1/2(ふたつ)に割れない恋ゴコロ   作:c.m.

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 続きのご要望が多かったので、後日談の一幕として『恋のつり竿』回のお話をば。
 リクに応えるのは今回だけよ~(1万8000字超えとか狂気の沙汰だし)


後日談:ふざけた釣り竿にご用心!

“あかねさん! (ひびき)良牙(りょうが)です! おれは今、全力で走っています! これ以上ないほどの速度です! こんな風にがむしゃらに走った日は、ガキの時だって無かった事でしょう! 何故ならおれは……!”

 

「待たんかいこんド腐れがタマとったらァ──……!!」

 

“元ヤクザに、殺されかけているからです……!!”

 

 

     ◇

 

 

 話は数日前に遡るが、(ひびき)良牙(りょうが)は極端な方向音痴である。

 どれくらいの方向音痴かと言えば、北海道に行く筈が沖縄に行ってしまうぐらいの方向音痴で、しかもそれは両親からの遺伝であるので直しようがないのだが、ともあれそんな良牙であったから、本来予定のなかった行き先で、意中の相手である天道あかねに対し、お土産を買って贈るのが定番となっていた。

 

「ん?」

 

 そして、今日も今日とで土産を物色していた良牙の目に、釣り竿が止まった。

 商品名は『恋のつり竿』。意中の相手を釣り上げれば、相手はたちどころに釣った男に心奪われるという。価格は驚きの一〇〇〇円で、しかも乱雑にかごに詰まっていた。

 霊験あらたかな『えんむすび神社』の品という割には、随分と雑な扱いである。

 

“けっ、馬鹿馬鹿しい”

 

 どうせご当地系のジョークグッズの類だろう。そんなものに金を使うほど、この響良牙は落ちぶれていないし馬鹿でもないと視線を外し……。

 

「まいど~!」

「…………」

 

 響良牙は落ちぶれていなし馬鹿でもない! 繰り返す落ちぶれていないし馬鹿でもない!

 ただ、良牙だって思春期の少年なのだ。お年頃なのだ。だからそう、ちょっと、ちょっとぐらい試してみても良いんじゃないかな?

 ダメで元々だし、ほら、たかが一〇〇〇円だし……という思いでつい買ってしまった。

 遠くない未来に、何故こんな特級呪物を買ってしまったのかと頭を抱えるが、それを今の良牙は知らない。

 今の良牙の気持ちを言い表すなら、そわそわとした期待だ。思春期の男の子特有の、ちょっと邪だけどピンクまでは行っていない、健全なレベルでの好きな女の子のハートをゲットしたいな~ぐらいの軽い気持ちだ。

 

“フィ────っシュ………………ッッ!!”

 

 ……うん。まぁ、ちょっとかつてないぐらい気合が入っていたのは大目に見て差し上げて良いだろう。

 しかし、ここで思わぬ誤算があった。

 ひとつは良牙が恋する少女、天道あかねの横に仲良く話す女の子、早乙女らんま改め、正式に天道家に加わったあかねの義妹、天道らんまが居たこと。

 二つ目は、普段から無差別格闘流の開祖であるエロ爺こと八宝斎(はっぽうさい)とのやり合いで、邪な気配にらんまが敏感であり、あかねを庇うよう動いてしまったこと。

 三つ目は、本来こういう事態にいち早く対処できるらんま絶対護るマンことスグナリが、食材の買い込みに出て別行動をとってしまったこと。

(ちなみにらんまとあかねはスグナリからのお小遣いで、喫茶店のパフェを満喫した帰りだ)

 

 これらの三要素が重なった結果、何が起きるかというと。

 

「なんで貴様が釣られとんじゃー……!?」

 

 まぁ、こうなるな。

 どうでもいいが、良牙はらんまを微塵も女として見ていない。

 確かに小柄な割にナイスバディで可憐だが、らんまとは中学時代、()()()の同級生だったからだ。

 スグナリとの恋語では一切触れられなかったが、らんまは中国の呪われた修行場の泉、呪泉郷の『娘溺泉(ニャンニーチュアン)』で溺れた(落ちた)結果、水を被れば女になり、お湯を被ると男に戻るという特異体質になってしまった一六歳の()()だ。

 そう……! 元の性別は男なのだ!!

どんだけ可愛かろうがボンキュッボンのムチプリだろうが、男子校時代のらんまを知っている良牙からしてみたら、男に恋心なんぞ抱ける筈がねーのである。

 

「なに気安く触ってんだ糞ボケがぁ……ッ!!」

 

 が。既に心まで完全にメス堕ちしていたらんまからすれば、婚約者(スグナリ)以外の男に触れられるなど冗談ではなかった。

 たとえ相手が男時代の自分をライバル視していた悪友だろうが好敵手だろうが、その一線は譲れない。喧嘩なら安値で買ってやるが、その時は男に()()()からだ。

 女の時につっかかって来るな。来たら殺すと散々に忠告していたし、ましてや今回のように抱き抱えるなんてのは以ての外だ。万死に値する。

 怒りの拳が天を衝き、高らかに良牙は舞い上がって吹っ飛んだが、今回ばかりは良牙も安心した。

 

“まぁ、こんなもんだろうさ”

 

 期待してなかった。たかが一〇〇〇円だ。その一〇〇〇円が有ったらあかねさんにもっと良いお土産を買えたよなぁとか、何でこんなものを買ってしまったんだとか、そんな後悔はしていない。

 微塵もしていないから、この目尻の涙は嘘だ。

 

 響良牙、一六歳。彼も繊細な男の子なのだ。

 

 

     ◇

 

 

 ……が。その翌日、テントから出てきた良牙は目を疑った。

 

「おう、起きたか。もうちょっとで出来るから待っててくれよな!」

 

 らんまが何故か外でみそ汁を作っている。しかも、自分の洗濯ものが下着も含めて全て干されている。

 

「な、なにをやっとるんだ貴様は……!?」

「駄目だぜ良牙、武者修行ってのは健康管理も入ってんだし、身なりがおざなりじゃぁ、色々と困るんだからよ。飯も気を遣ってるか? 前より鍛えてるみてぇだが、身体づくりを考えて食わねーと力付かねぇぞ?」

 

 余計なお世話だ! と言いかけたところだが、その前にテントのテーブルに置かれたみそ汁と青魚、白米に漬物という朝食。

 香りだけで美味いと分かるメニューであったし、ご丁寧にらんまの分もある。

 

「味についちゃ自信あるぜ! 花嫁修業は欠かさなかったからな!」

 

“なんだそれは!? 何処からツッコめばいいのだ!?”

