「ジョックロック?」
聞き馴染みのない単語が口から飛び出し、そのまま宇治川の水流に溶け落ちていった。その畔に佇むベンチで、麗奈は「うん」と一度だけ頷いた。
「野球部の顧問の先生から、月末の試合でスタンド応援をお願いされたでしょ。それで、同じクラスの野球部員から、曲のリクエストがあったの」
「それがジョックロック……麗奈知ってるの?」
「全然、初めて聞いた。だから検索してみたんだけど……」
麗奈は自身のスマートフォンに接続されたイヤホンを差し出してくる。私はなんの抵抗もなく受け取り、耳に装着した。
再生ボタンを押して、私の耳に聴いたことのないアップテンポな楽曲だった。
ドラムセットから繰り出されるリズムに押し出された金管の重奏が盛り上げる。ドラムはエンドレスにテンポを繋ぐ。合間に入るドラムソロは、恐らく応援の掛け声の為に設けられたのだろう。
もし、この曲を思いっきり吹けたなら最高に気持ち良いだろう。ただし吹けたならである。今の私には、いきなり用意された新しい曲を捌ける自信に皆目見当がつかなかった。
サンライズフェスティバルが終わり、北宇治高校吹奏楽部は専ら八月に行われるコンクールに向けて課題曲と自由曲を練習する毎日だ。
他校の吹奏楽部の活動において、他の部活動や学校行事で依頼されて演奏する機会がある。野球部やサッカー部の応援がその代表例だ。
我が校の野球部は、例年は初戦で敗退するか良くて二回ほど勝利するに留まる。高校野球の全国大会である甲子園には出場した経験はない。故に、スタジアムまで赴いてスタンドで演奏する機会は皆無だった。しかし今年は顧問が代わり、選手層も厚かったことで例年以上に奮闘していた。あれよあれよと勝ち進み、次の試合に勝利すれば準々決勝、という所まで来てしまったのだ。
そうなると学校側も野球部の躍進に学校を上げて後押しせざるを得ない。高校野球の応援の花形と言えばチアリーディングと、盛り上げる役を担う吹奏楽部だ。しかも吹奏楽部は二年前の全国大会出場を期に躍進を遂げ、北宇治のネームバリューを底上げした。府内各校による熾烈な生徒募集合戦の構図に、白羽の矢が立つのも無理はない。学校側の思惑がありありと見えた私は、誰もいない教室で盛大な溜息を吐いた。
「で、やるの? やらないの?」
「そう聞いてくるってことは、麗奈はやりたいんでしょ」
「勿論。人前で演奏する機会はそうないし、今後の経験にも役立つと思うし」
「どうだか。私はコンクールの演奏で手一杯な現状、土壇場で曲の追加して練習間に合うかどうか……」
「はっきりしないわね」
「滝先生はなんて言ってたの?」
「先生はこの機会に吹奏楽部の技術力向上を期待しているみたい。もし追加の曲を演奏するなら、その時は協力するって」
あの先生がそんな純度百パーセントの理由で受けるとは到底思えないのだが、麗奈の手前である。うっかり口に出る前に、その思いには蓋をした。実際滝先生の出退勤の時間を鑑みても、彼のこの部活に対する献身は度を過ぎているようにも見える。有り難いことなのだが。
しかし、顧問の想いと部員のコンディションは別の話である。
私は渋っていた。確かに人前で演奏する機会はコンクールを除いてもこの前のサンフェスか定期演奏会、文化祭が挙げられるだろう。元々閉鎖的な部活だ。衆目に晒される経験はそう簡単に培えるものではない。ただ、今年はこれまでの二年間よりも全国金賞が獲れるチャンスがある。自由曲『一年の詩』の完成度は日に日に上がっている。このまま行けば関西大会は狙えるだろう。しかし心配性な私は、貴重な時間をできる限りコンクールに割きたかった。
「うーん、ちょっと考えてみる」
「そう」
二つ返事で了承するのは簡単だ。試合まで、まだ少しは時間の猶予がある。この曲について知らない事が多すぎるような気がして、私は判断を先送りにした。
府大会のオーディションは既に終わっている。コンクールメンバーは日々その練習に精を出していた。そのため応援に供出される部員はチームモナカと呼ばれるB編成が殆どだ。彼らは小編成のコンクールにも出場するが、それはA編成の公演の後に行われるため、時間的にも余裕があった。
B編成の練習する教室では、専ら野球応援の定番曲が聞こえてくる。A編成にも劣らない、堂々とした音色と会場を制圧できるであろう実力が着々と備わっていることに、私は得も言われぬ喜びを覚えた。
