東方庇護録   作:まほろばのーぶる

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第16話:湯煙揺蕩う危険な楽園


Asyl perspective

 

 月光館の廊下を進む私たちの足音が、黎明の薄い月明かりが射し込む館内に心地よく響く。

 

 コアは小さな羽をパタパタと羽ばたかせながら先頭を歩き、ヴァルターはもふもふの尻尾をやや警戒気味に揺らしつつ、私の隣を歩いている。

 

「この月光館の大浴場は、紅魔館の技術と魔法がふんだんに使われていて、とっても快適なんです~。お湯の温度も自動調整ですし、洗い場も広々としていますよ~」

 

 コアが歩きながら自慢げに大浴場の魅力を語ってくれる。

 

「楽しみです!さっき見学した時も素敵すぎて言葉を失うくらい感動したので、実際に入るのが待ち遠しいです!」

 

「そんなに楽しみにしていただけると私も嬉しいですね〜」

 

 コアが少し嬉しそうにはにかみながら「到着です〜」と大浴場に隣接する脱衣所の扉を開けてくれる。

 

「それじゃあ、まずは脱衣所で着替えましょうか~」

 

 コアに案内されて脱衣所に入ると、まるで私たちが今日大浴場に入る事を見越していたかのように私とヴァルターの体格にぴったりのネグリジェ風の寝巻きまで用意されていた。

 

「ふふふ、月光館の魔法術式は常に完璧な状態を維持するように組まれていますからね~。ネグリジェは月光館の衣装部屋に様々なサイズの服が揃っていますので私が2人のサイズを見繕って魔法で用意しておきました〜」

 

 ほほぅ!

 衣装部屋!

 

 いつか可愛い服でヴァルターを着せ替えしてみたい。

 

「ちなみに、月光館のあちこちに設置されている燭台の灯りはすべて魔法の蝋燭によるものなんですよ~。炎が消えることなく、永遠に灯り続けるんです~」

 

「おぉ!魔法の蝋燭ですか!」

 

 魔法オカルトオタクとしては、そういった細かい魔法の仕組みも気になる。後でコアに詳しく聞いてみよう。

 

「それでは、さっそく入りましょうか」

 

 コアはそう言ってしゅるしゅると服を脱ぎ身体にタオルを巻き付ける。

 日本人的には湯にタオルをつけるのはマナー違反にはなるがここは日本じゃない事だし私も真似してタオルを身体に巻いておこう。

 郷に入っては郷に従え、というやつです。

 

「……本当に変なこと、しませんよね?」

 

 ヴァルターが服を脱ぎながら、棚に身体を隠してジト目で私とコアを見てくる。

 

「今日はしませんって」

 

「今日は大丈夫ですよ〜」

 

 私とコアはそんなヴァルターの様子に顔を見合わせてクスクス笑いながら、口を揃えて安心させるように言う。

 

 言いながら私は慣れた手つきで服を脱ぎ、タオルを身体に巻いた。

 観念した様子のヴァルターも私の見様見真似をするようにぎこちなく服を脱ぎそそくさと同じように身体にタオルを巻く。

 もふもふの耳と尻尾だけがタオルから出ている姿がとても可愛らしくてさっそくもふりたくなったのは内緒だ。

 


 

 脱衣所から浴場へと続く扉を開けると、もわりとした湯気が流れ込み、肌を優しく撫でた。

 先ほど見学した時には感じられなかった、湯の温もりを含んだ空気が全身を包み込む。

 

「わぁ……湯気が、こんなに……」

 

 月光館の大浴場は、広々としており、静寂の中にかすかな湯音が響くなんとも雅な空間だった。

 ぼんやりと白く満ちた湯けむりが、ゆらゆらと揺れながら天井へと昇る。

 床と壁はピカピカに磨かれた大理石で覆われ、その艶やかさが湯気に溶け込んで柔らかい光を放ち、美しく調和している。

 湯面には白み始めた空の、それでもなお存在感のある満月の光が反射し、月光館の大浴場なだけに、まるでゆらめく月明かりが湯の中に閉じ込められているかのようだ。

 浴場の奥には燭台があり、月の灯りを損なわない程度に絶妙な光度で小さな灯りが揺らいでいる。

 恐らく先ほどコアが説明してくれた魔法の蝋燭だ。

 

