「ずーっと外で待ってるのも退屈しませんかっ?」
「ちょっとスバルっ、言い方がっ、なって、ないだろ……っ。……すみません本当に」
「痛ってぇ、わき腹つねんな……!」
客車を丹念に磨く老人は粗相しかけたスバルに脇腹をつねるライト、その二人に振り向いて驚いたように目を見開いた。
しかし二人の関わりを見て、なにやら懐かしいものを見るように老人が口元を和ませる。
ここは屋敷の外。玄関に登るための階段の麓に停められた竜車の傍らだ。
「これは失礼を。何やら楽しげな様子でしたので。…………、お二方は仲がよろしいとお見受けする」
ヴィルヘルムはグラグラと危なげなティーセットを取り上げるライトとスバルを見比べてそう口にした。
「この老骨の古い経験からすれば、そういった仲は、とても大切された方がよろしい」
「お? 見えます!? 俺とライト、実はこう見えて……」
「揺らすなお茶こぼれる……! スバル、調子がいいといつもっ」
「ズッ友──イッテェ!?」
倒れかけるカップの危機感にライトが寄りかかるスバルのつま先をぎゅむっと踏んづけた。
誰がどう見ても凸凹なコンビにヴィルヘルムは短く息を吐く。
「お言葉に甘えましょう。確かに少々、喉が渇いておりましたので」
「アザマーっス。ま、味の好みはこの際、とりあえず一番高いお茶にしておきましたんで」
「へー高い……た、高い? これ、一番高い紅茶……!? 『持ち出し厳禁』の!? うぅわぁラムに殺される……」
お盆を持ったまま項垂れるライトはこれから起きるであろう桃髪のメイドが烈火の如く思考を燃やし始め、それとは逆に顔を青ざめ始めた。
「気にすんな気にすんな。俺も頭下げてやっから」
「元を正せばスバルのせいだろ。ったく」
「へっへーん。おわ、なんだぁ……?」
横からのふいの軽い衝撃にニマニマするスバルが驚く。
鋭い目つきになっていた目をぱっちりと開けたライトはスバルの足元から覗き込むと、漆黒の肌をした地竜が、スバルの肩を小突いていた。爬虫類特有の鋭い目はしっかりとスバルを視界に入れ、逸らさない。
一瞬、牽制でもしているのかと思ったのだが、そうではない。むしろ──
「む、申し訳ありません。この地竜はこれで、当家で一番優秀な地竜なのですが」
「あ、いや全然。気にしてないっす。むしろ、触れてちょっとラッキーっていうか」
「そう言っていただけると。──ふむ、こうした反応は珍しい」
地竜の思わぬ行動に謝罪するヴィルヘルムが軽く息を吐くとスバルを青い目で見る。
二人の間に生まれるわずかな沈黙に眉を怪訝に歪めるライトは首を傾けた。
「……?」
ふと、スバルを挟んで当てられる視線にライトは振り向く。
地竜がこちらをじっと見ていたのだ。
「…………」
「…………あの、この地竜って女の子ですか?」
「──ッ!」
ふと浮かんできた印象を口にしたライトに黒い地竜は喉を唸らせる。まるでそれが正解だとばかりに。
「ほう……慧眼ですな、ライト殿。一目見て、彼女の雌雄がわかるとは」
横合いからかかった声に首を跳ねさせると、スバルを見ていたはずの青い瞳がライトを見据えていた。
その射抜かれるような鋭い視線に息を詰まらせるライトだったが、首を振って固まる筋肉をほぐす。
「いや、ただ……そうなんじゃないかって。……。あっそれよりも、紅茶入れますよ!」
見定めるような視線から逃げるように、ライトはせこせこと紅茶を淹れ始める。自分のとスバルとヴィルヘルム。三人分の紅茶を手早く丁寧に。
「はい、どうぞ召し上がってください。スバルも」
「おぉ、サンキューな」
「いただきましょう」
半ば強引に渡されるヴィルヘルムだったが、特に何も言わずに紅茶のカップを口に運んだ。