 

 しかも、性質が悪いことに味噌汁は滅茶苦茶美味かった。

 目の前にいる少女の正体を知らなければ「お前の味噌汁を毎日飲みたい」などと言ってしまいたくなるぐらいには美味かった。

 

 だ が 男 だ。

 

 青魚も旬のものを七輪で焼いたので、この上なく白米に合う。

 魚にかかったカボスの果汁も実にさっぱりとしている。

 

 だ が 男 だ。

 

 白米の炊き具合も絶妙だ。お代わりを所望する前にもう一杯よそって出してくれた。気が利くし、間違いなく良いカミさんになるだろう。

 

 だ が 男 だ。

 

「口に合ったみてぇだな!」

 

 堂々と胸を張りながらも、同時にホッとしたような顔を見せる献身的な姿には、何も知らなければトゥンクしてしまいそうだ。

 

 だ が 男 だ。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉっ………………!!」

 

 トゥンクしてはならない! してはならないのだ……!!

 

 取り敢えず、目の前の河原に豪快にダイブしてから、手頃な岩に頭突きをした。岩が砕けたが、意識は飛ばなかった。

 

 響良牙の受難と悪夢の始まりであった。

 

 

     ◇

 

 

 対し、天道家は朝から蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。というのもだ。

 

『勝手ながら、婚約を解消致します。探さないでください。らんま』

 

「っていう書置きが、食卓にあったのよね?」

 

 天道家の次女、なびきはヒラヒラと件の書置きを振りつつ、しかもご丁寧に読み上げていた。

 一体何の恨みがあってこんな死体蹴りじみた真似をするのか? 人の心とかないのかと問いたいが、割とこれが平常運転だ……血も涙もねぇ。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 流石に三女のあかねも、もう少し気を遣えと言いたげに食卓を叩いた。

 

「でも、どうして急に……? 仲良かったわよね?」

 

 長女のかすみが困惑するのも無理のない話である。何しろ天道家にやって来てからこちら、スグナリとらんまの熱愛ぶりは誰の目にもこれ以上ないほどのもので、少しは熱を下げろと言いたくなるぐらいの円満ぶりだったのだ。

 そして、そのスグナリはと言えば──。

 

「────」

「ありゃ、真っ白」

 

 完全に放心状態だった。多少なりとも煽れば意識が戻るのかと思って、書置きを読み上げたなびきであったが、どうやらその程度で意識は戻らなかったらしい。

 少しでもつついた矢先、灰となって崩れそうな勢いだ。

 

「ねぇ、あかね。昨日らんまちゃんと一緒だったんでしょー? なんか心当たりないの?」

「そういえば、昨日良牙君がらんまを抱き抱えて……って、スグナリ君!?」

 

 端から灰になって風に流されかけていたスグナリ、即座に復活。全力ダッシュで門を飛び出した。

 

「あかね。追いかけてあげなさい……下手したら、血の雨が降るわ」

 

 流石のなびきも、今回ばかりは冗談ではなさそうな口調だった。

 

 

     ◇

 

 

 かくして時間軸は冒頭に……とはならない。

 幾らスグナリがらんまに首ったけとはいえ、嫌疑がかかったというだけの相手をいきなり殺しにかかるほど、人の道には外れていない。

 しかしだ。スグナリが現れる数分前に、問題が発生した。良牙が釣り竿の取扱説明書を読んだのだ。

 

『あなたに釣られた相手の胸に、たちまち恋が芽生えます。恋の発生から育つまで。胸の痣が立派な鯉になると恋の成就です』

 

「……ちょっと見せろ!!」

「きゃ!?」

 

 女のような声を出すな……! あと可愛いブラジャーをつけるな! と言いたくなったが、それよりも自分が釣り上げた胸元ですくすく育った大魚が問題だ。デカい。らんまの胸もかなりデカいが──おそらくF以上ある──それにもまして鯉がどデカく成長していた。

 

「ははっ……良牙。おめー意外と大胆だな」

「馬鹿っ! 違……」

 

「──何が違うのか聞かせて貰えるかな? 良牙君」

 

 ギ・ギ・ギ……と油の切れた機械のように、良牙の首が背後に向いた。

 

 Q:貴方は今、女の子の服に手をかけて、押し倒しています。女の子には婚約者がいますが、どう説明しますか?

 A:どう見てもアレな行為の直前です。誤魔化せません。

 

「安心してくれ。僕だって、聞く耳は持っている。いきなり首を落とすような真似はしないよ」

 

 いきなりじゃなかったら殺る。間違いなく殺しにかかる! そういう目をしていた……!!

 

「わ、分かった。すべて最初から話す。実は……」

「ごめん、スグナリ……そういう、ことなんだ」

 

 やめろぉ!(迫真) やめろぉ……!!(全力)

 胸元を隠しながら俯くな!?

 浮気現場を目撃した人妻みたいな気まずい雰囲気を出すなぁ……!

 

「おれ……良牙のことが……もがっ!?」

「それ以上喋るんじゃねぇ……!!」

 

 全力で口元を塞いで、ついでに羽交い絞めにする。

 誤解だ! これは誤解なんだ聞いてくれと本気の視線で訴える。

 本気の思いなら伝わる筈だ! 目と目で通じ合うんだよ男同士腹を割ってるんだという思いよ届け、届いてくれ自分の命の灯は秒読みだ……!! という熱視線であった良牙である。

 しかし、所詮視線は視線で言語ではない。

 そしてこの場を客観的に見るならば?

 

 Q:浮気を告白した婚約者の口を、間男が強引に塞いで睨んでいます(第三者目線)

   しかも間男は(さっき河原で唯一無事だった服もずぶ濡れで脱いでしまったので)半裸状態です。どう見えますか?

 A:この状況で何をどう見たら誤解に見えるんですか?(半ギレ) 

 

“殺される……!?”

