くしゅん。ついこの間まで居座っていた残暑は気がつけばいなくなり、一気に冷えるようになった。朝晩は特に冷える。まだ上着を出すには早いと高を括っていたせいで、碌な上着を持っていない。かなり久しぶりに入った自分の部屋で見つけた、高校のときのジャージを今は羽織ることにした。
自分の部屋から出て、廊下を真っ直ぐ進む。突き当たりの右手の部屋に入ると、もうすでに母が机周りを片付け始めていた。
「紗夜は、クローゼットの中を」
聞き逃してしまいそうな細い声。あたしに対して背を向けている母の表情は見えない。けれど、きっと今も涙を堪えているんだと思う。あたしは、小さく頷いて部屋に備え付けられているクローゼットの前に来た。母のことは心配だが、今週中にはこの部屋を片付けてしまわなければならない。これからはあたしと暮らすために。持病持ちの母をここに一人残すわけにはいかない。
あたしは意を決してクローゼットを開けた。ぴしっと仕立てられたスーツとこれから要り様になる冬物がハンガーに掛けられて整然と並んでいる。下を見れば、各段に何が入っているかわかるようラベルの貼られた収納ケースと、これまたジャンル毎に整頓された本棚が並ぶ。一ヵ月前に急死した父の部屋のクローゼットは、几帳面な父らしい中身だった。
就職してから一人暮らしを始めるまで、ずっと過ごしてきたこの実家を引き払うというのは、思ったより辛い。父の私物を片付けていると、一層その思いが強くなってくる。ハンガーに掛かっている衣類や本棚を外に出し終えたら、今度は収納ケースの中身に手を付ける。引き出しを一つずつ開けて中身を見ていく。基本は下着や季節もののアウターなど服が多い。それと、書類がまとめてあるゾーンがあって、残っている引き出しはあと二つ。なぜかこの一番端の二つの引き出しにはラベルがついていない。なんでだろうと思って開けると、中身はノートの束だった。かなり膨大な量だ。もしかしたら百冊近くあるかもしれない。引き出しから全部出して見てみると、下の方につれて黄ばんでいて傷みがひどい。かなり年季が入っている。ノートの見出しには日付が書かれていて、下から上に行くにつれて日付が新しくなっていた。一番古いものは今から三十年前の日付が書いてある。中を見てみると、日記だった。母と結婚する前、おそらく学生の頃からずっとつけていたようだ。倒れる前の日までで日記は止まっている。
三十年前の日記は、まだ整っていなくてどこか浮いた感じがした。あれだけしっかりしていた父からは想像できない。最初は今日学校で何があったというのが中心で、それ以外のことに関しての言及がほぼ無かった。たぶんここはまだ探り探りで書いていたのかもしれない。パラパラと流し読みしていき、気がつけばあたしは二冊目のノートを手に取っている。父の口から昔のことを聞いたことが無かったし、そういうのを積極的に語ってくれる人でもなかったから。それに、父のいない今、父のことを知ることのできるものはもうこれしか残されていない。社会人になってから、忙しいのを理由にここに帰らなかったし、碌な孝行を出来ていないという後悔もあったから。
「何か見つけた?」
気がつくと、母が横から覗き込んできていた。あたしが手にしているものを見ると、一瞬目を丸くするもすぐに目を細めた。
「あの人、まだつけていたのね……」
母はそう言ってあたしが横に置いていた日記のうちの一冊を手に取る。見出しを見ると、あたしが生まれる前の年からの日記だった。しばらくパラパラと日記をめくっていた母がいきなり手を止める。突然悲し気な目である一ページを眺めていた。恐る恐る覗き込んでみる。
今日は辛いことがあった。子どもたちのことだ。双子の片割れがいなくなってしまった。前の検査の時は、彼女のお腹の中に確かにいたはずなのに。今日見たエコーの画像には、一人しかいなかった。先生曰く、これはバニシングツインというらしい。極稀に起こることで先生も診るのは初めてだということだ。残った子の体調は安定しているらしくそれには安心したが、何より彼女が心配だ。
驚きだった。今まで、父からも母からももう一人の「きょうだい」について聞いたことなんて一度も無かった。あたしは母の顔を見る。悲痛に歪んだ母の顔がそこにはあった。
片付けや掃除、荷物を運び出す手配諸々の作業を終え、お風呂と夕飯も済ませてようやく一人になれたのは夜十時を回った頃。あたしは自分のベッドに大の字になってぼうっと天井を眺めていた。思い出されるのは昼間の母親の話だった。
母のお腹の中で消えてしまったあたしの片割れ。母によると一卵性双生児だったようだから、たぶんあたしの姉か妹にあたる子。双子なんて最初から夢だったんじゃないか、そう母は言った。双子だと分かった検診の後、父と母は二人で名前はどうしようか、なんて言っていたらさも最初からいなかったように、あたしの「きょうだい」は消え去っていた、と。
お腹の中には、まだあたしがいて。落ち込んだままというわけにはいかなくて。父と母は忘れようと努めたらしい。……でも、忘れられなかった。
あたしが女の子だと分かって、名前をどうしようと悩んでいた時に父は母に切り出したという。あの子にも名前を付けてあげないか、と。最初からいなかったことにされるのは、あの子が可哀想だ、と。あたしが「紗夜」で、あの子が「日菜」。対になる名前。先に生まれてきた方、姉の方に「紗夜」と名付けよう。
小学校の宿題のために名前の由来を聞いた時、二人の表情が硬かった気がしたのは、気のせいではなかったのかもしれない。きっと、いなくなったあの子を思ってのことだったんだ。母はこう言った。紗夜には、あの子のことを話すつもりはなかった、と。あの子のことを背負うのは、夫婦二人だけで十分だ、と。
あたしは本当に「
父の日記はどうしても捨てられなくて、持って行くことにしている。母と話した後、私が三歳の頃の日記もチラリと見た。「もし日菜がいたら、紗夜みたいに可愛い子だったんだろうな」、あたしが七五三の写真を撮りに行った日に父が綴っていた言葉。あたしは「紗夜」であると同時に、「日菜」でもあるんだろうと思う。あたしは、いなくなってしまった「日菜」への思いも一緒に育ってきたんだ。「無事に生まれてきてくれてありがとう。紗夜」その日の最後に掛かれていたこの言葉は、そういう意味もあるんだと思う。
あたしは目を閉じる。「日菜」がいたかもしれない世界を思い浮かべて。