「ふむ……いい味です。それに香り豊かで、真っ直ぐに楽しめる味わい。いい腕をお持ちで」
「でしょでしょ? ライトってば、うちのメイド長と並ぶ腕を持つ、期待のホープなんすよ。………………それに比べてぇ、見習いの俺は肩身が狭いのなんのってぇ」
それは『持ち出し厳禁』とスバルにわかるようにイ文字で。しかもデカデカと書かれた紙を貼り付けれられた高価なものなのだからうまいのは当たり前。豪語しなくてもいいだろうに。
そう自身を評価するライトがお盆を左手に、右手で持ち手をつまむように持ち上げた紅茶を口に含んだ。
「ん……やっぱりわかんないな。レムの淹れてくれる紅茶の方が、俺は美味しいって思うだけど」
うまいにはうまいのだが、レムの淹れる紅茶の方が体が温まるような気がする。それがなぜだかわからないが、まだまだレムの域には程遠いのだと痛感したライトであった。
琴線安らぐティータイム。などと思ったら大間違い。なにしろこれは──
「さて、それでこのお茶を撒餌に、この老骨に何をお求めですかな?」
そろそろ、といったように推しはかるような顔つきで問いかけるヴィルヘルム。その問いかけが、スバルではなく自身に向いていることに気づいたライトは目を忙しなく瞬かせ、動揺。
誤魔化すように、紅茶作戦を立てたスバルに紅茶を飲みながらライトは助けを求めた。
すると、勝ち目なしと判断したスバルはあっさりと白旗を上げて、手を大っぴらに広げた。
「お求めは俺です俺。実は今日の訪問の理由が知りたいんです。触りだけでも結構ですのでっ」
「あなたが屋敷でどんな立場にあるのかわからない私には、迂闊なことを口にすることはできませんな。ご理解を」
「あ、あ……しゅん……」
「ほら、やっぱりダメだった。相手がそれこそ偉い人だったら飛んじゃうよ。首が」
肩を落としてがっかりをこれでもかと体現するスバルに、ライトは自身の首に手を当てた。
それこそ、一見すればヴィルヘルムの表情は柔らかいが、答弁は豆腐にかすがい。押しても引いてもびくともしない。
その様子に、ライトはただラムに怒られるだけだという全くの骨折り損な結果が確定して、こっちがため息をつきたくなる。
「ただ、エミリア様と親しい間柄なのはうかがえましたな」
「お! 見えました!? おれとエミリアたんがただならぬ関係に見えましたぁーん? んふふ、あははぁ」
肩身狭しというように身を引くヴィルヘルムがライトへと目を向ける。
そんな目で見られても、大丈夫ですよと、笑みを向けることしかできないライトは小さく頭を下げた。
仕方なさそうなライトの笑み。そして惚けるスバルの想いにヴィルヘルムが苦笑を浮かべる。
「……険しい道を行きますな。相手はルグニカの次期女王になるかもしれないお方ですよ?」
「それを抜きにして、スバルはエミリアのことに目が一杯なんじゃ……? 次期女王とか釣り合いとか、そんなものではなく、ただ一人の、というか」
「ほぅ……」
「いやそこっ。あんまし恥ずいこと言うなし! まぁそりゃ冴えない使用人と超絶可愛い女の子。しかし、どうなるかわからない未来だからこそ可能性は無限大! 御者さんは、奥さんは世界一可愛い! そう思って結婚を申し込んだりしたんじゃ?」
「──!」
恋路を見守る少年と顔を赤らめて赤裸々に語る馴れ初めのエピソード。
まるでありし日のような光景を見るように目を細めるヴィルヘルムは首をゆるりと縦に振った。
「確かに、あなた方の言う通りだ。私も崖に咲く花のような妻を、ただ一人の女性として、世界一美しいと、そう思っていました。釣り合わなくとも、必ずと」
「でしょ? 誰かに渡すくらいなら、ふさわしくないと思っても。いずれ、釣り合いとれるように日進月歩。ってなわけで、ライト。絶対に負けない──!」