 

 響良牙、一六にして死を覚悟したが、そんな彼に想像した地獄は訪れず……ぽた、と涙の滴る音が響いた。

 

「…………そう、なのか」

 

 それだけ言って、スグナリは去った。その背は何処までも小さく、そして丸まっていた。

 

 

     ◇

 

 初恋だった。誰より強く愛し、あの子の為ならどんな艱難辛苦にも挑んで見せる。必ず幸せにして見せると固く誓っていた。

 だが……なのに……。

 

“……失恋か”

 

 張り裂けそうな胸の痛み。血の一滴も流れず、親しい人が傷ついた訳でもないのに、瞳から涙が溢れて止まらない。

 

「何処か……遠くに行ってしまおうか」

 

 誰もいない何処かへ。まだ見ぬ別の場所へ。

 時間が傷を癒すとは言わないが、それでもスグナリには考える時間が必要だと思うから。

 

 

     ◇

 

 

「で? 負け犬みたいに戻って体育座り?」

 

 なびきの死体蹴り(二度目)が発動した。

 仲悪いのか? というと別にそんなことは無い。むしろ気風の良いスグナリと、金に卑しい反面仕事はしっかりこなすなびきは良きビジネスパートナーである。それはそれとして、単になびきがドSなだけだ。

 あと、何だかんだこういう見える位置でいじけてる人間と言うのは、構って欲しい手合いだということを理解しているからこその弄りでもある。

 

「なんか心当たりない訳ぇ? 我慢しきれず強引に手を出して、好きだけど急過ぎて嫌になっちゃったとかさぁ?」

 

 ビックゥ……!? とこれ以上ないほど分かり易くスグナリが反応した。

 

「え? 何、ホントに手、出してたの? 何時?」

「……そ、その。天道家に来る前に、初めては済ませてました」

 

 ……手ぇ早いなコイツ。というのがなびきの率直な感想だった。

 元気ねー。と、かすみも笑いつつ驚いている。

 

「い、いや……誘ってくれたのはらんまの方なんですよ? そ、それにこの家に来てからだって週に一度ぐらいしか……」

「多いっつの」

 

 妙にギシギシ音がすると思ったら、相部屋なのを良い事に散々お盛んにヤッてたらしい。

 

「で、でもらんまも乗り気だったんですよホント!? 自分からチャイナドレスとかメイド服買うぐらいに!?」

「それ……単にスグナリ君の趣味に嫌々合わせてただけじゃない?」

 

 スグナリの精神世界に黒雲が立ち込めると、背後に雷光が迸った。

 相当ショッキングな事実だったのか仰け反りながら固まっていたが、女性陣からの視線は「絶対それだよ」と言わんばかりだった。

 

「そ、そうだったのか……」

 

 確かにスグナリがノリノリで浮かれてたことは認めざるを得ない。

 スグナリだって一六の男の子だ。どんだけ普段から良い子にしてたって、男の子の下半身に節度を保つなんて期待しないで欲しい。

 だって一目ぼれするレベルで超絶好みのプロポーション抜群の女の子が誘ってくるんだ。男なら誰だって……。ん? 誰だって?

 

「ああぁぁぁあっぁあああ……! 良牙君にらんまが寝取られるぅ……!?」

 

 余りの衝撃とショックでその場から去ってしまったが、明らかにおっぱじめる直前のことだったのを今更ながらに再認した。

 三下り半を突き付けられたとはいえ、らんまが自分以外と寝るなんてのは許せなかった。女々しい男と笑われてもドン引きされても、そこは譲りたくなかった。

 断じて身体が目当てだったとかそんなことはない。たとえ男でも愛せるし、何だったらスグナリ自身が娘溺泉(ニャンニーチュアン)に飛び込んで女になっても良い。添い遂げるためならそれぐらいの覚悟はある。

 だからこそ、それほどまでの覚悟を決めているからこそ、自分以外の男がらんまにアレしちゃうのは絶対許せないし認められなかった。

 ヤるならいっそ自分を殺してからにしてくれ、というのが正直な気持ちだった。その時は容赦なく返り討ちにしてから物理的にらんまを奪う気満々だったが。

 

「振られた癖に」

「ぐはぁ……!?」

 

 良牙許さねぇ!! と立ち上がった瞬間に、背中からの一突きが刺さった。なびきさんマジで容赦ないっすね。

 

「あらあら? なびき、ひょっとしてスグナリ君に気があるの?」

「は? ある訳ないじゃん」

 

 次女に遅い春が来て、気になる男の子につい意地悪したくなっちゃったのかしら? という気持ちで微笑ましく訊ねたかすみであったが、返ってきたのは嫉妬のしの字もない本音だった。

 確かにスグナリは金持ちで気風が良い。ビジネスパートナーとしての相性も確かだ。

 だがこの男、(ヤクザ)の世界に身を置いていただけに、金を使って交渉すること自体には躊躇がないものの、同時に金銭管理もしっかりできるタイプの人間だ。

 天道家の道場運営にせよ家計にせよ、きっちり算盤を弾いて改善しているし、基本らんまに甘くて買い食いなどを許しつつも、常識的な範囲で小遣いを渡している。

(なお、夜を盛り上げる為のコスプレと、おしゃれ着は例外の模様)

 

 遊んで暮らせるだけの大金を持っている癖に、老後にかかる分までの一家の諸々をちゃっかり計算した上で動いていて、本人も浪費癖は全くないと来ていた。

 将来は道場運営だけでなく医学を修めて、近所の診療所で働かせて貰うつもりだというぐらいには、二足のわらじを履く気満々の癖に、財布の紐は本当に固いのだ。

 どんだけ好物件でも悠々自適に遊んで暮らすのが夢のなびきにしてみれば、人生の石橋を叩きまくってから渡る堅実なタイプとは合わない。

 

 しかも元ヤクザなだけあって、なびきお得意の弱みを握って動かす類の交渉術も使えないし、ちょっとでも油断しようものなら、そこから仕掛けてくる悪辣さも有していると来たから、なびきにしてみたら相手が悪いって話じゃない。

 まぁ、逆にスグナリからしても、何でヤクザでも何でもない堅気の女の子が、ここまで自分を警戒させてくるんだよ。

 絶対ヤクザ(こっち)の世界でも生きていけたでしょ、この女性(ひと)……と、内心表情を引き攣らせたことは一度や二度じゃないので、そういう意味ではお相子だ。

 

 結論が遅れたが、どっちにしてみても「互いに背中を向けられない相手なんぞノーセンキューです」という言葉に尽きた。

 結婚どころか恋人関係だって有り得ない。状況次第ではそういう関係を偽装してもいいが、少なくとも互いにラインを引いて一歩下がっておくのがベストな距離感だとお互いに捉えている。

 

「そういう訳なので、らんまが居なくなったら、僕もここの道場を継ぐ相手と理由がなくなるんですよね」

 

 だからと言って一五億返せよ、と言い出したりしない辺りがスグナリらしいと言えばらしい所だ。

 金を交渉の道具として使っても、金そのものに固執はしていない。

 確かに金は人生を支える柱の一つになり得るが、柱に縛られて生きる人生に意味や意義を見出せないのがスグナリなのである。

 それはそれとして、柱が太く頑丈であるにこしたことは無いので、しっかり稼げるなら稼ぐ男ではあるのだが。

 

「あら? 私やあかねはお眼鏡にかなわなかったかしら?」

 

 無論冗談であるが、そのように笑うかすみに、スグナリも笑って返す。

 

「かすみさんは年上の男性を好まれていて、僕にその気はないでしょう?