「久美子ちゃん」
「うぇあ!」
背後から突然声を掛けられ、思いがけず変な声が出てしまった。
「ご、ごめんね」
「ううん、大丈夫。どうしたの順菜ちゃん」
声の主はパーカッションのパートリーダー、井上順菜ちゃんだった。彼女とは昨年、アンサンブルコンテストのユニットメンバーとして一緒に活動した実績がある。快活な見た目そのままに、彼女のアグレッシブな演奏スタイルは同じユニットとして非常に心強かった。
「今度のモナカの子たちが行く野球応援で『ジョックロック』を演るって本当?」
その話は顧問と幹部間で調整していた話だ。あまりの情報の早さに私はしっかりと面食らった。
「どうして、ってもしかして麗奈?」
「そう、高坂さんから聞いちゃった」
「なんだ~。まあ、実際そういう話もあるよ」
「やらないの?」
彼女がそう言うのも無理はないだろう。『ジョックロック』はあまりにもドラムが目立つ。演奏会などで彼女が何度かドラムセットを打ち鳴らす姿を見てきた。ドラムスのスペシャリストの心が沸き立たない筈がないのだ。
「正直、コンクールもあるしちょっと悩んでる」
「これはパーカス部員の総意なんだけど、もしやるなら、私達は協力を惜しまないよ。AもBも関係ない。万紗子もつばめも出る気満々だよ」
順菜ちゃんは意気揚々に拳を作って見せた。
「ちょ、ちょっと待って。Aも出るってどういうこと?」
「え? だって久美子ちゃんや高坂さんも行くんでしょ。だからAの私たちも自ずと参加するもんだと思ってた」
「いや、私としてはモナカの子たちの演奏機会としてこの依頼を引き受けたつもりだったんだけど……」
二人の間に微妙な空気が流れる。順菜ちゃんが伝えた言葉は、渋る私の心を見透かしているようだった。
パーカッションがその心意気なら、恐らく他のパートからも参加の意志が生まれるだろう。九十人が在籍する部の意見を統一させるには、やはり公にするしかないのか。万機公論に決すべしとは、部長に就任した際、目に留まった言葉だ。
「分かった。明日のパーリー会議で議題に出してみる。だから他のパートの子たちには、まだ言わないでもらえるかな?」
順菜ちゃんは一言「わかった」と快諾してその場で別れた。
他の部員に伝えないよう牽制することも忘れない。確定していない話を広げられて会議が滞るといったことは、これまで何度かあった。だからこそ議題に上げる時は簡潔明瞭に纏めてから伝えたかった。
さて、パーカッションは全員やる気十分だ。そうなれば、私が渋っていたという事実はしっかりと伏せなければならない。部内の士気を下げることだけはなんとしても避けなければならない。しかし、コンクールまで一ヶ月を切っている。吹部としての本命を見紛わないよう、そこはしっかり注意しておきたいところだった。
その夜、私は動画サイトで『ジョックロック』について調べていた。調べれば調べるほど、この曲に対して浅学であったことが露呈した。
『ジョックロック』とは、和歌山県内にある野球強豪校の吹奏楽顧問が、応援のマンネリ化に頭を悩ませた末に作り上げた。原曲はヤマハが作成したデモ曲だったが、アップテンポなアレンジを加え、現在の形に収まっている。
私は野球を知らない。お父さんがたまにテレビで観ているが、ルールなどの詳細はさっぱり分からなかった。ただ、読みふけっている紹介ページに記されたある言葉に、私は惹かれてしまった。
「魔曲……」
青春の代名詞である高校野球には似つかない禍々しい言葉だ。
なんでも、野球には味方の攻撃中、チャンスのシーンでは通常の応援曲からチャンステーマに曲が替わるらしい。更に盛り上がる曲を演奏し、味方を鼓舞する目的が計られているそうだ。その一曲が、渦中の『ジョックロック』ということだった。
私は検索欄にあった動画をクリックした。
「はーっ、これは凄い」
甲子園球場のスタンドを白く染め上げ、無数の人が統率された動きと歓声でエールを送っている。ランナーが一塁と二塁に立つ中で、突如としてけたたましいドラムが球場に轟く。金管が主音を奏でると、球場中が大応援団と化し全てを飲み込んだような圧があった。味方にしたら心が奮い立つような音の圧。そして、敵に回せば三六〇度が自分たちを飲み込んでくるような怪物。
動画の後半では、守備側のチームが逆転され敗北した。たった一曲で、試合展開が変わってしまう恐ろしさがあった。なるほど、これは魔曲と言われるだけはある。
