悩ましさに息を吐いて、ランプの中で揺れる火を見ます。
退屈な光景に欠伸をして、背後を見ます。
そこには病床に伏した男がいます。
彼が体調を崩してから三日ほど経ちました。
その間、ヘンリーさんはこちらへと帰ってきていません。ノクス号での会議が長引いているようです。
ヘンリーさんがいないために、私はほぼ医務室から出ることが叶いません。
点呼であったり、体調管理の為に出ることはあっても。
「体調は大丈夫ですか?」
こちらを見る視線に気づいて、問いかけます。
彼は目を伏せ、口を開きます。
「ああ、マシになった。ありがとう、アトウッド伍長」
「いえ、お気になさらず。誰にでも不幸はあるものです。何か欲しいものはありますか?」
彼は首を横に振りました。
今は少しだけ体調が回復しているようです。
「そうですね……。何かお話でもしましょうか。貴方も暇でしょう。何処から来たのですか?」
「俺はミンチェスターの辺りだ。あそこの辺りで漁師をやってた」
「ほう! あそこですか。私もあそこの近くの出身です。どうして軍隊の方に来たんですか?」
「若い頃はよかったんだが、中々魚が捕れなくなっちまったんだ」
「へえ、何かあったんですか?」
「工場が増えたあたりからだ。魚が死んじまって、全く取れなくなっちまった」
「あれっ、あそこって最近工場が出来たんですか?」
私の知らない姿に、疑念を呈します。
彼は懐かしむように目を細め、呟くように言いました。
「俺がガキだったころ、あそこは綺麗なところだったよ。汚い首都から逃れてくる奴も多かった」
少し昔のミンチェスターを想像していると、徐々に船が勢いを失っていく感覚がしてきます。
この感覚は少し苦手でした。前に引っ張られるような、そんな不愉快さの中で乾いた咳の音が妙に響きました。
「大丈夫ですか?」
落ち着いた様子ではあるが、問いかけます。
彼は小さく頷きました。
もう少しの辛抱だと安堵していると、ヘンリーさんがすぐに帰ってきて、開口一番に言いました。
「あの爺さんは凡愚だ」
「へっ」と、驚いた拍子に声を零したのを覚えています。
ヘンリーさんはずかずかと歩き、備え付けられた椅子に腰を下ろしました。
それから再び、呟くように同じことを言います。「あの爺さんは凡愚だ」
上層部で一番高齢の人物、ジョッシュ・フランク大佐です。
「どうしたのですか?」
ヘンリーさんの発言の真意が読めず、疑問を呈します。
彼は悩む様子を見せました。
「シアちゃんすべてはあとで話す。ご飯のあとで僕の部屋に来てくれないか?」
「あっ、はい。分かりました」
その後は少し気まずくなり、直ぐに医務室の外へと出ました。
まだ夕食までは時間があります。空にはまだ太陽が爛々とあって、時間を潰すにも少々難しさがあります。
さて、そうして甲板の方へ出て、何かないものかと甲板へ出たところで知らない顔を見ます。
鋭い目をして、無表情に辺りを見る水夫の格好をした男です。
最初に彼に感じたことは、滑稽だという印象です。
彼の様子と言えば、水夫というよりもどちらかと言えば下士官のような様子に思えました。
格好に見合わない様子がどうしても面白く見えました。
彼を観察していると、目があいます。
彼は私を一度酷く軽蔑した目、いうなれば汚物でしょう。それを見る目でした。
その視線の意図が理解できず困惑をしていると、見知った顔がいたので声を掛けます。
「フリッツさん、あの人は誰ですか?」
「アイツは、グッドマン少尉に付いてきたこっちに来た金魚の糞だ」
大きな体をこちら向けた火夫は、悪態をついて言います。
「上官ですか?」
「いや、ただの野郎さ」
「彼のこと嫌ってます?」
「ああ、その通りさ」
フリッツさんはニヤッと笑い、肯定をしました。
そして、こちらに耳打ちするように口を開きます。
「アイツはお上に尻尾を振って、どうにかして偉ぶろうとするクズなのさ」
「彼、私を睨んできてましたから、違うのでは?」
「珍しい、嬢ちゃん何か嫌われることでもしたか?」
「私がするとでも思いますか? 話したこともありませんよ。というか、彼どうして来たんですか?」
すると、フリッツさんはあからさまな表情をしました。
「さあな? 俺は火夫だぜ。知る訳ないだろ」
「ヘンリーさんか、フランツさんが追加の人員でも頼んだんですかね……。そういえば、名前はなんて言うんです?」
「ヒッキー・ウォーカー。田舎の坊やさ」
既に姿の見えなくなった男の話をしていると、ご飯を知らせる声が聞こえてきます。
「あっ、もうこんな時間ですか。行きましょうか」
「俺はあれ嫌いだなぁ。ちぃと、爺さんには重い」
「何言ってるんです。それで体調崩されたら、迷惑する人も居るんですよ」
おちゃらけた話をしながら、食堂へ行き、そう美味しくないご飯を食べます。
フリッツさんと同じで、私もこれは嫌いです。
体調不良の原因である可能性もあれば、単純に美味しくもありませんから。
「失礼します」
ご飯を食べ終えた後、約束通りにヘンリーさんの部屋へと訪れました。
「シアちゃんか」
ヘンリーさんは私を一瞥すると、疲れたようにベッドに腰を掛けます。
それから、溜息がちに口を開きました。
「ダメだったよ。隊長は今回の原因を、船員が軟弱だから、と結論付けた」
「ということは食料は交換しないのですか?」
ヘンリーさんはゆっくりと頷くと、嘲るようすで呟きます。
「それどころか、こっちにあらぬ疑いを掛けてきてるんだ。アイツはここで政治闘争をしようとしてる」
「君はもう見たかい? ヒッキーとかいう信用のならん男を」
ついこの前見た男を思い出し、頷きます。
私自身、彼は嫌いです。
「もしアイツが擦り寄ってきても、気をつけなさい。あれはこの世で最も信用のならない人種だよ。口で何を言っても、腹で何を考えてるか知れない。蝙蝠のような男さ」
この時、私が思ったことは大体二つに分けられました。
一つに、ヒッキーを信用しないことを肝に銘じておこうということ。
もう一つに、協力すべき時に争いごとをするジョッシュ・フランク大佐への不信感。
思うに、この遠征隊は失敗のことを全く考えられていなかったのです。
全ての歯車が嚙み合う前提があったのでしょう。
これをきっと全て知った未来の人は、笑うに違いがありません。