 あかねさんは確かに良い子だと承知していますが、そもそも僕はらんま以外と家庭を持ちたいと思いません」

 

 だから。なので。

 

「ちょっと良牙君と話をつけてきます」

 

 お前それ、絶対話すだけじゃ終わらないだろ? という視線には一切応じなかった。割と諦めが悪い男だった。

 

 

     ◇

 

 

「なぁなぁ良牙ぁ? お前どんなの好み~?」

 

 何の話だよ、と良牙が振り向いたら、ごつめのトランクから服が出るわ出るわ。街中の女の子らしい流行りものや中華系はまぁ分かるが、バニースーツ(ウサミミ付き)やら、えっぐいスリットのチャイナドレスやらメイド服やらが目白押し。

 何処で買ったんだそれ? と言いたくなるけど詳しくは聴きたくない衣装の山に、良牙は口を開けて目を白黒させるばかりだった。

 あと、どうしてバニーガールの尻尾が別パーツで、明らかに服に付けるのとは違う、エッグい形をしてるんですかね?(白目)

 

「さっきは大胆に来たし、あんまし脱がすのが手間なのは止めとくかなぁ……あ、それとも初めは私服の方が良いとか?」

 

 だから何の話だよ!? と今度は聞けなかった。察したくない。絶対に察したくない内容だったが察せてしまった。

 

「おどれはおれを何だと思っとるんだ!?」

 

 そんなに女に飢えているように見えるか!? お前の中のおれはそんなに節操なしで下半身に忠実に見えるのかという叫びであったが、勢いよく食ってかかる良牙に、らんまは軽い笑みと流し目で少しだけ胸元をはだけて見せた。

 一六という齢の平均より遥かに、そして豊かに育った胸が可愛らしいレースのブラに包まれていて、しかもらんまはそれを軽く腕に抱えて寄せながら見せていた。

 

 らんまの目は語る。「視線は随分正直じゃねーか?」と。

 

「あっがぁぁっぁぁっぁぁっぁぁっぁあっぁぁぁぁっぁ…………!!」

 

 殺せ! いっそおれを殺せと良牙は頭を抱えてのたうち回った。

 幾ら『女』としての艶っぽい仕草を見せられたからとて、ホイホイ釣られた己が許せなかった。というかだ。

 

“こいつ、明らかにおれを弄んでやがる!?”

 

 そりゃあ元が男なんだから、男が喜ぶ仕草とか、どういう反応をするかは分かり切った上でからかってる部分は有るだろう。

 加え、何が厄介かって、もしそこに反応して良牙がムキになろうもんなら、その瞬間に日も高い内から豪快な大人の寝技が始まりかねない所だ。

 

「安心しろって。お姉さんが手取り足取り教えてあげるから、さ」

「ぬがぁ……!!」

 

 耳に息を吹きかけるな寄って来るなようやく乾いた上着を脱がせようとして来るなァ……!?

 

「何がお姉さんだ同い年だろうが経験豊富とでもいうつもりか貴様は!!」

 

 勢いよく捲し立てた矢先、らんまは恥じらうようにもじもじとし出した。しかも、生娘が無理をしたことを見抜かれたというより、事実を言い当てられたような……。

 

「そ、その……やっぱしお手付きは抵抗ある?」

 

“お手付きって……いやお手付きってお前!?”

 

 いや、そうじゃないかとは思ったけど、ヤってたのか!?

 まじで色々経験豊富だったんですからんまさん!?(唐突な敬語)

 

「そ、そりゃあさ。確かに初めてじゃないけど、その分ちゃんと満足させて上げられるぞ? ほら、良牙だって年頃だろ? 週一と言わず、毎日だっておれは大丈夫だし! 前の男は、その……割と節度有った方だから誘ってもそれぐらいで我慢してたけど、別におれは我慢なんかしなくて良いと思ってるし」

 

 聞きたくない聞きたくない! 絶対に聞きとうない!! と耳を塞ぐ。

 一体どうして元男にしてライバルの夜の事情なんぞ耳にしなくてはならんのだ!? しかもその言い分だとらんまの方がノリノリじゃねーか!?

 ていうか、前の男とか謂うのは止めてやれよ可哀想だろうが流石に!

 

「と、とにかく今はそういう気分じゃ……」

「だったら何時がそういう気分なの? 良牙君」

 

 ギ・ギ・ギ……と、砂浜に捨てられた錆塗れのブリキロボットのように良牙の首が声の方向に向いた。本日二度目の窮地。しかも、よりによって声の主は……。

 

「あかね……さん……!?」

 

 響良牙が恋する少女は、顔を真っ赤にしながらも大層ご立腹であった。

 

 

     ◇

 

 

「あかね……」

「らんま! あんた、スグナリ君って人がいながら……」

 

 今日までの日々は、初めて会った日に語った想い出と恋心は何処にやったのかと詰め寄ったが、良牙は咄嗟に割って入る。

 

「違うんです聞いて下さい全部説明しますから……!!」

 

 どんなに情けない姿を晒そうとも、誤魔化す真似だけはしないという潔い男の姿がそこにあった。

 ただ、その潔さが正しく伝わるかは全くの別もんである。

 

「……良牙君」

「あかねさん!」

 

 伝わってくれたんですね、この思いが! そうです、これは全部……。

 

「そんなに必死になる程、らんまが大事なの……? でも! だからってスグナリ君に隠れて浮気なんてっ!!」

 

 違う、そうじゃない。

 

「だから違うんです! 本当に、本当に一から説明しますから聞いて下さい!」

 

 これ以上誤解を加速させる訳に行かなかった良牙は、洗いざらい暴露した。自分が訳も分からない怪しげな釣り竿を、冗談半分で買ってしまったこと。しかもそれを、邪な気持ちで使ってしまったこと。

 結果として、こんな事態になってしまったこと。

 そして、その全てを聞いたあかねの反応はと言えば……。

 

「良牙君」

「……はい」

「確かにらんまは、義理とはいえ姉のあたしからしても、本当に良い子だと思うわ」

 

 え?

