南下を始めるその日です。
準備を終えてから一度仮眠をとり、タナトス号の右舷側の氷上に集合していたところです。
船が燃えました。
「アトウッド伍長、あれって燃えてませんか?」
ヒューさんがノクス号を差して言います。
甲板から黒煙が立ち上っているのが見えます。
「えっ」
そんな素っ頓狂な声が出ました。
それから幾つかの銃声があって、私は押し倒されます。
どうにも現実がよく分からなくて、私の目前にある顔を見ます。
確かノクス号の船員の方です。
はて、私はどうして彼に押し倒されているのでしょうか?
意味が分かりません。
一体どうしてでしょうか。
仮に、これに何らかの意味があっても、非合理的です。
「ごめんよ、でもアンタが悪いんだ。アンタが魔女だから」
彼はゆっくりと私の首を絞めます。
殺されるのでしょうか?
ああ、運が悪いです。
薄れてゆく意識の中で、適当なことを考えていました。
最後に思っていたのはたった一つです。どうやって呪ってやりましょうか?
目を覚ましたのは、寒かったからでしょうか?
それとも、騒々しさのためでしょうか。
暗い場所に居ました。最下部の死体置き場です。
……待ってください。
此処はどこです?
死体が明らかに少ないです。
何だか見慣れない景色に、動悸がして辺りを見渡します。
やはり死体の数が少ない。数えなくても分かります。
そもそもとして、一体どうして私はここに入れられているのでしょうか。
先程、死んだと思われたのでしょうか。
すると、ヒューさんとか他の人たちはどこにいるのでしょう。
階段の方へとゆっくりと歩いていきます。
その中で持ち物を少し確認します。
持っているのは、防寒着のポケットに潜めていたペーパーナイフのみです。
息を殺して、上の様子を伺います。
騒々しく何かを食べています。
豪勢に何らかを焼いているようです。鳥とかを見つけたのでしょうか?
……ところで、どうして強い鉄の臭いがするのでしょうか。
足元がグラグラします。
でも、今倒れたらいつ凍死するかもわかりません。
何か行動を起こさないといけません。
そう行動を起こすのです。
まずヒューさんとか、ヘンリーさんとか、信用できる人と合流しましょう。
ひとまずの目標を定め、此処から脱出する方法を考え始めます。
何か役立つ道具はないものかと思って、下の所に戻って考えていると、階段から人が滑り落ちてきます。
驚いて、死体の山に隠れてから、その人物を見ると、目があいます。
火夫のフリッツさんです。
「大丈夫ですか?」
フリッツさんに手招きして、小さく問いかけます。
彼は何やら驚いた様子です。
「俺は大丈夫だけど、嬢ちゃんこそ大丈夫か?」
「私は、はい。大丈夫です。他のヒューさんとか、ヘンリーさんはどうですか?」
「ヒューは見てないから分からんが、その他は殆ど問題ない。ただ、ノクス号の艦長が撃たれて死んだ」
「……あの時ですか?」
フリッツさんは小さく頷くと、恨めしそうに上の方を睨みます。
「ところで、どうして此処に落とされたんですか?」
彼は何だか言葉に詰まっていました。
それから、一度考える素振りを見せて遂に口を開きます。
「アイツらは悪魔に落ちちまった。下郎さ。それに不満を言ったらこれさ」
「悪魔、ですか」
行為を考えたくはありませんが、なんとなくは察しが付いています。
ただ、それを言葉にはしません。
「これからどうしますか?」
本来、私が考えるべきことをフリッツさんに問いかけます。
一応の下士官ですから、職務放棄と言っても過言ではありません。
「クロージャー隊長と合流してから脱出するしかないだろう」
「まず此処から出ることも難しい気がします」
「……いっそのこと、この船も燃やすか?」
「正気ですか? 病人ごと焼き殺すことになりますよ」
サヴィクさんのことを思い浮かべます。
他にも逃げ切れない人も居るでしょう。
「焼死するか、餓死するかの違いだろ」
「その通りかもしれません。ただ、それをやるともうこちらも悪魔です」
うんうんと話し合って、結局は何も決まりませんでした。
そして話は初めに戻って、燃やすか否かになります。
ただどうしてもその話をしたくなくて、逸らすことにしました。無理やりではありましたが。
「ところで、上の敵は何割くらいなのですか」
「ノクス号の殆どと、タナトス号の少し。ただ、上で騒いでるのは8割強だろうよ」
「残りの人たちはどこですか?」
「死んだか、食堂の方に詰め込まれてる」
「どっちの人の方が多いですか?」
「食堂組さ」
その問答の末、もしや勝てるのではないか、と思います。
この狭い船内ですから、最悪何人か死んでも、道連れには出来ます。
けれど、連絡を取り合えないのが難点でしょうか。
「嬢ちゃん、戦おうなんて考えはなしだぜ。やつら銃を持ってる、こっちは丸腰だ」
それからも話し合いを続けました。
その末です。
私たちの行為は決まりました。
もしかしたら、私たちは悪魔かも知れません。
ただ、こんな北の果てに神様の目はないでしょう。
どうせ、私たちの行為も雪に埋もれます。
私たちは船を燃やすことにしました。