秋といえば、何を連想するだろうか? スポーツの秋? 読書の秋? それとも――私はもちろん芸術の秋さ。ああ、君ならそう言うと思ったよ。
多分きっと平凡なリビングとキッチンを思い浮かべるならその通りだろうと思える少しだけ年季が入った室内、僕は食卓に置かれたシチューを食べる。向かい側には僕よりも背が高くて紫の長髪と紅い瞳がよく似合う麗人――瀬田薫が美味しいかいと優しく訊く。美味しいさ、と返事をすれば、それは良かったと彼女は微笑む。
ところで話の続きだけど……僕は食欲の秋だなと思う。なるほど、いっぱい食べる君らしい答えだね。また彼女は笑う。
僕は生まれつきの食いしん坊なんだ、仕方ないだろ。少し拗ねて肉を頬張る。ふむ、まだまだ煮込む必要はありそうだけど意外と臭みがない、噛み応えがあって中々楽しいかも――新たな発見をしつつスプーンを持った手を止めない。
薫は次どんな役を演じるんだい? 愛した人の病を治すために自らの命を悪魔に差し出す女性さ。悪魔に? 叶えてくれると思えないな。それが真面目な悪魔で、約束はきっちり守るのさ。
滔々と薫の口から舞台設定が語られる。聞いていく内に何だか無性に腹が立ってきた。悪魔に命を渡すほど愛する人――演劇だと分かっている、けど許せない。
そいつは薫の美しさしか知らないんだ。そうだ、何も知らないのに薫の心を奪おうとするんだ、許せるはずがないだろう。薫は柔らかい、温かい、美味しい。
ふふっ安心してくれたまえ、君の不安は杞憂さ。僕が自然に作ってしまったしかめっ面を見て、薫は相変わらず優しく笑う。もし本当に悪魔に命を差し出すときが来るとしたら、きっとそれは君に生きていて欲しいと願ったときだから。
ああ、ありがとう。僕には幸せすぎる願いだよ。人はそれぐらい自分に対して真摯になるべきだからね。そうだね、僕もそう思う。
だから食べる。咀嚼する。飲み込む。
恋は盲目という言葉があるのだろうけど、残念ながら僕の目は眼前にいる薫の芸者特有の細かさが行き届いた髪や肌が鮮明に見えるし、彼女の人柄もよく分かっている。むしろ薫のことが好きになればなるほど、より暗がりのリビングでも彼女の魅力というのは明瞭に見えてしまうんだ。
気がつけば、完食していた。ごちそうさま、薫。今日も美味しかったよ。彼女は優しげに微笑んで、腕によりをかけた甲斐があったよと嬉しそうに返す。
では、素敵な料理を提供してくれた君に感謝を――君の瞳に乾杯、僕なりのキザな台詞を吐いて食後の一杯として彼女の瞳によく似た色の赤ワインを堪能する。少しだけ鉄臭さを感じるような風味だったけどもこれも彼女が注いでくれたものだから、ゆっくりと味わって飲み干す。
しかし君はよく食べ、よく飲む。薫は感心したように言う。食欲というのが僕の全てだからね、できる限りニヤリと笑ってやった。君の美しいところは、そういう格好つけることよりも出された料理全てに対して欠片一つも残さず食べきって感謝するところだと私は思う。ああ、薫には敵わないな……顔が紅くなっていくのを感じる。
褒め殺されて恥ずかしくなり、逃げるように窓を開けてベランダに出る。今日は中秋の名月、頃合いよく僕の頭上を満月が照らす。でもこの光は借り物だ、僕と同じ――いや違うな、薫が太陽や星なのは確かなんだけども僕は月と呼ばれるような魅力的な星じゃない。しいて言えば、デブリなんだ。
だけど星屑でも薫は明るく照らす。そうだ、薫はどんなゴミでも明るく照らしてしまう太陽なんだ。月だとかそういうのではない、自分の輝きで僕のどうしようもない夜を払ってしまう強烈な光を持っている太陽――しかも恐ろしいのは、荒ぶる情熱を注ぎ込むのではなく自然が育まれるように適度な温度を持った光を与えてしまう。
と僕なりの形容詞を並べたところで、隣で彼女が月に対する感動を衝動のまま口にする。ああ、なんて美しい月なんだろう!
