皆の意見や知識で動かせ戦国物語 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
1800年……拡張を続けていた織田幕府は停滞期に入っていた。
イギリスとの産業競争の舞台はインド周辺に飛び火し、ベトナムとタイを保護国にしていた織田幕府はビルマにてイギリスと武力抗争に発展する。
そこでは局地戦となったが、まだ後装式の銃が発展途上ということもあり双方同程度の武器の技術レベルであったが、インド兵を動員したイギリスとタイやベトナム兵を動員した日本の局地戦は50万人規模の戦争へと発展する。
痛み分けであったが、この戦争によりオーストラリアへの補助金が一時的に減らされてしまい、それによりオーストラリアの人々が困窮していると気がついた遠江津田家第7代当主の津田家兼は戦争の早期終結に向けて外交交渉を幕府より任されるが、イギリスにだいぶ譲歩する形で和平を結ぶことになるが、これに激怒した幕臣達は津田外しと呼ばれる要職から津田家一門を追放する政治運動を展開し、津田家兼も謹慎処分を言い渡される。
これに日本国内では幕府が賞賛されたが、外地と呼ばれる台湾以南の地域では津田家の方が正しいとされ対立構造が浮き彫りになる。
そこから津田家は和平を通じてイギリスと接近し、外地での経済活動の活性化のためにイギリスとの貿易の強化と自治体による友好条約を結ぶ独自の動きを強め、幕府は関係の深かったポルトガルやオランダとの貿易強化で外地の離反を防ごうとしたが、ポルトガルもオランダもこの頃には力を失っており、イギリスの経済力に屈していた。
1850年幕府は関係悪化により津田家を譜代家格を取り下げて外様に格下げする処罰を言い渡し、これにより津田家は激怒し、参勤交代命令を拒否する。
参勤交代拒否により幕府は遠江津田家の改易命令を出すが、津田家はこれを拒否し、内戦となる。
幕府軍は15万の大軍を召集したが、津田家操が作り、安土時代に5度の大規模改修が行われ、二俣城と大須賀城を連結した巨大城郭の外輪部を落とすこともできずに2万名もの死傷者を出して撤退することとなる。
ただこの時には津田家の戦力は元から幕府の中では飛び抜けた技術力を誇っていたからと見られていたが、この時に参戦して嫡男が亡くなった毛利が幕府の威信低下を理由に参勤交代を拒否し、毛利討伐が始まる。
これは直ぐに鎮圧されるのだが、毛利に津田家が武器の援助をしていたことが発覚し、幕府は今度は20万の大軍で津田家を攻撃。
しかし津田家はこれを跳ね返し、更に追撃で幕府軍高官が次々に戦死することに繋がる。
津田家は外地にてイギリスと武器研究協定を10年前に結んでおり、後装式ライフル銃の開発に成功し、機関砲やカノン砲の開発にも成功していた。
更に津田家は工場地帯となっていた台湾の津田分家と連携し、海上封鎖を実行する。
これにより幕府軍は深刻な鉄不足に悩むようになり、幕府軍は瓦解。
幕府はイギリスと敵対関係にあったフランスと手を組むことで状況の打開を目指したが、津田家はヨーロッパ諸国の関心を買うために民主主義の導入を発表する。
第9代当主津田梅家は津田分家に対して天皇を中心とする新国家建国の準備をすることを号令し、1865年に外地と津田家だけで大日本帝国を建国してしまい、一時的に首都を台湾の台北という都市に設置し、ヨーロッパ民主主義に基づき選挙を実施すると宣告。
これに激怒した幕府は3度目の津田討伐軍を編成するが、外地からの志願兵20万を集めた津田軍に鳴海の戦いで大敗してしまい、津田家の血縁となっていた越後上杉家と津田経済に依存していた関東の北条家、仙台の伊達家、織田一門であるが初代藩主織田信包から幕府と津田家が敵対したら津田家と共闘しなさいと言われていた北関東織田家、貿易停止で大打撃を受けて幕府に反感を抱いていた島津家、一度幕府に征伐されて恨みを溜めていた毛利家が手を組み、反幕府軍を結成し、大規模武力衝突が発生。
日本内戦と呼ばれる一連の戦いで累計死傷者は民間人含めて200万人にも及んだが、反幕府軍こと大日本帝国軍が勝利し、京にて新政府樹立と織田幕府解体を天皇陛下に報告。
そして空位だった皇帝の座に天皇陛下が座り、1870年に大日本帝国が完成することになる。
そして廃藩置県を実行し、多少の抵抗はあったものの1875年には全国にて選挙を実施し、衆議院800議席、貴族院800議席の1600議席からなる国会を立地的条件から旧首都に指定されていた台北に設置し、大日本帝国は首都は京、政治の中心地は台北、経済的中心地は大阪や東京、シドニーやジャカルタ、スラバヤと言った大都市に移っていく。
幕府軍を支援していた清と大日本帝国は1885年に戦争(日清戦争)となり、これに完勝してアジア最大の帝国の地位と列強入りを果たす。
元々イギリスに次ぐ技術大国だったこともあり、日清戦争後に関係が悪化したロシア帝国にも独力で勝利し、沿海地方の領地と賠償金をぶん取る。
以後第一次世界大戦は連合側で参戦し、100万人の援軍を送ることで連合国の戦勝に持っていった。(アメリカは参戦を見送った)
ヨーロッパ諸国との繋がりを強め、戦勝によりドイツの技術の一部を獲得し、ハーバー・ボッシュ法を少し遅れながら確立させて各地に肥料工場を建造し、緑の革命を実行。
元々高かった収穫量を2倍に増やし、アジア最大の農業輸出国となる。
海軍軍縮条約ではアメリカ、イギリス、日本が10:10:10の戦力比率となるが、陸軍は50万人の徴兵制を維持し、第二次世界大戦へと移っていく。
第二次世界大戦ではイギリスの要望により日本も連合国で参戦、アメリカはまた参戦を見送り貿易で稼ぐ方向となり、日本は200万人の兵と4個艦隊からなる日本の切り札の連合艦隊、イギリスと共同開発で1938年に開発成功していたセンチュリオン戦車(日本名だと九八式中戦車通称チハ)とそれをベースにした派生シリーズと改良型によりドイツのアニマルシリーズを圧倒。
アフリカ戦線やヨーロッパ戦線で大暴れし、終盤にはジェット戦闘機やジェット爆撃機が開発、運用され、ベルリンにイギリス国旗を掲げる切っ掛けとなる。
その後はヨーロッパ諸国が戦争の後遺症で停滞する中、緑の革命による人口爆発ブーストと対ソ連政策として融和外交で日米関係が改善し、大日本帝国は東アジアの番人と呼ばれ冷戦を乗り切り現代に至るのである。
現在ではアメリカや追い上げてきた中国を抑えて経済力世界一位になったり、憲法改正により普通選挙になったり、三大政党と呼ばれる政党が争ったりしながらも少子高齢化とは無縁な国家となっている。
日本人の人口が5億人を突破してニュースになったとか……。
最近ではオーストラリアの砂漠の緑化に成功し、100年は人口増加に耐えられる食糧庫を大日本帝国は手に入れたり、宇宙産業に力を入れ2060年には宇宙コロニーの建造も始まったらしい。
そのお話はまた何処かで。