「何が『てなわけで』なのさ……。俺の目と後押しする手に気づかない?」
ついさっき引き合わせようとした気概に泥を投げるなんてどういう要件だ。
紅茶を飲み終えるライトがお盆を片付けるとスバルに向かって眉を曲げる。
「その手が崖際なら……やっぱり敵だ!」
「だからなに!?」
「険しいですな」
「ヴィルヘルムさんもスバル側……!? 違いますよ! 俺は……もう」
恋路に関して両者はもしかしたら不器用なのかもしれない。もし不器用でないなら、どうしてそう歪めて見てしまうのだろうか。と、そういう自分も客観視できていないライト。だが、そうとは知らないライトの内心は進む進む。
ヴィルヘルムさんの奥さんも、彼のぶっきらぼうでどこか気ままな性格に苦労してたのではなかろうか。
指を刺すスバルと目を閉じて苦難に眉間に皺を刻むヴィルヘルムに、ライトは顔を覆いたくなった。
「しかし、あくまで私は単なる御者です。お役に立てるとは思いませんな」
「そうっかなぁー? フードかぶってるエミリアたんの素性に気付いたんだし、ただの御者っていう言い訳も苦しくありません?」
「…………。あ、確かに……エミリアの着てるローブって認識阻害? を編み込んだお手製のもの。しかもそれは、エミリアが許可してる人か、ゴリ押しで突破できる人じゃないとできないって、ロズワールさんが……」
顔を見合わせ、既視感を擦り合わせたスバルとライトが同時にヴィルヘルムへ意識を集中させた。
ヴィルヘルムはエミリアと顔を合わせたことがあるのか。──いや、さっきまであったときの反応は、明らかに初対面のようだった。
それにヴィルヘルムが表情を消して、黙り込んだ。
その表情が果てしなく見えないからかひどく恐ろしかった。蛇に睨まれたようで体が動かない。
「──最初からこちらを測っておられたとは。人の悪い方ですな。それに……」
区切り、ヴィルヘルムの視線が警戒から観察へと色を移す。
固まるライトへ。
「あまり気分が優れないようですが、少し休まれては? 左半身を何かと庇っておいでのようですので」
「──っ、やっぱり……わかるんですか」
「ちょいちょいちょい! どうした? 今から果たし合いでもなさるおつもりで?」
「────」
「…………」
二人の間で高まるプレッシャーに流石にギョッとするスバルが割り込んだ。
その瞬間、
張り詰まったものが抜けていくように重苦しい空気が萎んでいく。
こればかりは、スバルの神経がかなり図太いモノ、もしくは鈍いからだと思われるが。今、ここにおいてライトを戻したのは間違いなくスバルだと言えよう。
「いえ、申し訳ありません。図星を突かれたからと年甲斐もなく張り合ってしまいました。……ですが、そうですな……ライト殿は私の旧友と似ているからでしょうか」
「俺が、ヴィルヘルムさんの?」
「はい……」
消え入るような声のヴィルヘルムが噛み締めるように瞳を閉じた。まるで、記憶の奥底から秘められたそれを大切に取り出し、ページを捲るかのように。
「その者はまだ若い私の背中を追いかけて走る……簡単に言えば、彼は臆病者でした。それでいて、生き残る力があった」
「臆病っていうとなんか弱そうだな」
「いえ、そう思われても仕方がない。臆病といえば、誰だって最初はそう思うでしょう。しかし、臆病というのは、危険を恐れ、それでも前に進む者。今でも私は、彼を胸を張って友と言えましょう」
スバルの物言いに怒ることはなく、むしろ首を緩やかに左右に振ると、眩しいものを見るように細めるヴィルヘルムが奥行きのある深い息を落とす。