 思わず感嘆の息が漏れる。

 

「如何ですか~?人間たちのテルマエに負けないくらい素敵な雰囲気でしょう?」

 

 コアが胸を張って誇らしげに言う。

 

「はい!とても綺麗です!!わぁ〜!!湯煙もたくさん!!」

 

 興奮のあまり、タオル姿のままぴょんぴょんと跳ねてしまう。

 

「お、お嬢様!そんな格好でぴょんぴょん跳ねるのははしたないし危ないですよ!」

 

 ヴァルターが慌てて私を止めようとする。

 

 そんなヴァルターもお風呂に入るのが楽しみなのかもふもふの尻尾をぴんと立てて、嬉しそうに揺らしている。

 

「ふふふ、皆さん楽しみにしていただけているようで、何だか館の管理者として冥利に尽きますね~」

 

 そんな私とヴァルターを見てコアは嬉しそうに微笑んだ。

 


 

 温かな湯でかけ湯をしてから湯に足を浸すと、じんわりとした心地よい温かさが全身を包み込む。

 熱すぎず、冷たすぎない絶妙な温度が体をほぐし、緊張を解いてくれるかのようだった。

 深呼吸をすると、湿った空気にほのかに香る湯の香りが心を落ち着かせてくれる。

 

 ふぅ、と小さく息を吐きながら、ゆっくりと身体を湯に沈めると、心地よい熱がじわじわと身体に染み込み、身体の芯から色々な疲労がほぐれていくように感じた。

 

「んぅ……、気持ちいいぃ……」

 

 肩まで湯に浸かると、全身が優しく包み込まれるようで、思わず力が抜けてそのまま沈みそうになる。

 

 ふと目を閉じると、耳元で微かな湯の音が響く。

 ぽこり、と静かに弾ける気泡の音。

 揺れる湯が奏でる、サラサラとした穏やかで心地よい音色。

 

 全身がぽかぽかと温まり、先ほどまで感じていた疲れがじんわりと溶けていく……。

 

 肩まで沈めたまま、再度ほぅっと息を吐き、感じた幸せを言葉にする。

 

「はぁ……しあわせぇ……」

 

 元日本人だったからか、お風呂に浸かるとなんだかすっごく落ち着く。

 

「お風呂に入る姿がすごく様になっていますね~。ヴァルターさんと違ってアズール様はお風呂に入り慣れているご様子ですね~」

 

 コアはそう言って、恐る恐る湯船に足をつけては離してを繰り返しているヴァルターを見てクスクス笑う。

 

「それにしても、こんなにも完璧に大浴場として管理されているのに、私達が来るまで誰も使用していなかったのはどうしてなのですか?」

 

 身体を湯に沈めてリラックスしている今、気になっていたことをコアに聞いてみる。

 

「そうですね~。元はといえば月光館は、伯爵様が紅魔館の使用人を緊急時に避難させる避難所として建造されましたからね~。結局今の今まで紅魔館に緊急事態なんて起こらずに、こうしてアズール様に譲渡されたようですが〜」

 

「え?避難所?」

 

 あれ?伯爵は自分の休暇のための別荘だと言っていたのですが……。

 

「はい。……そういえばアズール様は、この紅魔館周辺地域の情勢はご存じないのでしたね。よければ簡単にご説明しましょうか~?」

 

「ホントですか!説明してもらえるとありがたいです!」

 

「わかりました、説明いたしますね~」

 

 これはありがたい!

 ヴァルターからの情報では、今いる時代と場所が西暦400年くらいのヨーロッパ位の情報だとかそれくらいしか分からなかったのでとても助かる。

 それに私の置かれた現状についても少しは理解できるかもしれないですしね!