今までスポーツの応援に精を出したことは無かった。それ故に、応援が持つ力の存在を正確に知らなかった。これは麗奈や順菜ちゃんがやりたがる訳である。
私に与えられた権限は、イエスかノーかの二択である。部長を引き継いで一年弱、その選択を何度も繰り返してきた。私が私の心に訴える選択は恐らく間違っていないと確信した。
「つまり、野球部からの依頼はひとつ、『ジョックロック』を演奏するかどうかということです。コンクールも近いことですし、皆さんにはかなりの負担を強いる可能性があります。それでも参加したいというパートがあれば、申し出てください」
翌朝行われたパートリーダー会議にて、早速『ジョックロック』を演奏するかどうか、という議題を提示した。
パーカッションリーダーの順菜ちゃんを始め、副部長兼トロンボーンパートリーダーの秀一は快諾した。トランペットは麗奈が無言で頷いたので賛成だろう。
「低音はオッケーです。任せてください!」
「フルートも大丈夫です」
「ホルンもやるよ」
賛否両論になるかと思えば、他のパートも快諾した。正直こんなにすんなり決まるとは思わなかった。皆の瞳は自信を覗かせるように煌めいている。吹奏楽部は文化部ではあるが、部員の中には野球を知っている生徒もいる。高校野球とは少なからず神聖な存在という認識が根強いのか、その応援の一端を担えることに高揚感を得ているようだった。
「では、パートリーダー会議の結果、追加で演奏する『ジョックロック』に関しては承認するものと致します。クラとダブルリードは先日も伝えたように、楽器が痛みやすいので当日は声援に回ってください」
「はい」
「後日滝先生から譜面が配られると思います。練習時間は短いですが、各自この曲に関して少しでもリサーチするように促してください。会議は以上終了します」
私の一言により、会議は散会した。
この日の午後、野球部は四回戦に勝利し準々決勝進出を果たした。
コンクールの練習も佳境に入った。完成度は去年を凌駕している。ただ、ここに慢心する部員は一人もいない。今年初めて導入した大会ごとに行われるオーディションにおいては、前回のオーディションで落ちた子は雪辱に燃えている。B編成と言えど、悩み抜いて選抜したことが見受けられる結果となった。
野球部の応援の演奏はB編成がメインとなっている。そして『ジョックロック』を演奏することが決まってからは、各パートから何名かが応援演奏に駆けつけた。
「スタンドの段差に躓かないよう気を付けて。今日も日差しが強いので、こまめに水分補給をするなど熱中症に十分気を配ってください」
「「はい」」
野球場には初めて来た。写真や映像で観るよりもグラウンドは広くて開放的な印象を受けた。スタンドは傾斜があり、見下ろすと結構怖い。
そんなことよりも、今日の相手はあの洛秋高校であった。野球の強さは不明だが、京都の吹奏楽界では知らない人がいない程の強豪校だ。北宇治に滝先生が来る以前、毎年のように関西大会へ進出していた。実力は折り紙付きである。そんな洛秋高校の応援する向かい側のスタンドには、件の吹奏楽部がセッティングしている。恐らく、応援合戦の様相を見せるだろう。
「プレイボール!」
審判のコールで試合が始まった。
北宇治は先攻だ。早速私たちの演奏が始まる。今日は滝先生が会議で来られないため、引率は松本先生が担い、演奏中の指揮は私が務めた。皆が演奏に集中でき、素早い試合展開に部員が左右されないよう、スタンドで応援する野球部員と息を合わせる必要がある。指揮者と言っても、普段と一八〇度も違う仕事を任せられていた。
しかも今日の気温は摂氏三十六度。個人練習で外に出て練習することはあっても、直射日光の下で演奏する機会は殆どしていない。熱くなった楽器に息を通せば、たちまち水滴となって管の中に溜まる。それは音に影響するため、吹かない時は楽器のメンテナンスに注力することが求められた。同じ条件下で、野球部員たちは真剣勝負をしている。彼らを音楽で支えたいという想いは、吹奏楽部員の総意である。
攻撃中に演奏する曲目は大方決まっている。定番の『タッチ』や『モンキーターン』、『海のトリトン』。ヒットが出れば『ファンファーレ』を吹く。吹く順番は野球部がプラカードを挙げて合図する。私たちはそれを観て演奏していた。
正直しんどい。攻撃は時間制限があるわけではない。味方の攻撃が長く続けばそれだけ吹く時間も増えていった。