臆病といえば、そうなのだろうか。自分にとって誰だってこんな凄まじい人物を目の当たりにしたら緊張で体が強張る──。
いや、ライトの隣で飲み終えた紅茶片手に腕を組んで頷くスバルは緊張感なんてまるでない。やはりライトは臆病か。
しかしながら、こんな優しい人を警戒するなんて別な方向で心がやられる。そう頭に降ってきたライトは咳払いをして喉の緊張を弾いた。
「……まぁ、もうただの御者さんで通らなくなったのですし、もう頃合いでは……? せめてあなたの身の上くらい教えてくれてもいいでしょう……? ヴィルヘルムさん」
「そうですな。お察しの通り、私は王選の関係者──いえ、関係者の関係者というべきですかな」
「関係者の関係者……」
退路無し。聞き質すライトにヴィルヘルムは言葉を選んで語り始めたのだった。
その内容に脳内で反芻。言葉の意味を咀嚼するライトの隣で、スバルは確かめると、
「つまり……ぇと……」
「ヴィルヘルムさん」
「わりぃ。ヴィルヘルムさんは、位置的にいえば俺と同じポジションってことですか?」
「理由が懸想でないことが、あなたと私の差異ですが…………。思えば紹介が遅れていました。私はカルステン家に仕える──ヴィルヘルム、と申します」
「あ、いえ! こっちこそ──俺の名前はナツキ・スバル。となりのライトの同僚にして、使用人見習いをやらせてもらってます」
丁寧に名前を名乗るヴィルヘルムに、ライトに紅茶を押し付けるスバルは慌てて頭を下げる
いえば、自己紹介を済ませていたのはライトとヴィルヘルム。この二人の間だけだ。スバルとヴィルヘルムは今やっと手を交わしたと言えよう。
ともあれ、王選関係と知ってもそこまで。その先にある詳細なことには何も触れられず、この先で待つのは持ち出し厳禁の紅茶無断使用で、般若の如き怒りを仏頂面の奥にしまうラムのお叱りだけ。
スバルは和む空気に乗じてさらに踏み込んだ内容を聞き出そうと頭を回転させているが、時間切れだ。
たった今、階段上から玄関の開閉音が聞こえたのだから。
「──どうやら、時間切れのようですな」
「みたいですね」
「へ?」
噛み合う二人の反応に間抜けな声を出してしまうスバルがバッバッと辺りを見回し、一点動きのあるところに目が止まった。
「あれはレムと……隣のやつだれよ?」
「俺に聞いても……たぶん、例の使者なんじゃ?」
屋敷にとって、今日知らない人と言ったら真っ先に思い浮かぶのが使者。その人物が階段を悠々と降りてきている。
「こうやって落ち着いて見ると……まじでファンタジーって感じだな」
そう思うのも仕方あるまい。ライト自身でも予想の斜めをいく相手の外見に言葉を失っていたのだから。
思い描く使者はかっちりとした服に紋章の浮き彫りや、マントを羽織っているといった感じ。しかし、その固定観念を脳からはたき落とされるライトは己の目を疑った。
ライトとスバル。それぞれから放たれる視線に当人はイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「こらこらーそこの君たち? 美人に見惚れるのはわかるけど、そんなにジロジロと見てたら失礼じゃにゃい」
「……ぇ、ん?」
そう言ったのは、ライトブラウンの髪をボブカットにした、綺麗な顔立ちをした──少女。と、初見ではそう思うのだろう。
距離が埋まっていくごとに相手から漂う雰囲気に、見ていたライトは過ぎる違和感に疑念の声を漏らす。
なんといえばいいのか。身長は高く、スバルと同じくらい。伸びる四肢は細く、そして華奢。階段を一つ一つ降りるその動作さえ、女性というには女子らしいそれだ。亜麻色の髪、側頭部に添えられる白いリボンもまた女子らしさを助長している。
