あなたはいつものようにTwitter…もといXのタイムラインを漁っていたところ、見覚えのあるアイコンを見つけました。
「なんだ…新しい動画が出たのか」
先ず映ったサムネイルは、薄暗い廊下のような場所を写した背景に“あの噂を検証!?”という文字が躍っていた。まもなくサムネイルが消え、短い広告が流れ、真っ暗な画面。ここまでは前回と同じ。
「おーい……聞こえますかー……っ」
前回とは対照的に、抑え気味な声で始まった。あのドローンと思しき羽虫のような音も無く、いやに静寂さを感じる。
「全国津々浦々のモシュさんたち、こんべつー……っ!」
マイクのそばで、ささやくように喋る声。さては開く動画を間違えたか、と一瞬考えるが、動画のタイトルは確かに合っていた。画面は未だに真っ暗で、いわゆるタイトル詐欺かそれともいやに勿体ぶった導入か、判断がつきかねた。ごそごそという音と共に、画面の向こうの供花は続ける。
「えっとね、まずね。このテキーラはサービスだから、まず飲んでおちついて聞いてほしいんだけど…………うん、「また」なんだ。ASMR配信と勘違いさせちゃって済まない。仏の顔もって言うしね、謝って許してもらう気も謝る気もあんまりないんだけど…………」
勿体ぶった導入。画面がかすかに明暗する。おそらくは、どこかに隠し持っている手持ちカメラで撮影されているらしい雰囲気。
「今日はね……【首相公邸の幽霊見に行ってみた!】と同じ感じの案件なんだ……だからタクティカルじゃなくてナチュラルASMRでいくよー……っ」
しばらく見ないうちにそんなこともやらかしていたのか……いや、昔からこういうことをしていたのか?首相公邸と聞いて呆れる。今まで無事でいるのも不思議だが、どうやってそんなところに忍び込むのかも不思議だ。もしかして、スパイ映画の世界にでも生きているんだろうか。
「さて、わたしは今どこにいるでしょうかー……?」
ようやく、カメラの視界が開ける。そこは、サムネイルの薄暗い廊下だった。薄い緑のリノリュームを張った床に、真っ白に塗られた無機質な壁と天井。広い間隔で取り付けられた天井の蛍光灯は一つ置きに消されていて、この廊下を一層暗く、不気味にしていた。突き当りには両開きの扉、そして左右の壁にはずらりと扉が並んでいる。これだけ見れば病院か何かに見えるかもしれないが、ずらりと並んだ扉の異様な無骨さ、物々しさは明らかに病院のものではなかった。あなたは、これによく似た施設が一つ思い浮かぶだろう。
「物知りなモシュさんはすぐわかっちゃったかなー……? その通り、今回は東京拘置所に来ていまーす…………!」
拘置所。刑務所との違いは分からないと言う人はいても、それが犯罪者を捕えておく施設であることが分からない人はいないだろう。当然、この施設への出入りは格段の注意が払われているはずだ。中にいる人間を、訳も無く生かして出してはならないことは赤子でも分かるだろう。
「ここで一つ令和コソコソ話……! 実は死刑が行われるのは刑務所ではなく拘置所なんだってさー。……知ってたモシュさんはいるかなー……?」
こちらの心配はよそに、彼女はいつもの能天気な調子を小声で続ける。さて、この女は一体何をしに忍び込んだのだろうか。拘置所と環境庁の関係など、想像もつかない。まさかただ刑場の幽霊を見に来たわけではあるまい。こつ、こつと硬い足音を響かせながら、カメラは廊下の奥へと進んでいく。
「左右の扉一つ一つが、死刑囚の独房なんだってー……」
視界が右へ左へ揺れて、クリーム色に塗られた扉を映した。刑務官と死刑囚が食事などをやり取りするのに使うと思しき、鉄格子がはまった窓の向こうはどれも真っ暗だ。今は使われていないのだろうか。
