東京都、ーー区。
時刻は深夜一時。夜の街も既にどこか眠たげで、起きている人々は残り少ない宵の刻を楽しむことに必死そうだ。
そんな街の中では、外れにある取り壊し予定の廃ビルのことなど気にも留めることはないだろう。
だが、ネット上では五千人という多くはないが決して少なくもない人間の期待が、そのビルに、正確にはその場にいる一人の女に向けられていた。
美しい金髪のロングヘアーにウィンプルを被り、服の下からでもわかるほどの豊満な肢体をコスプレのような修道服で包んだ女。歳の頃は十代後半から二十代前半か、八階建てのビルを見上げる整った顔立ちには自信に満ちた笑みが浮かぶ。
女は周りを滞空する数台のドローンを一台ずつ見て異常を点検すると、そのうちの一台、スクリーンを載せた物に映る十字架の背景に『配信準備中』の文字とカウントダウンが主張する画面を見つめる。
残り五秒に、画面を見る全ての人間の熱が煽られる。
五、四、三、二、一────
「────敬虔なる信徒の皆様、初めましての綿毛さん達、御機嫌よう」
女が恭しくカーテシーを行う。
その視線の先にはドローンに備え付けられたカメラ。
【ごきげんよう!】
【ご機嫌よー!】
【ごきげんよう!】
女の挨拶に返す形で、コメント欄には女を真似た挨拶や、絵文字、蒲公英のオリジナルスタンプが飛び交う。
画面の中では、女をそっくりそのまま模したような精巧なスリーディーモデルが、女の動きそのままに動く。スリーディーモデルの方が若干身長が高く見える上、体のあちらこちらのサイズが本体よりグレードダウンしていることは些事だろう。女の尊厳にかかわる。
「ええ、ええ。みなさま御機嫌ようですわ。あら、初めましての綿毛さん、御機嫌よう」
「うふふ、お布施、いつもありがとうございますわ。あと貴方、デカパイは余計ですわ!!」
「もう、そんなに急かさないでくださいまし」
コメントは瞬く間に千を超えた。中にはスパチャと呼ばれる投げ銭があったことを示す表示も。
高速で流れるそれらの中から返事すべきものをピックアップし、順番に返していく。
「では、改めまして」
女は配信者と呼ばれる類の人間であった。それもバーチャルアイドル、ブイチューバーと呼ばれる存在だ。可愛らしいアバターを纏い、視聴者と話をしたり、ゲームに興じたり、時には女のようにスリーディーモデルで実地に赴いたりする。まさに電子の海の偶像である。
マリアナ・ダンデライオン。
マリアナチャンネルの主人である彼女もまた、チャンネル登録者数五十万人のそこそこに有名な配信者であった。
「本日の企画はこちら、『タクティカル祓魔師ってなんなんですのー!その真相に迫るべく、わたくし達は境界異常の現場に踏み込み隊!』、略してタク祓隊の生放送ですわ!」
【新企画だ! 名前長!】
【タクティカル祓魔師ってなんだよ】
【タクティカル?祓魔師?境界異常?】
【マリ様解説プリーズ!】
まあ、実際タクティカル祓魔師が何なのかはわたくしも知りたいところですわね。
ちなみに、この『タクティカル祓魔師ってなんなんですのー!その真相に迫るべく、わたくし達は境界異常の現場に踏み込み隊!』などというトンチキな名称はマリアナ自身が考えたものだ。
コメント欄が湧く様子を眺めながら、マリアナもまたタクティカル祓魔師と呼ばれる存在に思いを馳せる。
しかし困惑する兄弟姉妹を放ってもおけない。マリアナは意識を切り替えて、カメラに向けて指を一本立てる。
「まず、皆様が知るべきは境界異常ですわね。これは我々が生きる現世、そしてこの世ならざる者達の棲まう幽世、その境界が曖昧になることで生じる異常事態のことですわ。その時に現れる化け物を界異と呼びますの」
【ほぇー】
【よくマリ様が戦ってる見えない敵だ!】
【見える時もある(体験談)】
【ひえ】
マリアナの解説に合わせるように、簡単な図解が視聴者の画面に映される。
境界異常、そして界異。平たく言えば幽霊や妖怪、魑魅魍魎の類だ。
