【完結】跡に残るは雪ばかり。   作:朝日橋立

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第六十話 歩き続ける

 船を燃やすために、フリッツさんと私は火種を探しました。

 ところが、だいぶ前に消された蝋燭が見つかるばかりで、何も火を起こせるものはありませんでした。

 

「どうしましょうか」

「俺が上に行って、どうにかして混乱を起こしてやる」

「危険じゃありませんか?」

「餓死するか凍死するか、此処で待っていてもそれだけだろ」

 

 フリッツさんはそのように格好をつけると、上の方へと戻っていきました。

 結局のところ、それから幾許か時間が経っても特に何も起こりませんでした。

 

 ……裏切られたのかもしれません。

 冷たい思考が私に囁いて、耐え切れずに死体の山に身を隠します。

 ただ恐ろしくて仕方がなくて、そのまま意識を手放しました。

 どうにも寒すぎたのです。

 

 

 

 

 

 

 上の足音はよく響きます。

 ゴンゴンという音に耐え切れずに、遂には目を開くことにしました。

 

 身体の震えを抑えて、顔をゆっくりと上げます。

 暗い部屋には死体ばかりがあって、何者も居ません。

 そのことに一安心して、一つ息を吐きます。

 

 暫くしてのことです。

「シアちゃん」

 聞き馴染みの声を耳にします。

 

「ヘンリーさん」

 その名前を返すと、目が合いました。

 久しぶりに見える彼は、何だか老けています。違和感があります。

 

 死体を踏まないように気を付けながら近づき、問いかけます。

 

「何があったのですか?」

「目には目をっていうだろう。反乱には反乱さ」

 

 どうにも似合わないきざな言葉に、少し笑います。

 彼も何だか笑っているように見えました。

 

「あの、サヴィクさんとか、医務室の人は無事ですか」

「嗚呼……。そうだな、大丈夫さ、安心してほしいな」

 

 ヘンリーさんの言葉に、虚偽が含まれていたかどうか。

 これを私は考えることはありませんでしたし、これからも考えることはないでしょう。

 

「さあ、急ごうか、そろそろこの船が燃えてしまう」

「結局燃やすことになったのですね。あっ、フリッツさんは無事ですか」

「問答をしている時間はないよ、早くいかないと」

 

 どうにも回らない頭のまま手を引かれて行きます。

 久方ぶりの上の甲板は、とても見たことのない景色です。

 

 ぐったりと倒れている方がいます。……大丈夫でしょうか。

 血を流しながらも笑顔な方がいます。不安です。

 何とも言えない、違和感に胃の中が沸き立って、気持ち悪くなってきます。

 

 ……嗚呼、色んな違和感の正体に気付きました。

 皆さん、随分と足を気にしています。ヘンリーさんもです。

 

「足は大丈夫ですか」

 問いかけると、ヘンリーさんは笑ってから言います。

「大丈夫さ、歩けているだろう」

 

 そうして、ゆっくりと歩き続けて遂にはフランツさんの姿を見つけます。

 彼は木の板を剥がしていました。

 もはや意義はないというかのようでした。

 

「クロージャー隊長、アトウッド伍長を連れてきました」

 そんなヘンリーさんの声に、やっと気づいたのか彼はこちらを向きます。

 やはり老けたように思います。

 

「無事でよかったよ。シア、すまなかったね」

 彼は頭を下げると、何だか悲しそうな顔をします。

 ええ、確かに悲しそうな顔でした。今まで見たことのない顔です。

 

 言葉に詰まります。

 何も思い浮かびません。思い浮かばなかったのです。

 

「アトウッド伍長、君に命令だ。今から君は南下隊の隊長だ。アトウッド隊長、君が無事に辿り着けることを期待している」

 

 意味が分かりませんでした。

 もしかしたら、私の理解する能力に問題があったのかもしれません。

 

「隊長といっても、隊員は君を含めて二人だけなのだがね」

「二人ですか」

「ヒュー・ハイツマンだったか、彼だ」

 

 生きていたのだなと思います。

 間違いなく死んでいると思っていました。

 

「彼は指揮権の復活に、大きな尽力をしてもらった。君も知っている男だろう」

 

 小さく頷いたと思います。

 フランツさんは悲しそうに微笑むと、肩に手を置きます。

 

「後は全て任せた」

 

 彼は手に持った大きな本を手渡してきます。

 GMS・タナトス号航海日誌と銘打たれた本です。

 

 呆然としていました。そのまま、何事も理解していないうちに、ヒューさんに手を引かれることになります。

 

