな連中の考える策なら、ガレー船で戦列艦にまともに噛み付ける事なんて殆どない。
だが、だからこそ、海戦の『か』の字も頭の中に入っていない、しかし船の利点と弱点なら知り尽くした私のアイデアは、強かに連中を叩きのめすのだ。
「知らないようだから、教えてやる!戦列艦は、どうしようもなくケツが弱いんだ!
発破!発破!敵艦もろとも、吹っ飛ばせ!」
「面舵いっぱい、減速しろ!巻き込まれるぞ!」
「野郎共、何かにつかまれェェェェェェ!」
勢いよく引っ張られるロープと、微かに響く火打石式大砲点火装置の軽い金属音。あらかじめ装填してあった焼夷弾が勢いよく木箱に隠された大砲から飛び出し、山積してあった大量の木樽に直撃。わずかにこぼれ出たその樽の中身は、船団が保有するありったけを集めた黒色火薬である。
かつて四大洋全てを巻き込んだ戦争が起きた時、第四帝国のとある陸軍将校が作り上げたグレーヴォ式の12ポンド砲にして、実に三百五十発分に相当する爆発物。敵艦三隻にぶつけたために一隻あたりはせいぜい百二十発ほどだが、この爆風が直撃したのは、オーク材の分厚い重装甲が緩やかな曲線を描きながら艦内部を守る側面ではなく、飾り立てられているとはいえガラス窓や真っ直ぐで薄めの木材で構成された後部である。
その構造上、戦列艦は後ろから前への通気性が大変良い。船体後方に設けられた艦長室の快適性を保ち、かつ艦首側に据え付けられた調理場の換気を行うための構造だが、それはつまり風以外の物が高速で船体後部に突っ込んだ場合、艦の内部をそれはもう酷い状態にしながら艦首まで突き抜けていくということと同義。
ましてや今回突っ込んだのは、単純計算で1440ポンド、即ち四頭立ての馬車に等しい重量を、方法にもよるが数キロメートル単位で吹き飛ばす量の火薬による大爆発である。何が起きるかは、自明の理だった。
「のがっ……な、なんだ!何が起こった!」
「き、旗艦が!コンスティテューションが、爆沈しました!」
「ふぃ、フィラデルフィア後方で火災発生、損害は未だ不明!」
「キアサージが真っ二つに折れちまったぞ!?」
曇天の下のドス黒い海上に、三つの大きな爆炎が踊る。かろうじて四等戦列艦一隻は生き残ったが、旗艦と思しき三等艦と、準主力級と思しき四等艦一隻は、大きな渦を海に描いて沈没。わけてもキアサージと呼ばれた四等艦は、船体中央の弾薬庫に誘爆したらしく、後方の爆炎に続いて船体そのものからも、最上部甲板をぶち抜き、三本マストの真ん中に当たるメインマストの根本から大爆発が発生。
呆気に取られる七州兵と、何が起こったのかさっぱりわからないクロムウェル海兵、そして歓声を上げる私達の目の前で、服のみならず体全体が焼け爛れた海兵や、焼けこげた三角帽を片手に統制を取り戻そうと最後の足掻きを見せる将校たちと共に、艦中央を境に前部と後部に分かれて波間に消えていった。
「母さん、母さん!俺、まだ…」
「死にたくねぇ…死にたくねぇよぉ…!」
「こ、降伏する!誰か、誰かいねぇのか!」
「落ち着いて海に飛び込め!可能な限り船から離れろ!…ああクソッ、連中聞きやしねぇ!だから繰上げ徴兵なんて碌なもんじゃねえと言ったんだ!」
広大な植民地と、第四帝国に次ぐ強力な工業基盤を持つクロムウェル帝国とは異なり、七州共和国は新大陸の東岸にへばりついているだけの新興弱小国だ。西にはだらだらと陸戦を続けていたらいつの間にかクロムウェルの支援で強くなっていた原住民諸国の連合軍、東には植民地を奪還せんと戦うクロムウェルの大艦隊。百年弱にわたって二正面戦争を続ける七州の国力は限界に達しつつあり、第四帝国からクロムウェル、そして七州と、その長い艦歴の中で主を転々とした七十四門三等艦コンスティテューションの残骸より響く断末魔の数々には、中間層の物は一つも混ざっておらず、私の耳がとらえたのはわずかに響く壮年の怒鳴り声と、悲痛と生への渇望に満ちたボーイソプラノだった。