 

「家事も出来て、スタイルも良くて、可愛くて……不器用なあたしにも丁寧に料理まで教えてくれて……本当に良い子なのは、あたしが誰より知ってるわ」

 

 もしもらんまが男として、スグナリと出会う事なく許嫁としてやってきたのなら、こんな評価にはならなかっただろう。

 男としての不器用さであったり、変なところで意地を張ってしまったが為に、気になる女の子を意識しつつも、ついからかったり意地悪な態度をとってしまって、仲がいい時より喧嘩をしている時の方が多くなってしまうような、そんな関係になってしまったかもしれない。

 

 たが、良くも悪くもらんまは身も心も女になってから天道家にやってきた。女として男に尽くし、女としての立場から、相手の気持ちや幸福を考えるようになった分、『同性』のあかねに対してはとにかく友人として、妹分になる立場としても親身に接したのである。

 あかねが失恋に涙した時は慰めてくれたし、生来の不器用さから苦手を通り越して壊滅的な家事についても、「おれだって最初は上手く行かなかったしさ」と笑いながら、手取り足取り根気強く教えてくれた。

 そんならんまの指導の甲斐あって、昔は一食平らげれば間違いなく食あたりで診療所に運ばれただろう壊滅的な料理についても、今は不味いけど、まあ何とか食べられるぐらいには成長したのは大いなる一歩と言っていいだろう。

 

 指導する側のらんまはと言えば、それこそ良牙にやったように、家事万能でいつでも嫁に行ける以上のレベルだが。

 

「……あれ? ひょっとして、あたし。女の子としてらんまに勝ってるとこ、一つもないんじゃ……」

 

 元男に対して、完膚なきまでに女子力で敗北するという、気付かなくていい真実に気付いてしまったあかねだった。が、そこは一旦脇に置いて話を続ける。

 

「と、とにかく! そんな可愛い妹分を好きになっちゃうのは分かるわ! でも、だからってこんなやり方でらんまを奪うなんて間違ってる!」

 

“違うんです! こんなつもりじゃなかったんです! 微塵にも!!”

 

 もう良牙は涙目だ。確かにつり竿の標的があかねだった事だけは言わなかったが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。

 いや、肝心なところをボカした良牙が全部悪いといえば本当にその通りではあるのだが。

 

「でも、これで分かったでしょ? らんま。貴女は変な釣り竿のせいでおかしくなっちゃったけど、本当に好きなのはスグナリ君の筈よ」

 

 その証拠に、らんまは三下り半を告げる手紙こそ残しても、鈴環だけは手首にしたままなのだ。

 本気で縁を切るつもりなら、捨てるなり置いてくるなりしていた筈だ。

 

「思い出して、らんま」

 

 この鈴の音を。本当に心に思う人は誰なのか。生涯をかけて、愛すると誓った男は……。

 

「でも、それでもおれは良牙が好きなんだ……!」

 

 嫌いになった訳ではない。確かに未練がましく鈴環もつけている。だが、それでも()()らんまにとっての一番は良牙なのだ。

 

「──そんなに良牙君が良いの?」

 

 そして、まぁ……なんだ。最悪のタイミングと言うか、何時だって間の悪い奴というのは居るもんである。

 具体的には、恋のつり竿のくだりを聞かず、らんまのダイナミックな叫びだけ聞いちゃったスグナリとかいう男のことを言う。

 

「ごめん……ごめんな、スグナ……」

「待ってスグナリ君! ちゃんと話を……ってらんま!?」

 

 事情を説明すべくらんまの声を遮った瞬間、らんまは良牙の首根っこを掴んで脱兎の如くその場を去ってしまった。

 これ以上ないほどの全力疾走であったし、何より本気の表情だった。

 

「そんなに僕は嫌がられてたのか……」

 

 膝をつくでも項垂れるでもなく、棒立ちのまま乾いた声が漏れたスグナリに「違うの! 実は……」とあかねが一部始終を説明した。

 対し、スグナリは一言。

 

「ころちゅ」

「あっ」

 

 普段温厚な奴がキレると、怖い。

 それはあかねも重々承知していたのだが、なんでらんまが良牙を連れて逃亡を図ったのか遅まきながら察した。

 要は、こうなる事を察しての戦略的撤退だった訳である。判断が早い。

 

 かくして、ここに来てようやく話は冒頭に戻るのであった。

 

 

     ◇

 

 

「は、放せらんま!!」

「馬鹿お前あのままあそこいたら殺されるぞ!?」

 

 いや放せ! 話せば分かる筈だと強引に離れつつ止まろうとしたが、背後から頬を掠めて飛んできた飛刀が森林の大木を複数本貫通して、岩を爆散させたのを見て態度を変えた。

 一八〇度転身し、らんまを抱えて猛ダッシュだ。

 

“殺される……!?”

 

 今のは一〇〇パーセント混じりけなしの殺意の塊だった。

 

「他人の女ぁ道具で手籠めんしようとしたツケ高ぅつくぞ糞ボケぇ……!! 即刻東京湾に(チン)じゃぁ!!」

 

「ヤクザかおどれは!?」

「元ヤクザだよスグナリは!!」

 

 ちなみにスグナリの前歴を良牙が知ったのは今日が初である。

 おいそれと吹聴すべきことじゃないし、何より平時の言動からして至極真っ当なだけに、誰かが喋りさえしなければ絶対に知られることは無かっただろう。

 今、真っ先にらんまがバラしたが。

 

「しかも中国じゃ凄腕の殺し屋ぁ!!」

 

 知りたくなかった! 聞きたくなかった!

 無音の移動法とか、殺意も闘志も感じさせずに一撃入れる手管をやけに心得てやがるなとこれまで何度か思ったもんだが、マジモンのヒットマンとは恐れ入った。

 いや、今まさに良牙は殺されかかっているので、そんな悠長な反応が出来る場合じゃないんだが。

 

“どうする……!? つい抱えちまったが、らんまを置いて逃げるか!?”

 

 そうしたら一人分の重みが消えるし、スグナリの意識もらんまに向くだろうという打算もあったが、直ぐに却下した。

 スグナリの目が狙っている。らんまを放した瞬間、問答無用の一撃を叩き込むと。らんまを抱えているから大それた大技を放たないのであって、もし手放そうもんなら、確実に致命の一撃をぶち込んでくるだろう。

 

 間男、死すべし。慈悲はない。

 

“どうしてこうなるんだ……!?”

