その日は、チャールズ男爵を含めて、屋敷全体に騒々しさがあったのを覚えています。
既に立冬を迎えて、もう少しで新しい年が始まる影響もあったでしょう。
しかし、それらしく色めき立った様子ではなかったような気もします。
何だか不安になったのを覚えています。
その心のまま、チャールズ男爵の部屋に訪れました。
三度扉を叩いて、声を掛けます。
「あのっ、私です。お時間はありますか?」
少しの間を置いて、結局は扉が開かれることはありませんでした。
「すまない、今は時間がないんだ」と、扉の先から返事がなされるばかりでした。
この時、きっと肩を落としていたに違いありません。
私自身、面倒な性格をしていると思います。
でも、前日に約束をしていたのですから、私の落胆も正当化されると思いたいです。
部屋に帰る途中に、窓の外を見ます。
とても綺麗な快晴でした。
散歩日和で、木陰で
けれど、どうしてもそんな気にはなれず、ただ窓の外を眺めるだけでした。
たった一枚の窓を隔てた空は、いつもよりも遠くに思えました。
どうも嫌気が指して、空から視線を移すと屋敷に近づいてくる馬車が見えました。
一台の大して豪奢ではない馬車です。
それが近づいてくるのを見ていると、正門の辺りで停車します。
商人かな、と思いつつも確信を持てずにいると、いつの間にか下にいたチャールズ男爵が馬車に近づきます。
その馬車からは、二人の人物が下りてくるのが見えました。
どちらも髭もじゃの男性です。
しかし、片や背の低い汚い身なりの男性で、片や背の高いキッチリとした男性です。
何の関連も見出せませんでした。
何だか、この辺りで自分が哀れに思えて、部屋に戻ったのを覚えています。
自分の様子が、手の届かないものに執着しているように思えて仕方がなかったのです。
さて、部屋に帰ってベッドに飛び込んだところで、一つ思い出したことがありました。
誰にとってもどうでもよい些事ではありますが、私にとっては大切なことです。
もうすぐで私は、一二歳になります。
まだまだ成人するのも、結婚するのも先の話です。
でも、着実にそれらが足音を立てて近づいてきています。
現実的に言えば、あと遅くとも八年でしょうか?
その程度で結婚をしなくてはいけないでしょう……。
何だか嫌な話です。
溜息を吐いて、目を閉じました。
現実を見ないことにしました。
これで悩みを先延ばしには出来ますから。
いつの間にか眠ってしまっていたようで、ふと目を覚ましました。
窓の外は、真っ暗です。
曇ってしまったみたいです。
損した気分になりながらも、部屋の外に出ます。
肌寒さに身震いして、辺りを見渡せばすぐそこに蠅帳が被せられた食器が置いてあります。
それを取って、すぐに部屋に戻りました。
ご飯は当然冷たいものでありましたが、美味しかったです。
ちょうど食べ終わって寝ようか、と考え始めた頃合いです。
小さく扉を叩く音が聞こえました。
「はい、どうぞ」
「失礼するよ」
部屋に訪れたチャールズ男爵は、疲れた様子でした。
お客さんの対応が大変だったのでしょう。
「どうかしましたか?」と、訪問の理由を問いかけます。
チャールズ男爵は、椅子に腰を掛けて言います。
「昨日、一昨日だろうか……。約束しただろう?」
「約束しましたけど……。今からどこかに行くのも難しいですよね」
「すまない。言い訳になるが、突然人が尋ねてきたんだ」
「いえ、別に責めようというつもりは全くありません」
本当は単純に外へ遊びに行こう、と考えていただけですから、話す事柄も特に思いつきません。
これは大変なことになった、と焦ったのを覚えています。
「そうですね……。そういえば、今日のお客様はどのような方だったのですか? 朝方にお客様らしい二人の方を見たのですが、何だかだいぶ違うお二人だなと思いまして」
「彼らはなんて言おうか……」
チャールズ男爵は悩ましそうに唸り、その髭を撫でます。
そうして思いついたように言葉を発した。
「彼らはそう、先生だよ」
「先生、ですか? 背の高い方は納得できますが、もう片方の方もそうなのですか?」
「ああ、うん、どっちもが先生だ。シア君、世の中身なりだけで一概に人間の本質が分かる訳ではないだろう。だから、イメージで断定はしてはいけないよ」
「その通りではありますけど……」
納得は出来ても理解が出来ない、そんな感覚です。
物事の本質がただ一点に現れるとは言えませんが、しかし外面の一点を気にしないのは、杜撰な本質の証明になるのではないかな、と思います。
例えば、私の人生なんかが顕著なもので、ある一定の幸福が人生の大半を占めている事実があります。けれども、古い不幸も今の不幸、……未来の不幸はあるかは知り得ませんが、長い目で見れば一抹の不幸だけで人生はすべてが不幸に思えて仕方がありません。
外面の如何なるものでも、結局は内側、それの顕現に思えます。
何だか宗教チックではありますが、私は運命づけられた不幸な本質、それがあるように思えるのです。
勿論何事も、一概にすべては言えないのでしょう。
その点ではチャールズ男爵の言葉に納得できましたが、やっぱり理解は出来ませんでした。
思えば、彼と私とでは根本的に考え方に相違があったのでしょう。
彼は幾度も言ってますが、きっと善人です。楽観主義的な人です。
それで、たぶん私はきっと悪人で、悲観主義的な人です。
全く相容れない人間だったのだと思います。
だからこそ思います。
初めから別れることは確実だったのだろう、と。
いえ、そもそもです。彼と私との道は本来交わるものではなかったのでしょう。
不幸とちょっとした幸運。それによって成り立ったものの、何て希薄なことでしょう。
ですから、これは至極単純な、それらしい別れだったのだと思います。