視聴者達の九割は既に境界異常や界異のことについてなんとなく理解している。それは超常が日常となった二〇四〇年代に生きる人間ゆえであり、マリアナの配信の中で幾度となくそれを目撃しているゆえに。
【マリ様、また公安の人来ちゃうんじゃない?】
「ご安心を、と言いたいところですが、まあ既にいくつかの動画は国家権力で握りつぶされてしまってますものね……」
【おまわりさーん!】
【何をやらかしたんだ……】
思い出すのは神祭課などと知らない部署名を名乗った公安の人間達。マリアナは彼らとの一悶着を思い出して苦々しい顔を見せる。
「まあ? どれだけの刺客を送り込まれようが、わたくしの敵ではありませんが?」
【マリ様声震えてるぞ】
【動画消されたの、よっぽど堪えたみたいだな】
「きー! うっさいですわよ! 消されたならまた出せば良いんですの!!」
気を取り直したマリアナは、この企画の最も大切なところ、タクティカル祓魔師という存在について説明するべく、ドローンのカメラに合図を送って視聴者の画面を切り替える。
「さて、では気を取り直してタクティカル祓魔師というものが何か」
【出た、トンチキワード】
【まじでタクティカル祓魔師ってなんなんなん】
「ぶっちゃけこれ、境界対策課の祓魔師さんのことらしいんですの」
【おい】
【答え出てんじゃねえか】
境界対策課の祓魔師。
環境庁神祇部境界対策課、そこに所属し、日夜境界異常や呪詛犯罪者への対処に追われる公務員達、その中でもより実働的な面々のこと。
その存在を知らない人間は日本にはほとんどいないと言っても過言ではないだろう。
「でもでも、本当にタクティカル祓魔師って呼ばれてるらしいんですのよ! 彼ら!」
【ほんとか?】
【……聞いたことはあるかもしれない】
【ほんとか?】
【ないかもしれない……】
「ちょっと!?」
今のところ、視聴者達の感情は困惑三割、好奇心二割、期待外れ五割、といったところか。
目に見えて衰えたコメント欄の勢い。マリアナは予想通りだと、にっと笑みを浮かべた。
「だって、わたくし、強過ぎて彼ら彼女らが来る前に境界異常災害を解決してしまうんですもの」
【お】
【マリ様!】
【これはいつものイキリマリ様モード】
【わくわく】
「境界対策課のタクティカル祓魔師さんがわたくしの配信中に駆け付けてくることなんて今まで一度もありませんでしたわ」
マリアナはゆったりとした足取りで廃ビルの方へと歩き出す。
追従するカメラは、高性能なレンズで彼女の余裕さを精いっぱいに視聴者へと伝えた。
「本日はここ、区尾霧ビルに来てますの」
【首切りビル?】
【物騒過ぎて草】
「私のアイ・オブ・ホーリークロスが、今夜、ここに界異が現れると言ってますわ」
【で、出たー! アイ・オブ以下略】
【相変わらず痛え名前】
マリアナが左手で左目を覆い、振り払う仕草をする。すると、本人とアバターの双方の左目に金色の十字架が浮かび上がった。
アイ・オブ・ホーリークロス。
マリアナチャンネルの公式説明によれば、マリアナが先天的に保有する特異な能力であり、加護や穢れの集まり、動きを見て取ることができるという。
……本人は特に信心深いわけではないが、それは欧米のエクソシスト達が喉から根が出るほどに欲する聖遺物の力を宿した眼である。マリアナも視聴者達も知らないことだが。
「それも、それなりに強い界異。恐らくは三号級相当。わたくしも配信しながらではそれなりに手間取り、時間のかかる相手でしょう」
【あのマリ様が手間取る相手!】
【マリ様普通に強いもんな】
「時間がかかれば、タクティカル祓魔師の皆様も、血相変えて駆け付けてくるに違いありませんわ」
マリアナは廃ビル内のエントランスらしき場所で足を止めると、振り向いてカメラに向けて挑発的な笑みを浮かべた。
月明かりが、妖しくマリアナを照らした。
「うふふ。皆さんも境界対策課の祓魔師さん、いえタクティカル祓魔師さんの活躍、見てみたいのではなくて?」