しかし、しかしだ。この世界に、あぁいったミニスカという衣装を──
いや、案外直感というのは当てにならないかもしれない。
頭部にある猫耳よりも、ライトはそこが大きく引っかかった。
「こうして目の前にしてみると……んー──ネコミミ。なんとも魔性めいた破壊力がある……」
「うーん……?」
「にゃにゃ?」
二人の反応に応じるよう、大きな瞳はパチリと瞬き獣の耳が微動する。
それに毛並み職人でありモフラーのスバルは飛び出しかける右手を押さえるのに苦心する。
が、また別の方向で頭を悩ませるライトは眉を顰めて前例のない情報に苦心。
そんな二人を他所にして、その人物はヴィルヘルムに向き直った。
「ただいまヴィル爺。外で待たせてごめんネ。退屈だったでしょ?」
「いえいえ。思いの外楽しく、有意義な時間を過ごさせていただきました。そこのお二方が、この老骨目に相手をなさってくださいましたので」
「ふみゅ? あーにゃるほどね。君がエミリア様の言ってた……」
「お!? エミリアたん、俺のことなんて言ってたん?」
わくてかわくてか、と言わんばかりに目を光らせるスバルが意中の人からの評判に興味津々。
「そーだったそーだった!」
「なんて言ってた!?」
「君が……えと、バルス? って男の子?」
「全然違う! 桃髪のメイドが言ったことじゃないか!!」
飛んで当たってきた見当違いの答えに、スバルが地団駄を踏んで叫ぶ。
悔し涙ここに落ちると言わんばかりに袖を目頭に押し付けた忙しいスバルの反応に、猫耳っ子はくすくすと笑った。
「でもそれで大体わかったよ。そしてその隣の……ありゃ? 君ぃ、そんなにフェリちゃんのこと見つめてどうしたの? まさかぁー──」
ここぞとばかりに言い寄ってきて真剣な目つきで見るライトに腕を回そうとするフェリちゃんなる者。
が、
「あれ? ちょっと、えいっ。……ありゃ?」
スーっと触れられそうになるたびに避けるライト。その表情は真剣さを通り越した顔つきで、コロコロと忙しなく表情が変わる。
「なんか違う……目に見えるものが真実? それとも、直感に従うべき……?」
「にゃーんだか、思ってた反応と違う。しょうがにゃい……えーい!」
「ちょわわ、え、嘘ぉ!?」
こうなれば埒が開かないと、攻防戦を見ていたスバルに不意打ちでフェリちゃんが突撃した。
狼狽するスバル。そんなのお構いなしに細い体でフェリちゃんがスバルを抱き寄せ、密着していた。
「う、え、え!?」
「──動かないの。今……ちょっと、調べてるから」
あまりの距離感に手足を暴れさせるスバル。そんな彼だが、耳元に息が漏れるような声色で囁かれ、羞恥心が急上昇。くすぐられる感覚に全身が石のように固まり、顔は真っ赤に沸騰した。
人の柔らかな感触といい匂い。視覚、聴覚に続き嗅覚と触覚を刺激されたスバルが顔を固めて、平静を保とうと目を閉じ音を切り離し、全神経をできる限り遠ざける。
「──っ! ──ッ!!」
「はむっ」
「ひゃん!」
その努力虚しく、耳を甘噛みされたスバルは倒伏し、跳ねる心臓と共に体が跳ねた。
そしてその側、
「女の子……? それとも……いや、そうなのか?」
庭に落ちた妙に透けた悲鳴に意に返さず、ライトは一人思考の森を捜索していた。この森はなかなかに深く、理性と本能の両方が彷徨う。探検は先が見えなかった。
フェリちゃんさんは満足げな様子でスバルにしていた抱擁をしゅるりと解く。
「んふー、可愛い反応。まぁそれは置いておくとして…………、聞いてた通り、体の中の流れが淀んじゃってるね。どうにかしてあげたいけど、今は無理かにゃー」
「ななな、何をしでかしてくれたんですの!?」
