フランツは、彼の書斎で日記をしたためていた。
彼にとって日記を書くというのは、一つの職業病であった。
何百日も航海日誌を書き続けるのだから、当然それが癖にもなるのだ。
その途中、部屋に彼を呼ぶ声が響いた。
「クロージャー卿、いるかね?」
その呼び声の正体を考えながら、フランツは思う。
確か今日はフランク卿との面会があった、と。
「はいりたまえ」と言いつつ、席を立つ。
ジョッシュ・フランク卿は、海軍大佐であり、此方よりも位は高い。多少無礼を感じようと、礼を忘れることは許されなかった。
「それで何用だね?」と、フランツは問いかけ、再度椅子に腰を下ろす。
フランク卿は、向かいの椅子に座り、此方に言った。
「クロージャー卿、君に頼みがあるんだ。宜しいかね?」
フランツは視線で話を促した。
「例の航海、北方のヤツだ。あれに現状の船員だけでは十分ではない、と私は考えている」
彼の話し始めたことに、フランツはある程度の納得を抱いていた。
現状、北方に慣れた人間が、フランツ自身とフランク卿、加えて軍医程度しかいないのである。
これでは成功する遠征も失敗してしまうだろうし、そもそも無理のある人員の計画であった。
「だからこそ、私は魔法を使える人材が必要だと思った。魔法使いだ。だが、この人員要請は政府の方に却下された。けれどだね、チャールズ男爵が居るだろう。彼に快く協力していただいたのだよ。政府に認知されていない魔法使い。それも医療に使えると来た。これで軍医の補佐を減らす事が出来る」
フランク卿は嬉々として語り、そうしてフランツを見た。
「その為に、クロージャー卿、貴方にその魔法使いの育成をお願いしたい。君は学校の講師でもあるだろう。どうだね?」
その提案に有益さを感じ、フランツは言う。
「勿論だが、その人材の資料を見せてはくれないかね?」
フランク卿は、その返事に喜びを滲ませ、フランツに資料を手渡す。
その様子からして、そもそも断られることを考えては居ないようだった。
さて、フランツはその資料を捲って、眉を潜める。
「フランク卿、こう言うのは失礼かも知れないが、正気か?」
「嗚呼、正気だとも。良い人員であろう?」
……遂に気でも狂ったか、と疑惑が湧く。
資料に書かれた人間は、少女であった。
それも現状の年が十歳。
フランツにも娘が居るのだが、それより何歳も下である。
「……もう一度聞こう。正気か?」
「勿論だとも」
「そもそもとして親の許可は取れたのか?」
「運命の巡り合わせさ。彼女の親はどちらも死んだよ」
「……殺したのか?」
「いや、本当に偶然さ。この頃運が良いんだ」
その様子から、フランツは確信に至った。
フランク卿は既に狂っている、と。
「……これには乗れない。到底正気には思えない」
フランツは悩むことなくそう宣言する。
そうすれば、フランク卿は溜息がちに言う。
「そう言われると思ったよ。交渉をしようじゃないか」
「交渉?」と、フランツは復唱する。
「嗚呼、交渉だ。君は大尉になりたいとは思わないかね? 私も惜しいと思うんだ。君のような優秀な人材が中尉で燻っているというのは」
フランク卿の提案に、フランツは迷った。
フランツ自身の生まれは卑しい。
本当生まれであるのなら、既に大尉に上がっていたことが察せられる。
……これを逃せば、もしやこのまま昇格がないのではないか、と不安がよぎった。
しかし、娘よりも幼い少女を犠牲にした称号に意味はあるのだろうか。
フランツの生まれに誉れはない。
だからといって、その身分まで誉れを失う必要はあるのだろうか?
しかし、しかしと葛藤を重ねた。
その挙げ句彼は答えた。
「……乗ろう」
その時、フランク卿は醜く笑っていた。