【むむ】
【おお】
【ぅむ……】
【ヌッ】
「そして、貴方達の見てきたマリアナ・ダンデライオンと彼らの力の差を、その目で確かめてみたいとは思わないかしら?」
【おおお】
【いいぞー! マリ様ー!】
【わからせられるマリ様に一票!】
【神回の予感!】
再び湧き上がったコメント欄。これもまた予想通り。
マリアナは八千人の視聴者と、いくつかのこの世ならざる者達の視線を背に受けながら、意気揚々と界異の気配目指して廃ビルの階段を登っていった。
「羅ァ! ……おっと、わたくしとしたことがはしたない掛け声が」
【はしたないのは揺れる乳だが】
「おキックしますわよ」
時折、マリアナの黒手袋に覆われた拳が振るわれ、路を塞ぐように立ちはだかる存在を瞬時に消し飛ばす。それらは一号級に分類される界異達だ。
「これは鬱黒揚羽、そしてこれは黒百足と呼ばれる界異ですわね」
【ほえー、イラストと解説助かる】
「この通り、わたくしにかかれば大したことのない相手。しかし、信徒の皆様、綿毛さん達は見つけても近寄らないこと」
道中に現れる蝶々や百足を模した黒い影のような存在、界異について解説を交えながら歩みを進めていく。配信画面には適宜、デフォルメされた界異のイラストと説明文が表示される。
余談だが、鬱黒揚羽や黒百足、これら一号級界異達は境界対策課の祓魔師にとってすれば一人前なら一人で倒せて当然のラインであり、こともなげに祓滅するマリアナも平均的な祓魔師クラスの実力はあるということ、彼女が何の実力も持たないお遊びの迷惑系配信者ではないということの証明であった。
【霊感ゼロの人以外は配信外でもちゃんと見えるらしいね。ちな俺は見えない】
「まあ、見えない綿毛さん達のためにドローンさん八号と九号に霊感レンズを搭載してますから」
【いつも思うけどマリ様の配信機材、レベル高くない?】
【質を考えると一台数百万クラスかもしれないですね】
「おーほっほっほ、そこは企業秘密ですわぁ」
雑談を交えながら階層を登ること十数分。マリアナは遂に目当ての場所に辿り着く。
彼女を待ち受けていたのは、一体の界異であった。
それは悠然と佇み、
「……むむ、あれは……」
【侍だ!】
【かっくいい】
【マリ様勝てる?】
その姿にコメント欄が騒がしくなる。
マリアナもまた、厄介な存在に内心舌打ちする。
界異の姿は正しく侍。戦場で朽ちたような有様ではあるが、立派な戦装束姿は歴史家も唸るであろう。
「武乱骸、それも上位種……さながら武乱骸・鋭といったところですわね」
武乱骸。
戦を求め徘徊する界異。怨霊や穢れの集合体であり、人型ではあるが明確に人と同じ括りの挙動をするわけではなく、帯びた刀や背に負った弓や槍などの武装を人外の挙動と死してなお衰えぬ技で振るう三号級界異。
そんな彼らの中には四号級界異に迫る亜種もおり、立ち上るほどの穢れの密度を見るに目の前の武乱骸もそれに相当するだろう。マリアナはあたりを付けて、自身も構える。
それを見るや、武乱骸は辛抱たまらぬとばかりにマリアナ目掛けて突貫する。
『■■■ッ!』
「あら、血の気の多い方ですわね」
人外の膂力は推力となって、武乱骸の二メートルある巨体を弾丸じみた速度で撃ち出す。そして抜き身の刀身でもってマリアナを両断すべく斬撃を放つ。
熟練の強者であれ、瞬きすれば斬り伏せる。そんな風な一撃。
それを、マリアナは
「うふふ、隙だらけですわよ」
『■■ッ!?』
速度も威力も全てそのまま受け流されたことで、武乱骸は態勢を崩し、致命的な隙を晒す。
それを見逃すほどマリアナは甘くない。
「ふんっ!」
『■ッ!』
回し蹴りが武乱骸の胴体に炸裂し、べきりと音を立てて壁まで弾き飛ばす。
巨体はそれこそ先の弾丸のような速度でコンクリートの壁に叩き付けられ、小さなクレーターを作り出した。
「あ」
【手加減は?】
【マジの顔だったけど】
やってしまいましたわぁ!?!?