 空はどこまでも青くて広くて、そして冷たいです。

 雪か丸石ばかりの世界を私たちは歩いていました。

 

「ねえ、ヒューさん。フランツさん達は何をするつもりだったのですか」

 

 いつの間にか疑問を吐きます。

 ヒューさんは手を引きながら答えました。

 

「さあ、でもきっと良いことです」

「私たちは一体、どうして此処にいるのでしょうか」

「分かりませんが、僕らは有限なリソースです。それが有効活用されているんです」

 

 昔、私が言ったような言葉です。

 ふと、後ろを振り返ると、遠くにはもうタナトス号は見えません。

 

 

 

 

 

 

 

 それからもしばしば歩いて、ちょっとした軽い発破の音が聞こえました。

 ええ、発破の音です。

 この頃は自覚するほどには歩く速度が遅くなっていました。

 気付いていたのです。

 避けることがきっと出来ました。いや、間違いなくできました。

 

「ヒューさん」

 ついこの前まで話していた友人が倒れていて、でも、どうしようもなくて右往左往します。

 どうしようもないのです。何もできません。何も思いつきません。

 

 そのまま幾許かして、私は何日かぶりに押し倒されます。

 背中には丸石が食い込んで痛いです。

 

「魔女め!」

 煩くわめく声には聞き覚えがあります。

 そうです。ヒッキーです。忌々しい男です。

 

 私に覆いかぶさる彼は、とても笑顔でした。

 貼り付けたような笑顔のまま、私の顔を舐めます。

 その臭い口臭に寒気がします。

 

 はて、なぜ私がこのような目にあっているのでしょうか。

 

「何か言えよ、おい」

 彼は恨めしそうに言って、私の首に手を掛けます。

 ああ、恐ろしいです。

 

 ……そういえば、私は一つナイフを持っています。

 珍しく刃の付いたペーパーナイフです。それを偶然にも持っているのです。

 薄着の彼の首筋はよく分かります。

 あそこにナイフを当てればよいのでしょうか?

 

 何か娼婦のように、彼の頭に手を差し出します。ナイフを隠しながら。

 それから抱くように首に手を伸ばして、ゆっくりと差し込みました。

 

 ……さて、存外にあっさりと全てが終わります。

 いえ、終わらせることが出来ました。

 

 彼の身体を跳ね除け、ヒューさんの方に歩いていきます。

 銃弾の当たったところが分かりやすいです。これを弾けているというのでしょうか?

 

「ねえ、ヒューさん。よく眠れていますか? 私は皆さんにとって、よい人であれたでしょうか?」

 随分前、といっても出航したばかりのことですから、あまり経っていないかもしれません。だのに、懐かしく感じる問いをします。

 ただ、返答はなく、私は黙って荷物を拾って再び歩き出します。

 

 空は広いです。

 そう、どこまでも広いです。

 眼前の忌々しい景色も同様です。

 

 すると、どうでしょう。今までが全て忌々しく思えてきます。

 過去も未来も何もかもが嫌悪に値します。

 そう! これら全てが忌々しいのです!

 

 一体どうして、過去を思い出す行為をしていたのでしょうか!

 一体どうして、私は歩き続けているのでしょう! 歌を口ずさんているのでしょう!

 

 どこまでも続く広い道を、歩いていきます。

 持っているものと言えば、頼りない防寒着に、信用のならない缶詰、そして妙に重い本。

 ああ、嫌です。不幸が過ぎます。

 

 しかし、どうしても歩きを止めることは出来ずに、それでも歩き続けます。

 何時しか、足跡は風に吹かれて消えてしまっています。

 すぐに、白い息は掻き消えて、青空に溶けてしまいます。

 きっと私もこれらと同じになるのでしょう。

 

 ただ、まだ止まりません。止まれません。

 止まろうと思えません。

 

 死ぬのは怖いです。恐ろしい、震えが止まりません。

 でもきっと私の足を動かしたものはそれではないのでしょう。

 もっと簡単で自己中な、罪悪感とか、意志を受け継いだなんて思い上がった心。

 あるいは夢を見る為だったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩き続けて、自分とその過去に嫌気が差す。嫌いだと思う。

 でも、それにも嫌気が差して、泣けてきて、笑えてきて、歩き続ける。

 

 そして、遂に倒れてしまったとき、声がした。

 懐かしくもない聞いたことのない声だ。

 知らない言葉の、でも安心する声だと思えた。




まだ続きます。
あと、閑話が二個あります。
投稿は明日、明後日になります。
明後日の方で、少し総括を書こうと思います。
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