「見ての通り、今は誰もいないんだけどー……いや残念とか思ってないよ? インペルダウンごっことか出来なくて残念とか……いやいや、ほら、囚人なんて少ない方が…………っと」
カメラは奥の扉の目の前で止まった。
「それじゃ今から、潜入しながら話していくよー……」
拘置所に潜り込んでおいて、この上どこに潜入すると言うのか。扉が静かに押し開けられると、その奥にはもう一つ扉があり、左右にはエレベータがあった。カメラは左手のエレベータの前に立ち、まもなくあらかじめ呼んであったかのように扉が開く。エレベータの中の方が明るいようで、一瞬画面が白くなるがすぐに明るさが戻る。乗り込んで、くるりと扉の方を向くと同時にするりと扉が閉まった。一瞬、中の照明に照らし出されて向かいのエレベータの扉に撮影者と思しい小柄な影が写り込んだような気がする。
「じゃあまず、タイトルの噂のことなんだけどー……」
かすかな縦揺れから、エレベータが動き出したらしい。画面には扉しか映っていないので、上に向かっているのか下に降りているのかさえ分からない。
「庁内で最近、こんな噂が広まってるらしいんだよねー………“東京拘置所の地下刑場には、処刑に失敗した死刑囚が閉じ込められている”……ってね。もちろんただの死刑囚じゃなくて、いわゆる超能力で抵抗し続けているからどっちかが根負けするまで閉じ込めておくしかない……ってこと。つまりはここから最凶死刑囚編が始まるってフラグだと思うんだよねー……あっいやむしろファイアパンチの方が近いのかな……?」
俄かには信じがたい話だ。出来の悪い都市伝説のような噂が、仮にも国家機関の中でまことしやかに囁かれているのか。ピーンと言う電子音が目的の階への到着を告げ、扉が左右に開くと、先ほどと同じようなエレベーターホールだったがさっきの階と違って明るかった。こちらは現在使われている階、ということだろうか。カメラはエレベータを降りると左に出て、先ほどの階で言えば独房が並んでいた廊下とは反対の方に出る。そこにはまた、白い扉があった。
「それからもう一つ……東京拘置所の刑場って2018年以降使用されてないんだって。正確には2018年に刑場がもう一つ建設されて、以降そっちを使っているらしいって物知りなモシュさんが教えてくれたんだー……」
画面が真っ暗になる。カメラを仕舞ったようだ。
「じゃ、今から確かめていくよー……」
カチリ、と鍵が開けられるような音。軋むような音と共に、扉が開かれるような様子。こつ、こつと足音が響き渡る。供花は黙ってしまったので、ひたすら足音だけが聞こえてくる。
五分もしただろうか。突然足音が止まった。ここで再び視界が開ける。隠し撮りしているのであろう、視界の上の方が塞がれていた。目の前には何の変哲もない、マンションとかでもよく見るような鉄扉がある。
「ここが、刑場の入口だよー……」
ようやく聞き取れるような、囁く声でその扉の正体が告げられる。カメラは躊躇なく扉に向かい、扉を開いた。
「おつかれさまでーす」
供花がいきなり大きな声を出したので、少々肝をつぶした。扉の向こうはさっきの廊下とは違い、最初に映った独房の階のように薄暗かった。そして、カメラの正面に青い制服姿が立っていた。人だ。初めて供花以外の人間が動画に出てきたことに、今更気付いた。
「おつかれさま…見ない顔だね」
顔は映っていないが、声からして中年の男性らしい。突然の闖入者を訝しんでいるような様子。
「あのー、本省の方から来たんですけど…聞いてませんでした?」
「そりゃ聞いてるけど…
「急病で…いつかお前が担当になるかもしれないんだから代わりに行ってこい、と」
「ほお…じゃあ駒形さんの後輩さんかね」
「ええ、カシマって言います。よろしくお願いします」