薫、感動するのはいいけど近所迷惑になるから少しボリュームを下げよう。おっとすまない、私としたことが――思わず人々を惹きつけてやまない月に心を奪われすぎたみたいだ。
彼女らしい、笑みが零れる。いつもみたいに儚いだなんて言って。僕は月よりも綺麗なものを知っている、けれど本人に伝えても当たり前のように感謝を返してくれるだけだからあえて言わない。
言葉にすればするほど、薫を褒めるのに足りなくなるからだ。僕の貧弱な語彙では彼女の優れた言葉の力に太刀打ちできない。真心に薄っぺらな賛辞なんて届いても、簡単に跳ね返されるだけ。
ねえ、薫。秋風が鈴虫の鳴き声を拾ってくる。ああ、お願いだから今大事な話をするから邪魔をしないでくれ。
どうしたんだい? 彼女が生真面目に僕と向き合う。紅い瞳、まるで昇りたてのお月様みたいだ。
今度は映画でも観に行こう。芸術も食べ物も堪能できるからさ。
ふふっ、君らしいね。でも食べ物は旬のものではなくていいのかい?
じゃあ、秋が旬の食べ物を食べながら僕の家で映画を観よう。そうすれば秋らしいさ。
なら私から言うことはないさ。むしろ君とならいつでもどこでも――
大切な人の言葉を遮るかのように僕のポケットから電子音が鳴る。なんで邪魔をするんだ、舌打ちしながら音の主を取り出す――白鷺さんからの電話がかかってきた。
もしもし? 薫とはまた違う凛とした声、優しさよりは知性的な口調で今大丈夫かしらと訊ねる。薫の方に一瞥すると彼女は穏やかに頷く。ああ、いいよ――ちょっとだけ不機嫌に返した。
あなたに聞きたいことがあるの。なんだい、急に? レポートなら期限は来週だよ。違うわ、薫のことよ。薫のこと? それなら大丈夫だよ。
白鷺さんの声が少しだけ低くなる。どうして? 一週間も連絡が取れていないのに? 筆まめな彼女が連絡がつかないってことはあり得ないだろう、加えてバンドとか大学とかに姿を現わしていないとも聞いたことある情報まで耳に届く。
僕は笑った。誰も薫のことを知らないんだ。そうか、僕だけしか知らないんだ。
今、僕と一緒いるよ。優越感に浸って、つい口を滑らしてしまう。でもどうでもいいんだ、僕しか薫の居場所を知らないんだから。
あなたと一緒なの? 怪訝そうに彼女が訊き返す。ああ、そうだよ。僕は上機嫌で首肯する。
スピーカーの向こうからは思案する息遣いしか聞こえなくなった。おかしなことは何も言ってないのに。
ようやく彼女は口を開く。ねえ、今からあなたたちのところに訪ねてもいいかしら? 構わないさ。僕は相変わらず愛想よく答えた。
そう、ありがとう。通話が切れる。つと隣を見やれば、薫がずっと微笑んでいた。君の幼馴染が今から来るらしいよと伝えれば、それは喜ばしいことだとまた彼女はキッチンに戻っていく。腕によりをかけなければ、生き生きと客人をもてなそうする姿勢――嫌いだけど、好きなところ。
しばらくして、白鷺さんがやってくる。夜中ということもあってか、服装はきっちりしている彼女にしてはラフなものだった。
僕は笑顔でリビングへ招き入れる。どういうことかしら? 白鷺さんは形のいい眉を寄せて、顔をしかめていく。どこにも薫がいないじゃない。
彼女の疑問は理解できない、僕のすぐ傍にいるのに。ああ、電気を消しているから見えないのか。でも丁度見える場所にいるんだよな。
さっきまで食べていたさ、僕は指をさす――まだ洗っていないビーフシチューの皿と少し黒みが増した赤ワインが入ったグラスがある。僕と薫はこれからもずっと一緒に過ごすんだよ。ただただ僕は嬉しくて自慢した。