「読むんじゃなかった時間の無駄だった」で折れた心が徐々に戻って来たので再投稿です
米が食べたい。
配膳された食事の献立を確認したリリアは、この世界に生を受けてから数え切れないほどに抱いた渇望を、今日もまた心の中で呟いていた。
周囲に控える侍女たちを傷付けぬよう、ため息を押し殺しながら密かに落胆する彼女が現実逃避として視線を向けたのは、窓の外に広がる風光明媚な深緑の
澄んだ魔力に満ちた新鮮な空気は生命力に満ちた木々の間を通り抜け、心を安らげる森の香りを伴ってリリアの鼻腔を擽る。
しかし、
彼女の前に並べられているのは、色とりどりの野菜達。
今朝収穫したばかりなのだろう、瑞々しい葉野菜たちが朝露を纏う花弁のように盛り付けられたサラダをメインに、数々の料理が並べられたテーブルへと視線を戻したリリアは、再び心の中でため息をついた。
(お米食べたい。うん、リフィー達に悪気がある訳じゃないし、屋敷のコックも毎日頑張ってくれているのは分かってる。分かっているんだけど……米が食べたいという自分の気持ちにウソを吐く事は出来ないよ)
出された献立に不満があるリリアだが、ここで米が食べたいのだと近くに控えている侍女たちに我儘を言っても意味がない事を理解している。
というより、彼女は既にそれを試していた。
結果は空振り。
むしろ米の存在を知らない様子の侍女を見て、この世界に米は無いのだろうかと絶望しかけただけだった。
「……今日も豊かな恵みを分け与えて下さった母なる森と聖樹に感謝を」
義務的に食前の祈りを捧げ、用意されたカトラリーを手に取るリリア。
献立が気に入らないからといって用意された料理を食べないのは、食に強い拘りを持つ彼女の主義に反する。
幸い味自体は文句無しに美味しいため、リリアは秘めた渇望を心の奥底にしまい込み、メインディッシュのサラダを食べ始めた。
専門の農園によって育てられた野菜達は、この森の清浄な水や空気、そして栄養を糧にこれ以上ないほど実っており、例えばサラダなんかは、葉野菜のシャキシャキとした食感に噛み潰した果実から滲んだ酸味が加わって、ドレッシングいらずな美味しさとなっている。
献立が野菜中心のため、品数を増やそうとも全体的にボリューム不足が否めないが、そこは慣れだ。
これまた専門の菜園で栽培された茶葉を使った紅茶を飲み、癖のないすっきりとした味わいに満足げな表情を浮かべるリリア。
そう、満足はできるのだ。
というより、ここまで徹底して
また、リリアは日頃の
彼ら彼女らの手塩にかけて育てた食材や自分たちの仕事に対する誇りを目の当たりにすれば、余程食べられないものが出てこない限り、文句を言う気にはなれないというもの。
──なのだが、それとこれとは話が別なのだ。
食事を終え、侍女たちによって下げられていく食器を静かに見つめながら、リリアはローブの裾の中で小さな手を握りしめた。
彼女がこの世界に生を受けて早10年。
自我の芽生えていなかった3歳頃までは
野菜中心の食生活に不満を抱き。
米が存在するかは今もまだ不明なまま。
かと言ってリリアの大好物であり、日本人の魂でもある米を食べる事を諦めきれる訳もなく。
──そう、何を隠そうこのリリア、日本人として生きていた前世の記憶を持つ「転生者」である。
それも、現代日本から異世界に転生するという今流行りのなろう系転生者だ。
転生先は「ウィーシェの森」というエルフが作っている集落の
美男美女揃いのエルフ達に傅かれ、
王族としての振る舞いを求められる生活は少し窮屈すぎるきらいがあるが、いい暮らしをする対価と考えれば不満はなかった。
転生前との性別が違うという点と、周囲に米が見当たらないというふたつの点を除けば。
性別が違うのは、極論を言ってしまえばリリア自身の慣れと覚悟の問題だ。
人間とは適応する生物。7年も時間があれば、自分の性別が女である事を理解は出来る。
王族という生まれだからこそ将来は政治的な結婚をするであろう事も、まだ男性との恋愛は想像すら出来ないリリアにとってはメリットとも言えるだろう。
ただ、米よ。お前の姿が見当たらない事だけは物申したい、というのがリリア本人の転生に対する感想の全てだ。
エルフの食文化は前世で言うところの「
