【完結】跡に残るは雪ばかり。   作:朝日橋立

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第四十話 病人についてです。

 欠伸をして、早朝の海を見ていると、何だか影のようなものが遠くに見えました。

 

「ヒューさん、ヒューさん、あれって何ですか?」

 見慣れないものに疑念を抱き、横に立った青年に声を掛けます。

 彼は静かに顔を上げました。

 

「……島じゃないですかね?」

「へえ、もう寄港するんですか! あれがグランドラウンド」

 

 本国から遠い、見たこともない大地に心を躍らせます。

 それに、早く上陸したいという気持ちも大きかったです。体調不良の方もいらっしゃいますし。

 

「ていうか、もう二ヶ月も経ったんですね。早いものです」

 五月の半ばに出航をし、もうそんなに経ったのかと驚きが大きかったです。

 私自身、まだ一ヶ月も経っていない感覚です。

 

「アトウッド伍長は陸で何かやりたいことがあるんですか?」

 

 突然の質問に、少し戸惑います。

 やりたいことといっても、あの島ではやれることも限られているでしょうし、そもそもそんなものはありません。

 

「そうですね……。強いて言うなら、お祈りとかでしょうか。っで、そういうヒューさんは何かありますか?」

「うーん。手紙とか出したいですね。故郷の人たちに」

「あっ、確か北の方ですよね。どんなところなんですか?」

 

 私の問いかけに、ヒューさんは少し目をつむってから小さく呟きました。

「酷いところですよ」

 

 どうやら踏み込んではいけなさそうな話題なので、口を噤んでから話をそらします。

「一緒にお祈りしますか? 実際意味があるかは分かりませんが、精神的には結構効きますよ」

 

 ヒューさんは少し笑いました。

 何だか心外です。

 

「何ですか」と、口を尖らします。

「いや、すいません。信心が強いものだと思って」

「違いますよ。だって、世の中神様がいるにしては、よくないことが起こり続けるものですし」

 

 駄弁っていると、起床ラッパの音が響いてきます。

「もうこんな時間ですか。それじゃあ、先に戻ります。点呼に送れないでくださいよ」

 

 そうして小走りに医務室へと戻っている途中、闇の中に一対の眼を見つけました。

「逢瀬ですかね? アトウッド伍長殿」

 低い、軽蔑した声に、その正体に気付きます。

 

「ヒッキーさん。それは侮辱ですか?」

「いえいえ、確認ですよ。伍長殿」

「そうですか。では、一応は言いましょうか。ただの雑談ですよ」

「ほう、それは良かった」

 

 何だか気味の悪さに辟易としながら、逃げるように医務室へと帰りました。

 それから、病人の方へと声を掛けます。

「もうすぐで陸ですよ」

 

「それは良かった」

 彼の返事は少し震えているように思えました。

 

「大丈夫ですか? 痛みますか?」

「いや、ただ夢が見えるんだ」

「どういうことです?」

「夢だ。魚がいたんだ」

 

 よく分からない返事に、モルヒネの効果を疑います。

 しかし、まだ打っていないはずです。

 

「失礼。少し目を瞑って頂けますか?」

「何でしないといけないんだ」

「いえ、確認したいことがあるだけです」

「俺が気狂いだって言いたいのか」

 

 少し対応に困っていると、丁度ヘンリーさんが医務室へと現れました。

 助かったと息を吐いてから、彼に耳打ちをします。

 

「たぶん軽いせん妄です」

 ヘンリーさんは一瞬驚愕の表情をして、小さく声を発します。

「モルヒネは打ったかい?」

 

 首を横に振ると、彼はすぐに指示を出します。

「シアちゃん、点呼を頼んだ」

「分かりました。お願いします」

 

 医務室から出ると、点呼へと走ります。

 そして、問題がないこと急いで確認しました。

 

 それから、医務室へと戻る折に、呼び止められました。

「シア、時間はあるか?」

 

「あっ、えっと」

 少し困りながら、久しぶりの顔を見ます。

 殆ど艦長室にいた、艦長のフランツ・クロージャーさんです。

 

「どうかしましたか? クロージャーさん」

 彼が出てくるということは、余程のことがあったのだろうと考えます。

 出航したばかりの頃はよく色んな所へと顔を出していましたが、ノクス号での会議以降はそれがめっきりとなくなりました。

 

「君に仕事を頼みたいのだが、時間はあるか?」

「えっと、はい大丈夫です」

「助かるよ」

 

 フランツさんに連れられ、下の船室へと向かいます。

 広い船室には、たくさんの木箱が積まれて、暗い中に並んでいます。

 

「仕事というのは何でしょうか?」

「君はもう聞いたかね。糧食の交換をしないことを」

「だいぶ前ですが、はい」

「だからこそ、君の魔法に期待して仕事を頼みたい。ここにある糧食に、君の浄化の魔法を掛けてほしい」

 

 フランツさんの提案に、私はすぐに頷きました。

 私自身、食料の問題を認識した時点で、何か行動をしたいと思っていたのです。その許可が出た今、いてもたってもいられません。

 

 それからというもの、普段の業務と並行して缶詰の浄化作業を始めました。

 この作業自体は、そう楽しいものではありませんでした。誰も寄り付かない最下層で、黙々と缶詰に魔法を掛けるだけですから。

 しかし、これが誰かの為になるのなら、と必死に頑張りました。

 

 

 ……思うに、この行為は失敗でした。

 ただ断るべきだったかと言えば、今でもそれは分かりません。

 

 けれど、それはどうでもよいことでしょう。

 作業を続けること三日ほどのことで、船はついに陸へと付きました。

 楽しみにしていた陸についに到着したのです。これほど嬉しいことはありません。

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