 

 いやまぁ、そもそも全部良牙の自業自得なのだが。

 

「何処までだ!? 他人の婚約者の心を奪って何処までやりやがったこん糞がァ!! 今なら地獄の三丁目までで許してやるから吐けやゴルァ!!」

「待てってスグナリ! 良牙はおれを押し倒してから上着剥いでおっぱいガン見したけど、それ以上は何もしてねぇ……!!」

 

「ころちゅ! ころちゅぅ……!!」

 

 弁解のつもりだったのかもしれないが、らんまの事実一〇〇パーセントの発言は火事場にガソリンを注いで、ついでにダイナマイトもぶん投げるぐらいにはヤベー発言だった。

 未遂でも許さない。絶対にだ……!!

 

「なに余計な事を言っとんじゃきさまー!?」

「なんだよ事実だろうが男なら据え膳食えよスグナリは綺麗に平らげたぞ!」

 

 知りたくねぇよ!? と割と本気で耳を塞ぐか物理的に鼓膜を破りたくなった。

 因みに初体験はスグナリの告白から割と直ぐだ。

 らんまが自分の特異体質を告白した上で、本気で付き合いたいのかと問うたが、スグナリの気持ちが全く動かなかったことで、らんまも一層惚れ込んだ結果、関係性を固定化すべく冗談交じりにらんまが誘い受けした結果、スグナリはがっついた。しかも旅の途中で森の中だったから青姦である。

 

「知りたくねぇって言ってんだろうが!? 何で全部喋ってんだよ元男のライバルのそんな話聞いて、どういう反応しろと!?」

「え? 男なんだからそういうシチュ聞かされたら、自分もヤッてみたいとか思わねーの?」

 

 瞬間、爆風を伴なった飛刀が良牙の後頭部めがけて飛んできた。

 直接ぶっ刺さった訳でもないのに、戦車砲でもぶっ放したのかの如く周辺の木々がなぎ倒され……てはいない。

 それより恐ろしい事に、速度を落とさぬまま木々を貫通した挙句、遥か彼方の岩をもぶち抜いてからようやく止まった。

 余計な破壊を生まず、貫通性能と速度に特化させた飛刀術の究極系だが、誠に残念かつ大人げない事に、嫉妬の怨念による産物であった。

 一瞬でも肯定的な発言どころか、感情の一つでも見せようもんなら即お陀仏だ。

 それはそれとして、初体験についての具体的なシチュを知られた以上、やっぱり生かしておく気はない訳だが。

 

「聞かれた以上、口封じ以外なくなったなぁ!」

「馬鹿野郎! 元が男だったライバルのそういう話を聞かされた奴の気持ちを考えやがれぇ……!?」

 

 今回ばかりは良牙も後ろに向かって吠えた。流石に今のは全く自分に非はない。非はないかもしれないが、それはそれとして殺す(漆黒の殺意)

 

「いい加減楽になれや貴様ぁ! 今なら山か海か嫌いな方を選ばせてやるぞ!!」

「好きな方を選ばせろよせめて!!」

 

 正直無尽蔵に近い体力の良牙も、そろそろ足が限界だ。何しろスグナリの移動速度が半端ではない。それこそスポーツカーも顔負けだ。これで完全に無音なのだから正直怖いって話じゃないが、これでもまだ殺し屋時代から見たら児戯というかお遊びレベルである。

 完全にブチ切れているから気配も殺意も駄々洩れだが、本気で殺しに行く時には音も気配もないまま、意識の死角から一撃で仕留めるのがスグナリ本来の戦闘スタイルだ。

 らんまと中国で地獄の一夜を共にしたときは開戦の狼煙を上げるために正面からカチコミに行っただけであって、実際はアサシンタイプなのである。

 いやまあ、だからって真正面からの戦闘が苦手ってことはなく、同世代で本気になったスグナリに勝てる奴はまず居ないってレベルなのだが。

 

「すげぇな良牙! あのスグナリが追いつけないなんて、誇っていいぜ!」

「おれを褒めるなスグナリが本気出してくるだろうが!?」

 

 残念手遅れだ。怒りと嫉妬のブースターが発動して猛然と追い上げてきた。

 (ヤクザ)時代の癖で、つい無音で移動してしまったが、拘りと癖を捨ててしまえば、今以上の加速も余裕なのである。

 

「ぎゃぁぁぁ……!? マジで、マジで人間か貴様!?」

 

 スグナリからしたら、お互い様だろうがと言いたくなるぐらいには良牙も十分凄い。命の危機だからという理由があるにしても、ここまで逃げ切るのは並大抵のことではない。

 

「だが、それもここまでよォ……!!」

 

 スグナリ渾身の加速と同時の跳び蹴りだが、間一髪のところで良牙の襟首を掴んだらんまが近くの川に飛び込んだことで、足が空を蹴った。

 即座に方向転換をして体勢を立て直すが、既にスグナリの視界からは二人とも消えている。

 

“くっ! 川じゃらんまの匂……もとい、気配が追えないっ!?”

 

 方向音痴かつ武者修行中である筈の、流浪の良牙を素早く発見できていた理由がこれであった。

 らんまの匂……もとい、気配さえあれば警察犬なんか目じゃないレベルで追跡できるスグナリも、川に流されてはどうしようもない。

 いやまぁ、どうしようもないのは、らんまのことになると結構気持ち悪くなるスグナリの方にも言える事だが。

 女の匂い辿って追跡とか、ストーカーだってドン引きの所業だ。

 らんまは毎日清潔にしてて体臭だって殆どない筈なのだが、女の子特有の甘い香りを追ってやってきたスグナリには軽蔑を禁じ得ない。

 

 取り敢えず中国で、「今が一番美しいから死ね」宣言した(スン)姉ちゃんの見立ては全く間違ってなかったのが証明されたと言える。

 あそこが主人公キャラとしてのスグナリの株の絶頂期であったから、あとはこんな感じで落ちっぱなしだ。

 シリアスが終了しているとはいえ、天国の(スン)姉ちゃんが見たらショックで寝込むレベルの醜態を晒しまくっていたが、スグナリ本人はまったく気にしていなかった。

 

“そんなことより今はらんまだ……!!”