肉や魚を食べる機会は全くと言って良いほど無く、出てくる料理は全てサラダや精々がパンといったところ。
──サラダサラダスープ果実水水、サラダ果実花の蜜。
ベジタリアンであれば泣いて喜ぶ食生活だろうが、現代という飽食の時代を日本人として生きたリリアの前世が強く拒絶するのだ。
リリアは前世では米を大層好いていた。
それこそ、地元の農協などが開催する稲刈り体験などのイベントには欠かさず参加し、収穫した米の試食会では炊きたての白米を口いっぱいに頬張って至福のひと時を過ごすくらいには。
しかし、いくら米が好きでも所詮は一介の学生。
米農家ではないため、たとえ稲があったとしても田んぼを作るにはどうすればいいのか、まず苗を作るにはどうすればいいのか、といった稲作の基本知識が全く無いのだ。
米の品種は言えるが、それがどんな生育条件でどんな特徴を持っているかなどはさっぱりわからないし、唯一の知識といえば、某農家アイドル番組で見た塩水に漬ける種籾の識別方法だけだ。
要するに、清々しい程の「食べ専」だった。
「……むう」
侍女たちを引き連れ、磨き抜かれた大理石で出来た廊下を歩きながら、リリアは米について思いを馳せる。
今の彼女は米への愛だけはあるものの、それを形にできるだけの技術や知識が欠けている──そんな状態だった。
お米が食べたい。出来れば炊きたてをください。あとおかずとして味噌汁と脂の乗った塩サバか焼き鮭、おまけで沢庵あたりもください。デザートにおはぎがあれば完璧。
米への執着が強くなりつつある最近のリリアは、公務の最中であってもそんな事を考えていた。
自室では正に心此処にあらずといった様子で、米への煩悩を抑えきれていなかったのだが、少し
そんな事はない。
彼女の頭の中にあるのは、この世界にあるはずの米と米料理のことだけである。
今日も今日とてお米のことを考えながら日々の公務を終え、部屋に戻ってきたリリア。
側付きの侍女が部屋の隅に控えるのを尻目にその小さな体を豪奢な天蓋付きのベッドに預け、微睡むように思考の海へと沈んでいく。
茫洋とした瞳のまま、シーツの上に金糸のような長髪を惜しげもなく散らす様は1枚の宗教画のようであったが、その思考の内容はいつもの如く「この世界でこの先お米を食べれるのか」という俗物極まりないものである。
異世界転生という胸躍る体験をしたリリアだが、彼女にとって命よりも大切な米が無いのならば、その魅力は半分以下と言っても過言ではない。
人が生きていくためには何が必要だろうか。
例えば、空気や水、食料。
生命活動を維持するという点を重視すれば、この辺りを挙げる人が多いだろう。
生命活動以外の事──人間特有の社会活動や精神の安寧など──を重視するのであれば、金銭や他者の存在を挙げる人だっているかもしれない。
リリアにとって、それは米なのだ。
お米、いわゆる白米。
トウモロコシや小麦と並んで世界三大穀物のひとつに称されるイネ科の植物、またはその籾から外皮を取り去った状態の粒状の穀物のことであり、我らが日本人の主食として古来から親しまれてきた愛すべき隣人こそが、人が生きていくうえで必要なものであるとリリアは考えていた。
夏には涼やかな風と共に揺れる青い葉が、秋には首を垂れる程に実った金色の稲穂が広々とした田に海のように広がり、その稲穂から採れた米は釜によって炊かれ白く艶やかな輝きを放つ。
茶碗に盛られた白飯から漂う、最高級の香木にも劣らない柔らかな香りが鼻腔を擽る感覚を楽しみつつ、一口箸で摘まんで口いっぱいに頬張れば、どんなおかずが添えられようとも味の調和を崩すことの無い優しい甘さと確かな旨味が舌鼓を強かに打ち鳴らすだろう。
嗚呼、米とは即ち日本人の魂であり、決して欠かしてはならない礎そのもの。
あの味が、あの香りが、あの風景が。例えこの目で見たことが無くとも、我らの無意識に強く刻み込まれた憧憬として強く心を揺さぶるのだ。
お米よ永遠なれ、米農家に幸あらんことを。
そしてこれからもどうか、米と共に生き続ける日々を。
などと、常人には理解出来ない米に関する思索がぐるぐると頭の中で渦を巻く。
そうやって時間が過ぎること暫く。
「──リリア様、そろそろ水浴びの時間です」
