【完結】跡に残るは雪ばかり。   作:朝日橋立

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第三十六話 これまでの終わりです。

 四月も終わり際に、私はチャールズ男爵の屋敷から引っ越すことになりました。

 北方遠征が始まるのが、五月の半ばだそうで、先んじて船に乗るように命令を受けたためでした。

 私の上司であるヘンリー・グッドマン少尉さんであるとかの医療、あとは機関部の人、料理人などの方々を含め多々居た記憶はありますが、詳しくは覚えていません。

 

 さて、私が船で寝泊りを始めてから十数日ほど経った頃合いの話です。薬品の数を数えたりと普段のお仕事を行っていると、ヘンリーさんが医務室に現れました。

 

「シアちゃん、ちょっと時間はあるかな?」

「えっと、どうかしました?」

 

 何だか申し訳なさそうな声に、嫌な予感がありました。

 厄介ごとを押し付けられそうな予感です。

 

「ちょっと今人手が足りてないんだけど、手伝ってもらえるかな?」

「お手伝いですか。何を手伝えばよいのですか?」

「荷物を渡すのを手伝ってほしいんだ」

「はあ、分かりました」

 

 案外簡単そうな仕事であるため、ちょっと肩透かしを食らいました。

「ちょっと待ってくださいね」と、ヘンリーさんに言ってから急いで仕事を進めます。

 在庫は問題なく記録と一致していますが、消毒液と脱脂綿が少し減っています。

 少し前に、ボイラーで転倒して怪我した人が居たりと、数える程度ではありますが、怪我人が出てしまっているためでしょう。

 

 補充を頼まないと、と思いながらもとりあえずで仕事を終わらせて、医務室から出ます。

「お待たせしました。どちらへ行けばよいでしょうか?」

 

「ついておいで」と、歩き出したヘンリーさんの背中を追います。

 急な階段を上って、甲板へと出ます。すると、普段以上の騒がしさに気付きました。

 なぜ船内で気付かなかったのか、というほどの煩さです。

 

 騒々しさの元を向くと、それはもう沢山の人が集まっています。

 きっと優に百人を超えていたに違いありません。

 

「えっと、この人混みは何なのでしょうか?」

 理解が及ばずに、ヘンリーさんに問いかけます。

 彼は少し笑った調子で言いました。

「僕らの新しい仲間さ。ちょっと詩的な言い回しをするなら、新しい家族かな?」

 

「なるほど……」

 納得は出来ましたが、混乱していたはずです。

 一体私は何を手伝わされるのでしょうか? と。

 

「やあ、やあ、待たせたね。助っ人を読んできたよ。僕の部下のシア衛生伍長だ」と、ヘンリーさんは帳簿を持った方に話しかけています。

 それから、私に声を掛けました。

「シア、こっちにおいで」

 

「あっ、はい」

 急いでヘンリーさんに駆け寄ると、彼は私に言いました。

「君はあそこで受付を終えた人らに、ハンモックと鍵を渡してくれ。一つ注意点だけど、鍵を失くさないように言ってね」

 

「分かりました」と、返事をすると、ヘンリーさんは頷いて木箱から荷物を手渡してきます。それは思ったよりも重いものでした。

 

 驚きに固まっていると、直ぐにこちらにたくさんの方々がやってくるのが見えます。こうして荷物を手渡す仕事が始まりました。

 はっきり言えば、この仕事は地獄でした。どれだけ頼み込まれようと、もう二度とはしたくありません。

 

 さて、その途中のことです。

 茶髪の青年が、荷物を受け取りに私の所へとやってきました。

 私は彼に酷く強い既視感を抱きました。

 

 適当に切り揃えた髪に、平凡な顔……。

 何となく出てきそうで出てこない、そんな気持ちの悪い感覚です。

 

「あの、もらえます?」

「あっ、はい。ごめんなさい」

 