 

 ……戴天流の天才剣士も、落ちるとこまで落ちたもんである。

 いやまぁ、技量だけは格段に上がっているのだが。技量だけは。

 

 

     ◇

 

 

「ここまで来れば……って安心できねぇよなぁ、スグナリ相手じゃ」

 

 地球の裏側だろうと、らんまの為なら追いかけるのがスグナリである。

 あと、敵を殺す時も地球の裏側まで追いかける。

 (ヤクザ)時代に海外に逃げた外道共も、きっちり追い詰めて首を取ってきた実績持ちだ。諦めるとか見逃すなんて言葉は辞書に載っていない。何事にもきっちり片ををつけるのがスグナリである。ターミネーターも真っ青だ。

 

「ぷぎ……」

「取り敢えず、お前は暫くそのまんまな」

 

 らんまがそうであるように呪泉郷の『黒豚溺泉(ヘイトウェン・ニーチュアン)』に落ちた結果、黒い仔豚になるという特異体質に陥った良牙であるが、スグナリは良牙が水をかぶると仔豚になることを全く知らない。

 もし知っていたら仔豚ボディを利用して、らんまの姉貴分であるあかねのベッドに潜り込むような変態豚野郎を丸焼きに処しただろう。

 らんまにしたって本音を言えば、良牙の所業には正直ドン引きだ。

 流石に気持ち悪いってレベルじゃないぞ豚。日頃からそんなんだから、こういう目に遭うんだぞ豚。さっさと自首しろよ豚。

 

「ぷぎぷぎ……!!(特別意訳:豚豚言うな……!)」

「んだよ……おれだってさ、嫉妬ぐらいするんだぜ?」

 

 と、口を曲げつつも優しく仔豚化した良牙を胸元に抱きしめてきた。

 

「そりゃあさ……これが間違った恋だって知ってるさ。お前のことと同じぐらい、まだスグナリが好きで、それでも、今はお前が誰より大事なんだ」

 

 だから助けたし、身を挺してでも守りたい。好きだという気持ちに嘘が無いから、心から尽くし、捧げたいと感じるから。

 

「だからさ……ちょっとぐらい、おれを女の子として見てくれよ?」

 

 そして──この、高鳴る鼓動を感じて欲しいのだと。

 赤らんだ頬と共に抱きしめられた良牙の胸も、同じく高な──

 

「ぷ、ぷぎぃぃぃぃぃっぃぃぃいいぃっぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 良牙はその瞬間、脱兎の如く逃げた。豚だが、兎の如く跳ねて行った。

 

“おれはノーマルっ! ノーマルなんだぁ────!!”

 

 そう自分に言い聞かせて我武者羅に走る。可愛いとか愛らしいとか、そんな気持ちは微塵も湧いていない! あれは男だ! どんだけ献身的で可愛かろうが、良牙にとってらんまは男なのだ!

 トゥンクどころかドキンっ! って高鳴ったりしていない! マイ・ハートは絶対に高鳴ってはいないのだ!

 

“──絶対、絶対に認めてなるものかぁ……!!”

 

 

     ◇

 

 

「はっ、は……はぁ……」

 

 一旦全速力で逃亡し、湯を被ってから進退を考える良牙。正直、もう身も心もズタボロだった。

 もし未成年でなかったら、酒をかっ喰らって全て忘れてから、泥のように眠っていたかもしれない。

 ただ、そんな思考放棄なんぞ全く許される立場に今の良牙は無い訳だが。

 

「良牙君」

 

 短く呼び止めたのは、恋のつり竿を手にしたあかねである。

 二重の意味で目を背けたくなる光景だったが、現実から目を逸らしたところで、改善されることは何一つだってありはしない。

 

「これ、読んで」

 

 差し出されたのは恋のつり竿の説明書。この悪夢を終わらせるための、唯一無二の方法。胸に育った鯉を、再び釣り竿で釣り上げることが出来たなら、釣った相手は正気に戻る。

 

「あかねさん。何を言っても、言い訳にしかならないと思う……だけど、ちゃんとおれの手でケジメをつけてから、おれの本当の気持ちを聞いて欲しい」

 

 見苦しい言い訳は決してしない。ただ、男として名誉挽回する機会を──

 

「そこに居たかぁ……ッ!!」

 

 ──与えられる前に死ぬかも!?

 

 

     ◇

 

 

「おのれ逃げ足の速い!?」

「待ってスグナリ君! 良牙君を信じて上げて!」

 

 先程までの暴走状態とは打って変わり、ピタ! とスグナリが制止する。

 真相を知った時はブチ切れていたし、それは今でも同じだが、散々追い掛け回して多少なりとも体力を消耗した分、聞く耳を持つだけの余裕はあったというのもあるが、何より制止したのがあかねというのが大きい。

 スグナリとらんまの仲を日頃から祝福してくれているのもあるし、何よりらんまとは実姉妹のように仲睦まじい少女からの言葉とあっては、さしものスグナリとて動きも止まろうというものだ。

 そこからあかねの説明を聞き、熟考すること数秒。

 

「後を()けよう」

「この流れで!? 帰りを待つんじゃ駄目なの!?」

 

 驚くあかねであったが、スグナリからしたら割と大真面目に信用できない。

 

「幾ら気の迷いって言ったって、女の子の心を弄ぶような呪物使って宜しくやろうとする男だよ? いざって時に『やっぱ惜しいなぁ』とか、魔が差したこと考えないって保証、有る?」

「そ、それはそうだけど……」

 

 そこを突かれるとあかねも痛い。が、問答無用で良牙を半殺しどころか九割九分殺しまで追い込んでから、自分で釣り竿を使うと言い出さないだけ、スグナリとしても譲歩している方だった。むしろ有情ですらある。

 

「あかねさんに対しては信用も信頼してるから、僕なりの妥協案がここまで。良牙君が本気で反省して動くなら……まぁ……見逃しても、うん。良いかな、一回だけは」

 

 ただし次はない。次にやったら殺す。問答無用で東京湾に(チン)だ。

 

“良牙君! お願いだから、らんまを元に戻してあげてね!”