「ん……もうそんな時間?」
「はい。水場の準備は出来ております」
部屋の隅に控えていた侍女から予定を告げられ、めくるめく米の世界へと飛んでいたリリアの意識は現実へと帰還した。
リリアの問い掛けに肯定を返した侍女は、眉目秀麗なエルフの例に漏れず整った容姿を備えていた。
動きやすいようひとつに纏められた亜麻色の髪は艶やかな光を帯び、大きい翡翠のような澄んだ緑色の瞳は愛嬌のある表情を顔に与えている。
彼女の名前はリフィーリア・ウィリディス。
弱冠15歳にしてリリアの側付きを務める優秀な侍女であり、幼い頃からリリアの幼馴染としても付き合いのあるエルフの少女だ。
「また随分と真剣に考え込んでましたけど、何か気になることでもありますか?」
「ううん、なんでもない。大丈夫」
「なら良いんですけど……ほら、立って下さいリリア様。御髪を整えますから」
「分かった」
リフィーリアによって乱れた髪や服を手早く整えられたリリアは感謝の言葉を口にするも、どうせすぐに水浴びで乱れるのに、と益体もない事を考えながら水場へと移動した。
リリアとその家族──ウィーシェの森の王族が住まう屋敷は片仮名の「ロ」の字のような形をしており、屋敷に囲まれた中庭は、エルフの聖地である『アルヴの王森』から株分けされた霊樹を中心に数々の木々が植えられた小さな森が作られている。
その小さな森の中心にあるのが、王族専用の水場だ。
水場の周囲には精霊の幼体である微精霊達がふわふわと漂っていて、夜になると仄かに光を放ち、蛍の飛び交う湖畔のような幻想的な空間を作り出す。
神でさえ感嘆の息を吐く程の景色だが、自我が芽生えてから7年──赤子の時も含めれば10年もの間、毎日この景色を見ているリリアにとっては見慣れたものにすぎない。
高価な絹を惜しみなく使った肌触りの良いローブをリフィーの手も借りて脱ぎ、生まれたままの姿となったリリアは、冷たさに慣れるため何度か体に水をかけた後、少しの音と水飛沫をお供に水場へと入っていった。
前世ではお湯を溜めた風呂が常識だったため、物心ついたばかりの頃は慣れなかったこの水浴びも、今ではすっかり慣れたものだ。
霊樹や微精霊から発される魔力、もしくは生命力の影響を受けているのか、冷たくも仄かに温かい水に浸かって身を清めるリリア。
彼女の小さな手の平で掬われた水が白磁のような肌を濡らし、滑り落ちては水場へと帰っていく。
周囲を飛び交う微精霊に照らされているのも相まって、見る者によっては良からぬ妄想を抱きそうなほど、その光景は艶やかであり、また神秘的だった。
(やっぱり、リリア様は何をやっても絵になるなあ……)
そんなリリアの水浴びを見守るリフィーリアは、まるで宗教画をそのまま切り取って来たかのような目の前の光景を見て、何回目かも分からない感嘆の息を吐いた。
下界に生きる人間の中でも、種族全体で見目麗しいとされるエルフ。人間だけでなく
少し癖のある豊かな銀髪は
そして、神が理想の人形を作り上げたらこのような顔だろうと思うほど整った顔立ちには、その身に秘めた力を示すように様々な「色」が宿る宝石のような瞳が嵌め込まれていた。
今はまだ幼いこともあって美しさよりもあどけなさや可愛らしさが勝っているが、例えばリフィーリアと同じ年頃になれば、きっと神ですらも放っておかないほどの美少女になるだろうとリリアの事を知る者全てが噂しているのをリフィーリアは知っている。
妹のレフィーヤと共に学区を卒業した後、里に戻って王族の侍女という職に就いたリフィーリアは、最初こそ代わり映えのない日々に退屈を感じ、未知の世界へと自分から飛び込んでいった妹のことを羨んだものの、リリアの側付きに任命されてからはそんな想いが吹き飛んでしまった。
今となっては、日に日に美しさを開花させていくリリアを陰ながら愛でる事が生き甲斐になっている程だ。
「……リリア様、そろそろ上がって下さい。就寝の準備をいたしましょう」
「分かった。今あがる」
「お身体を拭きますので、こちらに」
「うん」
名残惜しそうな様子で漂う微精霊たちを背後に引き連れて水場から上がったリリアの体を、リフィーリアは用意していた布で丁寧に、優しく拭いていく。
そして僅かに湿り気を残すのみとなった蒼銀の髪を新しい布で包むと、リリアに夜着を着せるのだ。