後からこのやり取りを見ている視聴者は、このやり取りに真実が欠片ほども含まれていないことをよく知っている。警戒心が薄すぎるように思われるがそもそも拘置所のこんな奥まで曲者が入り込んでくる方がおかしい。しかし、これだけいけしゃあしゃあと嘘を吐いているとやはりバレないか見てるこちらがハラハラしてくる。確実に他の配信者の動画では味わえないスリルだろう。
「ここの中のことはあんまり知らないだろう」
「ええ、恥ずかしながら…」
「じゃ、案内してもらいなさい。いつか引き継ぐ事になるなら今覚えてしまった方がいい」
そう言って、中年の刑務官は左手を向いた。
「おうい、
ばたばたと足音がした。左にあったドアが開き、緑色の作業服のような服を着た人物が姿を現す。
「駒形さんが急病なので代わりに来たカシマさんだ。ここは始めてだそうだからちょっと案内してやれ」
「ええ。じゃ、まずこちらから」
秦野と呼ばれた男は踵を返してさっき出てきた左手の部屋に入って行った。カメラもそれに従って行く。中に入ると、奥には大きなクローゼットのようなものがあり、手前には机を挟むように椅子が向かい合って置かれていた。
「ここは今は要員の詰め所になっていますがもとは
カメラは少しの間、部屋の中を映していたがすぐに振り向く。秦野は教誨室の向かいの部屋の扉に手をかけていた。
「こちらが立会室です」
中には、秦野の他にも作業服姿が二人と制服姿が一人。ぺこりとお辞儀をして、カメラが床に向く。
「駒形さんの代理で来ました、カシマです」
「後輩さんだそうですよ。そのうちここのことを引き継ぐだろうから案内してやれって
「はじめまして」とか「駒形さんによろしく」とか、返事が返ってきて、カメラはまた水平に戻った。室内を見回すように、視界が左右に動く。どうやら入って左手の方が吹き抜けになっており、吹き抜けを挟んで向こうの同じ高さには大きなガラス窓、そしてそのガラス窓の下には吹き抜けの脇の階段から降りられる、一つ下の階があるようだった。ガラス窓には、ワイヤーのようなものが何重にも張られ、お札のようなものや幣束で盛んに飾り立てられ、異様な景観を呈していた。そして、窓の向こうはカーテンにさえぎられて見ることはできない。
「ここは死刑を執行するときに立会人がいる場所です。あの窓の向こうに死刑囚がいて、執行されると下の…そこの階段から降りていける所に落ちてくるわけです」
「なるほど…すると、あの向こうに…」
「ええ、今もいます。だからここで見張っているのです」
あの異様な装飾が、見ているこちらの緊張感まで高めているようだった。果たして、カーテンの向こうに今も粘っている死刑囚とは。
秦野は、カメラを連れて立会室を出ると、右手———廊下の一番奥に向かった。供花が問いかける。
「失礼ですが…受刑者の方なんですか?」
確かに、作業服姿は明らかに刑務官には見えなかった。
「ええ…ちょっと無免許で人に頼まれて山の祠を“中身”ごと撤去してたのが見つかって…」
要は、許可を受けずに営利事業として祓い師の真似事をして捕まったらしい。
「表向きには処刑したことになっているから環境庁の手を借りるわけにもいかず、我々のような宗教事業法違反でブチ込まれてる拝み屋を駆り出してるわけですよ。初めてこの作業に割り当てられた時は本当にびっくりしましたよ」
「そうなんですね~」
秦野が突き当りの右手にあるドアに手をかけた。
「こちらが前室です。死刑囚が執行室に入る手前、自分以外の人間を相手できる最後の部屋ですね」
扉を押し開ける。中の照明は落とされていて、真っ暗だった。
「監視は立会室の方で行うので通常ここには人は置きません。中を見ていかれますか?」
「せっかくなので…」
秦野が、懐中電灯を取り出して前室に入って行った。カメラもそれを追い、闇の中へ———直後、ドン、と強く叩くような音がしたかと思うとドサッと人が倒れるような音。画面は真っ暗で、何が起こったのか分からない。ドアを閉めるような音、鍵をかけるような音、そしてごそごそと何かを漁っているかのような音———やがて、画面の真ん中が白く照らし出された。