 

 でないとホントに死んじゃうから、とあかねは祈りつつも、ちゃっかりスグナリと一緒に動いた。

 なんだかんだで、あかねも良牙に対してはそれぐらいの信用度だったりする。哀れって言うか、全部良牙が悪いんだが。

 

 

     ◇

 

 

「おれ……──そんなに魅力ないかな?」

 

 月夜が照らす川辺に反射した自分を、らんまは見つめる。

 

「まぁ……そうだよな。こんな気持ち悪い体質、普通、嫌だよな」

 

 どれだけ可憐に見えようと、豊満な肢体を有そうとも、元の性別は男で、誰だって知ってしまえば引いてしまう。

 唯一の例外は、鈴環をくれた一人だけ。

 

「ほんと、ひどい奴だな。おれ」

 

 あれだけ愛してくれたのに、好きだと言ってくれて、嬉しくて、その気持ちは変わらない癖に、道具一つで簡単に身と心を捧げる相手を取り換えて、挙句、今でも心が揺らいでいる。

 

「ははっ、でっけぇの」

 

 胸元をはだけさせ、乳房を露わにしたそこに泳ぐのは、巨大な鯉。

 初めは片胸程度だったそれが、今は首元から臍辺りにまで届きそうなほど立派に育っていた。

 

“これだけ育たなきゃ、スグナリに勝てなかったんだろうな”

 

 そう思うと、初めて愛した男の名前を呟くと、それだけで鼓動が高鳴るのに、頭に過るのは別人(りょうが)の顔。自分のせいじゃないと分かっていても、そんな自分が嫌になって、近くの石を川辺に投げた。次の瞬間──

 

「────フィィィッシュ!!」

 

 響良牙が、胸元の鯉を豪快に釣り上げた。

 

 

     ◇

 

 

“やった……っ! おれは、おれはやり遂げたんだ!!”

 

 感涙にむせび泣きつつ釣り上げると同時、全ての悪夢の始まりとなった特級呪物(つりざお)を豪快に叩き折った。

 スグナリ辺りが耳にしてたら、元凶そのものを語るならおめーの欲望が元凶だよ、と割と本気で毒の一つぐらいは吐いてたかもしれないが、ともかくこれで任務完了だ。

 

“しかし、なんてデカさだ……”

 

 いや、らんまの胸のことではなく、鯉の方だ。あっちはあっちで本当に形も良くて豊満だったが、良牙に興味はない……と言えばウソになろう。

 何しろ釣り上げるまでガン見だ。

 心も女になってからは恥じらいという奴を相応に身に付け、スグナリ以外には見せないようにしていたので、良牙は全く目にする機会が無かった女体の美というやつをこれでもかと堪能してしまっていた。

 思わず脳裏に思い浮かべ──ようとしたら飛刀が飛んできた。

 

“勘が良いってレベルじゃねぇぞ!?”

 

 とにかく逃げる! 逃げれば明日は見えるのだ! 

 

 ただ、そこで揺れる茂みが目に入った。

 

“まさか、あかねさんか!?”

 

 何しろこんな夜更けの森だ。飛刀が飛んできた方向からしてスグナリでない事は確かだったし、らんまとも方向が違う。

 そうなると、残る選択肢は一つだけだ。

 

“今言うしかない! 今ここで伝えないと、絶対おれは後悔する!!”

 

 釣り竿は既にへし折った。どれだけ無様であったとしても、受け入れられないかも知れないけれど、それでも、本当に好きな女の子にだけは、誤解されたままで終わらせたくなかったのだ。

 

「おれは、おれは……っ」

 

 駆ける。手を伸ばす。恥じらいから飲み込みそうになる言葉を、必死に喉から絞り出す為に、全ての力と想いを吐き出す。

 

「おれは、君が好きだ──────ッ!!」

「お断りだこの変態がァ………………!!」

 

 瞬間、良牙は高らかに天を舞う。叫び抱きしめた相手は、まさかのらんまだった。女としての恥じらいを身に着けた分、正気になってから人気を避けて移動してから、服の乱れを直していた矢先での良牙からの熱い抱擁(ベーゼ)であった。

 女の時に触れたら殺す。そう忠告していたというのに、性懲りもなく抱き着いてきたばかりか、今度は胸まで揉みくさった変態には、鉄拳すら生温いが、生憎と反射的に殴ってしまったので、良牙は星になってしまった。

 まぁ……星にならなかったら間違いなくスグナリからの追撃が入ったであろうから、そういう意味では命を拾ったと言える。

 

 ……全治三週間くらいの深手を負ったが。

 

 

    ◇

 

 

 かくして恋のつり竿騒動は幕を引き、らんま自身はつり竿に心を弄ばれていた時のことは全く覚えていないというので、スグナリも蒸し返そうとはしなかった。

 が。天道家は別の話題で持ちきりである。

 

「ふーん。良牙君、ほんとにらんまちゃんのこと好きだったんだ」

 

 てっきりあかねのことが好きだと思っていたと漏らすのは、居間で煎餅を齧るなびきであったし、そこについてはスグナリも同じような思いだっただけに、「正直僕も意外でした」とため息をこぼした。

 喉元過ぎれば熱さは忘れるものであるし、誰かが死んだり永久に戻ってこないような状況にはならなかったのだから、常時怒り狂うのも馬鹿馬鹿しいというのが本音であった。

 それはそれとして、次に良牙と出会った時の際に、刀の手入れだけは絶対に、絶対に怠らないスグナリだったのだが……。

 

「その……らんま? そろそろ離れても良いと思うんだけど」

「やだ。まだ臭う」

 

 と。らんまはスグナリにべったりだった。臭うというのは良牙の匂いのことで、記憶こそ抜け落ちていても、スグナリ以外の男にべったりだったのが体臭で分かってしまったから、かれこれ数日はこんな調子であった。

 

「嬉しい癖に~」

 

 からからと笑いながら弄るなびきに、否定できない表情のスグナリだった。

 

「たく……あの変態豚がよぉ」

「もう、らんま。豚扱いは流石にひどいわよ! ね~、Pちゃんにだって失礼よね~」

「ぷ、ぷぎぃ」

 

 あ。いまさらっと止め刺したな、とらんまは思いつつ、あかねのペットとして仔豚化した状態の良牙を見やるが、同情はしない。

 そもそもの原因は全部良牙なのだ。いっそずっと豚のままにしておきたい。

 

「にしても、厄介な道具だったよなぁ」

 

 よくあんなものが平然と──しかも格安で──出回っていた物だとらんまは思うが、どうやら店側としても古い蔵の中にあったものを処分目的で出していたに過ぎず、ジョークグッズの類だろうとばかり思っていたらしい。

 勿論店側には即日連絡し、スグナリが在庫を含めて買い取ってから、店員と共に全て焼却処分した。

 あんなものは二度と見たくも出会いたくもないものだが、絶対という言葉が無いのが人生だ。

 

「だから──次はちゃんと守ってくれよ?」

 

 猫のように体を擦りつけながら、上目遣いでらんまが笑う。その愛らしい仕草と声にスグナリは頷き、そして約束した。

 

「安心して──次は斬るから」

 

 瞬間、あかねの腕の中で失禁しかけたPちゃん(りょうが)は心に誓う。

 

 二度と、如何わしい道具には手を出すまい、と。

 

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