誰かの手を借りて着替える事には慣れたもので、リフィーリアの指示に従って、まるで人形のように着替えていくリリア。
相変わらず茫洋とした表情のまま、臣下から深い叡智の表れであると評されている眠たげな瞳の奥では。
(うん、やっぱり東かな。前世と同じ感覚でいけば大陸の東辺りを探せば米が見つかるはず……なんだけど、里には水田を作るスペースが無いし、里の金は自分が好き勝手出来るお小遣いじゃないし。そもそも日本みたいな国が存在するのかも知らない状態で行動するのは、ちょっと危険すぎるよねえ)
相変わらず米の事しか考えていなかった。
そんな米狂いの思考を知る由もないリフィーリアに促されるまま自室に戻ったリリアは、あれよあれよと言う間に就寝の準備を整えられ、気が付けばベッドに横たわりあとは寝るだけの状態になっていた。
リフィーリアと寝る前の挨拶を交わし、彼女の手によって自室の扉が閉められた瞬間。
そのまま寝る気の無いリリアはサイドボードに置かれていた魔石灯を点け、本棚に差していたとある本を開いた。
本の題名は『迷宮都市オラリオについて』。
先日、極東について調べようと屋敷の書庫を探している時に見つけたものだ。
ファンタジー小説で描かれるエルフ像に違わず、他種族に対して排他的な彼らが持っていたエルフの里以外の場所が書かれている本。
これは珍しいという事で、公務の合間にこの本を見つけたリリアはこっそりと書庫から持ち出していたのだ。
どうやって持ち出したのか、その手法は現時点では秘密としておく。
「何が出るかな、何が出るかな」
前世で聞いた覚えのあるメロディを口ずさみながら、ワクワクした様子で本を開くリリア。
日々王族の一員として専属の講師から英才教育を受けているリリアだが、王族として外交を担うのなら必要だと思う分野であるはずなのに、何故かこの世界の地理については詳しく教えて貰えなかった。
理由を聞いても教えて貰えなかったのだが、侍女たちの噂話や講師たちの反応から推測すると、過去に里を出奔してしまったお転婆な王族がいるらしい。
その王族の出身はこの里では無いようだが、それからは王族の身勝手な出奔を防ぐために地理の知識は大雑把にしか与えず、政治的に付き合いが必要な国の名前や特産品、国家元首の名前などを教えるのみとしたようだ。
考えようによっては、外に関する事柄をシャットアウトすることで子供を家に縛り付けるような行為。
しかし、米以外の事はだいたい「へー」の一言で済ませるリリアにとって、彼女の行動を縛りたいらしいエルフの教育事情など些事にすぎなかった。
米が食べられないという点が大きなマイナスだが、基本的にリリアはここでの生活を気に入っている。
どうにかして米を食べる手段を確保出来れば、自分に望まれている役割を頑張って果たそうと考える程度には、周囲の人間に対する感謝の気持ちもある。
だがしかし、他人が教えてくれない外の情報が知れるのであれば知りたいと思うのがヒトの
書庫から『迷宮都市オラリオについて』を持ち出したリリアは、こうして夜中にこっそりと読み進めることで、外の世界についての知識を吸収していた。
「ふむふむ。数多の神の降り立つ街、オラリオ……」
その本には、以下のようにオラリオの概要が書いてあった。
──その街は、世界で唯一「迷宮」が存在する円形の都市。
──大陸の最西端に位置し、都市は堅牢かつ巨大な市壁に囲まれており、外周ほど高層の建築物が多く、中心ほど低層となり、中心部にはバベルが聳える。
──また、神が下界に姿を見せ始めた後、神々の多くがこの地に居を構えたことで
「迷宮に、
概要を読んだリリアは冗談交じりにそう呟いたが、実際に迷宮都市オラリオはライトノベルの舞台であるためその通りだ。
──都市内は、その中央から8方位に放射状のメインストリートが伸びており、東のメインストリートには闘技場、西には多数の飲食店、南には大劇場や大賭博場などの施設がある。
──南東のメインストリートに沿って歓楽街が栄え、北西のメインストリートは冒険者通りと呼ばれ、ギルドの本部をはじめとして武具屋などの冒険者関連の店が軒を連ねている。