 考え事をして、現実を忘れていました。

 最後に、ハンモックの端に書かれた名前を見た後、彼に荷物を手渡します。

 ヒュー・ハイツマン。私の故郷の更に北の方、山岳部からきた一兵卒のようです。

 

 この名前は忘れないようにしよう、と心の底で決めながら、それからもしっかりと仕事を続けます。全体的に、この船に乗る人は愉快な人が多いという印象を覚えています。

 はっきり言って、皆さま本当は良い人だったのだと思います。

 

 

 仕事が終わるころには、既に日は沈んでしまって、賑やかな声が甲板の下から聞こえるようになります。

 皆さん仲良くなるのが早いな、と感心をしながらも、ヘンリーさんに声をかけてから医務室の方へと帰ります。

 

 皆さんに混じりに行っても良かったのですが、一応立場上では彼らよりも私の方が階級が上になってしまいます。ですから、委縮させてしまうのではないかと思えました。

 それに、一際私が幼い現実もあります。彼らは確か最低でも一八を超えた方々です。十二の小娘とは話が合わないでしょうし、邪魔でしょう。

 

 さあ、何か本でも読みましょうか、と考え始めたところで、扉を叩く音が聞こえます。

「はい、どうぞ」

「失礼するよ。シアちゃん、疲れてるかもだけど、食堂の方で集会だ」

「分かりました。すぐ行きます」

 

 ヘンリーさんの呼びかけに返事をして、直ぐに部屋を出て、彼の背中を追って食堂へと向かいます。

 この船、タナトス号には正式な食堂というのは、士官用のものはありますが、一般の方々にはありませんでした。

 なので、皆さんがハンモックをかけて眠る一際大きな部屋、そこのハンモックを片付けて、食堂代わりに使っていました。今回の招集での食堂とは、この大きな部屋を示しています。

 

 食堂に着くと、クロージャーさんが声を張り上げているのが聞こえています。

 要点をまとめると、次のように言っていました。

 一つ、我々は明朝にここを出発する。二つ、此処での泥酔と船員に対する暴言を禁止する。三つ、我々は家族であるという認識を忘れるな。

 

 話が終わると、クロージャーさんはすぐに部屋から出ていてしまって、室内は喧噪に包まれます。

 気まずいな、と思って医務室へ戻りました。

 それから美味しくないご飯を食べ、床に就きます。

 小さな揺れに心地よさを感じて、直ぐに意識を手放しました。

 

 

 

 

 

 眠い眼を擦りながら、ゆっくりと服を着替えます。

 起床時間はまだ先です。

 

 あくびをする途中、机を見ます。そこには随分前にチャールズ男爵に貰ったペーパーナイフが置いてあります。

 それを一度手に取って、きれいな銀色を見つめます。数秒ほどそうしたあと、再び机に戻したところで、甲板へと歩いていきます。

 

 太陽はまだ完全にその姿を現しておらず、朝特有の寒い潮風が体を撫でます。

 それに体を震わせながらも、深呼吸をしていると珍しく人影を見つけます。

 

「よく眠れましたか?」と、その人に近づき、声を掛けます。

 短い赤髪が揺れると、こちらを怪訝そうな顔で見てきます。

 

「あっ、失礼しました。私は、シア・アトウッド衛生伍長です。確かヒュー・ハイツマンさんでよろしかったですよね?」

 私が名乗ると、彼は目を見開いて焦った様子を見せます。

 

「気にせずにどうぞ」

 少し可笑しいなと笑いをこぼしながらも、港の方に視線を移します。

 そこには殆ど人がおらず、寂しい印象を受けます。しかし、何だかノスタルジーを感じます。私の故郷に海などはありませんから、変な話ではありますが。

 思えば、もうこれを見れないのです。何だか物悲しいものです。

 

「それで、大丈夫でした?」

 今一度ヒューさんに向きなおって、問いかけます。

「えっ、はい!」と、上ずった返答が聞こえた後、けたたましい起床ラッパの音が船内から響き渡りました。




第三章本編の終わりです。
次回から少しだけ閑話に入ります。
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