欠伸をして、早朝の海を見ていると、何だか影のようなものが遠くに見えました。
「ヒューさん、ヒューさん、あれって何ですか?」
見慣れないものに疑念を抱き、横に立った青年に声を掛けます。
彼は静かに顔を上げました。
「……島じゃないですかね?」
「へえ、もう寄港するんですか! あれがグランドラウンド」
本国から遠い、見たこともない大地に心を躍らせます。
それに、早く上陸したいという気持ちも大きかったです。体調不良の方もいらっしゃいますし。
「ていうか、もう二ヶ月も経ったんですね。早いものです」
五月の半ばに出航をし、もうそんなに経ったのかと驚きが大きかったです。
私自身、まだ一ヶ月も経っていない感覚です。
「アトウッド伍長は陸で何かやりたいことがあるんですか?」
突然の質問に、少し戸惑います。
やりたいことといっても、あの島ではやれることも限られているでしょうし、そもそもそんなものはありません。
「そうですね……。強いて言うなら、お祈りとかでしょうか。っで、そういうヒューさんは何かありますか?」
「うーん。手紙とか出したいですね。故郷の人たちに」
「あっ、確か北の方ですよね。どんなところなんですか?」
私の問いかけに、ヒューさんは少し目をつむってから小さく呟きました。
「酷いところですよ」
どうやら踏み込んではいけなさそうな話題なので、口を噤んでから話をそらします。
「一緒にお祈りしますか? 実際意味があるかは分かりませんが、精神的には結構効きますよ」
ヒューさんは少し笑いました。
何だか心外です。
「何ですか」と、口を尖らします。
「いや、すいません。信心が強いものだと思って」
「違いますよ。だって、世の中神様がいるにしては、よくないことが起こり続けるものですし」
駄弁っていると、起床ラッパの音が響いてきます。
「もうこんな時間ですか。それじゃあ、先に戻ります。点呼に送れないでくださいよ」
そうして小走りに医務室へと戻っている途中、闇の中に一対の眼を見つけました。
「逢瀬ですかね? アトウッド伍長殿」
低い、軽蔑した声に、その正体に気付きます。
「ヒッキーさん。それは侮辱ですか?」
「いえいえ、確認ですよ。伍長殿」
「そうですか。では、一応は言いましょうか。ただの雑談ですよ」
「ほう、それは良かった」
何だか気味の悪さに辟易としながら、逃げるように医務室へと帰りました。
それから、病人の方へと声を掛けます。
「もうすぐで陸ですよ」
「それは良かった」
彼の返事は少し震えているように思えました。
「大丈夫ですか? 痛みますか?」
「いや、ただ夢が見えるんだ」
「どういうことです?」
「夢だ。魚がいたんだ」
よく分からない返事に、モルヒネの効果を疑います。
しかし、まだ打っていないはずです。
「失礼。少し目を瞑って頂けますか?」
「何でしないといけないんだ」
「いえ、確認したいことがあるだけです」
「俺が気狂いだって言いたいのか」
少し対応に困っていると、丁度ヘンリーさんが医務室へと現れました。
助かったと息を吐いてから、彼に耳打ちをします。
「たぶん軽いせん妄です」
ヘンリーさんは一瞬驚愕の表情をして、小さく声を発します。
「モルヒネは打ったかい?」
首を横に振ると、彼はすぐに指示を出します。
「シアちゃん、点呼を頼んだ」
「分かりました。お願いします」
医務室から出ると、点呼へと走ります。
そして、問題がないこと急いで確認しました。
それから、医務室へと戻る折に、呼び止められました。
「シア、時間はあるか?」
「あっ、えっと」
少し困りながら、久しぶりの顔を見ます。
殆ど艦長室にいた、艦長のフランツ・クロージャーさんです。
「どうかしましたか? クロージャーさん」
彼が出てくるということは、余程のことがあったのだろうと考えます。
出航したばかりの頃はよく色んな所へと顔を出していましたが、ノクス号での会議以降はそれがめっきりとなくなりました。
「君に仕事を頼みたいのだが、時間はあるか?」
「えっと、はい大丈夫です」
「助かるよ」
フランツさんに連れられ、下の船室へと向かいます。
広い船室には、たくさんの木箱が積まれて、暗い中に並んでいます。
「仕事というのは何でしょうか?」
「君はもう聞いたかね。糧食の交換をしないことを」
「だいぶ前ですが、はい」
「だからこそ、君の魔法に期待して仕事を頼みたい。ここにある糧食に、君の浄化の魔法を掛けてほしい」
フランツさんの提案に、私はすぐに頷きました。
私自身、食料の問題を認識した時点で、何か行動をしたいと思っていたのです。その許可が出た今、いてもたってもいられません。
それからというもの、普段の業務と並行して缶詰の浄化作業を始めました。
この作業自体は、そう楽しいものではありませんでした。誰も寄り付かない最下層で、黙々と缶詰に魔法を掛けるだけですから。
しかし、これが誰かの為になるのなら、と必死に頑張りました。
……思うに、この行為は失敗でした。
ただ断るべきだったかと言えば、今でもそれは分かりません。
けれど、それはどうでもよいことでしょう。
作業を続けること三日ほどのことで、船はついに陸へと付きました。
楽しみにしていた陸についに到着したのです。これほど嬉しいことはありません。