 


 

 コアの話を聞く限り、やはりヴァルターの言っていた通り、ここは地理的にはヨーロッパで間違いないようだ。

 西暦という暦は一般的ではないのか、コアも知らないようだったが、話の内容からして、だいたい西暦400年ほどの中世の時代のヨーロッパのようだ。

 それと新たにわかったことは、この世界はどうやら私の知る歴史、つまり正史とは異なる歴史を辿っているらしい。

 狼男や悪魔、それに吸血鬼なんていう存在、つまり妖怪がおおっぴらに実在している時点で、私の知る世界の歴史とは少し違うと思っていたけれど……。

 人間と妖怪の関係性としては、妖怪たちは自らの存在の維持のために日々人間を脅かし畏れを集め、人間たちはそんな妖怪たちに様々な知識や技術、魔法や信仰の力で対抗しているといった関係らしい。

 また、妖怪側にもコミュニティーが存在し、人間と比較的良好な関係を結んでいる妖怪コミュニティーも存在しているとか。

 ヴァルターにも聞いた話だが、伯爵を当主とした【紅魔館コミュニティー】も人間とは比較的良好な関係を構築しているらしい。

 

「……というわけで紅魔館としては人間たちとは持ちつ持たれつ、公平で誠実なお付き合いを目指して交流していたのですが~。そんなやり取りを気に食わないと思う人間たちも一定数存在しているようで、近々人間たちとの間に大きな戦争が起きてしまいそうなんですよね~」

 

 吸血鬼の超速思考で聞いた話を理解しようと反芻していると、物騒な話が聞こえてきた。

 

「せ、戦争!?」

 

「そうです~。困りますよね~。人間の中でも妖怪退治の過激派として知られている【ワルプルギス教会】と呼ばれる聖職者たちが主導して、周辺国と協力して私達との戦争を画策している様子ですね~」

 

 なんかラスボスみたいな名前の教会が出てきた。

 もちろん正史にそんな教会があっただなんて歴史も知らないし、完全に正史とは違うイレギュラーな存在だ。

 

「だ、大丈夫なのですか!?もし、本当にその人達との戦争なんかが起こってしまったら……」

 

「本格的な戦争が始まったら色々と大変なことになるとは思いますが、しばらくは大丈夫だと思いますよ~。伯爵様はああ見えて、人間たちからは遠謀深慮の大妖怪と称されるほどに聡明なお方なので、上手く立ち回ると思います~」

 

 伯爵が実はかわいい顔して意外とすごい力を持っているのは、ヴァルターやコアの話を聞いていてもなんとなく分かるけれど……。

 

「それに、戦争と言っても間違いなくあと100年ほどは大きな争いは起きないと思いますので~」

 

「え?100年ですか?」

 

「はい~。伯爵様が大昔に人間たちと交わした不可侵契約の期限があと112年ほどございますので~」

 

「112年……」

 

 話の時間感覚が人間感覚だと果てしなく違和感を覚えるが、このタイムスケールが妖怪にとっての常識なのだろう。

 

「まぁ、戦争云々のお話は伯爵様がなんとかしてくださると思いますよ~。だからアズール様はあまり気にしないでくださいね~。ああ見えて伯爵様は太古から生きる大妖、神々が月に隠れる以前から世界の均衡を保つ為に……

 

 突然コアの声がゆったりとした朧気なものへと変わっていく。

 何だか気になるようなことをコアが言っているようだが、何だかどんどんと聞こえる声だけじゃなくて、思考までぼやけて、ふやけて……

 

 ゴポゴポ……ゴポゴポ……

 

 え……?