初回は三人で攻撃が終了し、攻守交代となった。
「ふう」
「指揮お疲れ様」
「ああ、うん。麗奈もね。代わる代わる演奏するからめっちゃ大変じゃない?」
「別に、外で吹く機会ってあまりないから新鮮」
私の気遣いの言葉に、麗奈はにべもなくと言った感じで請け答えた。そういえば、彼女はこの炎天下なのに汗一つ掻いていない。代謝が悪そうにも見えないし、これが気の持ちようだけで済むのなら是非とも伝授してほしいものである。
「はじまった」
その言葉の意味は、相手方の攻撃開始ではない。洛秋高校の大応援団が、そのベールを脱いだのである。
やはり洛秋の吹奏楽部はひと味違う。音の厚み、屋外でも音を外さない集中力、どれを取っても一級品である。私は試合展開よりも、五十メートル先で繰り出される完成された音に囚われていた。
「……みこ、久美子!」
「あ、はい!」
「北宇治の攻撃! 演奏するよ」
洛秋高校の音に気を取られ、こちらの攻撃が始まることに気付かなかった。パンッと軽く頬を叩き、集中力を取り戻す。言い方は悪いが、二年前、彼らからお株を奪ったのは紛れもなく我が校だった。ならば応援でも負けるわけにはいかないと奮起した。
試合は両校の投手が要所で抑える締まった展開だ。そのため攻撃時間が短く試合の進行が早い為、既に六回表を終了した。
「あー、唇が痛い……」
「大丈夫? タオル濡らして来ようか」
「うん、ありがとう」
コンクールと違い、攻撃中に断続的な演奏を求められるため、金管楽器を吹く部員の中にはアンブシュワが保てなくなったり、唇の皮が擦れて痛がる者もいた。
「部長、ちょっといいか?」
「なに、秀一って……どうしたの!?」
あろうことか、彼の唇は皮が破け、血が滲んで腫れていた。
「吹き続けてたら皮が破れた。ちょっと冷やしてくる」
「付いていこうか?」
「いや、部長は演奏あるだろ。大丈夫だよ」
「……うん」
秀一は痛がる素振りを見せなかった。私に心配を掛けたくないのだ。それでも報告してきたことは、部長に一言席を外すことを伝えるため。
心が少しだけチクッとした。それ以上に彼を本気で心配していることは、しっかり伝えたかった。
秀一の背中を目で追った刹那、小気味良い金属音が鳴った。直後に地鳴りのような歓声が轟いた。
バットから放たれた白い球は、綺麗な放物線を描きながらライトスタンドへ飛び込んだ。野球に疎い私でも分かる。ホームランだ。
ガッツポーズをしながらダイヤモンドを一周する洛秋の選手。既にランナーが一人出ていたので洛秋高校に二点が献上された。
二対〇。北宇治はリードされる形となった。
あまり良い雰囲気ではない。洛秋ベンチとスタンドはホームランが後押しする形となって押せ押せムードである。一方、北宇治側はホームランと大声援に気圧され両者対照的な構図となっていた。
「吹部の部長さんですか?」
「は、はい!」
押されムードの中で声を掛けてきたのは、野球部の応援部隊だった。
「次の回の先頭打者の時、アレをお願いできますか」
はっとした。この人含め、二点リードされた程度では誰も諦めていない。逆転を信じて出来ることをするという意志がその瞳には見えた。
アレとは『ジョックロック』を演奏する代わりに私が野球部にお願いした秘密戦略だ。なぜなら、ウチには超高校級のトランペッターがいるのだ。
「分かりました。準備しておきます」
客席に戻った私は、麗奈に耳打ちした。麗奈は一度、コクッと頷いた。無表情であったが、ニヤリと口角が少しだけ上がったことを私は見逃さなかった。
七回表、この回は打順良く一番から始まる。
先程の応援舞台から合図があった。私は一度息を吐いて、鋭く麗奈を指差した。
洛秋の大応援団には勝てないかもしれない。だけど、私たちも負けることはないと確信する。北宇治の秘密兵器をとくとご覧じろ。
トランペットの強烈な破裂音が球場を取り囲んだ。その音は風に乗って、艶やかな旋律を奏でる。誰もが知っている超有名なトランペットソロ。『必殺仕事人のテーマ』だ。
球場の音は止み、麗奈が奏でる音だけが鳴り響く。
こんな広い空間に彼女の音だけがこだまする。この時間が、永遠に続いて欲しいとまで思えた。
吹き終えた麗奈は割れんばかりの拍手に包まれる。その顔は熱気に充てられて上気していた。あんなに楽しそうにトランペットを吹く人はなかなかいないだろう。