「…こいつは酷い。私も元は海軍上がりですが、ここまで若いのが多いとなると…案外、植民地戦争はコルネリオ様の世代で終わるかもしれませんな。……コルネリオ様?」
「……っ、すいません、この声に、少し……情けないです」
「初陣なんざぁ、誰だってそンなもんでぇ。むしろ、その程度しか動じてない若旦那の方が、どっか頭のネジがトンじまってるんですぜ?」
「いよっ、イカれ大将!…いでっ!?」
混ぜっ返すような壮年の船員のヤジと、即座に飛んだウィリアムのゲンコツのおかげで、やや膠着気味だった船内の空気はいつもの朗らかさを取り戻す。右手に握ったままのカトラスの柄頭でぽりぽりと頭を掻いた私は、改めて拡声器――といっても現代のようなものではなく、ただの真鍮の円錐形の筒だが――を握りしめると、船団全体に号令をかけた。
「旗艦を先頭に一列縦隊を組み、このまま敵艦隊中央へ突貫します!目標は前方に見える大型帆船!皆んな、切り込みの用意を!」
「進路北東三十度!取舵一杯ヨーソロー!」
急減速のために九十度近く針路をずらしていた艦隊は、再び針路を目標に合わせ、残骸の海を帆いっぱいに風を湛えて再び滑り出した。
一メートル、また一メートルと進むたびに、木材やそれに準ずる
途中幾度か他の艦に絡まれもしたが、大抵は見るからに設計の古い中型〜小型の四十門ないし三十門艦がほとんどであり、乗員も定数を満たしていないのか動きが鈍い。あちらが一発えっちらおっちら撃つ間に、こちらはガレー船の船手から取り外して無理やり備え付けた32ポンド砲や、ヴェスヴィオとヴォルツァーノの32ポンドカロネード砲などを三発はぶち込んでいるような有様だ。さらには先程まで正面切った砲戦を繰り広げていたせいか甲板には火薬が散乱しており、特に精度に優れる12ポンドグレーヴォ砲など、一発命中するたびに鉱山でも掘っているかのような連鎖爆発を引き起こした。
「すぐ使うからといって甲板に火薬を放置しておくと、ああなるんですねぇ…」
「うちも他人事じゃありませんぜ。甲板から突き抜けようものならお陀仏だ」
「そうならないことを祈りましょう。そろそろ接舷です!」
ちょうど臼砲艦二隻のうちどちらかが、近くにいた運の悪い五等戦列艦のフォアマストを薙ぎ倒したころ、六隻から三隻に減った私たちの船団は、最初の目標であるあの四本マストの船にたどり着いた。既に体勢を立て直したクロムウェル海軍の艦隊が、私達の突入で東西に薄く広がった七州艦隊の両翼にそれぞれ突撃を仕掛けており、私達の行手を遮るものは人っ子一人存在しない。標的とボンザの乾舷はおおよそ同じ高さであり、切り込みの際に高さによる不利を負うこともなさそうだ。あちらの水兵は銃の装填を急ぐものや、仕舞われていたボーディング・ネット*2を引っ張り出すもの、はたまた放心状態で崩れ落ちるものなど、どう足掻いてもあと三十分は無防備同然だ。
引き換えに、私の船団はほぼすべての連中が武装を整え、敵艦に引っ掛けて引き寄せるための熊手や鉤縄を万全の状態で準備し、何より背後には世界最強格のクロムウェル海軍がついている…とまでは確信しきれないが、少なくともこの戦いが終わるまでは一応味方である。
「接舷、接舷!熊手と鉤縄を引っ掛けろ!敵艦を逃がすな!」
「補修材の板を持ってこい!即席の橋を架けるぞ!」
「突撃!突撃!私に続け!船長室と操舵室を制圧する!」
「っちょ、ウィリアム様!?」
「ハッ!やるじゃねぇか、若旦那!野郎共、突っ込め!イカれ大将を死なせるなよ!」
勢いあまって真っ先に突っ込んだ私のリボルバーが鳴らした銃声と、空を舞った血塗れの将校制帽を合図に、船団の乗組員は次から次へと細く頼りない板材を踏みしめてなだれ込んだ。甲板にはそれなりの数の乗組員がいたが、まともに抵抗を試みるのは年嵩の将校がほとんどで、若い水夫や水兵は大した抵抗もなく斬り伏せられるか、銃弾の餌食になった。
