【完結】跡に残るは雪ばかり。   作:朝日橋立

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お久しぶりです。
章を全て書き切ろうとすると、何日かかるか分からなかったのでもう出すことにしました。とりあえず、五か六話はある程度止まらずに出せると思います。


第四章 歩いていく道について
第三十七話 遠い場所から国を思います。


 掠れた声──もしかしたら、声も出ていないのかもしれない──で、歌を歌う。

 記憶の片隅にある遠い祖国の歌。

 神様の慈悲は、全世界にある。人はみんな兄弟だ、なんて歌。

 

 私は今も生きています。

 この道を歩いているのです。

 

 私の前で、大きく口をあける罠。

 それに向かって歩いていきます。

 

 もしかしたら、私はここにいないのかもしれません。

 いや、正しくは誰もここには居なかったのです。

 

 思うに、私は巨大な魚の胃の中にいるのです。

 人知の及ばない大きな臓物の先を、無為に歩いているのです。

 

 

 

 

 

 

 欠伸をして、天井を見ます。

 まだ起床ラッパの喧しい音は鳴っていませんが、妙に目が覚めてしまいました。

 

 体を伸ばして、着替え終わったのちに、入口の方を見遣ります。

 閉まった扉の先、そこではきっと何十人もの方々が寝息を立てています。

 

 彼らは仲良くなることが出来ているでしょうか?

 と思いはしますが、現実はよく分かりません。

 時折彼らと話すことがあったとしても、それは業務の上でのものが大半を占めたためです。端的に言えば、とても話し辛い……。たぶん私の努力不足でしょう。

 

 可能な限り音を立てないように気を付けながら、ハンモックの下に置かれた本を手に取ります。

 この本は船内の図書室の物を拝借しました。

 娯楽のためでしょう。この船には千冊を超える本があるそうです。ヘンリーさんが言っていました。

 よく分からない難しい本や、外国語の本などを含めると私が読めるものは少し減ってしまいますが、それでも沢山の本があって嬉しいです。

 

 湿ったその本に、少しばかりの心配を抱きながらも開きました。

 ここは海の上ですから、その為に湿気にやられてしまうのです。

 

 ちなみに今読んでいるのは、外国についての本です。

 今向かっている北方、そのすぐ下にあるかつての大植民地。十三植民地というのが最適なのでしょうか?

 クリスティーナ合衆国という名前の、南北で内戦をしている国の旅行記になるでしょう。

 

 旅行記なんてものは殆ど読んだことはありませんが、なかなか面白いものです。

 この遠征が終わった後、どうにかしていけないものでしょうか……。

 そうですね……一人旅というのをしてみたいです。

 南方へ行くのも良いかもしれません。

 

 遠い未来に思いを馳せ、まだ見ぬ地に憧れを抱きます。

 何だか等身大の少女になったように思えます。

 

 少し笑いを零したところで、けたたましい起床ラッパの音が鼓膜を震わせます。

 もうそんな時間か、と驚きながらも少し待ってから扉の外へと出ます。

 その先では、既に着替え終わり、準備を終えた方々が並んでいます。

 

 軍帽を目深に被り直し、点呼の報告を受けているヘンリーさんの後ろから、彼らを見遣ります。

 もう殆ど誰も軍帽を被っている人はいないのですが、一応これが制服ですから、きっちりしようと意識をしています。

 私自身海の人ではありませんから、海の人である彼らに敬意を示そう! と思うのです。

 

 さて、一目見て欠けはなさそうだな、と思っていると案の定大丈夫だったようです。すぐに解散の命令が出されました。

 

 よし頑張ろうか、と医務室に戻って在庫の確認をします。

 色々と薬品が並んでいるのですが、今のところ殆ど使ってはいません。アルコールは怪我人が時折出ているので使っています。

 

 数えているうちに、上への報告を終えたヘンリーさんが医務室に戻ってきます。

「誰か来たかい?」と、彼は少し欠伸混じりに問いかけてきます。

 

「いえ、特には」

「それなら良かった。まあ、来るとしても手を擦りむいたとか、その程度だろうけど」

 

 ヘンリーさんの笑った調子に、少し楽観的すぎないか、と思えました。

 思えば、深刻に考えすぎるのもばからしいでしょうし、これくらいがちょうどよいのかもしれません。

 

「あっ、そういえば」と、話を切り出して記録簿を探します。

「この頃睡眠不足と腹痛を訴える人が出ています。えっと、……今のところ三人です」

 記録簿を開き、ヘンリーさんに見せながら要点を掻い摘んで伝える。

 

「なるほど……。壊血病かな?」と、ヘンリーさんは呟きます。

 

「缶詰が少し質が悪いとかはありませんか?」

「さあ? でも、もう少し加熱するように言っておいた方がよいか。それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」

 

 ヘンリーさんが出ていくのを見届けた後、恐ろしいなと思います。

 仮に傷んでいる缶詰があるのならば、食事の度に博打をすることになるのですから嫌な話です。運を使い切ってしまうように思えます。

 

 ……不思議な話ですが、もしかしたら食事に問題があるのかも、と思い始めると少しお腹が痛くなったような気がしました。気のせいでしょうが。

 

 それに、気にしても仕方ないでしょう。さあさあ仕事をしましょう!

 

 改めて仕事に取り掛かり、終わらせました。

 それから少しのあと、ヘンリーさんが帰ってきて、休憩の許可を貰えたので、甲板へと出ます。

 医務室は嫌いではありませんが、少し疲れます。

 

 甲板では、デッキを磨くなどして忙しなく動いている人もいれば、正反対に駄弁っている人もいます。

 何とも面白いものだな、と思いつつも小さく欠伸をしていると、すぐ隣で体を伸ばしている人に気付いています。

 

 何だか汚れた服に、気になって声を掛けます。

「お疲れですか? えっと……」

 名前が分からずに困っていると、彼はこちらを見て困惑したような顔をしつつも答えました。

 

「おうよ。疲れたさ。あんたはどうだい?」

「私はそこまでです。そう体調を崩す人もいませんので」

「へえ、そうかい」

「そういえば、貴方名前はなんて言うのですか?」

「俺か? 俺はジョン・フリッツ。ただの火夫さ」

 

 ああ、缶焚きか、と彼の服の汚れに納得し、手を差し出します。

「私自身、何かできる訳ではありませんが、何かあったら頼ってください」

「そうかい、助かるよ」

 

 大きくて硬い手だな、と思ったのを覚えています。

 それに、フリッツさん自身良い人だとも思いました。

 

 太陽は爛々と煌めいています。

 清々しい風には、海の香りがしました。

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