緊張状態が一気に解けたことで足から力がすっぽ抜けたスバルが地べたでぺたりとして、性別を見失った叫びをフェリちゃんさんに叫んだ。
スバルの涙目の抵抗虚しく、返ってきたのは艶っぽい目つきで挑発的な仮称少女の微笑み。
「ちょっとしたお体のチェックと……甘噛みのことはフェリちゃんのサーヴィス。じゃあ、次はそこの君かにゃ?」
「男……女……? ──ごめんなさい。なにかありました?」
「やーっと戻ってきた。じゃあ……ちょこーっとだけ我慢してね?」
「は、ちょ待っ──うわ!?」
思考の海から上がったライトは状況を飲み込むことができないまま、少女か少年かわからない人に絡め取られる。
首に腕を回し腰に手を置かれあたふたするライトはその最中、ある疑念が破れる音を聞いた。
されるがままだが、混乱の中ライトはひっつく者のケモミミに口を寄せた。
「すみません。あなたって……──男、なんですか……?」
「ふえ、フェリちゃんの耳……敏感なんだからやめにゃさいな」
「お! お前まさかコイツのこと……ってレム!? 怖い! 顔がさっきから怖ぇよ!」
「スバル何が──って、レムどうしたのさ!? なんか怖い! 俺はただ……ほら! フェリちゃんさん、もうネタは上がってるから……」
「いやーん、最近の男の子はせっきょくてきっ。でもぉ、お付き合いは気が早いんじゃにゃいかな? 友達からならフェリちゃん構わないよ?」
「なんでこうなるっ! 待ってーその目やめてレム。俺は悪くないんだ。この人が答えてくれないから……」
確証欲しさの質問がここまで悪化する。勘違いに重なる勘違いはスバルから今までこの光景を目の当たりにしてなお押さえていたレムにまで伝播。
無表情のレムの瞳に宿る永久凍土にまで似た視線によって刺されるライトは弁明虚しく、自体は沸騰した油に水だ。
「そこまでにしておくべきでしょうな、フェリス」
四面楚歌なライトに手を差し伸べたのはヴィルヘルムだった。
──フェリス。この状況をさらにややこしくし、そしてライトに絡みつく張本人だ。この老人の言葉にフェリスは唇を尖らせる。
「ぶー、ヴィル爺ったら真面目すぎ」
「あんたは逆にふざけすぎですよ……っ、もう。あれ、体がなんか……」
拘束からようやく解かれたライトは不貞腐れた様子で皺がついた服を伸ばすも手を止めた。気力でどうにかしてきた体の重みが軽くなったような気がしたからだ。
「照れない照れない。体のことならフェリちゃんがヒューンヒョイって治しといたからネ」
「治したって……」
「ふんふん、ボロボロな男の子に、ちょっと体の
流すように呟くフェリスがライトの疑問を置き去りにして竜車に向かう。
「ちょっと待ってくれっ。順序的に俺がボロボロ、ライトの体が変ってことだよな? どういう事だよ」
「フェリちゃんも忙しいから、素直にエミリア様から聞く方がいいと思うよ。それじゃ、次に会うんだったら、王都で会おうネ」
とりつく島もなく、フェリスが微笑みを残して竜車の中へ消える。
「お前、まだ話が……」
「失礼」
竜車に向かって大口を叩こうとするスバルだが、その前にひらりとぎゃ車台に身軽に飛び乗るヴィルヘルムが遮った。手に持っていたカップはいつの間にかお盆の上に載せられていた。
「紅茶、ご馳走そう様でした。では、スバル殿、ライト殿。どうかご健勝で」
そう言い残してヴィルヘルムが手に握った手綱を打ち鳴らす。
地竜が嘶き、車体が軋む音を立てて地面に車輪を転がす。地竜が足を地面に打ち鳴らすたび引かれる客車は加速を得て、みるみるうちにスピードが上がった。
砂埃を巻き上げて、地竜は車体を引き連れて屋敷をどんどん離れていく。門を越え立ち並ぶ木々を過ぎ、いつしか視界にはいつもの庭が写っていた──