 

 気づけば、身体全身が湯船に浸かって……いや、沈んでいた。

 直後、体中がじわじわと痺れ、早い速度で脱力の程度が悪化していく。慌てて手足を動かすが、弱々しくしか動かせず、さらに抵抗すればするほど、体は鉛のように重くなって沈んでいく。

 

 吸血鬼の超速思考の中で、前世の私が調べていた吸血鬼に関するオカルト知識を思い出す。

 ――吸血鬼は日光以外にも流水に触れると力を失う弱点を持つ――。

 

 足をばたつかせるたびに、湯面が波立ち、細い注ぎ流れがさらに襲いかかる。波紋ごと身体を包まれ、私はゆっくりと水底へと引きずり込まれていくように沈んでいった。

 

 深く。

 

 ……深く。

 

 …………深く。

 

 視界が暗く染まる。

 

 水面が遠ざかる。

 

 意識が遠のく。

 

 ……。

 

 …………。

 

 助けて――。

 

 心の中で叫ぶが、声は湯の中に溶けて消えていく。

 

 恐怖が全身を駆け巡り、意識が薄れかけたその時――。

 

「お嬢様!?大丈夫ですか!?」

 

 ぷにぷにとした感触とともに全身が湯船の上へと引き上げられた。

 

 慌てたような声音とヴァルターのひどく心配そうな顔に意識がすぐに浮上してくる。

 ぷにぷにした感触に全身が包まれてる様子からして、どうやらヴァルターが必死に私を支えてくれているようだ。

 

「アズール様!?どうされたんですか~!?」

 

 コアも慌てて駆け寄ってくる。

 

「ごほっ、ごほっ……何だか力が抜けてしまって……」

 

 息を整えながら、私はヴァルターとコアに支えられて湯船の縁に腰を下ろした。

 

「吸血鬼が流水に弱いのは知っていましたが~……」

 

 コアが不思議そうに首を傾げる。

 

「この大浴場の湯は魔法で循環させているので、厳密には流水ではないんですよ~。それに、吸血鬼の方でも流水の弱点はあるとはいえ、普通はこんなに簡単に力が抜けることはないはずなんですが~……」

 

「え?そうなんですか?」

 

「はい~。確かに流れる川や海を泳いで渡るのは困難ですが、湯船の中で少し波立った程度の流水で全身の力が抜けて沈んでしまうなんて~……アズール様は吸血鬼の中でも特に流水に弱い体質なのかもしれませんね~」

 

 ヴァルターも驚いた様子で目を丸くしている。

 

「私も吸血鬼が流水に弱いことは知っていましたが、こんなに弱いなんて……お嬢様、大丈夫ですか?」

 

「は、はい……ありがとうございます、ヴァルター。本当に助かりました」

 

 溺れかけた恐怖に震えながらヴァルターにぴったりと張り付いて抱きつく。

 

 ヴァルターは少し照れたように耳を伏せながらなすがままに抱きつかれてくれている。

 

「……だ、大丈夫です!私がお嬢様を守りますから!」

 

 恥ずかしがりながらも、震えている私を優しく支えながら声をかけてくれるヴァルター。

 

 うぅ。

 ヴァルター良い子すぎるぅ。

 

「これは困りましたね~。今後アズール様がお一人でお風呂に入るのは危険かもしれません~。誰かが必ず付き添った方が良いですね~」

 

 コアが少し困ったように首を傾げていると、ヴァルターが小さな声で呟いた。

 

「……私が、毎回お嬢様と一緒にお風呂に入ります」

 

「え?」

 

 ヴァルターが真っ赤な顔で恥ずかしそうに、でもしっかりとした目で私を見つめてくる。

 

「お嬢様が溺れないように、ちゃんと見ていますから。だから、安心してお風呂に入ってください」

 

 その真剣な表情と、少し照れた様子がとても可愛いやら、何だか介護されてるみたいで情けないやら申し訳ないやら、様々な心情を抱くが、そんな心情も全て見透かされるかのように「大丈夫です」と力強く声を掛けてくれるヴァルター。

 

「ありがとうございます、ヴァルター」

 

「はい!任せてください!」

 

 ヴァルターがぴょこんと耳を立てて、嬉しそうに尻尾を揺らす。

 

「ふふふ~。それは良い案ですね~。それでは、ヴァルターさんにアズール様のお風呂の付き添いをお願いしますね~」

 

 コアもにこにこと笑いながら頷いた。

 

 こうして、私のお風呂タイムには、ヴァルターが必ず付き添ってくれることになった。

 

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