「ちょっと秦野さんにはここで待ってて貰うよ~~……あ、起こさないでね。死ぬほど疲れてるから」
「それではいよいよ!執行室の中を覗いてみたいと思います!」
懐中電灯は、おそらく執行室との仕切りであろうカーテンを照らし出していた。カーテンの手前には、先ほどの立会室の窓と同じようにワイヤーが張られ、お札や幣束が飾られている。供花はカメラを手に持ち、つかつかと歩み寄ると、ばっとカーテンを開いた。そして懐中電灯の光がその中に向けられると———それは、まさに驚異だった。まず、青いカーテンを背景に灰色なものが見えた。それが、座禅を組んだ人間だと気付くのに3秒かかった。その人物は、こちらに背を向け、髪はもじゃもじゃと背中まで伸びていた。髪に隠れて分かりにくかったが、彼の首にはロープがかかっていた。そして、最後に彼が何の支えも無しに
宙に浮かんだ人物は微動だにしなかった。カメラを持つ供花も、どう切り込んでいくか図りかねているのかしばらく動かなかった。しばらく、静寂が流れる。やがて、意を決したかのように供花が声を発した。
「あの〜〜〜」
「私に話しかけないでくれ……君はステージが低すぎる……」
低いが、不思議に良く通る声であった。数メートル離れているのに、まるで目の前で話しているかのような。かれはゆらゆらと、宙に留まったままゆっくりとこちらを向いた。そして現れた、長い髭を生やした顔は———まさしく、ここまで我々が得た情報から予期されるであろう人物その人であった。40代以上であれば知らない人はいないであろう、かつて信者を操り日本各地でテロを繰り広げたカルト教団の指導者にして史上稀に見る重罪人。警察の捜査が入ったことで、今まで信者や世間を欺いていた数々の嘘が暴かれ、その中には今見ているような超能力も含まれているはずだった。彼は取り調べ中に壁抜けをするように促されて苦笑したという。しかしその彼は、今我々の目の前で空中浮揚を見せている。
「君は誰だ」
彼は、眼を閉じ、
「あ、えーっと、私法務省のカシマと申しまして———」
「君は嘘をついているだろう…隠しても無駄だ……」
供花が黙る。彼の瞼の奥の瞳に、画面を挟んだこちらまで全てを見透かされているような気になってくる。
「6年間ここで何をしていたのか知りたいのだろう…しかし君はカルマが多いから話しているとこちらが苦しくなってくる……」
それを示すかのように、彼はかすかに高度の安定を失って上下に揺れた。しかしすぐに、またぴったりと空中に静止する。
「私が最終解脱に至ったのは嘘ではない…一度は最終解脱に至ったのだ……しかし修行を怠ってしまい、私の魂のステージはどんどん下がり最後には超越神力をほとんど失ってしまった……」
執行室は完全な静寂に包まれており、彼の声以外の音は聞こえなかった。どことなく神秘的な雰囲気に飲み込まれそうだ。
「しかし拘置所に入ってから、私は自分の過ちに気付いた…私は修行に励み、ついに空中浮揚を成功させたのだ……そして私は6年間瞑想を続けてきた……今や魂のステージはかつてない高みにある…ここを出る日も遠くないだろう……」
その時であった。ドアを叩く音が、画面の前の私を現実に引き戻した。カメラが慌てたように振り向くと、ドアの方からあの中年の刑務官の声がした。
「カシマさん!駒形さんが来てますよ!」
「やっべ」
画面が真っ暗になる。
「今回はここまで!ばいばーい!」
供花の慌てた声を最後に、動画は終わった。
俺が見たのは一体何だったんだ。まるで夢でも見ていたような心地で、貴方はこの奇妙な———しかし命知らずな動画を閉じるでしょう。