沈黙した界異を見て、マリアナは内心頭を抱えた。
……しかし、それは仕方がないというものだ。
三号級界異、それも武乱骸ともなれば、単純な戦闘能力は四号級に匹敵するものも稀ではあるが出てくる。四号級は班単位で構成されたプロの祓魔師達が数班がかりで対処する相手。如何なマリアナとはいえ、余裕を見せられる相手でも、ましてや手加減などができる相手ではない。
しかし、マリアナは配信者。ライブ配信ゆえ趣旨から多少外れることはあろうとも、エンターテイナーとして視聴者に魅せる姿勢は欠かせない。
「あ、あら、お侍さん、その程度でおねんねかしら?」
くいくいと手で挑発する。
すると武乱骸は赤い瞳に明確な殺意を滾らせて立ち上がった。
そして、その姿を消した。
「ッ!」
コメント欄には【逃げた!?】【どこ行ったんだ】【人外過ぎる】などと呑気なコメントが流れるが、マリアナはそれを気にしている余裕などなかった。
一定のラインを超えた強者同士の戦いにおいて、気配すら捉えられなくなるのは正しく致命的。元々月の光以外に両者の姿を暴くものはない。姿が見えないなら、後はもう気配を探るのみ。しかしそれすらもできないならば、今のマリアナは武乱骸にとって格好の獲物だ。
見えない敵に焦りが募る。焦らすような時間は、いやらしくマリアナの精神を追い詰める。
「……っ」
ビュッと風切り音。一瞬の殺意。
マリアナはそれだけを頼りに、自らの命を狙うものを拳で弾く。
極限に近い集中状態は、武乱骸の必殺を防いだ。
「卑怯ですわね、隠れて弓矢だなん、て……!?」
『■■ッ!』
はずであった。
「ッ、速いですわね」
修道服を切り裂き、鮮血。いつの間にか、マリアナの右腕に浅く切り傷が走る。
コメント欄はマリアナの負傷に心配の声で埋め尽くされる。
「慌てるにはまだ速いですわ、綿毛さん達……ッ」
視聴者達を落ち着かせるように、マリアナは柔らかい声音で彼らの心配を制する。
だが息つく暇を与えぬと言わんばかりに、再びの斬撃。それが三度、四度と繰り返される。辛うじて殺意を辿り致命傷は避けているが、その速度は並大抵の祓魔師であれば見切ることなど到底不可能なもの。境界対策課が誇る名高い班長クラスの実力があってようやく初見で見切り、対処ができるレベルの脅威。
マリアナは窮地を乗り越えるべく、頭をフル回転させる。
「ていうか、タクティカル祓魔師の皆様はまだ、です、のッ!?」
【忙しいんでしょ】
【がんばれマリ様ー!】
「相変わらず他人事ですわねー!?」
悪態を吐きながら、冷静に体術で以て武乱骸の攻撃を最低限の被害に抑えていく。
動きは速く、どこから攻撃が来るかも直前まで分からない。ヒントは直前に現れる微弱な殺意。
「攻撃激し過ぎてコメント欄見る余裕ないですわ!」
【見てるし返せてるじゃん】
【さてはオメー、余裕だな?】
「余裕じゃ、ない、ですわよっ!」
いつの間にか刃傷が増えることはなくなり、次第にコメントに返す余裕も出てきたらしい。
しかし、膠着状態は変わらない。むしろ疲れることのない界異と、あくまで人間のマリアナではどちらが有利かなど問われるまでもない。
このままの状態が続き、なおかつタクティカル祓魔師が来なければ負けるのはマリアナであろう。そして来るか分からないものを待っている余裕はない。それはマリアナにもわかっていた。
……能力は分かりましたし、ここは一か八か、ですわね。
「あー、降参! 降参ですわー!」
【お?】
【流れ変わったな?】
【降参だなんて失望しました。マリ様のファンやめます】
あろうことか、マリアナは両手を上に上げて降参する旨を口にしたではないか。
マリアナはさらに続ける。
「これは勝てませんわー! わたくし、もうお肌ボロボロで泣きたくなってきましたのー! うえーん!」
【煽ってね?】
【マリ様のお肌……じゅるり】
流石に泣き真似は嘘らしさが酷く感じられたが、しかしその芝居じみた降参宣言に効果はあったらしい。
『■』
「降参ですわ!」
【うお、出てきた】
【出てきたな】
【でもトドメ刺す気満々じゃね?】
マリアナの言葉を信じたかどうかは定かではないが、武乱骸はマリアナの前にその姿を現す。
再び姿を現した武乱骸は、小太刀に付いた血を払い、逆手持ちにして低い姿勢で構えた。
その姿はまるで忍者の如く。油断も隙もかけらもない。動けばすぐに殺すという意思を、その様からひしひし感じさせた。
「降参致しますので見逃してくださいまし!」
『……』
武乱骸はゆったりとした足取りで近付いてくる。困惑して出方を伺っているようにも、この哀れな女にトドメを刺すべく警戒しながら距離を詰めているようにも見える。
あと少し。あと二メートル寄りなさい!