麗奈のファンファーレが背中を押したのか、一番打者は十球粘った末にフォアボールで出塁。その上盗塁まで決めた。
思い掛けないチャンスに北宇治ベンチの盛り上がりは最高潮。もしあの曲を演奏するならここしかない。私は応援団の指示を待った。
そして[チャンス]と書かれたプラカードが掲げられる。いよいよ来た。
私の合図に順菜ちゃんがドラムセットに座った。
独特なアップテンポにけたたましいシンバルの音。すべてを塗り替えるような圧倒的な演奏。あの動画を見てから、演奏する度にこうなりたいと願った。
見せよう、私たちの『ジョックロック』を。
トロンボーンとトランペットが放つ音が応援の歓声と重なり、それは厚みとなって球場を取り囲む。音の粒は小さくとも、一つの音を揃えることに関しては相当の自信がある。北宇治の強みは、滝先生が鍛え上げた繊細な抑揚と細かいタイミングだ。
『ジョックロック』は勢いと熱気を持って演奏する曲だ。荒削りでも必死さが伝わればきっと映えるだろう。だけど、それだけじゃ満足出来ない。北宇治が全国金賞を獲るには、より高い完成度を目指さなければならない。
私たちの演奏に球場中が響めきの声があがる。野球ファンなら知ってるであろう『ジョックロック』が、京都大会で聴けると予想できた人はいないだろう。一小節吹くごとに球場のボルテージが上がっているのが肌で感じ取れる。夏の暑さとはひと味違う沸き立つような高揚感。洛秋の応援に呑まれかけていた雰囲気を取り戻せる自信があった。
ノーアウト二塁から、打順は二番。
三球目、キィンという金属音から放たれた打球は内野手の頭を越えた。二塁走者は全力疾走でホームベースに突っ込んだ。タイミングからして、外野手からのバックホームと殆ど同時だった。
「セーフ!」
少しの間を置いて、審判は両手を横に広げた。北宇治ベンチが沸き立ち、スタンドが揺れるほどの大声援が飛んだ。洛秋高校に一矢報いたのだ。
野球の試合を見たのは、本当に初めてのことだ。野球部の生徒も殆ど知らない。それなのに、母校が輝いていることがこんなにも嬉しい。
まだまだノーアウト。味方が攻撃の手を緩めないのと同じだ。私たちも応援の手を緩めることはない。
楽しい。音を掻き鳴らすことが、こんなにも楽しい。
私たちの『ジョックロック』は鳴り止まない。鳴り止ませない。
この回、北宇治はもう一点加え同点として試合は振り出しに戻った。しかし、八回裏に洛秋は更に二点を返し、そのまま試合終了となった。
北宇治高校野球部は意地を見せた。私たちはその意地に応えた。
結局、虎の子の『ジョックロック』は一度しか演奏しなかった。『魔曲』としての面目は保てたかどうかは分からないが、短期間で高い完成度に仕上げた部員たちを誇らしく思う。
帰りのバスでは、試合の感想や応援で得た快感で盛り上がっていた。吹奏楽部としても、スポーツ応援に繰り出したことは大きな財産となった。
盛り上がる車内の一角で、麗奈は静かに車窓を見つめていた。
「どうしたの、れーな」
「久美子、お疲れ」
「お疲れさま。良いソロだったよ」
「そう、惚れ直した?」
「したした。球場中が麗奈のトランペットに聴き入ってたよ」
「それなら、やった甲斐があったかも。滝先生にも聴かせたかった」
たまに彼女はこうして少女的になる。鬼のドラムメジャーでも、私の前だけは初心な少女の一面を見せるのだ。そんな彼女にちょっかいを出したくなる私は、やはり性格が悪いのだろうか。
「そしたら、滝先生も惚れちゃうかもね。まさに必殺って」
「揶揄うならもうしない」
「ごめんごめん」
むくれた麗奈も可愛い。
バスが発車すると、皆疲労が溜まっていたのか賑やかだった車内から小さな寝息が聞こえてきた。隣の麗奈も既に目を瞑っている。
正直、高校野球の人気を舐めていた。定番曲であっても、野球というフィルターを通せば応援によって音は進化する。一端の演奏家として、これ以上無い経験となった。
今日、球場で演奏した数々の曲は文化祭でメドレー化してプログラムに入れてもいいかもしれない。会場が盛り上がる様が有り有りと想像できた。
野球部は例年以上に躍進し、学校を挙げて彼らの背中を押した。今度は私たちだ。府大会は十日後に控えている。のんびりしている暇はないが、今日の経験はきっと財産となる。
揺れるバスの車内で、これから始まる三ヶ月間の戦いを見据えて静かに気を引き締めた。