亜人間恋愛物語 作:d1199
そこは静かだった。あるのは二人分の呼吸と鼓動のみであった。木材や金属が混じる鼻に突く空気には、強い湿気があった。目を覚ました凛が最初に見たモノは、二〇歳の青年だった。薄暗かったが、着ている服の下に包帯を巻いている事が見て取れた。黒縁眼鏡の奥にあるのは、薄ら光る瞳だった。彼女が手を動かしたのは、その手を彼が握っていたからだった。
「包帯だらけの情けない顔」
「あのな」
「どうしてここに居るのよ。付いてくるなって言ったのに」
「えーとな」
「明瞭に言いなさゃい」
彼は彼女の頬を引っ張った。
「これは、ワガママ女の子をお仕置きするウルトラ怪獣カネゴンというおまじないだ。効き具合はどうだ。えいえいえい」
「いひゃっ! いひゃい!〈いた、いたい!〉」
「もう少し必要だろうか。えいえいえい」
「ごめんにゃしゃい。やめにぇ〈ごめんなさい。やめて〉」
「それだけツンツンなら大丈夫だろ。帰るぞ……なんだ。その伸ばした両手は」
「見て分からない?」
そこは静かな森だった。二人の頭上にある月は、いつもの様にただ浮いていた。背負われる彼女が見る彼は、無言で歩き続けていた。なので彼女はこう言った。
「黙ってないで、あの場に真也が居る経緯を話しなさい」
「こっそり追い掛けて城の外で様子を伺っていた。いきなり悲鳴が聞こえたから飛び込んだ。そしたら凛が倒れていた。気を失っていた時間は一分も無い」
「そう。私に言うべき事は他にある?」
「ハート形のペンダントが俺のポケットに入ってる」
弄った彼女が取り出したそれは、割れていた。彼女は森の奥へ投げ捨てたが、歩き続ける彼は一瞥しただけだった。彼の首に腕を回す凛は、背後から彼の表情を伺った。
「次は怒ってる理由ね」
「怒ってない」
「怒ってるわよ」
「怒ってない」
「嘘は駄目なのよ。忘れた?」
「ワガママばっかりだけど怒ってない。ツンツンな分だけ桜より手間が掛かるけど怒ってない」
「なら、桜にすればいいじゃない」
「それができるなら、ここに居ない」
「桜と綾子は?」
「カンカンだ。もう口を聞いてくれないかもな」
ガサリとは、彼の脚が草を踏んだ音である。その音で鳴き止んだ虫は、直ぐに鳴き出した。
「どうして私なわけ? ルヴィアはともかくとして、桜も綾子も素直なのに。キャスターもライダーも美人なのに。キャスターなんか、有能で年上で美人でアンタに献身的なのに」
「やっぱりキャスターにコンプレックスがあったにょか」
「それ以上言ったら垂れるまで抓るわよ」
「……初めてあの家に来た時のこと覚えてるか? おれは凛に酷い事をしたけれど俺も辛かった。なんでこんなに辛いのか。凛の髪か。声か。しゃべり方か。ツンツンなところか。お嬢様っぽい所か。それを装っている所か。散々考えて、それでも分からなくて。得た結論が、永遠に分からないんだろうと言う事だけだった。できるのは近づこうとする事だけだと、そう思った。そう思わせたのは凛だけだった。
それに比べると、手間が掛かること位は大した事はない」
「それって。私から離れたくないーって事よね」
「一番の理由は凛がメランコリっぷっ――」
彼が言いきれなかったのは、鼻を摘まれたからである。
◆◆
倒木を乗り越えた彼は、凛をおぶさり直した。
「あの二人なら大丈夫よ。そのうち許してくれるから」
「とてもそうは思えない。断言できるのはなんでだ?」
「真也が受け入れてあげるから」
「まて。頭とか打ったのか? それとも何らかの影響を受けたのか?」
「遠い世界の真也が、違う二人の所に行ってそれぞれの人生を送るってこと。でも私が見てる真也にはそんな事させないから」
「悪いんだけど何を言っているかさっぱり分からない」
「夢を見たのよ。カッコイイ真也の夢。目的の為に自分を殺して、血の涙を流して、私を守る為に闘って」
「確かにかっこ好いな。自分の事とは思えないぐらいだ」
「そう。だから帰ってこなかった。美しい生き方って、何かの為に全てを捧げる事よね。何かを一途に求め続ければキレイな生き方だけれど人としての幸せはありえない。夫がかっこ悪く見えるのは真理なんだわ。でも、だからこそ、こっちの方が良い。ランサーみたいな真也は御免被り」
「ランサーの夢を見なくなったのは正解って事か」
「寂しい?」
「そう言うモノなんだろ。その代わり凛の夢を見るよ」
彼女のその躊躇いは、落ち着かせる為の時間だった。彼女の指が突くのは、彼の頬である。
「なによそれ。かっこ付けてるつもり?」
「俺も言った事を後悔してる」
「もう一度言いなさい」
「もう言わない」
「言えって言ってんのよ」
「誰が言うか。ワガママ娘め」
「この際だから言っておくけど、キャスターにばっかり良いところ見せちゃって、どういうつもりよ」
「キャスターは従者だからあまり気にならないんだけど、ハズしたらと思うとなかなか踏ん切れない」
「なによそれ。私に嫌われるのが怖いって事?」
「あーそうだろうよ。おかしいだろうよ。笑うなら笑え」
「いいわ。正直ものの真也くんに良い物をあげる」
指を空に差す彼女は笑って言った。
「ちゃんと稼いで家に納める事。もちろんお小遣い制。一週間の予定表とその結果を提出する事。他の娘と仲良くするのは以ての外。キャスターは大目に見るけど、二人きりで会う時は必ず言う事」
「貰うのは要求ばかりだな」
「十七歳から二〇歳までの人生の華を捧げたんだから、これって格安よね。それとも、もう一回引き伸ばしてみる?」
「要求はそれだけか? 別れろ以外なら聞く」
「仕事は普通の仕事にする事」
「助手はどうする」
「もうサーヴァントの力は使うなってこと。一緒に歳を取るんだから」
「サーヴァントシンヤの命日か」
「その代わりに、私たちをあげる」
「私たち?」
たはは。彼女が浮べた笑顔には、慶びと恥じらいが混じっていた。
◆◆
ポリと頬を掻いた彼は、ドドドと走り始めた。それは、ヒトが為し得ない速さだった。
「使うなって言ったでしょ!」
「使い収めだ。夜空のデートといこう」
「ちょっ!」
森の地面が抉れた。二人は、森の木々より高い空で髪を風になびかせていた。眼下に広がるのは、森の向こう側で瞬く、地上の星空とも言える町の灯火だった。二人が見るのはその内の一つだ。自身の髪を抑えた凛は、彼の髪も抑えてこう言った。
「家に帰りましょ」
「そだな。家に帰ろ」
おしまい。