武乱骸の動きを焦ったく思いながら、マリアナはその時を待った。
そして、
『■■ッ!』
「はっ、かかりましたわね!!」
武乱骸の小太刀が振るわれ、マリアナはそれを待っていたとばかりに握りしめた拳を振るい、次の瞬間
「ぐっ」
『■■ァ! ■■■ッ!』
膝を付いたのはマリアナの方であった。
見え透いていた。そう言わんばかりに呵呵大笑する武乱骸の右の手には
なんということはない。
武乱骸が寄ったところを奇襲する、その目論見に対して、武乱骸は己の能力で以て忍ばせた必殺の槍を見舞った。マリアナはものの見事に裏をかかれてその槍の直撃を受け、致命傷を負ったのだろう。
ただそれだけのことであり────
「奥の手は、最後の最後まで隠しておくものですのよ、目立ちたがりのお侍さん」
────ゆえに武乱骸は読み負けた。
『■■ッ!?』
「必殺は、殺した後でなければそうとは言えないものでしてよ?」
今度は武乱骸が膝をつく番であった。
力が、己の身体を構成する穢れと怨霊が酷く希薄になっている。ゆっくりと自身の首から下を見遣れば、そこには大きな風穴。
なぜ? 武乱骸の頭の中を埋め尽くす疑問。それに答えたのは他でもないマリアナであった。
「貴方の固有の能力は『気配を消す』、一言に言えばそんなところでしょう」
『■■……』
「ですが、一対一での戦いにおいて、貴方のような武芸者が扱えばそれは脅威そのものですわ。それこそ、この界隈で高名なお強い方々であっても貴方と戦えば敗れていた可能性もある」
素直な賞賛。
だが、答えになっていない。今も終わりに向かって崩れ続ける武乱骸が最期に知りたいのは、その力をどのように攻略したのか、ただそれのみ。
マリアナは自身の左目を、正確にはそこに浮かぶ十字を指差して今度こそ武乱骸に答えを告げた。
「貴方の気配を消す力は穢れ由来。それでも、その穢れすらこの境界異常の中では微かな揺れにもならない微弱なもの」
「そこを加味しての先の評価ですわ。貴方の力を攻略するのは、生半可な能力、経験値、鍛錬では不可能」
「でも、わたくしにはこの
アイ・オブ・ホーリークロス。
その真価は加護も穢れも関係無く、見た全ての流れを理解し、その弱点を導き出させるもの。唯一、真理を見る者の眼。
その眼が武乱骸の放った意識外からの一撃を穢れの流れとして可視化し、この戦いを制する一手を打たせたのだ。
とはいえ、そこまで説明されずとも既に武乱骸は満ち足りていた。
奥の手の性質など関係ない。自分は達人の読み合いの末に、相手の切り札に負けた。戦さ場ではよくある終わりだ。
『■■……』
「相性ゲーですわよ、こんなの。貴方は強かった。わたくしの敵ではありませんでしたが」
武乱骸は最期に何事かを呟くと、満足げな顔をしてその身を穢れの粒子と爆散させた。
その最期を見届けて、残心の後、マリアナは深く息を吐いた。
「ふぅ」
【お疲れー】
【撮れ高バッチリ】
「こんな気を張った戦い、あんまりしたくないですわ……」
心底疲れたと言わんばかりの顔。それもそうだろう。三号級の中でも当たりたくない相手と真剣勝負を繰り広げたのだ。精神的な疲れは相当のはず。
だが、そんな疲れ果てた顔はすぐに消え去った。
「まぁ? このわたくしにかかれば? この程度の相手、造作もありませんわねぇ?」
【さすが】
【さすマリ】
「もっとこのマリアナ・ダンデライオンを褒め称えなさい! おーほっほっほ!」
甲高い笑い声が廃ビルに響き渡る。
既に境界異常空間は解消し、現世の正常さを取り戻しつつあるそこに彼女の笑い声を聞き届けるものはいなかったが、特等席で彼女の勇姿を見届けた視聴者達は我らがアイドルを褒め称えるコメントを休みなく打ち続ける。
そんな心地良いコメント群に気を良くしていたマリアナは、しかしチラリと視界に入った一つのコメントに目を奪われる。
【……でも何か忘れてるような?】
「あ」
【どした?】
【フリーズマリ様】
忘れているも何も、この企画の趣旨を完全に忘れているではないか。
そう、この動画の主役となるべき存在は……。
「そこのお前! 手を上げて、こちらを向け!」
【あー】
【ついにきた!()】
第三者の声がマリアナの背にかかる。
それはマリアナが戦闘中待ち侘びていたものであり、そして今一番聞きたくない者の声であり。
捕まったら御用ですわね。まずいですわ。
となればやることは一つ。
「おーほっほっほ!
「あ、ちょっと、おい! 待て、ここはビルの七階だぞ!?」
マリアナは振り返ることなく、そして一切の躊躇なく八階建てのビルの七階から飛び降りる。
「────タクティカル祓魔師って、なんなんですのぉぉ!!!!」
何やらトンチキなワードを叫びながら夜の闇へと消えていった不審者を呆然と見送り、境界対策課の祓魔師である青年は困惑のままビルの下を見下ろして呟いた。
「……タクティカル祓魔師ってなんだよ」
誰も、その問いに答えるものはいなかった。