最終的に、私はこの戦いで三人を手にかけた。一人は号砲の犠牲になったアレックス・ジャクソン海軍大尉。あとの二人は、名前はおろか階級すらも分からない。識別票を検める前に、私の船員達が船上の死体を海に放り込んでしまった。彼らの顔こそ覚えているが、長年にわたってトラウマを抱くことも、夢に見ることも一切無かった。何世代にもわたって続く家業故に、人生の何処かでまともな感性を放り捨ててきたのだろう。
とまれ、私の初陣はここで終わったと言って良いだろう。殴り込んだ艦長室の瀟洒なデスクの上、すでに自害していた艦長の提督帽を何の気無しに被る頃には、砲列甲板の上から船倉の隅に至るまで掃除が済み、戦闘艦三隻には収まりきらなかった積荷の移動も始まっていた。
「なんだぁ、この鉄の筒?表も裏もふさがってるし、降ったらなんか水音がするぞ?」
「あぁ、そりゃ缶詰だな。なんでも長期保存が瓶より簡単だとは言うが、ちょくちょく封が甘くて中で腐るし、なんでか知らんがたまに食ったやつが死んだりするらしいぞ」
「ひえー、おっかねぇ食いもんだ」
「食料品は前、日用品と予備の装具は奥から入れて行けよ!」
「船体の長さのわりに、船倉が小さくないか?」
「多分、もともとは客船か何かだったんじゃないか?ほら、この船室なんて明らかに軍用のそれじゃないぞ」
積み荷の処分をさせる間もなく電撃的に制圧したおかげで、元から積んであった弾薬の類もそっくりそのまま残っていた。ほとんど火薬を使い切ってしまった私たちにしてみれば、渡りに船といった状況である。各船の船長とウィリアムを交えた話し合いの結果、元から六隻合わせて百人くらいしか乗組員もいないのだし、いい機会だからいい加減ぼろくなってきた三隻を捨て、この船にすべてを移してしまおうということになった。
「その……いいんですか?自分の船に未練とかは……」
「そりゃまぁ、未練はありますよ。ですがね、あれを見てくださいや」
ヴェスヴィオの船長を務める、そろそろ六十が見えてきたもじゃもじゃ髭のテオドーロは、船室から親指で自分の相棒を指さしながら続けた。
「竜骨はぼろぼろ、外板もつぎはぎ、さっきの戦いで臼砲の旋回シャフトは真っ二つ。これじゃ自分の大砲の反動にだって、もう幾度も耐えられやしない。自分の船を眠らせてやるのも、船長の責務ってやつだと、私ゃそう思いますがね」
とりあえずファースタル港までは三隻を連れて行き、そこで解体業者に預けようということで合意した私達は、止むことなく吹き続けている南西からの風に身を任せる形で北東に針路を取った。慣れない高いマストと全てのマストに横帆がある四本マストのシップ型帆装の展帆や、これまでは大した問題にならなかった船足の差に四苦八苦しながらも、各マストの一番下の帆を除いてほぼ全ての帆を広げ、未だクロムウェル海軍による掃討戦の続く戦場の只中を、四隻で一塊になって動き出した。
「左舷前方、七州海軍フリゲート三隻!こっちに真っ直ぐ突っ込んで来ます!」
「旗艦に続いて面舵三十度、回せ回せ回せ!砲門を向けろ!頭を抑えるんだ!」
「ウィリアムさん!この船、伝声管がついてますぜ!」
「そいつは好都合。左舷全砲門、装填!弾種は砲列甲板が球形弾、最上甲板がブドウ弾だ!近づいて来たところを、薙ぎ倒してやれ!」
突入戦では完全に私の奇策と火事場の気合に出番を奪われたウィリアムだったが、やはり真っ当な戦いにおいてはベテランそのもの。乗り込んでから一時間と経っていないというのに、すでに新しい船の設備にはあらかた目を通しており、七州海軍の艦砲のおおよその射程や特性まで知り尽くしている。これが熟練の技かと、当時の私は大いに感心していた。