──また、都市内はメインストリートで分けられた八つの区画で構成されている。都市外は、その東部方向に草原が広がっており、セオロ密林の先にアルル山脈が連なり、その先は大陸中央に繋がる。
──北部方向には天然の山城であるベオル山地がそびえ、南西方向に港町メレンが位置し、南東にはカイオス砂漠が広がる。
「……名前も聞いた事のない地名がいっぱい……」
おおう、と頭を抱えるリリア。
ここに来てリリアに課せられた教育の弊害が表れた。
外の世界の知識が無い彼女は、東西南北がウィーシェの森から見てどの方向に当たるのかすら分からない。
仮にウィーシェの森に関する事柄がこの本に書かれていたのなら、前世の知識を駆使して大雑把な地理を把握する事が出来たかもしれないが、迷宮都市についての本にウィーシェの森が書かれているはずもなく。
地名だけ知っても意味が無いのだと、リリアは深い落胆を覚える事となった。
「うむむ……仕方がない、今回はご縁が無かったということで……」
迷宮での冒険など毛ほども興味がないリリアにとって、迷宮都市オラリオという街はあまり心を惹かれる場所では無かった。
外の事を少し知れただけ良しとしよう。
そう自分を納得させて、今日は寝ようと思った瞬間。
──リリアに電流走る。
「……神様がいっぱい。そして神様は何でも出来る。つまり、お米の栽培方法を知ってる神様がいるかもしれない? いや、もしかしたらお米の神様自体がオラリオにいる可能性だって……!」
米色の脳細胞が導き出した完璧な理論に衝撃を受け、こぼれ落ちそうなほどに目を見開くリリア。
既に彼女の脳内では、霊験あらたかな格好をした米の神的な存在に見守られ、頭を垂らす程に実った稲穂の海を前にくるくると歓喜の舞を踊る自分の姿が思い描かれていた。
と、その時。
屋敷を見回る衛兵の足音が近付いて来るのを聞いたリリアは、夜更かしがバレるのを避けるため、魔石灯を消すと急いでベッドのシーツの中に潜り込んだ。
しばらくして、リリアの夜更かしに気付く事なく衛兵が部屋の前を通り過ぎたのを確認してから、リリアは『迷宮都市オラリオについて』を本棚へと戻し、再びベッドに寝転ぶと、決意を滲ませた声色でポツリと呟いた。
「──よし、オラリオに行こう」
エルフの英才教育、完全敗北の瞬間である。
暗闇に包まれた部屋の中、リリアは米色の脳細胞を全力で働かせ、ウィーシェの森を抜け出す方法を数パターン思い付いた。
とりあえず、里を抜け出すのは明日から頑張ろう。
そして、今日はそれで満足してしまったリリアは、彼女の体温が移り温かくなってきたベッドに誘われるようにして、夢の世界へと旅立つのであった。
「リリア様、おはようございます」
「ん、おはよう。リフィー」
翌日。
リリアの侍女としていつものように彼女の起床を促しに来たリフィーリアは、自分の主が纏う雰囲気がいつもとは異なる事に気付いた。
とはいえ、それは決してリリアにとって不利益なものではなく──どちらかというと逆。一皮剥けたとでも言うべき、そんな雰囲気だった。
「何か良いことでもありましたか、リリア様?」
「うーん……多分?」
「ふふ、答えになっていませんよ」
リフィーリアの疑問に小首を傾げて返事をしたリリアの姿に、思わず微笑んでしまう。
こうして幼い主の成長を見守る事が出来る、そのなんと素晴らしい事か。
従者冥利に尽きるといった様子のリフィーリアは、今日もまた良い一日になるだろうと確信を抱きながら、リリアの身支度を整えるためにテキパキと動き始めた。
そんな従者の心などいざ知らず、何故か朝から機嫌の良いリフィーリアに不思議そうな表情を浮かべながら、リリアはこれからの「予定」を話すべく彼女に話しかける。
「ねえ、リフィーリア」
「はい。なんでしょうか、リリア様?」
「これからオラリオに行こうと思う」
「オラリオですね、分かり──は?」
ピシリ、とヒビが入るような音が聞こえた気がした。
唐突にリリアが放った爆弾発言。それを耳で聞いたものの、脳が理解を拒んだリフィーリアは、侍女としてあるまじき愕然とした表情のままゆっくりとリリアの言葉を咀嚼していき。
「……きゅぅ……」
「り、リフィー!?」
結局理解しきれず、余りの衝撃と心労によって崩れるように気を失ってしまうのだった。