澄み渡る色の抜けた空に、溜息をつきます。
つい先日まで続いた吹雪はやみ、空はどこまで行っても雲一つありません。
美しい空です。
何だか、水平線に浮く流氷が雲のように思えてきます。
しかし、船は流氷の方へと動いていきます。慣れたはずなのに、不思議な感覚です。
つい先日、船員が一人死にました。
名簿への書き込みは、私がしたのですが、何ともペンが重かった記憶があります。
落水にて行方不明、何て書きましたが、自分自身信じられないものです。
そうあっさりと人が死ぬということもそうなのですが、それ以上に何もしようがなく死んでしまったことです。
昔から全く、何も成長できていなかったことを思い知りました。
けれど、引きずる訳にはいきません。もうこれで終わらせるつもりです。
そもそも、これが尾を引いてしまったら、死んでしまった人に合わせる顔がありません。
さて、これで終わりと心に決め、医務室に戻ろうとしたところで、視線に気づきます。
「どうしました? クロージャー中尉」
私の背後にいたフランツさんに声を掛けます。
「息抜きに来ただけだ」
「そうですか」
「君こそ、どうしたんだ?」
「同じ息抜きです」
さっさと帰るというのも、何だか避けているように思われそうで、もう少しこの場にいることにしました。
もしかしたら、何かしらフランツさんと会話をしようと思ったのもあるかもしれません。
「それにしても珍しいですね。最近は表に出てくることは少なかったでしょう」
「どうにもここ最近は、嫌なことばかりが続いてるだろう」
言われて考えると、確かに嫌なことばかりでした。
病気のことも落水も何もかもです。
「あと、どれくらいで北方に着くのでしょうか」
ふと気になったことを、零します。
随分と吹雪のせいで予定も狂っているでしょうし、改めて知っておこうと思ったのです。
「二週間もすればつくだろう。また吹雪けば分からんが、ないことを祈るしかない」
「もうすぐなのですね。……こう疑念を呈すのも厭らしいことですが、この遠征は成功するのでしょうか」
失礼を自覚しながら、言葉を紡ぎます。
フランツさんなら怒ることはないだろう、と思ったためでした。
「さあ、どうだろう。失敗するときは失敗する。何事も確かとは言えないものだ」
遠いところを見つめ、彼は続けます。
「ただ、何事も流れに身を任せてはいけない。失敗の芽があるのならそれを摘むのが私の仕事だよ」
その言葉に、何やら不安なものが含まれているように思えました。
何とも言えないゾクゾクとする嫌な予感です。
「行動をするときは私にも声をかけてくださいよ、クロージャー中尉」
「頼もしいことだよ」
それからも、何でもない会話を続けました。
以降は一切不気味な雰囲気は感じ取ることは出来ませんでした。
さて、フランツさんとの会話から約二週間。
太陽が沈んでいませんから確かとは言えませんが、大体その程度です。
甲板でサヴィクさんと軽い体操をしていました。
今日はサヴィクさんは珍しく早起きでした。
普段はラッパの音で気だるそうに起きているので、驚くべきことです。
それに加えて、いつもこの時間に話しているヒューさんが見つからなかったので、彼女と体操をすることになりました。
私はそう身体を動かすのは好きではありませんが、気持ちの良いものがあります。寒すぎてわざわざここでやることに納得が出来ませんが。
「帰りませんか」
全く身体が温まらなかったため、いまだ運動を続けるサヴィクさんに提案をします。
しかし、彼女はこちらに納得いかないという顔を向けてきます。
彼女は寒くはないのでしょうか。
「シア、寒がり」
「違いますよ。サヴィクさんが強いだけです」
「ふふ、そう。私の方が強い」
サヴィクさんは自慢げに胸を張っていました。
確かにすごいことなのですが、何でしょう納得がいきません。
「もう」と、言葉に悩んだ挙句に声を発します。
サヴィクさんは満足げに、こちらへとにじり寄ってきます。
「寒がりのシアを温めてあげる」
サヴィクさんはそう言い、私の頬に触れてきたのですが、とても冷たかったです。
雪よりも冷たいように思えました。
「うわ、やめてください」と、彼女から逃げて、少しの間追いかけっこをしました。
何とも子供らしいですが、許してほしいです。
さて、少し息が上がり始めたところで、サヴィクさんは「あっ」と言葉を零します。
「どうしました」と、彼女の側へと寄って、指で示された先を見ます。
その先には、小さな点が幾つも見えました。
そうそれこそが私たちの目指していた北方でした。
私が憎んでいる北方そのものでした。
美しい大地……人心を惑わす悪魔、私が、いや人間が最も忌むべき悪魔がいる大地。
私たちは大きな魚に飲み込まれるのです。その誰も知らない臓物の中で、誰も知らないモノを見るのです。