が、後々になって話を聞けばどうやらこれには裏があったらしく、四十メートル弱の砲列甲板に片舷八門、特別頑丈に作られている最上甲板に片舷七門が並べられていたのは、なんとボンザの主兵装でもある12ポンドグレーヴォ砲だったのだ。道理で扱い方を心得ていた訳である。
半世紀前の骨董品と侮るなかれ、元々陸上砲だったグレーヴォ砲は艦砲としては大変に軽く、太い青銅の棒にドリルで穴を掘るという画期的な製造法のおかげで、大量生産しても品質のバラ付きが少なく、精度も高い。敵陣形の先頭をゆくフリゲートの喫水線付近に着弾した球形弾は、敵艦の艦首に大穴を開け、ブドウ弾は帆装と船員をズタズタに引き裂いて着弾。残る二隻にも、十八ポンドカロネード砲はまだ健在な臼砲艦二隻と、全砲門がまだピンピンしているボンザが集中砲火を加え、旋回と接近を許さない。
大砲の尻をネジや上下式の小さなドアなどで開け閉めして砲弾を装填する後装砲はおろか、既存の大砲にライフル銃と同じような溝を彫って、射程と精度を飛躍的に向上させた第四帝国のライート砲すら発明されていない時代である。ここ百年でクロムウェルでの大きな技術革新が進んでいる銃とは異なり、大砲の技術は四百年と少しの間、素材や点火方法、弾丸の種類などは増えても、根本的な理論はちっとも進化していない。百年前に作られたグレーヴォ砲も、基礎設計はそれよりは少しばかり新しいカロネード砲も、この頃は立派な『最先端』だ。ましてや七州海軍の船はいずれもどこかのお古である事が多く、古い大砲でも十二分に威力を発揮した。
一連の交戦も佳境に入ると、今度はガレー船からどうにかこうにか持ち出して来た、四門の三十二ポンド砲が猛威を振るった。砲列甲板中央、十二ポンド砲を入れ替える形で片側二門ずつ据え付けられたそれらは、相次ぐ十二ポンド砲の着弾にもめげずに旋回し、砲撃を始めたフリゲート艦の土手っ腹に嫌な音を立てて直撃し、続けて叩き込まれた焼夷弾との相乗効果で砲列甲板を見事にローストした。一発ぶち当たるごとにこちらの乗組員は大きな歓声を上げ、敵艦からは断末魔が上がるという具合である。
勝負は半時間もせずに決した。私の船団、いやこの時はもう輸送船はいないから、艦隊と呼ぶ方が正しいか。ともかく、私たちの大勝利である。いくらか私の乗っていた大型帆船に球形弾の着弾は出たが、最上甲板が特別頑丈に作ってあったこともあって、大した被害は出なかった。
かくして私の初陣は成功を収め、私は船団内においてそれなりの尊敬と親しみを集めるに至った。が、いざ戦闘海域から離脱しようという段階になって、私達はこの戦いのもう一人の主役の存在を、否が応でも思い知らされた。
「う、ウィリアム、これは…」
「うむむ…弱った事になりましたな」
「な、な、なんだお前ら!や、やるってんなら、受けて立つぞ!」
「坊主、うちの大将を気取るのは良いが、せめて股下くらいは隠しとけよ」
「総員、甲板へあがれ。武器は持つなよ。くれぐれも丸腰で、だ」
「両舷、砲門閉じろ!砲列甲板もだ!」
三十二ポンド砲を筆頭に、片舷だけで三十余門。残骸の海をやっとこ抜け出した私たちを待ち構えていたのは、アロガント級七十四門三等戦列艦二隻を筆頭とする、十五隻はいようかというクロムウェル海軍の大部隊。
『本艦は停船中、行き足なし』
『貴艦は直ちに停船されたい』
『本艦は貴艦との通信を求める』
上から順に青地に白のクロス、黄色と白の四分割チェック柄、そして縦に二色に分かれた青黄の三枚の信号旗。そして、それらを見下ろすように掲げられた、白地に赤十字と左上の鉄兜の海軍旗。
新しい船と豊富な積み荷を手に入れ、意気揚々と動き出した私たちの目の前に現れたのは、全ての砲口を寸分の狂いなく私たちの艦隊に向け、その巨大な船体を悠々と洋上に横たえる、クロムウェル海軍艦隊の艦隊であった。